筆者、be-freeの栄華…いや汚点?の列伝!ノンフィクションです。
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悪魔の囁き(過去ブログ)
13年越しの珍事
ご無沙汰しております。
5年半ぶりの投稿ですね…
最近はSNSでの備忘録が中心となっておりますが、タイトルにもある通り13年越しの珍事が起きたのでこちらに投稿しております。
先ずは13年前の珍事をお読みください。
そこを持つな!!( ゜ ▽ ゜ ;) ←リンクありです
取り合えず問題の消火器は、緊急時対応のために玄関先の隅に置いてあります。
(一応、消火器も品質保持期限あるんですけどね…)
そして昨日の事。
仕事から帰ってきて玄関の戸を開けると玄関先にパンをかじっているナンナちゃん(もう高校生です)。
(あ、ヤベー!( ̄▽ ̄;)…)
といった表情のナンナちゃん。
(お前、ダイエットする件はどーなった?(-_-;)…)
と思いつつ靴を脱いで上ろうとしたその時に…
まさかの踏み外し→からの転倒!( ̄▽ ̄;)
からの!!
ピンのない消火器に接触!!
そして…
噴射!!(◎_◎;)
13年越しでナンナちゃん絡みの珍事の点と点が繋がるとは思いませんでした。
噴射した粉は昨日、2時間・今日、半日かけて清掃いたしました。(笑)
(余談)
13年経っても一応、消火器は使えたってことで…(笑)
進路相談
ご無沙汰しております。
子供が大きくなると笑いネタに事欠いて中々、アップできずに10カ月が過ぎてしまいました。
さて、先日の話です。
息子の高校進学へ向けての三者面談がありました。
面談が終わって教室を出ると息子がボソッと一言…
「お父さん、俺さっきから言おうと思っていたけど言えなかったんだけどさぁ…」
進路の事と思い
「何だよ今頃になって💢」
と言い返すと衝撃の一撃
「鼻くそ付いてるよ」
(;゜∇゜)
先生とめちゃくちゃ顔付き合わせて話していたんですけど
主語がない故の笑い話
随分と放置していました(^^;)
久しぶりに書きます。
2週間ほど前に娘のナンナがインフルエンザに罹患しました。
近くの診療所に行ってインフルエンザの検査をした時の話です。
鼻の穴に綿棒を入れて検査をしますが、その時にナンナが聞きました。
「結果が分かるまでに何分くらいかかるの?」
聞かれた看護師さん
「15分くらいかな~(^^)」
「え゛ー!!\((;◎_◎)/15分も綿棒鼻の穴に突っ込んでるの!?( ゜ ▽ ゜ ;)」
それを聞いた看護師さん可笑しくて手にしていた検査キットを落としてしまったらしいです、(笑)
彼女、人生2度目のインフルエンザですが、その度に笑わせてくれます。
爆熱!回想録1(好奇心がなせる業)
母の葬儀までの間、毎晩思い出話をしては笑っていました。
これから葬式を出すという家からは「ありえない」レベルの大笑いでした。
母の思い出話をすると結果的に笑い話になってしまう結果ですが…(^^)
で、その中で自分の話になりました。
丁度、小学校4年の頃と記憶していますが、お祭りの屋台で買ったひよこがそのまま生き延びてニワトリになりました。処分する訳にもいかず飼っていたのですが、その中でbe-freeがやらかしたヤバいエピソード。
その1 ニワトリも鳥の仲間なんだから飛べるんじゃね?
…という疑問から
二階の窓から放鳥!!
ニワトリ必死で羽ばたいて無事着地。
その2 見た目がアヒルに似てるから水面でも移動できるんじゃね?
…という疑問から
浴槽投入!!
ニワトリ必死で羽をバタつかせて沈まないようにしています。
子供の頃の事とは言え今思うと残酷です!(^^;)
因みにそのニワトリは基本的に室内飼いだったのですが、所かまわずフンをするので祖母がオムツを作ってくれて履いていました。
ご無沙汰しておりました。
ここ数カ月、色々とありまして更新が止まっておりましたが、ちょっと復活です。
それと時間差ですがこの間の記事もアップしてあります。
最も、日々のつぶやきとかはFacebookでやってるのでこれを機会に」そっちでも繋がっても良いかな~と考えたりもしています。
弱り目に祟り目?
弱り目のせいでしょう…
昨日、猛烈な痛みに襲われて悶絶してしまいました。
病院に行ったところ…尿管結石でした!
日付が変わった午前1時、腹痛で目を覚ました。最初は下痢かと思いトイレにこもる事30分。
何とかを出したのですが更に痛みが増すばかり…というか、今までに経験のないヤバイ痛みになってきました。(背中から腹に向けて刃物で刺されたかのような痛み…)
寝ようにも痛くて眠れない…
普通、ここで病院に行くのでしょうがbe-freeの場合…
そうだ!どうせ病院の受付には時間があるし仕事いっぱい出していたから、時間がもったいないから会社に行こう!(・∀・)ウン!!
となってしまいました!(アホです)
車を走らせること30分、3時半に会社について少し作業を始めてみたもののやっぱり痛い!!
始めてしまった作業を止めるわけにもいかずに恐らく5時半頃には来るであろう上司をうずくまりながら待ちました…
が!!
この日に限ってなかなか来ない!(°д°;;)
そうしている内に脳内麻薬が出てきたのか痛みが治まってきました。
上司が来たのが6時10分。速攻で引き継ぎをして帰宅しました。
帰宅して、ここまでの状況報告を嫁さんにすると
「普通、そこまで痛かったら行くのは会社じゃなくて救急外来でしょ!?」
と怒られました。(当然です)
そっか!救急外来って手があった!!
世にも奇妙な物語
是非、気分を盛り上げるために動画を再生しながらお読みください。
今日の夕方の話です。
郵便受けに宅急便の不在票が入っていました。
自分と子供達は何時ものように空手に…嫁さんは、いつまで待っても再配達に来ないので不在票に書いてあるドライバーのケータイへ電話しました。
「不在票が入っていましたが何時ごろの再配達になりますか?」
すると宅急便のドライバーは
「え?(・_・)…さっきおばあちゃんに渡しましたよ」
…\((;◎_◎)/
「あの~、ウチのおばあちゃん先週亡くなったんですけど…(°д°;;)」
…\((;◎_◎)/
「…え~!?( ̄▽ ̄;)」
唖然とする2人…
「た…確かにおばあちゃんに渡したんですけどね~( ̄□ ̄;)」
電話口でお互い半べそ状態の2人…
嫁さんは、夕飯の片付けも出来なくなってしまいました。
結局はドライバーさんの勘違いという事が分かりました。
ドライバーに嫁さんが…
「確かにまだ納骨が終わっていないので、母はココにいるんですけどね~(^▽^) 」
そう嫁さんが言うと、ドライバーさんは完全に顔が引きつっていました。
あのばあちゃんならやりかねない!!
そう思った次第です。(苦笑)
母逝く
平成28年10月6日午前6時20分、母が他界しました。
6月から食欲がなく体重が1ケ月で7kg落ちたので、7月末に医者に行って検査したところ肺と肝臓に癌が見つかりました。
最初に母には伝えられず、自分だけが事実を伝えられました。肺に3か所、肝臓に至って臓器の9割が癌細胞で埋め尽くされていました。その他にリンパ腺にも転移が見られる状況で、放置すれば数ケ月の余命と宣告されました。又、年齢的な部分や癌の広がり方から見ても抗がん治療を行っても的確な治療は見込めないと思われる事、治療をしても長くて1年と言われました。
1週間後に再度、造影剤を投与して再検査をする事になりその時に母に病状を伝えるか決めることにしました。(後に振り替えると、この1週間が一番つらかった時期でした)
整体に精通していた母は偶然居合わせた電車の車中でも具合の悪い人を見つけると施術をする人でした。こんな母に体の事で嘘はついても無駄だと思い病状に関して全て伝えることにしました。
状況を知った母は、延命は行わずに自然に任せて終わりを迎えたいと言い、家族全員が一丸となって一緒に残りの時間を過ごす事に決めました。
幸いにも状況を知った叔母が、東京から駆けつけてくれて介護をしてくれることになり、自分たちは普段通りの生活の中で母の介護が出来るようになりました。
それからは、介護ベッドの搬入に始まり医療チーム介護チームなど多くの方々のサポートで日々過ごすようになりました。(但し、実際にサービスを受けれるようになったのは9月に入ってからでした)
途中、薬が効きすぎて朦朧とした日々が続きましたが一番弱いモルヒネを皮下注射するようになってからは食欲も増して意識状態も自然な状態を保てるようになり、母の逝った後の葬儀の段取りなどの聞きたいことは大方、聞くことが出来ました。また食欲が増したお陰で、食べたいモノも食べられるようになりました。自分が魚屋という事もあり、鮎が食べたいというので鮎の手配をして朝、出がけに
「今日は鮎を焼いてあげるよ」
と伝えて出社して帰宅すると
「おかえり」
ではなく
「鮎が来た」
と言われる始末でした。(苦笑)
それでも次第に病状は進行していて、10月3日に医師からは11月までは持たないでしょうと最後通告を受けました。それを受けて今の内に話がしたい人はという事で母の姉妹に連絡すると伯母達はその日の内に駆けつけてくれました。それが幸いして千葉の伯母は死に目に立ち会えることになりました。
10月6日午前2時頃に「痰が絡んで息苦しそう」と介護をしている叔母に呼ばれて母の所へ行き体を起こして水を少しづつ飲ませて痰が下りていくようにして2時半頃に安定したので一旦、寝ることにしました。この時は意識もしっかりしていました。
4時半に起床して、いつも通り身支度をしていると叔母が
「ちょっと様子がおかしい」
と呼び止められて母のところに行くと呼吸が荒く息苦しそうにしていました。血圧を測ってみても測定不能、体温が39℃8分まで上がっていっるのに顔面蒼白で冷たくなていました。指先を見るとチアノーゼも見られていました。
状況を訪問看護ステーションに伝えると
「とりあえず体温を下げるために頭と首筋、足の付け根を冷やしてください」
と言われたので冷やすと体温は38℃台まで下がり息苦しさも収まりました。が、そのまま呼吸がゆっくりになり間隔が長くなってきました。ここで看護師の方が到着して母の状況を確認すると
「時間の問題です」
と告げられました。この間に自分の姉妹や近くの親戚に連絡して皆が駆けつけて揃ったところで母は息を引き取りました。
体調が急変して最後をあっという間に迎えてしまいましたが、殆ど苦しむことなく母が逝けたので良かったのかなぁ…と思っています。
先ずは、病状発覚から終焉までを先ずは淡々とお伝えいたしました。