えェ外野がごちゃごちゃ口を出し、岡目八目『碁盤斬り』 | 高校日本史テーマ別人物伝 時々amayadori

高校日本史テーマ別人物伝 時々amayadori

高校日本史レベルの人物を少し詳しく紹介する。なるべく入試にメインで出なさそうな人を中心に。誰もが知る有名人物は、誰もが知っているので省く。 たまに「amazarashiの歌詞、私考」を挟む。


○その棋心は、きっと剣で出来ていた。殺し屋と呼ばれた碁打ち、加藤正夫

◇『NHK 囲碁講座』(Eテレ:毎週日曜12:00~)
 2024年4月28日 放送内
「囲碁フォーカス/フォーカス・オン:あの棋士プレーバック! 石の殺し屋! 加藤正夫」
 ひと昔前、加藤正夫という囲碁棋士がいた。昭和後半にプロ棋士となり、歴戦の猛者としのぎを削りながら数々のタイトルを獲得して昭和・平成を代表する強者の一人となる。
 穏和な人柄に似合わず盤上では相手の大石を大胆に仕留め、ついたあだ名が “殺し屋加藤”。そんな歴史に残る名棋士を取り上げ紹介した『NHK 囲碁講座』内「囲碁フォーカス」でした。

 個人的に思い入れのある棋士なので、もうちょい詳しく。
 加藤正夫(1947~2004年)はプロの碁打ち。大棋士・木谷實(きたにみのる)に入門、門下の俊英たちに揉まれて頭角を現す。生涯で47個のタイトルを獲得し、王座戦通算11期の功で名誉王座号。

 平成に入ってからも各プロ棋戦の第一線で戦い続け、第57期本因坊戦リーグで勝ち上がって挑戦権を得、2002年にタイトルを奪取。この時55歳、史上最年長で本因坊に就位した。
 強豪揃いのリーグ/トーナメントを勝ち抜き、長い番碁を打ち継がねばならない七大タイトルの獲得は大変な体力・集中力を要するため、現在では青壮年が有利との定説がある。そのセオリーを破っての快挙に、世の年配の囲碁ファンは喝采を叫んだとか叫ばなかったとか。

 ことに「本因坊」は碁打ちにとって特別な意味を持つ名前で、江戸時代に幕府公認の囲碁家元制の中でも筆頭格と目された本因坊家に由来する由緒ある称号である。明治に入って家元制度は解消されたが、本因坊の名だけは棋戦のタイトルとして継承され今に続いている。ちなみに現棋戦は毎日新聞社主催ね。
 で、その棋戦を勝ち抜き本因坊位を獲得した者は、由緒にちなんだ特別な雅号を名乗ることを許される。江戸時代の歴代本因坊の名にちなんで「秀」を付ける人が多い、他にも平明穏健な漢字を使ったり。
 そこで加藤正夫が選んだのは「剱正(ケンセイ)」号。「剱(釼/劍/劔)」は “剣” の異体字、それに自分の名前の一字を添えて「加藤剱正」。かなり鋭利な感じの雅号であるが、しかしこの人には相応しいものとも思える。

 先述したように、加藤のあだ名は「殺し屋」。なんて物騒なあだ名を付けるんだと思われるかもしれない。古くは奈良期の皇族や平安貴族も嗜んだという優雅な盤上遊戯である囲碁の打ち手に、なんでそんな剣呑な名前が付くんだと。
 しかし平和な遊戯である囲碁にも、時には激しい闘いが起こることがある。囲碁はより多くの枡目を囲った方が勝つ陣地争いのゲームとはいえ、その互いの思惑がぶつかる必争点では、石と石が絡み合って取るか取られるかの接近戦を繰り広げる。

 ある程度の多さの石の塊を取り上げることを「(石を)殺す」、また包囲された石が生きるか死ぬかを「死活」という囲碁用語がある。
 加えて現代のプロ競技においては日本の棋界はもとより世界的に、序盤から石が複雑に捻り合い険しい戦いとなることが多く、囲碁はマインドスポーツの中でも特に激しいものの一つと考えられるようになってきた。冷静さや大局観と同時に、相手の石を追い詰め時には殺しきる闘志と気迫が求められるのだと。

 そんな風潮の中にあっても「殺し屋」の別名は異彩を放つものである。そもそもプロ同士の対局だと、一か八かの捨て身の勝負に出た場合は別として、用心を重ねている相手の大石(オオイシ/タイセキ)を仕留めきるなんて劇的な展開は滅多に起きないものなんですって。
 トッププロなら尚更、ギリギリの勝負の中でも大石の生死には幾重にも保険をかけて万全を期すもの。相手が「これなら大丈夫」と見なしたその大石を、あえて攻囲追撃して取りきってしまうのが「殺し屋加藤」の真骨頂であった。

 「殺し屋加藤」「剛腕加藤」、また終盤の緻密な計算にも定評があり「ヨセの加藤」とも。これら何となくおっかない異名とは裏腹に、本人は至って誠実な人格者。面倒見も良く、2004年には日本囲碁の総本山である日本棋院の代表理事長に就任して山積する課題に向き合った。
 昭和から平成に入る頃から拍車がかかった若者の囲碁離れと競技人口減少に苦悩する囲碁界の立て直しに奔走し、同時にプロ棋士としても第一線に立ち続けて活躍していたその年の暮れ、突然の逝去。早すぎる死が悼まれた。

 おっと、あんまり思い入れが強すぎてだいぶ長く語ってきちゃいましたが。
 私が囲碁のルールを覚えたのが2002年頃、御多分にもれずジャンプ漫画『ヒカルの碁』に感化されてのやや遅めのスタートでした。で、ルール覚えて一局打ちきれるようになって、指南書を読んだりネット碁を打ったりして少しずつ上達して。
 現代の新聞棋戦から古碁まで古今の名局を並べたりもし、テレビで『NHK囲碁講座』『NHK杯』やらを視聴したり。その頃は棋聖・名人・本因坊の3大タイトル戦がテレビ中継されてたんで、解説を聴きながらじっくり観戦もしてました。

 台頭してきた平成四天王の一人、張栩(ちょうう)さんのファンになった2003年のちょうどその頃、テレビで初めて見たタイトル戦が第58期本因坊戦、本因坊・加藤正夫 vs 挑戦者・張栩。
 このシリーズ中、加藤本因坊の剛腕を吸収するかのように張栩挑戦者の打ちぶりは力強さを増していき、とうとうタイトルを奪取。張栩さんにとって初の七大タイトル獲得という大きな転換点となりました。(中継を見ながら初めて本格的に並べた棋譜で、何回も並べ直したんで20年経った今でも少し覚えてます。)

 張栩さんは以後も躍進を続け、実力制棋戦史上初の五冠に到達。しかしその絶頂期、それまで張栩さんに幾度か挑みそのたび跳ね返されていた若手のホープ・井山裕太さんがついに牙城の一角を崩し、それから井山一強時代に突入していく・・(そんで現在は群雄割拠)。
 そんな平成囲碁史の分岐点にも登場し、棋士としてまた棋院代表として奮迅の活躍を見せた加藤正夫。その急逝の少し前、公式対局でトッププロの一人と対戦し、これまた大石を見事召し捕って快勝している。昭和・平成の名勝負を彩った名手でありました。


○盤の巷説

 将棋・囲碁にまつわる豆知識として昔から言い馴らされてきた、盤にまつわる巷説をば。あ、本格的な将棋盤とか碁盤の話ね、イメージはタイトル戦で使われるような立派なやつでお願いします。
 一つ。盤の4本の脚は梔子(くちなし)の実をかたどっており、「くちなし」は「口無し」に通じて盤外の助言を戒めるものである、と。
 もう一つ。盤裏のくぼみを「へそ」というが、またの名を「血だまり」。同じく盤外の口出しを戒め、安易に助言した者の首をはねてそこに据えたことに由来するという・・。怖いよ。

 どちらも江戸時代後半に流布した巷説であるらしく、見立てと言葉遊びを楽しんだ江戸人らしい趣向である。それにしては物騒な謂われだけど。
 江戸時代の人々にとって、将棋と囲碁はもっとも身近な趣味の一つ。どちらも幕府公認の家元制度があり既に専業プロ棋士が存在し、二百数十年の間にレベルは飛躍的に向上していった。その恩恵に浴して庶民の間でも将棋と碁が普及し、出版された勉強本や棋譜集で腕を磨いたそこそこの打ち手が市中にも散在していた。

 まぁ、へぼ将棋指しやへぼ碁打ちが大半ではあったでしょうが。下手の横好きナンとやら、愛好家ではあるんだけど腕前は今一つ。路傍の縁台に腰を据えて近所の顔馴染みとパチリ、或いは最高級の盤駒・盤石を揃えて棋譜を読み読み並べる独学三昧。
 近世の文学作品や風俗画には、そんな市井の人々が囲碁将棋を楽しむ姿が活き活きと描き出されている。江戸川柳にこんな一句がある。

「碁仇(ごがたき)は、憎さも憎し 懐かしし」

 よく打っている碁の対手、勝ち負けもトントンの好敵手。長時間打ち続けて負けが込んでくると、相手が憎ったらしくて仕方ない。果てはヒートアップして大喧嘩になり、「てめェのツラなんざもう二度と見たくねェ、こんな所にゃ金輪際来るもんか!」と啖呵を切って別れたその夜。
 勘気が冷めてしばらくすると、またぞろ一局打ちたくなってきた。アイツが憎たらしい、でも碁は打ちたい、憎らしい、打ちたい、ああ懐かしい・・。

 下町の人情を表すとともに、囲碁将棋に過度にのめり込む打ち手のいかんともしがたい執心をも描き出して出色の一句である。
 落語にも同様の作がある。落語『碁泥(ごどろ)』は「碁仇は」の句にも触れつつ、勝負に熱中して他の事は眼に入らなくなってしまった碁打ちどもの滑稽な様子を映し出す。


○まくらが長くなりましたが・・

 そうそう、今の世に剣と碁といえば、今週5月17日に公開されるこの映画『碁盤斬り』。


 主演は、もはや日本を代表する名優である草彅剛さん。その草彅さんが長いキャリアの中でも代表作の一つになるだろうと予感する程に、手応えを感じている本作。
 草彅剛で時代劇といえば、2021年大河ドラマ『青天を衝け』の徳川慶喜が思い浮かぶ。英明ながら時代の奔流に呑まれ最後の武家将軍となった慶喜、その苦悩と諦めの境地を克明に演じきった。
 その前年公開の映画『ミッドナイトスワン』で映画俳優として更に高い評価を受け、それからも精力的にドラマやバラエティーにと八面六臂の大活躍。

 2023年度後期の朝ドラ『ブギウギ』では服部良一をモデルとした羽鳥善一を熱演、かと思えば23年12月放送のNHKドラマ『デフ・ヴォイス』では複雑な生い立ちの過去を抱えるどこか翳りを帯びた手話通訳士を好演した。

◇NHKドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』

 この春にレギュラー放送を終えたNHK『ブラタモリ』では2015年から長らくナレーションを務め、公私ともに仲が良いというタモリさんと二人三脚で走りきった。なんか全般的にNHKへの出演が多いこともあり、映画界のいち名優というよりはもはや日本を代表する表現人と言っても過言ではない。
 それに、演じる役柄の触れ幅がとんでもなく広いことも特筆すべき異才。『ミッドナイトスワン』のトランスジェンダーで母性に目覚める成年、『青天を衝け』の冷静で思いを内に秘める慶喜、『ブギウギ』の熱く軽快な善一、『デフ・ヴォイス』のこれまた過去を秘める青年、『ブラタモリ』の穏やかな優しい語り口、そして『碁盤斬り』では復讐に身を焦がす実直な武士。
 早くも2003年からのテレビドラマ『僕の生きる道』シリーズで、3部作全てでまったく趣の異なる3人の主人公を演じ分けた草彅さん。その時から役の触れ幅は振り切れていた。令和のここに来てまた一段と役者としての柄を上げているかに見える。

 そんな主演草彅さんの娘役として共演するのが、こちらも躍進著しい清原果耶さん。今年5月3日封切りの日台合作映画『青春18×2 君へと続く道』の日本公開に先駆け、4月から告知も兼ねてテレビに出まくってますね。
 役者としてもどんどん芸の幅を広げ、最近ではナレーターや歌のお仕事も。ナレーションでは独特の低く落ち着いた声で映像を下支え、丁寧な発語と話の流れを汲み取る感性・演技力で声だけでも確かな存在感を示していた。この方面のお仕事は今後増えていくかも。
 片や歌では、普段から音楽をよく聞いているそうでギター・ウクレレ・カリンバ等の楽器類にも興味を示す旺盛な好奇心を覗かせていましたが、歌声そのものはオーソドックス。役者さんの発声ですな。もっとはっちゃけても良いと思うんだけれど、まぁ、ジブリの歌ではっちゃけるのも責務的に難しいか。

◇『さよなら大好きな場所』
  2024.4.5 テレ朝系:ナレーション

◇『ジブリのうた』特集
  2024.5.7 NHK総合:
『やさしさに包まれたなら』
 (『魔女の宅急便』)歌唱



〖 第31回読売演劇大賞 清原果耶
   杉村春子賞・優秀女優賞 受賞 〗

〖 清原果耶 「ジャンヌ・ダルク」の演技・・強靭な肉体 神聖な透明感 〗(審査評:中井美穂)

 タイトルロールを演じる清原果耶は、初舞台とは思えない堂々とした存在感を示した。神聖な透明感。太く低くコントロールされたよく通る声に、ダンスで鍛えたしなやかで強靭な肉体。空間全てを使う演出には、エネルギーや集中力が必要だが、どこにいてもジャンヌ・ダルクの心と体のままぶれることがない。ジャンヌはこんな少女だったのではないかと思わせる。理屈やテクニックだけでなく、舞台を俯瞰して見られる冷静さも備えているのだろう。

 100人を超える出演者を擁する舞台ゆえに、休演者にも悩まされたはずだが、主演としての揺るぎない姿勢が見て取れた。共演者やスタッフからの信頼を力に変えて、発光しているかのようだった。

 映像の世界だけでなく、生身をさらす舞台にもっともっと登場してほしい。ミュージカルやストレートプレイでも鮮烈な印象を残すに違いない。楽しみな舞台女優の誕生を心から祝いたい。

 (引用終わり)


 なるほどホタルイカのように発光していた、と。もうこれ以上ないくらい激賞ですね。ジャンヌ・ダルクなんて日本で演じられるのは坂本真綾か清原果耶か、ってなもんですよ。
 えっ、なんでこんなに詳しく高評価の文章を載せたのかって? それは次回記事で、清原果耶演じるお絹ちゃんの自害アナザールートを書こうと思っているからで・・ゴニョゴニョ・・・。


○加藤正

 ところで映画『碁盤斬り』、脚本を手がけたのはベテラン脚本家の加藤正人さん。

 そう、もうお分かりですね?

 何とあの、先述の加藤正夫名誉王座とは、縁もゆかりもない別人です!!

 ・・・・・・。

 気を取り直して。

◇『碁盤斬り』加藤正人(映画と連動した書き下ろし)文春文庫 2024年

 老練の脚本家らしく古今の文芸教養や趣味道楽にも造詣深く、落語や囲碁にも通じていると。っていうか若い時分から大の碁好きで映画『天地明察』の脚本も手がけており、以前に本因坊戦の現地観戦もしているそうだから、脚本家の方では加藤正夫名誉王座の事を知っていると思う。名前似てるし、たぶん歳もそんなには離れてないし。
 へぇ~、芸能人囲碁部なんてあるんだ、背後の壁にプロ棋戦とかのポスターが貼ってあるのが見えますな。

◇加藤正人 公式呟き

 

◇加藤正人 公式呟き

 

◇「河北魁新報社」有料記事(だけど途中まで読めます、加藤正人さんと高尾紳路さんの馴れ初めとか)



 あっ、映画の囲碁シーンを監修したのは高尾紳路(たかおしんじ)さんか。張栩さんと同じ平成四天王の一人、タイトルを巡って数々の激闘を経験してきたトッププロ棋士。(ちなみに本因坊就位順は「2002年 加藤正夫/03,04年 張栩/05,06,07年 高尾紳路」となっています。)
 あれ? じゃあ高尾さんの棋風に従って、厚めに打ってジリジリと押し込んでく展開になるのかな映画内の囲碁場面? いや人物の気性とか物語の流れを鑑みて、棋風は各人ごと別々に設定するとは思いますが。

◇『NHK 囲碁講座』2024年5月19日(日)放送回「囲碁フォーカス/フォーカス・オン:場面作りに一手ご指南! 映画『碁盤斬り』」で監修の模様を紹介


○劇場で、ちょっと違う所を見てしまう碁打ち勢

 さて映画『碁盤斬り』、時代劇ファンはもとより原作が落語ということで落語ファン、また草彅剛さんや清原果耶さんら出演俳優のファンたちにも楽しみな作品となっておりますが。
 これまたひっそりと楽しみにしている一勢力がおりまして、それは碁好き。

 タイトルともなっている通り、これは囲碁を大事な主軸とする物語。(その割には碁盤を真っ二つに斬るなんてぇ重篤なマナー違反をやらかしてますが。) 一方には「武士の気概/復讐」と「親子の愛情/碁仇との友情」を据えつつ、全体を貫くのはやはり碁打ちの佇まい。
 というわけで、結末も含めた物語の随所に碁を打つシーンが出て参ります。(←まだ本編見てないんだけどその筈です。)

 これは萌える! 時代劇の均整静謐な画面の中、節目となる場面で打たれる重厚な一局。あるいは日常の中の気楽でささやかな一局。
 こちとら一介のへぼ碁打ちではありますが。まがりなりにも石の配置を見ればどちらが優勢か、どんな経緯で出来上がった碁かはぼんやりと推測できると自負しております。
 なので盤面を少し長めに大映ししてもらえれば・・。まぁ、江戸時代の碁って現代碁とはかなり違う感覚で打たれてたんで、何となく形勢判断できるかなくらいのもんでしょうが。

 ちなみに江戸時代には「盤の四隅→辺→中央」の順に規則的に重視する棋観が正統とされ、それは徐々に変化しながらも近代まで続いていました。
 その流れを大きく動かしたのが、木谷實と呉清源(ごせいげん)という2人の棋士。二人は協同してそれまでとはまったく異なる新時代の布石構想を打ち出し、現代碁の世界を切り開いた。
 更にちなみに木谷實は冒頭の加藤正夫さんの師、呉清源は先の張栩さんの大師匠で2人とも強力な打ち手でもありました。

 ってなわけで映画『碁盤斬り』、碁を打つシーンにも、というか打つシーンにこそ御注目!
 俳優陣で石を打つシーンの有る人は特に各自で囲碁ルールの把握や碁石を持つ練習をしていたそうで、草彅剛さんも石を格好良く盤に打ち下ろすトレーニングをこっそりしていたとか。清原果耶さんは囲碁そのものを一から習得できたらしい。

 将棋の駒は大きいから、指でつまんで指先だけで持ち換えるのが難しい。スムーズに持ち直して小気味良く盤に打ちつけられるようになるには少し訓練が必要。
 一方の碁石も正式の石は意外と肉厚で、これも指先だけで巧く扱うのが難しいんですな。しかも丸っこいから、盤に打った時にしっかり押さえとかないと跳ねて転がっちゃう。その手つきだけ見ても、普段よく碁を打つ人かどうか見分けられるくらいで。

 碁を打つ所作や盤面を読む表情がしっくりこないと、映画全体のトーンも変わっちゃいますもんね。沈思黙考する厳かな佇まいは画面を引き締める。
 ところが主演の草彅剛、碁石の持ち方打ち方とか盤の前に座る姿勢は意識したんだけど、囲碁そのものにはあんまり興味が湧かなかったらしく。張り切ってレクチャーしてくれる監修者らをショボーンとさせたんじゃないか、と気にしていた模様。
 ただ共演の清原果耶さんや中川大志さんが熱心に勉強してルールを覚え、撮影期間中に隙間時間を見つけては頻繁に勝負していたそうで。草彅さんはこれで申し訳が立つ助かったと思いながら、二人が対局する様子を眺めてコーヒー片手に微笑んでたらしい。


◇『AERA』2024.5.20号
 〖 対談  草彅剛 × 清原果耶 〗

草彅:
 清原さんは現場では(共演者の一人である)中川大志君と熱心に囲碁の練習をしていたよね。

清原:
 役にあやかって、勉強していましたね。やるからには、中川さんに勝ちたいという気持ちもあって。

草彅:
 カットがかかる度に、二人で本気で囲碁をしていたよね。清原さんは吸収力がすごい。僕はコーヒーを飲みながら、そんな二人を眺めていたけれど(笑)。

 (引用終わり)



 いやいや主演なんだから、草彅さんこそ碁を覚えなさいよと。ここら辺は自由人の面目躍如か。
 とはいえプロ棋士の指導を受けられる機会なんて、大の碁好きでも滅多にあるもんじゃないのに。こりゃもう、碁盤を斬る大役は清原さんに代わってもらった方が良いんじゃ・・・?

 それにしても、こんなに囲碁を大々的に取り上げて碁を打つシーンを盛り込んだ映画なんて、不思議系ファンタジーコメディ『茶の味』以来かも? そんな意味でも注目です!
(↑いや他にもあるんだろうけど、『天地明察』とか。囲碁なんでアジア映画にも多いです。)

◇『茶の味』ニューマスター Blu-ray 2024年リリース

○岡目八目とは申せど、口出し無用の事にて

 「岡目八目/傍目八目」はどちらも「おかめはちもく」と読み、「当事者ではない第三者の方がかえって物事の見通しを持てている」の意。
 同じ碁打ちでもプロと違いアマチュアは狭い局地戦に目が行ってしかも攻めっ気が強く、カッカすると単純なポカや見落としをしがち。傍(はた)から見ている者の方がかえって落ち着いて盤面全体を見渡せるので、当の対局者よりも八目(はちもく=囲碁の計算単位でおよそ一手半の分)先を見通せる、との教訓。

 いやいや、場合によりけりだと思いますけどね。盤傍の観戦者は確かに気楽に大局を見ているけれど、腕前が同程度なら見てる景色も対局者と大差ない。
 プロの対局でも盤外では解説者や観戦のプロ棋士たちが実際に盤を使って同時進行で検討するけれど、頭の中だけで数十手先の予想図を読み合う対局者二人の方がかえって深く読めている事もザラにあるという。
 プロアマ問わず、真剣勝負に懸ける気迫がこのような深い集中をもたらすのだろう。

 ただその猛烈な熱中というか過集中が、やっぱり笑い話や滑稽噺になったりするんですが。
 囲碁の別名を「手談(しゅだん)」、一手ずつ打ち合うことで交わされる思念的・非言語的な会話。また黒白の石を用いることから「烏鷺(うろ=カラスとシラサギ)」。
 または「爛柯(らんか=朽ちた斧の柄)」。中国古典『述異記』などを出典とする故事成語で、碁好きな木こりが山中で妖精たちが碁を打つのに出くわし、夢中になって観戦してたらいつの間にやら斧の柄がボロボロに腐朽するくらい長い時が経ってしまっていた、というお伽噺。

 これは観戦する側だけど、目の前の対局に夢中で対局者も観戦者も時の経つのを忘れ、時どころか用事やら約束やら忘れちゃいけない大事な用件すらも忘れ。盤面以外は上の空でいるもんだから、外野から何か話しかけられてもまるで聞こえちゃいない。
 そんな古今の囲碁将棋あるあるが茶化されて、文学や芸能の作品に取り入れられ今日まで残ってきました。じわじわと囲碁将棋離れが進行している最近においても、特に漫画が多いと思うけれど、「棋」にまつわる作品は生まれ続けております。

 ところで、そんな盤上に過剰なまでに熱中する対局者や観戦者が、これだけはと嫌うのはいつの時代も「対局中の助言」。
 対局者間で一方的に助言するのも喧嘩の原因となるかと思いますが、厄介なのは盤傍からついつい漏れ出しちゃう観戦者のアドバイス。これが岡目八目なこともあるから余計にたちが悪い。

 勝ってる方からしたらその助言一つで形勢をひっくり返される事もあるし、負けてる方からしても自分が気づけるかもしれなかった好手を先に言われちゃア気分が悪い。
 助言を発する側も悪気はなく、いっそ好勝負を自分が盛り上げるんだぁくらいの善意で居ることも。

 そんなわけで、囲碁将棋盤の裏側には血溜まりがあり、脚は梔子で出来てるんですな。ええ、余計な口出し挟もうもんなら分かってんだろうな覚悟しろよ、と・・・。やっぱり怖いわぁ。

 と、しかしもうすぐ公開の映画『碁盤斬り』、これに対して少々物申したいことも御座いまして。盤外からの口出しになっちゃうんですがね、こっちも前々から調べて色々考えて、もう言わずにはおれなくなっっちゃってまして。とにかく口の軽い落語の与太郎みたいになってますが。


◇映画『碁盤斬り』劇場チラシの一文より

「父は、一旦こうと決めたら、何があっても後には引きません。」

(あとなんか、「堅物なヒーローが囲碁を武器に死闘を繰り広げる」って惹句もあるんですけど。気になりすぎる・・。)



 これはどうにも止められないってんで、次回記事で書こうと思っておりやす。口出ししても、どうか斬られませんように・・・。


(ショート漫画の筋を言葉で説明してみますが、どうにも味気ないので詳しくは上の文庫本をお読み下さい。)

 かなかなとヒグラシが鳴く中、縁台で3人の男が将棋盤を囲んでいる。対戦している一人がパチリと一手指すと、傍らで観戦している男が
「ははぁ、なある・・・ああ~ん、ふむふむ」
と、何かを察したような呟き。

 するとその一手を指した男が、観戦者の頭をポカ!と叩く。
「この野郎、助言を言いもせぬになぜぶった!」
「ええい、言ったあとでは遅いわい!」

 (おわり)