『イントレランス(不寛容)』 | 高校日本史テーマ別人物伝 時々amayadori

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高校日本史レベルの人物を少し詳しく紹介する。なるべく入試にメインで出なさそうな人を中心に。誰もが知る有名人物は、誰もが知っているので省く。 たまに「amazarashiの歌詞、私考」を挟む。


○試験にあんま出てこない英単語
 暗記カード

・名詞「 intolerance(イントレランス)=不寛容」


○日本映画の父、奮い立つ

◇ NHK BS『英雄たちの選択』
 2024.3.13 放送回

 歴史学者の磯田道史さんが司会をつとめる歴史教養番組『英雄たちの選択』。歴史上の英雄や偉人たちから毎回一人(たまに複数人や組織)を取り上げ、その生い立ちや思想を辿りながら歴史の転換点・分岐点となった重大な選択を深掘りするマニアックな内容。
 昨年度までは水曜夜の放送でしたが、この春から曜日をお引っ越しして毎週月曜日になりました。これはまだ昨年度、3月13日放送のお話。

 この回で取り上げたのは「日本映画の父」と呼ばれる近代の映画監督・プロデューサー、牧野省三。日本映画史に名前を残す黎明期の創成者である。
 この人もすごい映画人でありクリエイターなんだけれど、本稿の話の筋からはちょいと外れるもんで。なので牧野の業績については『英雄たちの選択』番組内の説明を拝借して簡単にご紹介するに留めます。

 牧野省三(まきのしょうぞう、1878~1929)は日本映画草創期にその礎を築いた、映画監督の走りにして最晩年はプロデューサー。近代エンタメの立役者、「時代劇ドラマ」「チャンバラ映画」ジャンルの確立者でもある。
 1895年にフランスのリュミエール兄弟が「シネマトグラフ」を発明し、世界初の映画が撮影された。こいつ、動くぞ、ということで日本では活動写真と呼ばれ珍しがられ、その日本でも1908年(明治41年)には早くも劇映画の製作が試みられた。

 牧野省三は京都で歌舞伎の芝居小屋を経営し、自ら舞台監督もつとめるほど芝居好きな青年であった。そんな牧野のもとに日本初となる活動写真製作の依頼が舞い込む。牧野は庶民に馴染みのある歌舞伎人気演目の映像化からスタートした。
 映画製作で先行する西洋では基本無声無音(サイレント)で、説明は字幕で補うスタイルが一般的であった。しかし日本では映画館に活動弁士と楽座が付き、弁士によるアテレコと楽座によるお囃子でサイレントとは言いつつも賑やかな上映風景が広がった。これは江戸~明治期の歌舞伎・浄瑠璃など芝居文化の土壌が影響したのではないかと考えられる。

 さて1から映画作りに取りかかった牧野省三、その初期作品は日本における「映画」そのものの物珍しさと新技術への興味も相まって人々の関心を集めた。加えて段階的に上達する映像編集の妙味、尾上松之助ら映画スターの人気上昇などの要因から映画館人口は急増し、映画文化は大衆娯楽の花形へと成長していった。
 しかしその一方。映画監督の第一人者となった牧野にはより速くより多くの作品を撮ることが求められ、粗製濫造の弊害が出始める。大文化人である谷崎潤一郎からは映画全般は「実にくだらぬもの」、鑑賞に値しないものとして痛烈な批判が浴びせられた。牧野自身も目が回る忙しさと作品クオリティの低下を自覚し葛藤を抱えていた。

 そんな時にもうひと押し、牧野の心を揺り動かしたのが、ある外国映画の洗礼であった。それが歴史映画『イントレランス』。
 巨大なセットを用いた壮烈なスペクタクルもさることながら、世界に衝撃を与えたのはその作品自体の芸術性の高さ。シナリオにも注力し、人類史を辿る重厚な人間ドラマと壮大な気宇に多くの人々が深い感銘を受けた。

 これらが契機となり、牧野は所属会社から独立してマキノ・プロダクションを旗揚げする。納得のいくシナリオを時間と資金を十分にかけて映像として作り込んでいく、その志を実現するための取り組みが始まった。
 これが日本映画の革新となる。1925年に完成し上映された『雄呂血(オロチ)』はリアリティ、政治性社会性、芸術性の高い傑作となった。牧野とその後進たちは洗練された映画理論を確立し、現場での撮影技法を実地で練り上げていく。

 1929年にはトーキー(有声)興隆の世界的潮流に乗って国産オールトーキー第一号となる『戻橋(モドリバシ)』を製作。牧野は監督業から退きプロデューサーとしてトーキー化を推進し、次世代の映像作家たちにバトンを渡した。
 その次世代の中から、クロサワ(黒澤明)・ミゾグチ(溝口健二)・オヅ(小津安二郎)など世界に飛躍する巨匠たちが育っていく・・・。

 ・・ってぇのが『英雄たちの選択』「牧野省三」放送概要なんですけどね。この放送の時点では日本映画の父である牧野の軌跡と、映画黎明期の撮影技法と作品展開の知識に触れられたことが収穫だと思っておりました。
 まさかその週末に、あんな偶然が起こるまでは・・・。


○『イントレランス』、再び

◇ TBS系『ドキュメンタリー「解放区」』 2024.3.17 放送回

 別に毎週見てる番組ではないんだけれど、深夜放送だし、なんなら日テレ系「NNNドキュメント」の方がよく見てるくらいで。しかし何となくテレビ番組表を眺めててふっと目に留まって、何の気なしに予約録画して、いざ見てみたらびっくらこきましたがね。番組冒頭部分を引いてみましょう。


◇『ドキュメンタリー解放区』
 「リリアンの揺りかご」冒頭の
 導入ナレーション

 映像だけで音が無い無声映画の時代に、最も偉大な作品と呼ばれた映画があります。1916年公開の『イントレランス』です。巨大な城壁のセットは高さ45m、横幅はなんとおよそ1km。信じられないスケールの映画は、4つの物語を同時並行で紡いでいきます。

背信:2500年以上前、栄華を誇ったバビロン王国は、裏切りから破滅を迎えます。

 揺りかごを揺らす女性が現れると、物語の舞台は別の時代へと移ります。

磔刑:2000年前のユダヤの地では、愛を説いたイエス・キリストが、十字架にかけられました。

虐殺:時代は飛んで16世紀のフランス。宗教の対立が、一方的な虐殺を引き起こします。

偽善:最後は20世紀、偽善がはびこるアメリカで、罪のない青年に死刑判決が下されてしまいます。

 揺りかごを揺らす女性が現れると、物語は別の時代へと移るのです。演じるのは当時の映画スター、リリアン・ギッシュ。ですが、演技らしい動きはなく、ただ、揺りかごを揺らしているだけです。題名の意味は、「不寛容」。

 それぞれの物語は、憎悪と不寛容が、いかに人間愛と慈愛をさまたげたかを物語る。
=「 Each story shows how hatred and intolerance, through all the ages, have battled against love and charity. 」

 4つの時代を何度も行き来しながら、憎悪と不寛容がもたらす悲劇を、映画『イントレランス』はくり返し伝えます。

 寛容さは、私たちが暮らす時代からも失われてきているように見えます。不寛容は誰の心にも潜んでいますが、ふつうは口にはできません。不寛容の心は、“憎しみ”の姿で社会に溢れ出てきました。そして、映画の公開からちょうど100年、(2016年の「津久井やまゆり園 障害者多数殺傷事件」に言及、)不寛容は、現実の憎悪の刃となりました。
 映画の中では、さまざまな時代の悲劇をよそに、リリアン・ギッシュが揺りかごを揺らしています。リリアンは、今も見つめているのでしょう。100年ののちも、絶え間なく揺れる揺りかごの中を。

( 文字起こし終わり。
 で、映像を止め止め聞き取って必死んなって書き上げたその後で、こんな動画↓を見つけてしまうというトラジディー。あるなら先に言ってよリリアン・・・。)




 うそん、映画『イントレランス』また出てきた。
 100年以上前の外国映画の名前を、まさか2024年にもなって同じ週の内で2度も耳にすることになるとは・・・。

 数十年前の日本映画の再放送とか、古いアカデミー賞映画の回顧特集とかがあってさえこんな偶然は稀有のこと、まして違う局のまったく異なる毛色の番組に出てくるのを目撃するとは。
 これはなんか記事に書けとの神の啓示か? それとも悪魔の誘惑なのか!? まぁ、どっちでもいっか。どうせ気になって調べてはみたんだし、折角だから古えの映画『イントレランス』について書いてみたいと思う。

 あ、ちなみに『ドキュメンタリー解放区』「リリアンの揺りかご」の続きはというと。冒頭ナレーションで導入した映画『イントレランス』のテーマと構成に形を借りたオムニバス形式で、現代社会の中で目にする「不寛容」のシーンを織り込んで展開されていきます。
 重度の自閉症と知的障害をもつ一人の青年の生活の様子。神奈川県相模原市の障害者ケア施設で起こった凄惨な殺傷事件。在日外国人をはじめとする日本近隣諸国の人たちへの執拗なヘイトスピーチ。関東大震災の混乱に乗じた日本人による在日朝鮮人・中国人たちの大量殺戮の歴史認識をめぐる現在の争論。

 「不寛容」ってェとなんか取り澄ました響きがありますが、これは「寛容じゃない」って意味で。もっと砕いて言うと、「お前らの存在を許さねぇぞ」。
 障害をもつ人の存在を許さない、外国人の存在を許さない。自分の目の前に居るのも許さないし、同じ国の中に住まうことも許さない。異質な者を排除する論理、立場の弱い人を追い立てる攻撃性、歩み寄りを忌避する感情。
 これら不寛容が日常生活の端々から噴き出す先鋭的な瞬間を、カメラは捉える。見てるとちぃと辛くなる・・。


○映画『イントレランス』

 では改めて、この100年前の映画の内容をば。映画の紹介といえばこの方にご登場いただきましょう!


◇『淀川長治 映画ベスト1000〈決定版 新装版〉』河出書房新社 2021年

▼『イントレランス(Intolerance)』(1916年 米 D・W・グリフィス)

【解説】(編者まとめ)・・・
 『国民の創生』『散り行く花』など名作を監督したD・W・グリフィスが壮大な構想のもとに製作した歴史的な作品。現代と過去の四つの時代を交錯させた脚本構成と演出は後の映画界に大きな影響を与えた。
 バビロンの巨大なセットをはじめ当時考えられる映画技術をすべて駆使した傑作。出演者もリリアン・ギッシュなど多彩。

【ハイ淀川です】(淀川のトーク、著作の中から編者が構成)・・・
 『イントレランス』とは許さぬこと。人間の狭い心、虚栄心、すべて人間の愛のない憎しみの心が、最後には悲劇を生むことを訴えているのね。グリフィスはキャメラという万年筆で小説を書いているみたいで、そのキャメラ効果は驚きですね。
 “バビロン編” の目もくらむ巨大な宮殿の広場をはるか上空から撮影し、次々にキャメラは地上に下りてくる。宮殿のはるかなる城の上を馬車が走り、見上げる何百人もの人の群れ。バビロンの襲来の戦車の狂走。キャメラが超スピード移動で撮影していくあたりは、あの『駅馬車』に迫る効果を早くも出していたのね。
 まさにアメリカのモダン美術の感覚で撮った傑作ですよ。

 (引用終わり)


*淀川長治(よどがわながはる、1909~98年)
 映画評論家。4歳から映画を見はじめ大正・昭和・平成と80年以上もの歳月にわたり映画文化に浴してきた。1966年から亡くなるまで「日曜洋画劇場」の解説者をつとめた。

 おっと思わず淀川さんの紹介もしちめェやしたが。それにしても淀川さん4歳なら大正初期、映画黎明期でちょうど牧野省三が映画を作り始めた時期と重なる。アメリカ映画『イントレランス』の日本上陸の時にも居合わせたかもしれない。ホントに映画の生き字引だったんだねぇ・・。

 では更に、無声映画時代の大作『イントレランス』の追加情報をば。


◇『死ぬまでに見たい映画1001本〈第五版〉』スティーブン・ジェイ・シュナイダー 2022年

(*だいたい要約、だいぶ意訳。前掲の淀川解説も参照してまとめています。)

▼『イントレランス』・・・
 別々の時代を舞台とする4つのエピソードを並べ、「時代を超えた愛の葛藤」を描く。
 テーマは「キリストの生涯」「古代バビロン(王に対する反乱)」「聖バルテルミーの虐殺(サンバルテルミの虐殺、フランスで起きたプロテスタントへの大量虐殺事件)」「現代劇(無実の罪を着せられた青年とその恋人の物語)」。
 これらのエピソードが同時並行して描かれる。悲恋のメロドラマが歴史を貫く人間の悲哀に身体的具体性を与えている。


▼D・W・グリフィス ・・・
 映画黎明期アメリカの偉大な映画監督。ただし『国民の創生』(1915年)に見られる人種差別的表現、あるいはそのテーマに対するビックリするくらいの無関心、テーマ性の欠如は当時から大きな批判を呼んできた。『国民の創生』に対しては上映時点で世界中から大ブーイングが巻き起こる。
 それに配慮したのか、あるいは全く考慮せずに期せずしてそうなったのか? それは分からないが、翌年公開の次作『イントレランス』は映画史に輝く不朽の名作となった。

 『イントレランス』において歴史叙事詩の超大作を世界で初めて手がけ、数多くの斬新な芸術的手法を編み出した。ドラマティックなクローズアップや表情豊かなカメラワーク、同時進行するアクションシーン、別エピソードへ次々にシーンが飛ぶクロスカッティング形式といった編集テクニックを導入し、現代につながる映画技法の基礎を築き上げた。
 シナリオでも物語にテーマ性を付活し技術的にも芸術的にも道義性にも優れた傑作となり、今回は最大級の賛辞を受けた。

 グリフィス本人は当時でも目立つくらいゴリゴリの人種差別主義者ではあったのだが、映画人としては押しも押されもせぬ巨人の一人であったのは確か。

 ただこの『イントレランス』、芸術的な高評価に反して興行的には失敗だったらしい。
 当時としては破格の3時間を超える上映時間。莫大な予算(巨大セット、大量のエキストラ、豪華コスチューム、才気ある俳優陣、高度な撮影機材)。内容も斬新かつ哲学的で難解、あまりに巨編過ぎて大衆受けはしなかったものか。興行収益は不発に終わり、巨額の制作費は回収できなかった。

 (引用・概要終わり)



 『国民の創生』におけるグリフィス監督はゴリゴリの差別主義者、そう淀川長治も指摘している。『イントレランス』では偶々そうした一面が出なかっただけかもしれない。
 だが『イントレランス』は遠大な歴史の流れを通して差別に苦しむ人間の悲哀といわれなき罪による虐殺の悲劇を描き、興行娯楽であった映画に芸術性を与える画期的な作品となった。
 その感動は海を渡って淀川少年に届き、また映画の可能性を見失いかけていた牧野省三に衝撃を与えて新たな道へと踏み出す後押しとなった。

 100年以上前の古い古い映画フィルムだけれど、そのテーマは今も古びることなく現代を生きる我々の目の前に横たわっている。
 差別とは何か、なぜ人は同じ人間を虐げ排除するのか、いつまでこの悲劇は続くのか、憎悪の連鎖を止める方法はあるのか?


◇日経新聞 2023.10.25 朝刊
 1面コラム欄「春秋」より

 「沈黙を破る」という名のNGOがイスラエルにある。軍の元兵士らが兵役で経験したパレスチナ人への暴力や差別を証言し、それを公開している団体だ。当然、軍にとって不都合な告発が多く、政府などから裏切り者と批判されてきた。それでも屈せず発信を続ける。

▼活動を取り上げた昨年公開のドキュメンタリー『愛国の告白』(土井敏邦監督)が、メンバーの言葉を伝えている。「何百万人ものパレスチナ人の喉を踏みながら、イスラエルの安全と平和を得られると考えるなら正気ではない」。苦悩や悔悟とともに語られるのは、抑圧は解決にはつながらないという現場の実感なのだ。

▼強硬姿勢をとるイスラエルにも、パレスチナとの和平を切望してきた人々はいる。そんな草の根の願いの前に立ちはだかる、戦火の拡大である。イスラエル軍の空爆で、日々数百人規模で犠牲が増えてゆく。涙を流し搬送される子供たちの姿は正視が難しい。本格的な地上侵攻となれば人道危機の広がりは想像もつかない。

▼憎悪の連鎖はとめられるのか。「沈黙を破る」のサイトはハマスの奇襲を犯罪だと指弾し、同時に市民を巻き込む空爆にも反対して「人間性への信頼は絶対に捨てない」と訴えた。絶望や復讐の衝動に身を委ねることはない、と。理想をいう、小さな声だ。同時に世界に訴えかける不屈の声でもあろう。大勢に届いてほしい。

 (引用終わり)



 一世紀前の『イントレランス』が切り開いた “映画” の可能性。高い芸術性と意欲的なシナリオで人の心を揺さぶり、現実にある差別や悲劇に考えを至らせ目を向けさせる、人間の精神を深める文化装置としての役割。
 それから100年後、映像ドキュメンタリーという形で現代の差別と排除を克明に描き出した『愛国の告白』(2022年)と『リリアンの揺りかご』。

 人間の精神は深化しつつある、倫理性は漸進を続けている。
 そんな楽観の裏で同時進行する、日常の中の差別と戦禍の惨劇。今世紀は二度の世界大戦が起きた20世紀中にも劣らぬ、人間性の危機の只中にあるのかもしれない。
 それでもドキュメンタリー作品に心動かされる感性があり、交戦国の中にあっても戦争を止め平和を求める声を上げる人たちがいる。
 この人間存在の二面性をどちらとも見逃さないようにしたい。

◇『淀川長治映画ベスト1000』より
「 映画を頭で見たら、つまらないね。もっと感覚的に見てほしい。」

◇神戸金史 番組内容解説・補足