「傍観者効果」及び「アクティブ・バイスタンダー」 | 高校日本史テーマ別人物伝 時々amayadori

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高校日本史レベルの人物を少し詳しく紹介する。なるべく入試にメインで出なさそうな人を中心に。誰もが知る有名人物は、誰もが知っているので省く。 たまに「amazarashiの歌詞、私考」を挟む。


◇『大人も知らない? “続”ふしぎ現象事典』
「ふしぎ現象」研究会/編
 大田垣晴子/イラスト
 マイクロマガジン社 2023年


○「2章 こころのふしぎ編」より


・ふしぎ現象28《傍観者効果》
 (p.64、65)

「スーパーで泣いている小さな男の子を見かけたけど、誰も助けなかった。ナンデ?」

「それは・・・《傍観者効果》」

 誰かが困っている場面に遭遇した時、周りに多くの人がいることによって率先して助けようとしなくなるこの現象を心理学で「傍観者効果」といいます。この現象が起こる原因は

①誰かがやってくれると思う。
②はずかしい。
③誰も手助けしないので緊急事態ではないと考える。

 ・・などがあるようです。

 この現象を知ったあなたは、次に同じようなことがあれば真っ先に困っている人に声がかけられると信じています。

【 あなたなら どうする? 】

〖ふしぎ現象コラム〗
 逆に自分が助けを求める事態になったら、「誰か助けて!」と言うより「そこの青い服の人、助けて!」などと相手を特定した方が、助けてもらえる可能性が高くなります。




・ふしぎ現象29《生存者バイアス》
 (p.66、67)

〖ふしぎ現象コラム〗
 「生存者バイアス」とは、多くの死者が出た大事故が起きた時に話を聞けるのは生存者からだけなので、「事故はあまり危険ではなかった」と間違って思い込んでしまうのが由来です。




・ふしぎ現象30《同調行動》
 (p.68、69)

 自分の本心とは関係なく、行動や考えを周囲に合わせてしまう現象を心理学で「同調行動」といいます。「みんなと同じにしていれば(同調)」仲間はずれにされることもなく安心なので、(~中略~)

 安心できるのはいいのですが、みんなの選択が間違っていることもあるので、要注意。逆に、違う意見の人とでも協力し合って物事を進めることを「協調」といいます。



 引用終わり。

 さて、上記を読んでいてどんなシチュエーションを連想しましたか?
 まぁ、想像は個人の自由ですからどんな場面を思い浮かべても良いのですが。

【 あなたなら どうする? 】


・amazarashi『たられば』
〈もしも僕が優しい人だったら
 困ってる人は全員助ける
 見て見ぬ振りで素通りして
 みじめな気持ちになるのは、
 もう嫌だ 〉





◇読売新聞 2024.3.6(水)朝刊
 15.社会保障面「ハラスメント防止」(執筆:田中文香)

〖 被害傍観しない人 育成 〗

〖「アクティブ・バイスタンダー」〗
〖 介入手法や心構え 研修 〗

 ハラスメントや痴漢、暴力などの現場に遭遇した際、見て見ぬふりをせず、被害者を守るために行動する人を指す「アクティブ・バイスタンダー(行動する第三者)」という言葉がある。具体的な介入方法や知識を学ぶ研修会や動画もあり、関心を集めつつある。

 「目の前で困っている人がいる時に一歩を踏み出せるよう、知識やスキルを学びましょう」

 1月21日、ジェンダー総合研究所(東京都)が主催する「行動するためのアクティブ・バイスタンダー研修」がオンラインで行われた。同研究所の共同代表を務める講師の浜田真里さんは、女性議員らに対するハラスメントの問題を大学院時代から研究している専門家で、全国の地方議会などでの研修も数多く行っている。
 約2時間の研修には、男女約10人が参加した。浜田さんは、介入のやり方には、不適切な行為をやめるよう、加害者に注意する直接的な方法だけでなく、「スマホなどで録画する」「飲み物をわざとこぼし、注意をそらす」といった間接的な方法もあることを伝えた。
 自分の身の安全をしっかり確保しながら行動することの大切さなど、介入する際の心構えを学んだ参加者たちは、「オンライン会議中に、同僚が上司から過度に叱責された」・・・など複数の場面を想定し、取るべき行動について議論した。

 (~中略~)

〖 見て見ぬふりをしないための第三者介入とは? 〗

「たすけを求める」→警察や店の責任者を呼ぶ
「よりそう」→被害者に「大丈夫ですか」と声を掛ける
「レコーディング」→被害の状況を録音・録画する
「まちがいを指摘する」→加害者に不適切な行為であることなどを直接伝える
「すり替える」→話題を変える、道を尋ねるふりをして声を掛けるなど、被害者が逃げるチャンスを作る

 (~中略~)

 ただ、実際の場面では、介入するかどうかの判断に悩む人もいる。浜田さんは、「迷った時は、自分が見過ごしたくないと思うかどうかを基準に動いてほしい。小さなことでも、加害者の行為を抑止することにつながるはずだ」と強調する。

 (抜粋終わり)



○「一隅を照らす(いちぐうをてらす)」

 どんな場面を想定したとしても、その各々に理はあると思うんですけどね。
 それは自分の身近で起こった事かもしれないし、あるいは遠く離れた地で起こっている事かもしれない。出来事の大小や事件の性質は違うだろうし、そこに自分がどんな具合に関わっているかという当事者性もそれぞれだろう。

 でも、ひとたび自分が日常の中でそんな状況を見かけたり、継続的に気になる事柄が出てきたのなら、それがその人の向き合うべきテーマになるのだと思う。
 ほんの小さな違和感でもいい、ほんの些細な気がかりでもいい。きっかけは何であれ、取り組むべきテーマが見つかったのなら、その一事について知見を集め、自分の裁量でできる範囲でアクションを起こしていけば良いのだと。

 もちろん、たくさんの懸案事項を抱えられる人は抱えて、多くの実効支援や現実的介入を指示できる立場の人には果断なアクションをとってもらって。社会的影響力を持つ人には大いに情報発信してもらって。
 ただ、そんな大きな力を持たない一介の小市民でも、自分の身の回りにある無視できない暴力や差別に気づき、それに対して何らかのアクションを起こすことは出来るだろう。

 「見て見ぬふり」は被害者の心を傷付けるだけでなく傍観者の心にも消えにくい棘を残す。そして小さな過ちを放置しておくと、それは時を経てより大きな禍根へと育っていくかもしれない。
 今、どんな違和感を持っていますか? その正体は何ですか? それに対してどんな態度を示しますか?


○「公平な傍観者」と「最小少数の最小不幸」


◇『新訂版 倫理資料集』清水書院 2012年

近代経済学の父「アダム・スミス」項(p.207)
〖重要語句〗より

▼共感(=同情心):
 他人の感情に共感する利他的感情のこと。アダム・スミスは人間は本来利己的ではあるが、同時に利他的感情をもっているとする。他人が悲しんでいる時、自らも悲しさにとらわれることがあり、しかもこれは人道的な人間に限られたものではないという。
 そしてこの共感(同情心)こそが行為の是非について判断する際の「公平な傍観者」である。人間は利己心に駆られながらも、「公平な傍観者」の声を聞きつつ、自己の欲望を追求しているのである。


「テーマ学習 人間性と自由・道徳」(p.215)より

 アダム・スミスは『道徳感情論』において、自己の欲望を少なめに抑え、他人の不幸により強く同情する市民の共感(シンパシー)を市民間の結合原理と見なし、利己心を肯定した。


「近代思想の展開:単元の概観:功利主義」(p.190)より

 倫理学として功利主義を確立したベンサムは「最大多数の最大幸福」原理を説き、彼は、一人ひとりがこの原理に従って自己の幸福の増進に努めるなら、個人の総和としての社会に幸福が実現されると説いた。
 しかし、労働者の貧困や失業、貧富の差の増大などが社会不安をもたらすに及んで、ベンサムの考え方が修正され、彼の後を受けたJ.S.ミルは、ベンサムの考え方を利他的な社会改良主義的功利主義へと修正し発展させ、人間の真の幸福は社会的献身によって得られるとし、隣人愛と良心からの行為に功利主義道徳を説いた。

 (抜粋終わり)



◇『倫理用語集 第2版』山川出版社 2019年

イギリスの功利主義者「ジェレミー・ベンサム」項(p.226~227)より

▼最大多数の最大幸福:
 ベンサムがとなえた功利主義の標語。諸個人の幸福の総和としての社会全体の幸福を、最大にすることを意味する。
 (~中略~)
 ベンサムは、のちにこの言葉は、少数者の犠牲を伴うとの誤解を避けるために、「最大幸福の原理」と言いかえている。


イギリスの功利主義者「ジョン・ステュアート・ミル」項(p.227)より

▼社会的感情:
 ミルによれば、人間はただ利己的な存在ではなく、他者への同情心、人類と連帯しようとする社会的感情などの利他心をもつ。功利主義の理想は、個人の利己心を満たすだけでなく、他者と結びつく利他的感情を満たし、人類全体の普遍的な幸福を追求することである。

▼内的制裁:
 道徳的義務に反して、他者を裏切った時に感じる良心の苦痛。誰もがもつ、人々と連帯しようとする人類の社会的感情から発するものである。
 (抜粋終わり)



 「近代経済学の父」と呼ばれ現在の新自由主義経済の大元みたいに見られているアダム・スミス、またイギリス発功利主義の始点の一人で後のアメリカ流実践的現実主義の源流ともなったミル。彼らが揃って「他者への共感・同情心」をその思想の土台に組み込んでいたことは興味深い。

 ベンサムの有名な言葉「最大多数の最大幸福」は、幸福主義に立って個人の利己的な幸福を追求することでその総和としての社会幸福を増大させることを目指す標語である。
 だがこの観念は数量上の少数者を見捨てる、置き去りにするかのような冷たい響きを持つことから後世の思想家に批判され、ベンサム自身も存命中にはその誤解の可能性に気づいて標語を訂正している。

 ベンサムやミルが興した功利主義には「功利=利益・快楽・善・幸福を増大させることに役立ち、損害・苦痛・悪・不幸を減少させる性質」として快楽や幸福を増大させる行為を是認するとともに、苦痛や不幸をもたらす行為を否認する、との原理がある。
 であれば「幸福の最大化を求める原理」であると同時に、「不幸の最小化を求める原理」でもあるわけだ。

 社会の成員、グローバル化の現代においては広く世界の構成員の一人として、世の中にある不幸を少しでも低減させる目標。しかし社会的弱者など少数派の不幸は時に目に見えにくく、多数派の論理によってその苦痛は体よく切り捨てられることもままあるものだと思う。
 それを防ぐためには多数派の論理を利他的な方向に導く大きな努力とともに、草の根レベルにおいても個人の身近な課題を引き受けて行動を起こすという、小さな努力も不可欠である。その小さな努力も総和をとれば社会全体を動かす大きな力となるかもしれない。
 どこにどんな課題を見いだすかはやはり人それぞれ、そこでどこまで有効なアプローチができるかもケースバイケース。しかしその善意志の集積は、あまねく世界を照らす光となろう。



◇読売新聞 2024.3.1(金)朝刊
 9.国際面 より

〖 ガザ北部 飢餓深刻 〗
〖 支援届かず 雑草食べてしのぐ 〗
 【エルサレム=福島利之】

 イスラエル軍とイスラム主義組織ハマスの戦闘によるパレスチナ自治区ガザでの死者数が29日、3万人を突破した。ガザ北部では飢餓が危機的な状況になっており、食料や水の支援物資がほとんど届かず、家畜の餌や雑草を食べて生き延びようとしている住民もいる。住民からは「間もなく餓死する」と悲嘆の声が上がっている。

 (~中略~)

 ガザ北部の住民の多くは戦闘が始まった昨年10月上旬、イスラエル軍の命令で南部へ避難したが、10万人以上が北部に残っているとみられる。軍はその後、ガザを南北に分断しており、行き来ができない。人道支援物資のトラックは南部のラファとケレム・シャローム検問所から入るため、北部にはほとんど到達しない。
 国連は、ガザの全人口220万人のうち4分の1が餓死寸前と報告する。ガザ保健当局は2月27日、飢餓による死者の集計を始めた。

 (~中略~)

〖 ガザでの飢餓の状況 〗
*国連やガザ保健当局の発表に基づき作成

・ガザ全域で57万6000人(人口の4分の1)が餓死寸前
・ガザ北部で2歳未満の6人に1人が急性の栄養失調
・ガザ北部の病院で子供6人が餓死(28日時点、集計開始1日での数)

 (抜粋終わり)



◇読売新聞 2024.3.3(日)朝刊
 9.国際面「ワールドビュー」
(執筆:水野哲也  アジア総局長)

〖 戦闘 罪深き「ドミサイド」〗

 タイ中部の町に暮らすミャンマーのイスラム系住民ロヒンギャの女性(20)は、7年前の出来事を鮮明に覚えている。
 2017年夏、ミャンマー西部の村に200人ほどの国軍兵士が現れ、自分の家を含め6、7軒の家に火を付け始めた。別の村に逃げ、後で確認しに村に戻ると、300軒以上の民家がすべて灰になっていた。「たった1日で自分の村がなくなってしまった」と語る。
 「焼き打ち」は国軍の常とう手段だ。21年のクーデター後も、民主派や少数民族の関係者がいる村を丸ごと焼き払ってきた。市民団体の調査によると、21年以降で焼失した家屋は7万軒を超える。

 先日出張で訪れたイスラエルで、リベラル系の主要紙ハアレツが似たような告発をしていた。パレスチナ自治区ガザで戦闘を続けるイスラエル軍が、上官の命令で多数の民家に火を付け、破壊しているという。「ガザの人々が帰る場所がなくなる」として、違法性を指摘した。

 「Domicide(ドミサイド)」という言葉がある。ラテン語の「家」と「殺害」を元にした造語で、意図的で組織的な民家の破壊を意味する。これを国際刑事裁判所(ICC)に関するローマ規程などで人道に対する罪と明確に定めるよう提唱するのが、国連で「住む権利」に関する特別報告者を務めるバラクリシュナン・ラジャゴパル氏だ。
 住居や学校、医療施設などが丸ごと破壊されれば、そこに住む人は強制的に故郷を追われ、戦闘が終わっても共同体が元の生活を取り戻すことは不可能になる。世界では都市への人口集中が進み、戦時に民家の大量破壊を伴いやすくなった。
 ジュネーブ条約でも無差別攻撃は禁じられているが、ラジャゴパル氏は、組織的な民家の破壊をドミサイドとして明確に規定すべきだと訴える。「家を失うことは、思い出や感情、隣人関係など、自分がどんな人間なのかという記憶をすべて失うことを意味する」と語る。

 帰る場所を失った人の苦しみは長期化する。バングラデシュの難民キャンプに逃れたロヒンギャは故郷に帰ることを諦め、ボートで他国への脱出を試み、昨年は500人以上が洋上で死亡・行方不明になった。
 オランダの裁判所が2月、F35戦闘機の部品のイスラエルへの輸出を停止するようオランダ政府に命じた際、判決は民家の大量破壊としてドミサイドに言及した。「司法や市民の間で認識を広め、多くの人に民家の破壊の重大さを知ってほしい」とラジャゴパル氏は話す。

 ロシアのウクライナ侵略などを受け、世界ではこれまでで最も多い人々が難民や国内避難民になっている。戦争が日常化した世の中だからこそ、市民の被害を減らすルール作りが重要性を増している。

 (引用終わり)



◇読売新聞 2024.2.24(土)朝刊
 6.特別面

〖 家族の日常 奪った空襲 〗
〖「ママ、元気あげる」もう聞けない 〗
 (文:倉茂由美子)

 前線から遠く離れたウクライナ西部イワーノ・フランキーウシク州コロミヤ郊外の小さな集落に昨年8月11日、ロシア軍が1発のミサイルを撃ち込んだ。ウォロディミル・バラバニク君の命が奪われた。8歳だった。地元では、ミサイルは近くの軍用飛行場が標的だったとささやかれている。
 平凡な朝だった。タクシー運転手の父イバンさん(36)と車で買い物に出かけたウォロディミル君。ラジオの音楽に合わせて歌い、ホットドッグを食べ、道路脇のヒマワリをみて「太陽みたい」と笑った。

 午前9時50分頃、自宅に戻ると空襲警報が鳴り始めた。家の中にいたウォロディミル君は、「おしっこがしたい」と裏庭にあるトイレに飛び出した。その時、大きな爆発音とともに、爆風と地響きが襲った。
 家の屋根や壁の一部は吹き飛ばされ、ウォロディミル君は庭に倒れていた。救急車で病院に向かう道のりは「永遠」のように長かった。死亡宣告を聞いた母マルタさん(34)は病院の廊下で気絶した。

 イバンさんは「トイレに行かせなければ・・・」と自らを責め続けている。「相棒」を失った2歳上の兄は、笑わなくなった。4歳の妹は、無邪気にウォロディミル君の帰りを待っている。
 「ママ、僕の元気をあげるよ」。ウォロディミル君は、1日の終わりに疲れたマルタさんをこう言って抱きしめてくれたという。ロシア軍は、そんな心優しい子どもにも容赦なく襲いかかる。
 「なぜ、あの子が・・・」と苦しむマルタさんは「お願い。無意味な戦争をやめて。無実の人々を殺さないで」と声を振り絞った。

 (引用終わり)