杉浦日向子が生きた江戸 | 高校日本史テーマ別人物伝 時々amayadori

高校日本史テーマ別人物伝 時々amayadori

高校日本史レベルの人物を少し詳しく紹介する。なるべく入試にメインで出なさそうな人を中心に。誰もが知る有名人物は、誰もが知っているので省く。 たまに「amazarashiの歌詞、私考」を挟む。


○劇場版『PSYCHO-PASS PROVIDENCE』を見てきたよ?



 素晴らしかった・・。うん、素晴らしかった・・・。(←これ以外なんも言えねぇ)

 時は未来、2110年代の日本。人々は統合型ネットワークシステム「シビュラシステム」に社会の全ての管理を委ね、個々の適性と心理特性に基づき自動的に進路・行動・待遇が決定される理想的なノーストレスライフが実現していた・・・。

 くっ、文章力が貧弱すぎて緻密な作品世界の1%も説明できない・・っ!
 なので下の紹介PVとか公式サイトをよっくご覧になって下さい。




 さて『PSYCHO-PASS』シリーズは100年後の近未来社会を舞台としたSFクライムアニメである。根強い人気の理由の一つはそのSF設定の先見性。
 第1シリーズは2012年の放送ながら、その後の2010年代に爆発的に進展したAI技術とそれを実生活に適用した社会の革新的変化を先取りしたかのような設定がなされており、その未来予想図においてのシステムの役割の適否とシステムに依存してゆく人間の倫理とを、今現在の時点に引きつけて考える入り口となるような奥深いアニメとなっていった。

 それとは別にもう一つ、第1シリーズは主役キャラ2人の魅力と彼らのやり取りのカッコよさが人気を呼び込んだ。片方は全シリーズを通して登場するもののもう一方は第1期で退場し、しかし今なお絶大な支持を得ていたりするのだ。その2人の台詞を引いてみよう。

◇『PSYCHO-PASS』新編集版
 第1話冒頭、槙島聖護(まきしましょうご)のモノローグより


槙島:
「人間について知りたいと思ったら、人間を見ているだけではいけない。人間が何を見ているのかに、注目しなければ。
 君たちは、何を見ている?
 僕は、君たちを見ている。」



◇同 新編集版 第10話
 凶悪犯である槙島を追う狡噛慎也(こうがみしんや)が槙島をプロファイリングして評した言葉。


狡噛:
「アイツは、マックス・ウェーバーを持ち出された次の瞬間には、フーコーやジェレミー・ベンサムの言葉を引用して返すでしょう。
 もしかしたら、『ガリバー旅行記』あたりも引用するかもしれない。あの男はシニカルで歪んだユーモアの持ち主です。」



 と、評した時点で既にアニメ中では槙島が『ガリバー旅行記』を効果的に引用した後だった、という筋立てになっていた。推測に違わぬ「シニカルで歪んだユーモアの持ち主」だったわけだ。

◇同 新編集版 第9話
 槙島が絶対的社会基盤「シビュラシステム」の正体を寓喩して。


槙島:
「まるでバルニバービの医者だな。スウィフトの『ガリバー旅行記』だよ。その第三篇、ガリバーが空飛ぶ島ラピュータの後に訪問するのが、バルニバービだ。
 バルニバービのある医者が、対立した政治家を融和させる方法を思いつく。2人の脳を半分に切断して、再びつなぎ合わせるという手術だ。これが成功すると、節度のある調和のとれた思考が可能になるという。
 この世界を監視し、支配するために生まれてきたと自惚れている連中には、何よりも望ましい方法だと、スウィフトは書いている。」




 ここで『ガリバー旅行記』がなんで「シニカルで歪んだユーモア」に含まれるんだと思われるかもしれないが、『ガリバー旅行記』とは元々がそーゆー作品なのである。
 子供向け絵本や児童文学に採用されている「航海の途中で遭難し小人の国(リリパット王国)に漂着したガリバーが巨人として活躍する」という筋は確かに『ガリバー旅行記』冒頭のものなのであるが、本編ではガリバーは更に他の奇妙な国々へも旅していく。
 そこで物語が先に進むに従って内容はどんどん皮肉げに、描写はどんどんお下劣になってゆく、とても子供に見せられたもんじゃない程に。もし世界文学に「皮肉・風刺」という項目を設けたらその中に必ずランクインしてしまう程の抜群の歪みっぷりなのである。
 『ガリバー旅行記』は18世紀イギリスのジョナサン・スウィフトの作。同じ英国発ということで、20世紀の奇怪コント集『モンティ・パイソン』の下らないお下品なノリに近いかもしれない。(と、言うとイギリスの人は怒るかもしれない、コイツらを英国代表みたいに言うんじゃねぇと。)



 ちなみにライトノベル『キノの旅』シリーズはこの『ガリバー旅行記』の風刺性をやんわり取り込んだ、黒星紅白の端麗なイラストに似合わぬ諧謔的で幾ばくかの空虚を感じさせるストーリーとなっている。



 えっ、今回はアニメ『PSYCHO-PASS』とか『ガリバー旅行記』の話なのかって? 違います、江戸時代の話です。
 いやただ最初に引用した槙島聖護の「人間について知りたいと思ったら、人間を見ているだけではいけない。人間が何を見ているのかに、注目しなければ。」ってセリフを使いたかっただけなんですがね、直近の自分の関心に負けてついつい『サイコパス』寄りに。

 それに、かたや100年後の未来SFの話、かたや100年以上前の歴史の話題でありながら、全く無関係ってわけでもなさそうで。
 江戸時代のイメージとしてよく「天下泰平」「硬直型身分制度」「素朴で実直」「循環型社会システム」ってのが挙がりますが、時にそれとは裏腹な概念、「シニカルで歪んだユーモア」「為政者風刺」「刹那的享楽主義」なんかも顔を覗かせたりする。

 特に江戸時代後半の大都市文化、「江戸っ子」と呼ばれる都市生活者が中心となって発信された大衆娯楽文化にそれは顕著に表れる。
 大衆文化が萌芽し開花してものすごい早さで成熟していった江戸時代、ゆえにその時代の多様化した価値観を捉えるのも一筋縄にはいかない難しさがある。

 そもそも江戸時代の終焉から早や150年余。文明開化と大震災、戦禍と高度成長を経て、もはや江戸の面影を留める風景もそれを知る人も絶えた。それでもなお江戸の記憶を探ろうとするなら、それには案内人が必要だ。
 そこで江戸風俗の心意気をこよなく愛した研究家、杉浦日向子の目を借りてきましょうと。


○改めて、杉浦日向子の江戸へ



・「ありんす国だより・・・吉原について」より

(16p)
 江戸時代、「男一度は伊勢と吉原」といいまして、お伊勢様参りと吉原は、一度は通過しなければ男になれないというほど、重要なものでした。吉原がどのように捉えられていたかというと、まったくの別天地として考えられていました。それは手で触れることのできる夢、日常と地続きの非日常でした。
 どんな風に非日常かというと、言葉に始まって、風俗習慣等、見るもの聞くものすべて現実の生活からかけ離れていたのです。きらびやかで夢幻的な世界でした。そこでは日常の法が役目をせずに、吉原の法という独特なものがありました。

(21p)
 吉原の醍醐味は、お金を払ってそれなりの遊びを買うのではなくて、単にお金を使いに行く・・というところにあります。だから遊女の方は、いかに気持ちよくお金を使わせるかという一点に気持が注がれるんですね。

(28~29p)
(見開き2頁を使って「吉原細見」の実物を掲載。おぉ、これが江戸の吉原か・・。男一度は伊勢と吉原。)

(45~46p)
 新吉原は明暦(江戸前期)から始まりました。
 それ以前の元吉原は日本橋の葺屋町にあったのですが市街の発展の結果、町の中心近くになった為、幕府が風紀上よろしくないと判断して、当時、江戸の辺境であった浅草にその移転を命じたのです。規模は新吉原になってから、格段に大きくなりました。
 吉原の最盛期は安永、天明、寛政から化政期あたりまでで、一番吉原らしい時期です。
 幕末になってくると、経済の安定から貧富の溝が、厚いプチブル層により徐々に埋められ、それによりごく一部のブルジョアの独占物であった吉原は勢力を失い、解体していくんですね。




・みちのく対談「江戸人のテレビ」
 作家で浮世絵研究家でもある高橋克彦との対談より

(110~112p)

杉浦:
 ちょっと下世話な感じでお聞きしたいんですけれども、当時庶民の生活の中の浮世絵のポジションというのはどんな感じだったのでしょうか。
高橋:
 一番重要な役割としては、さっきも言いましたが、情報だったと思いますね。
杉浦:
 いまのテレビが生活に占めているようなポジションに似ていると感じるのですが、そういうふうに考えてもよろしいですか。
高橋:
 それは、そのとおりですよ。浮世絵というのは本来そういう目的のために描かれたものだと思う。芸術というのはもう二の次にして。それでもそういう情報の中からもいいものというのは出てくる可能性はもちろんありますよ。ただ、今の我々にとっては、その浮世絵の持っている情報というのが無価値になっているわけでしょう。だからそういう江戸の庶民にとって必要なものというのは、もうカットされてしまうわけですよ。

 (中略)

高橋:
 唐突な意見なんだけれど、美人画というのは、九割ぐらいは一種の広告絵ではなかったかと僕は思っている。なぜ広告絵かと言えば、美人が着ている着物というのは、あれは必ず新しく出た流行の図柄を組み込んでいるんじゃないかという気がする。はやっているから浮世絵にしたんじゃなくて、むしろ版元とその呉服屋が提携してね。
 彫り師というのは柄を見て彫っていくわけですよ。あれは、たいていが浮世絵師が作るものではないわけですよ。版下絵を見ているとあんまり細かな図柄というのは描いてないわけです。そこに彫り師たちが自分勝手にという・・、そこまで自分勝手にやるかどうかわからないけれど、そこに版元の意向とかなんかが入ってこういう図柄を彫るということにしているわけでしょう。そのときに新しい柄の着物地があるとすれば、こういうものを使ってくれという形で使った可能性がある。

杉浦:
 いまのファッション・ブックみたいな感じですね。
高橋:
 そうすると、ああいい柄だな、これはどこで売っているんだろうということになって、「三越に行けばありますよ」という、そういう浮世絵商というか、錦絵を扱っていた人たちの、いわゆるクチコミみたいなものも僕はあったんじゃないかという気がするんですね。
 あと、美人画の中で、うまく隠しているんだけれども、呉服屋さんの店先で男女が立っている絵なんていうのは沢山ありますよ。それは要するに、そこに行けばあるということなんだよね。たとえば白木屋さんで今度こういう着物を売りだすんだという一種の提携商品ですよね。

 (中略)

杉浦:
 浮世絵というと、いままで絵師だけが作製していたという、そういうイメージが強いんですけれど、実際のところは版元と、あともちろん彫り師や何かと相談もするでしょうし、かなり複合的な工房みたいなものがちゃんとあって、スポンサーがついていてという、その辺が、やっぱりテレビと近いですね。




・「真(まこと)があって運のつき・・・戯作について」

(130p)
 江戸を透視するにあたって、遊廓と浮世絵を見てきました。
(131p)
 江戸に楽園を見出し、自らもまた、太平の逸民でありつづける為には、そういった接近と回避の絶妙なバランス感覚が必要であった訳です。それが遊びでは吉原を生み、ビジュアルセンスでは浮世絵を生みました。そしてもうひとつ、忘れてはならないのが、江戸でこそ生れ得た都市文芸、戯作です。

(137~138p)
 戯作は「虚を以て実を穿つ」、風刺の文学だといわれています。
 戯作もまた、「ある事をあるがままに書かず、なきことをあるが如く作る」という「江戸的作法」を採っています。
 たとえば、神仏が吉原へ遊興に出かけたり、金がありすぎて、なんとか貧乏になりたいと願う金持の悩みであるとか、およそありえない事柄を書いています。が、それを「風刺」と呼ぶには、ちょっと重すぎるように感じます。

 風刺には、事実を、相似した他の物事へ転換して、事実のひずみを指摘し、矯正をする、という目的があります。寛政の改革後に出た黄表紙群には、その「文武奨励」という時代がかったコチコチの政策を茶化す風が見られます。それらに、もしかすると「風刺」がひそんでいるのかも知れません。
 が、その風刺性でのみ、戯作を評価するのは、ずい分とつまらないことのように思います。戯作=風刺文学だとしたら、私などは、がっかりしてしまいます。戯作の面白さは、「明るい無意味・ふっ切れた無目的」にあると感じているからです。

(141p)
 登場人物の行為を愚かと笑うか、同情をするか、或いは苦々しく思うかは読み手にまかせられています。戯作は、このように、何をも主張しない文芸で、人物に密着しない、中空に浮く視点に独特のさわやかさ、清潔感がありました。

(142p)
 戯作は「人生」及び「人間」を描こうとはしていません。
 戯作の気分は「茶」にあります。「茶」はドライな笑いで、ユーモアとは違います。 




・「平賀源内」

(146~150p)
 戯作者が、どういう発想の仕方をする人々なのか、もう少し立体的に見る為に、戯作者の親玉と目される平賀源内先生のご登場を願いましょう。
 江戸の戯作精神の嚆矢は、源内の戯文中に最も顕著だと言われています。後続の戯作者達も源内に啓発をうけて戯作を志した人が多く、その影響は絶大でした。

 『風流志道軒伝』という源内作の小説があります。これは当時浅草寺境内で軍記講釈をして人気を得ていた深井志道軒(ふかいしどうけん、実在の人物)の青年期の物語という設定ですが、もとより虚構で、志道軒こと青年浅之進が大人国・小人国・手長足長の国・女ばかりの国等々の異国巡りをする、スウィフトの『ガリバー旅行記』と良く似た構成の話です。

 (中略)

 こういった思想は、衝撃だったと思います。それまで日本人的な感情をリードしてきたのは上方の「義理」と「情愛」を核とする「突きつめていく」形だったのが、源内は、そんなことをしていてはダメだと言い切ってしまったわけです。のぼせた頭に冷水をぶっかけて「現実を見ろ。だがそれは正面からは見えにくいぞ、斜めから見るんだ」と、頬べたをピシャリと打ったのでした。

 この、感情に流されない冷静な視点は、そのまま洒落本作者に受け継がれました。
 戯作という事から言えば、源内のは濃縮還元果汁の「還元以前」の原液で、とても喉ごしさわやかとはいきません。喉にひっかかるような、苦いような、なんとも変な後味です。後の作者は、これを稀釈し、人によっては果汁100パーセントを更に割り、70パーセントだとか20パーセントだとかにアレンジしました。
 源内のように、強烈な自我を主張した人はあとにも先にもなかったように思います。己の才能が世に容れられなかったことに対するいきどおりの噴出が著述にあらわれたのでしょう。

 (中略)

 かつて、青雲の志を抱いて讃岐から江戸へ出たものの、先進的すぎて理解されず、山師としての風評ばかりが喧伝された源内自身のうそぶきに他なりません。

 彼の最も早い時期の著作『根南志具佐(ねなしぐさ)』後編の冒頭には、
「つまる所は引くるめて嘘で丸めた世の中に、只偽(いつわり)ならぬもの迚(とて)は、産れた者の死(しぬ)ることにて」
の句があります。
 江戸から数十里と離れぬ地方では、天明大凶作のあおりを受けて、飢えて死ぬ老人や子どもがいる、かと思えば、柳橋からは長羽織を風に翻した通人気取りの男が、猪牙(小型舟)に乗って吉原通いをしている。

 こういった同時代を生きる人々にとって、源内の、この世はデタラメなことだらけで確かなのは人が死ぬということだけだという諧謔には、笑うに笑えない実感があっただろうと思います。
 死を原点として、さかさまに世の中を眺めれば、情愛も忠義も滑稽な舞踏(或いは音のないテレビ)のように見えるでしょう。この徹底した相対主義の視点こそが、戯作の笑いの中心を貫ぬく背骨なのです。




・「つかず、はなれず、ユラユラと・・・粋(いき)について」

(184p)
 「粋について語ることほど野暮はない」というのが粋の本質です。数学の点や線と同じで、たとえば、これは点だといって書くと、もうそれは面になってしまっているようなものです。観念上ではちゃんとあるのですが、表わすことは非常にむずかしい。

(187~188p)
 最初に、粋はこういうものであるとははっきり言えない、と言いましたが、それはどれにも属さないという特徴を持つと言い換えられます。距離をできる限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざる、くっつかないという、浮遊状態です。やはりこれが江戸の特色です。

 (中略)

 粋について一番言えるのはテキストは存在しないということであって、これは江戸全般について言えるのですが、「答えは一つだと思うなよ」、ということです。

 江戸文化は、型の文化と言われやすいのですが、形式主義とは全く違う型の文化であって、フォーマリズムでは全くないわけです。型に従っているように見えながら、中で常に型にとらわれることを避けようとしている動きがあります。磁石のN同士のように向かい合わない、くっつかないというような、そういうところがポイントです。
 つまり逸脱もせず固定もせずという、要(かなめ)を押さえながらも揺れ動き続ける、そういう精神が重要です。
 固定してしまったものを、一概に野暮と言っています。つまり、四角四面が野暮であるということです。そういうことから江戸の型の文化がフォーマリズムではないことがよくわかると思います。

(190~191p)
 つぼにはまらないというのが大事な秘伝だと思います。常につぼのふちに立っているわけです、入らないように足をふんばっているのです。
 ことばのやりとりもそういうことであって、中心はわかっているのだけれど、わざとはずして楽しむ。口説きことばであっても、場を盛りあげるロマンチックなことばは古今東西たくさんあるのですが、それらを、いかにわざと使わないようにその場を持続させるか、そこにかけているように思います。




○お江戸の人々が見ていたもの

 単なる岡場所ではないアダルトなアミューズメントパーク「吉原」、単なる鑑賞用アートではない情報媒体紙「浮世絵」、単なるエンタメ小説でもましてや至純の文学作品でもない「戯作」、単なる型の様式美ではない皮相皮膜の揺れる精神様態「粋(いき)」。
 どれだけ教科書の記述を読んでも日本史用語の暗記をしても、これら江戸の生活を象徴する事項の本質を掴むにはまるで足りない。

 吉原を知るためには実際に吉原に行って遊んで、ってのは無理だから遊里の風俗を描いた洒落本を繙いたり。
 浮世絵を知るためには実際に手に取って眺めて、戯作を知るためには実際に黄表紙とかを読み込んで、粋を知るためには江戸後期の「通人」評判記とか明治の文豪の記憶の残り香なんかを辿ったり。

 データやコレクションを集積する為だけでなく、実物を手に取り目にすることで生身の手触りとして、江戸の人々が見ていたものを時代を越えて感得する方法。
 それを日常生活に取り入れ自然に意識されるレベルにまで身心に浸透させた、生得にして稀有の江戸研究家・杉浦日向子。



(21p)
 わたしらの江戸とは何か。同じ地ベタに生活する、チョン髷の子孫にとっての江戸とは、毎日食べるゴハンやオミオツケのように、自然と体に取り入れられて、そしてエイヨーとなる文化でなくてはなりません。




 それでも杉浦日向子の没後18年。著作がアニメと実写で映画化されたり、時々散発的にエッセイが再録出版されたりはするものの、だんだんと杉浦日向子の心ばえ自体を目にする機会が疎になってきた感は否めず。
 本記事で引用しまくった『江戸へようこそ』(ちくま文庫)も、単行本と文庫版の初版が1980年代とだいぶ前、私の手元にあるのも版を重ねた2002年刊行のものなので、書籍として入手するのは少しずつ困難になってきてはいるのだろう。電子書籍で購入ダウンロードすればいつでもどこでも参照できる、とはいうものの。それはそれで寂しい。

 時代考証の素養を駆使した歴史認識力。戯作本や浮世絵版画、歌舞伎や相撲など多くの “本物” に触れて培った豊かな感性。それを漫画やエッセイとして軽妙洒脱にアウトプットしてみせる表現者としての才能。
 杉浦日向子の仕事に関して特筆すべき点は多々あれど、私がその作品に惹かれる理由は、彼女の根底にある「ちゃんとしたくない、いつまでもフワフワしていたい」というまさに “浮き世” 気質と言うべき性根である。


・『ベスト・エッセイ』(14p)
 私は、本気で、ちゃんとしたくないです。マジに、フワフワしていたいです。


 今の世の中が「ちゃんとしていなければいけない、フワフワ生きるなんて言語道断」なんて息苦しい価値観にいよいよ自ら縛られるなら、そこから脱出する逃避行の行き着く先の一つは江戸の庶民の人生観なのではないか。
 杉浦作品において江戸人の性格分析にかこつけて時折垣間見える、いい加減なものやしょうもないものに対する愛着。そこには杉浦日向子自身の願望が表れていたようだ。


 彼女が去ってもう幾年。時間空間はいよいよ江戸の昔日から離れゆく。嗚呼、江戸は遠くなりにけり・・・。

 おおっと、しみったれた感傷なんてぇのは杉浦日向子のセンスにも江戸っ子の気風にも、ずいぶん似合わないことですな!


○奇想のアイデアマン、平賀源内

 さてでは最後に、「シニカルで歪んだユーモアの持ち主」こと平賀源内先生についてのお話を。
 先取の奇才を有しながら、科学分野においては学術的評価は芳しくなく、数多の発明品も実用化に繋がらず。時の権力者である田沼意次の知遇を得るも、手がけた事業には次々に失敗。かねて念願の仕官も叶わなかった。

 文学史においては道徳的な談義本に自身の不遇による鬱憤や愚痴を乗せて吹き込み、風刺色を加味した快作で次代の黄表紙・狂歌ムーブメントの萌芽を準備した。源内の内面から漏出した濃密な原液に触れた朋誠堂喜三二、恋川春町、大田南畝の武士作家3人はそれぞれ熱に浮かされたように新しく刺激的な文芸の道を拓いてゆく。
 ために源内は戯作者の先駆けと目され、文芸作品の多くは江戸を舞台としたため上方から江戸への文化主流の移動に貢献したとも言われる。

 ただその後半生の戯作に顕著に表れたやさぐれ気分が、源内の死期を早めたか。
 滑稽なほどに多才で笑っちゃうくらい色んな事ができるのだが、なぜか全く一つの到達も成し遂げられなかったマルチタレント。その早過ぎた才気はもしかしたら、250年を経た今になってようやく日の目を見ているのかもしれない。

 先の杉浦日向子の著作から引用した『風流志道軒伝』と『ガリバー旅行記』で主人公達が訪れる異形の国々が、なんかどっかで見たことあるようなバリエーションなんですよね。
 あっそうだ、これJUMP漫画『ONE PIECE』に出てくる国とか種族の名前だ。

①『ガリバー旅行記』・・
 小人国/巨人国/空飛ぶ島/学術研究の国/日本
②『風流志道軒伝』・・
 小人国/大人国/足長国/手長国/愚医国/女護が島(にょごがしま)
③『ONE PIECE』・・
 小人族/巨人族/医者国(冬島)/空島/学者島/女ヶ島(にょうがしま)/足長族/手長族/ワノ国

 ①+②=③、にちょうどなる。

 成立は①1726年or1735年、②1763年、なので舶来の情報にも通じていた平賀源内がスウィフトの発想を流用した可能性も取り沙汰される。
 だが反対に『ガリバー旅行記』に日本の記述があることから、スウィフトが日本近海における奇妙な国々の伝承を伝え聞いて構想に盛り込んだ、という説もあるという。
 事の真偽は今のところ不明、と。

 だが源内『風流志道軒伝』には『ガリバー旅行記』には見えない独自の国々の記述があり、主人公の深井浅之進はガリバー船長の奇想天外な冒険に勝るとも劣らない珍道中を繰り広げることになる。
(だいぶ猥談も入っております、というかそればっかりだな『風流志道軒伝』。そういう意味でも『ガリバー旅行記』の奇っ怪な展開に負けていない?)

 250年!?、生まれるのが早過ぎた平賀源内。そのビカビカした脳内から溢れ出た奇想は、21世紀現在にマンガ表現のトップランナーの想像力として結実しているかのようだ。