カラオケ好き?オレは大嫌い。飲み会の方が断然好きだあね。


久しぶりに若者と飲み会に行ってバカ話に花を咲かせた後、
二次会に流れると行き先は、何の疑問もなくカラオケなのである。
カラオケはつまらない。
だってシロートが歌って、シロートが聞くだけじゃん。何が楽しいっていうんだろう?
お互いヘタだし、別に聞きたくない歌を強制的に聞かされる。
ああクダラない。
だったら行かなきゃいいんだが、行かねばならない大人の事情がある場合は、
しぶしぶ付いて行ってすみっこで小さくなって居眠りしているオレだ。
でも、こんなブログを書いているのだから、
世間の皆さんはどんな歌を聞いて、歌っているのかを知るのも良かろうと思い、
眠らずに聞いていると、オレはあることに気がついたのである。
それは、最近のヒット曲はカラオケで歌いやすい曲が増えたということだ。

歌手が歌がうまくないとなれなかった頃、歌も難しい曲が多かった。
すごくいい歌なんだけど、キーが高すぎるとか、音程がとりにくいとか、
シロートではまったく歯が立たない曲が多かった。
しかし、カラオケが発明されてそれを楽しむ人口が増えるのと同時に、
楽曲も簡単で似たようなものが増えたと思われる。
飲み会でバカ話をするのが苦手な人もいる。
歌ってりゃいいだけだし、みんなもどうせマジメに聞いてないし、すっごくラク。
そんな人の為に接待用ツールとしての曲がヒットするようになったのだ。
まぁいいかどうでも。それが必要な人もいるさ。

ところで、みんなどうしてバラードだと無条件にいい歌扱いするかね?
歌い手も聞き手もカラオケファンもみんな。
バラードって歌って嬉しいのは自分だけじゃん。
なんだか聴衆をを感動させてるような気になれるしさ。
聞いてる方もバラード=感動するものってはなから決めてるようなフシがあるし、
勝手にうるうるしやがってさ。
バラードなんてカラオケ接待と同じだよ。すんげえシラけるんですけど。
オレだけか?
他人にイク顔なんか見せてたまるかっての!

蜷川実花の初監督作品「さくらん」を途中から見る。


安野モヨコの原作を読んでいたオレなので、シナリオがほとんど原作通りなのはわかったが、
問題は、他にも沢山あったがとりあえず置いといて、昨日と同じくテンポなのであった。

今回は女性による女性のための映画ということがウリなのか、
主要なクリエイターは、監督をはじめとして脚本など、ほとんどが女性であったので、
映画音楽を担当したのが、椎名林檎だったりしたが、
この音楽の使い方がとてつもなくヒドい。特に編集はもう救いがたい。
せっかくのストーリー展開や画面を台無しにしている箇所がところどころにあって、
いちいち映画の流れを止めていた。

昔手塚治虫か誰か巨匠が「マンガには疾走感が大事」と言っていた。
手塚治虫は最初に映画的手法をマンガに持ち込んだ作家だから、
映画にも疾走感は大事なのである。
その基本的な作品に合ったテンポを決めるのに、音楽は大きな助けになる。
それなのに、楽曲を提供されたので、とりあえずみんな使ってみましたみたいな雑な扱い。
まことにもったいない。

それならば椎名林檎の曲は良かったのかというと、
映画の中で使われる音楽としては、まったくなっちゃいないのであった。
ラストで足抜けをするシーンで「二人手を取り合って~」だったかなんだか忘れたが、
そんな見りゃ判んだろぉみたいな歌詞の曲を使っちゃだめだろ~。
なんで全部説明しようとするかね?
なんか「ひょうきんベストテン」の歌謡ドラマみたいだからやめた方かいいよ。
映画なんだし。

タランティーノが映画「ジャッキー・ブラウン」のオープニングで、
アイザック・ヘイズの「101番街交差点」をバックに、
パム・グリアが登場して曲が終わるまでの間で、
彼女がどんな女性なのかを、ただ歩いだけなのに、
一言の台詞もなく説明しきったシーンを見ればいい。日本映画がいかに幼稚かがわかるから。
映画やテレビではマンガの原作の実写化ばっかりだけど、どう、おもしろい?


だいたいテレビドラマなんか、まだるっこしくて普段見ないのでわりとどうでもいいが、
それでも往年のマンガ読みとしては、とりあえず一言いっておきたいことがある。
それはマンガを映像化する際に最も気をつける点は何かということである。

以前佐々木倫子の作品の映像化の時に、原作者のイメージに合わないということで、
原案としてクレジットに入れられなかったということがあったのを、知っている人は知っている。
それで、観月ありさ主演のナースのドラマは大ヒットしたが、
堂本剛主演の獣医学科のドラマは原作ファンからは黙殺された。
まずはこの違いについてから考えるに、
前者は原作をまったく新しいドラマとして造りかえたことが、タレントのイメージも手伝って
良い方に転び、後者はそれが悪い方に転んだのである。
それなら、原作者の意向を最大限に尊重すれば良いのかということで、
満を持して製作されたのが「動物のお医者さん」の映像化である。
結果は???で、あの原作独特のゆる~いカンジが全く失われていた。
ディレクターは一体何を失敗したのだろうか。

マンガを読むときには、流れる映像を見るような独特のテンポにのって、
ページをめくりながら読み進めていくものだが、
そのテンポは作品によって全部違っている。
コマ割りの線が溶けて、他の場面と平気で融合しているような少女マンガなんかでは、
特に複雑な読み進めのテンポが要求される。
それをわかっていないと映像化は失敗する。

日本の映像作家はあまり重視していないようだが、マンガ映像化のキモはテンポなのである。
自分がページを繰るように撮影をしなければ必ず失敗するのである。
それよりも何よりも、失敗の最大の原因は原作をまともに読んでいないことに尽きる。
せめて全体のイメージくらいは把握してからやれと言いたい。
そんな簡単なこともやらずにノルマだけをこなしているから、
ロクでもない代物ばかり無駄に量産することになるのである。

まったく、日本の貴重な文化的遺産ををテキトーに扱うんじゃねえっての。バーカ!
ブルック・シールズって、昔はめちゃくちゃキレイだったよな~。
「プリティーベイビー」まではな。


おかげでしばらくロリコンだったし。
それ以降はまったく鳴かず飛ばずで、身長だけがタケノコのように伸びてゆくばかり。
それでもいつかはものすごい映画に出てくれることを信じて、オレは待った。
それなのに公開される作品は凡作ばかり。だんだん悲しくなってきたオレであった。
しかし世間では「世紀の美少女」で「プリンストン大学卒のインテリ」で「
浩宮様の憧れの女性」としてそれなりの評価を得ていたりした。日本では。 

待ちくたびれたオレはロリコンから無事卒業し、
彼女のことなどすっかり忘れたそんなある日、自宅のケーブルTVで
「ハロースーザン」というブルック・シールズが主演のテレビドラマを見つけたのであった。
どうもラブコメらしい。
おそるおそるチャンネルをあわせたオレは困惑した。この人、こんなんだっけか?
「プリティーベイビー」以外の映画で感じた違和感が何だったのか、
やっとわかった気がした。彼女はいつも”ゲスト”なんである。
どこへいっても昔の貯金で特別扱いされているから、作品の一部になれない。
だからいつも客演している感じ。
「ハロースーザン」なんかは彼女を接待しているみたい。
どんな得があるのかはわからないけど。

この頃は宇多田ヒカルにものすごく”ゲスト感”があるのだが、どうだろう?
最近の曲なんか下界に降りてきたみたいだし。
まぁお客は訪問先に気を遣わなくちゃいかんしね。でも最初はそうじゃなかっただろう。
「キーが高ければ下げてもいいよ」とか歌ってたじゃん。
下げれるもんなら下げてみなって挑発してたんだろ?どうしちゃったのか。
どこまでいってもお客さんだなんてつまらない。
空気なんて読まなくたっていいじゃないか。どんどん自分を語ればいい。
世間なんか放っときゃいいんだ、だってそれが許される居場所をつかんだのだから。
それは、選ばれた者の義務である。
R-35のCDは、みなさんもう購入したでしょうね?当然でしょ!


そういう方々とオレは友達になれない。つーかなりたくねえっつうんだよ。
あれを聞いてうるうる来てるヤツぁたいていバカと決まっているので、放っておけばよいのだが、
それでは話が終わってしまうのでもう少し続ける。

R-35に収録されている曲は今から十五年前くらいに流行ったのだが、
当時オレが何をしていたかというと、引きこもりをやっていた。
カネもないのでCDも本も買えず、主に自宅でぼんやりしていた。
だったらテレビでも見ていたのかというと、どうなんだろうか、
R-35のラインナップを見るとほとんどドラマとのタイアップ曲なのに、
そのドラマは全然覚えていないのだ。
引きこもり当時の記憶は、そこのところだけポッカリと抜け落ちている。
よほどロクでもない時間だったんだろう。
耳に残っているのは、世間に垂れ流されていたR-35の、愛だの恋だのとかいう
いまいましいメロディーだけである。

R-35にのめりこめられた人たちは多分、
ドラマの世界観を素直に楽しめて、あこがれを持ったり、自分を投影したりすることに
何の疑問を持たない”いい人たち”なんだろう。
自分の住所録から連絡できる相手が半分以下になることも、
引きこもりになることも、
そんな人間が存在することも知らず、
ちょっと自分の理解を超えることが起きれば「まぁコワいわねぇ」で過ぎていく
連戦連勝の人生。
個性の時代と言いながら、実は人と違うベクトルの持ち主には冷たい時代。
嘘とたてまえでなく、どっちを話していたかももう忘れた。
ドラマが本当なのか自分が本当なのか、
ドラマのような恋がしたい、でも自分はそのドラマに見合う自分なのか、
そんなことはどうでもよく、
世界は回る、二人のために。でもよく見てみたらいい。
アンタとカレシはブタと下衆がブランドの服を着ていることに気がつかない?

R-35の収録曲がヒットした時代は、
身の程知らずのバカが世の中を動かしていると勘違いをし始めた、
最低最悪の時代のはじまりであったと言い切ってやる。