九星術にまつわるエトセトラ | 大石眞行の玄学ライフ

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大石眞行が占いの観点から日常を観察します。


現在、5月からの九星術講座の受講生を募集しているのだが、いまだに九星は奇門遁甲の一部説がまかり通っているらしい。
知らない人は、どうせ嘘ですから知らないままでいいのですが、なまじ占いをかじったと称する人間がよく得意気に吹聴している。

要するに、もともと奇門遁甲という優れた方位の術があり、そのごく一部が独立して九星術になったというものだ。
が、例によって、それを証明する公の文献はない。
単純に、この方位は門や星(これは日本の九星とは違うというのは、当事者の皆さんがくどいほど強調している)や神や干の配合上、吉方位だが、五黄殺にかかるから云々とか暗剣殺を避けるべしとか、原典に書いてあるなら見せてほしいものだ。

すると、秘伝だ、家伝だ、門派の大事だといいだす。
そうなのかもしれませんし、そうでないのかもしれませんね。(棒読み)
いずれにせよ、そんなものがあったとしてもそれは既に奇門遁甲でも何でもない他の術だということだ。
遁甲は一人一派という状態だという逃げもある。
よく調べてほしい。その言葉の出どころはどこ(誰)であったのかということを。

新たな術を生み出すというのは、それはそれで一つの見識であろう。凡人には出来ぬことである。でも、それは奇門遁甲ではない。
それは実際の用法を見てみるとよくわかる。
他の要素の組み合わせは有機的によく練れているのだが、九星の組み込み方がいかにも取って付けましたというすわりになっているのだ。
原典にないから仕方ないんだけどね。

さて、ずっと以前に、目から鱗が落ちるのと目に新たな鱗が飛び込んだことは、本人には区別がつかないということを書いたが(たしか星新一さんの言葉だったと思う)、九星含みの奇門遁甲というものがあって、そこからから九星が出たというのと、九星を含まぬ純粋奇門遁甲に九星を取り込んだということは、どうやって区別をするのかな?

昭和も40年代ならいざ知らず、21世紀にもなって何を言っているんだか?