ミックは26日。一龍は23日。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
    
    
一龍が産まれた日も土用前後の物凄く暑い一日だった。その日、
港区のinter-FM の入っているビル の斜向いのビルの地下室で仕事をしていた俺は
まだ予定日ではないはずなのに、朝から調子の思わしくない妻をマンションへ残し
仕事現場から何度も電話を掛けて様子を伺っていた。
東京消防庁のVPの仕事で3日間、その地下室に缶詰になる状態の撮影現場だったが
二日目のその日(2000年7月23日)は兎に角、猛暑で、撮影の合間を縫って
当時は地下室ではまだ使い物にならなかった携帯電話を屋外へ持ち出し
何度も自宅と連絡を取っていた。
地下室にあった公衆電話も使い、昼に「トマトが食べたい」というので
その現場をなんとか抜け出し、近所の八百屋で一山¥280のトマトを買って
自宅まで歩いた。 (高輪から三田の三丁目は案外近い。麻布十番へ出るのとほぼ同じ距離だった)
普段から「冷房は身体によくない」と思っている二人だったので、エアコンはほとんど使わず
国道一号線から吹き上げる風を 部屋の中へ取り込んで過ごす夏の日だった。
妻は布団で横になっていたが、「大丈夫」と云うその言葉に安心は出来なかったが
午後からも撮影スケジュールには空きがなかったので
買ってきたトマトでジュースを作ろうとは思ったが
そのまま走って現場へ戻ってしまった。
夕方4時くらいだったか、川西さんに十円玉を借りて何度と電話をかけても
妻が電話にでない。
「これはマズイ、黒崎さん、今日は帰らせてくれ!」
と身勝手を云い、止める現場スタッフを振り切って、俺はまた自宅まで走った。
「死ぬなよぉ、絶対に…」と、云いながら田町の駅の階段を駆け上がり
全速力で走った。暑さなど気にする余裕もなく、とにかく走った。
一階が大家の経営する音楽スタジオ (「余計な味がしないカゴメ~」の浅野さんも時々演ってる)
のマンション、その4階に住んでいたので、
一台のエレベーターが塞がっていなくても、いつも非常階段を使っていた。
そこをまたグルグルと駆け上がり、玄関のドアの中へ飛び込むと
案の定、妻はトイレの中で破水して倒れていた。
呼びかけてもほとんど返事はない。
暑さの中、意識も遠のいてしまっていたのか、呼吸も虫の息だった。
救急車を呼んで、二人の隊員が到着すると、
「旦那さん、今まで何してたんですか!?」と目を丸くしてたので、
「仕事です」と応えると、「ああ、仕事…」と、妻を担架に乗せて地上へ向った。
救急車へ乗り込み、酸素吸入を始めて間もなく、
意識を取り戻したと同時に、産気づいた妻の姿があった。そして、
17時22分。港区三田三丁目5-6、信号機下。停車中の救急車の中で、
一龍は産まれた。
手際よく取り出してくれた救急隊員と、もう一人の救急隊員は、
「スグに近くの病院へ態勢を整えて貰い、そこへ搬送します」と云うので、
「俺の子供はソノヘンの病院にある、ブラジル産の保育器 になんか入れさせねぇぞ!
機械は絶対に駄目だ! このまま高井戸の大野先生の所まで連れて行ってくれ!」
などと怒鳴りつけると、運転していた三人目の隊員も渋々、
サイレンを鳴らしながらエンジンを吹かした。
通常はタクシーを飛ばしても一時間近くは掛かる道程、
渋滞する都内の夏の夕暮れ時を20分で走り抜けた救急車は、やはり速い。
救急隊員は大野先生の存在を知らなかったので
到着してから報告処理を終えてもスグには戻らなかったが、
 
 

 大野 明子
 分娩台よ、さようなら―あたりまえに産んで、あたりまえに育てたい
   
俺はそんな会話の様子を横目に、あの便利な携帯電話を使って
実家と佐渡の親元へ連絡を入れた。
その喜びを誰にいちばん伝えたかったといえば、それは云うまでもなく、
当時はまだ元気に生きていた“創った側の人”だったが
人間の設計図 著者には電話せず、何を思ったか、三番目に掛けたのは
あの、芸能ブローカー
その人だった。
「南ぃ、ヨカッタなぁ。…そうかぁ、産まれたのかぁ。男かぁ?女の子か?」
と、その嗄れた声には、かつて「自分にもそういうことがあったな」という趣で
人が人を慈しむことの大切さを物語っていた。
    
それからは毎日、日銭を稼ぐための仕事に追われた。そんな中、
九月中旬までの2ヶ月間、後楽園遊園地内で催されたアトラクションのバイトがあった。
残暑も厳しい夏だったが、“未来記者”という設定で、
遊園地へ遊びに来たカップルに記者である証の名詞を差出し、
「抱き合ってキスして」などと申し出て、そのポラロイド写真とプレゼントを渡すという
一日3時間ほどの腑抜けた仕事だった。
記者の名前は“鈴木一郎”。
一緒にいた仕事仲間で、稲川素子事務所から二人の外国人が来ていた。
そのうちの一人、ジャックは、英国風の顔立ちのアメリカ人で、背が高く、
まさにスティングの名曲“Englishman in N.Y. ”がバックに似合うような紳士だった。
ただ着ているTシャツには、「わたしはバカなアメリカ人です」とプリントされた文字があった、
今風の外国人だった。それでも彼は、
映画 『Good Fellas』の中でR.デニーロが遣っていた
「Fuck on pay !」 (俗語で「カネを払えっ!」)という言葉を
「そんなの聞いたことない」と云っていた。
 
 
    Sting Nothing Like the Sun
  ワーナー・ホーム・ビデオ   
   グッドフェローズ  
    
ジャックは非常に芝居も上手なので、他のテレビドラマや日本映画にもよく登場している。
ロミオやポールも男前だが、“今のままでハリウッドでも大丈夫”というほどの趣は、
ギャラの安い日本の映像業界には勿体ない気もする。
…俺がいつか“男塾”という劇団(ホストクラブではない)を創った暁には彼をハンティングしようと思う。
ここで思い出したが、
芸能ブローカー と稲川素子社長は親戚同士らしい。この事実も業界ではあまり知られていない。
    
    
    
    
    
    
    
    
    やってできねぇことでもないかもしれないけど  2005-07-21
    http://ameblo.jp/badlife/entry-10002980710.html  より。
    http://scrapbook.ameba.jp/welcome--baby_book/entry-10002980710.html