お払いってなあに? 10月7日、北半球で左回りの北緯参拾八度線の日本海は今日も雨模様だった。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

 
 
 来年小学生になる一龍は
 今年で年長組保育の最後の運動会だった。
 
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 今年は、うちの奥さんが父母の会の会長にさせられたので
 父親も参加。
 昼まで親子参加の種目とか やってきた。 
 
 今日は大安なので
 蔵元では、神主さんをお招きして
 酒づくりの作業場(蔵、室、洗い場)を清めてもらうことになってて
 今年一年、蔵人【くらびと】や仕事に事故や怪我がないように…
 と、それは毎年この時期に必ずやって頂いてることなんだけど
 今年は、全国新酒鑑評会6年連続金賞ということで
 蔵元の社長の同級生でもある神主さんが 
 働く人間の一人一人の名前を読みあげて
 酒蔵の大きな神棚の前で祝詞【のりと】をあげてくれた。
 
 そのときに一人一人に用意された榊で作った玉串【タマグシ】
 正式な扱い方(願い事の仕方を含む)について教えていただき
 自分自分の願いを込めて、お供えする。
 
 神主さんが云うには
 「私は みなさんの願い事を
 神様とみなさんの間に立ってに伝えるだけの役割なので
 その願い事というのは、どういうふうに神様へ伝わるのかと言うと…」
 ということで、
 最初に受け取った玉串(榊の枝)の葉っぱの方を神様へ向けると
 枝の切り口の方が自分に向くわけなんだけど
 その樹木が水を吸い上げる部分から
 自分の気持ちを込めた願い事が吸い取られていくということらしい。
 して、右手を基準に、左手で支える玉串を右回しに半周させると
 その吸い取った先が神様の方へ向けられ 
 そこから神様が願い事を受け取ってくださるらしい。
 備えてからの会釈も前に構えた両手の先が膝へあたるように2回。
 そして、2回 手を叩いてから、もう一回、お辞儀をするんだけど
 手の叩き方も、まっすぐ前に構えてから
 右手を少しずらす。それからキレイに叩いて指先を戻す。
 (こういうことは俺が文章で説明するのも、なんか変だな…
 
 んまぁ、やってみたんだけど 
 やはり、そういうことは遣り慣れてないので緊張もある。
 何を思ったか、俺は玉串を左へ一周させてしまったよ。
 どうなっちまうのか? 
 気持ちの問題なんだろうけど
 北半球で生活していながら、南半球で流れる水の性質 じゃあるまいし 
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10017425395.html  September 24, 2006
 何か普段から神に対しても反抗的な部分(?)
 そういうところへ現れたような気もしてな…。
 
 …考えてみりゃぁ、今にはじまったことじゃない。
 俺はかつて、国宝級の神社へも3ヵ所は正式な奉納と祈願で訪れている。
 (その他、撮影の仕事でも関東近郊、様々な神社にも行ったよ)
 ひとつは仁科神明宮。そして鹿島と…あとどこだったかな? 忘れた。
 仁科神明宮は冬場…正月過ぎだったな。出版物   の奉納だった。
 雪が降ったあとの神社で
 周りの杉の木に積もった雪が、朝風で粉雪のように舞うと 
 それが朝陽に照らされてキラキラと輝いていた。神社の境内で。
 あれはなぁ、なんとも云えない春の光だったよ。
 その時期の長野県だったよなぁは非常に寒くて 
 クルマから降りるのも嫌だった。
 でも、その光と風だけは非常に温かく感じたよ。
 あれは何だったのか? ほんのわずか、数十秒のことだったけど 
 雪の煌めきが仄かな温かみを醸し出していて 
 それまで忘れていた想いを甦らせてた瞬間だった。
 そんなことにボーっと見とれていた俺は
 手袋をはめたまま神主さんから榊を受け取っていた。
 今日も今日だが、ありゃぁマズイな。
 玉串ってもんは素手で扱うもんだ。
 「なにを血迷ったか!」の瞬間。
 神様と愛称が悪くなるほどの生き方に問題あったのかもな…。
 
 村社、町社、郷社、県社とか、大社・中社・小社・別格官幣社など、
 神社にもいろいろ区別があるらしいけど 
 本来、祝詞というものは神に仕える神主しかあげてはならない決まりがあるという。
 ヘンなオバサン教祖様とか、そういう連中の類いがやってることは
 大きな誤りだし、場合によっては危険なこともある。
 目に見えない世界は目に見える世界の掟や規則より厳しい。
 寺にしても由緒正しくても何でも、ちゃんとしたお坊さんというものは
 盆や彼岸ばかりでなく、誰の何の葬式であろうとも 
 かつて肉体を持って存在していた人間の霊を供養する場合は 
 その位牌の周りに、その家系の先祖霊のすべてが透視できるほどの能力で
 経を読まないことには、そこに眠る者がちゃんと供養されることはない。
 宗派やその道のシキタリがどうあれ、仏法…「弔い」ってのは 
 本来、この日本では、そういうもんだったんだ。
 それを今は、他力本願寺という寺ばかりが存在してしまうほど
 出す方と受け取る方のカネの量で内容が決っちまう。
 御仏の供養と死んだ者の“お慰み”が金額で決まるのなら 
 そんなの誰がやっても同じようなもんだな。
 だから今もアホな新興宗教がゴロついてる。
 こんな宗教法人乱立の無宗教国家は日本だけだろ。
 なんか、お寺の話まで出てきて、今日は大安なのに縁起わるくなっちまったな。
 
 数年前の、とある人気テレビドラマの撮影で
 衣装合わせも、スタジオ・リハーサルも済んで
 いよいよ収録開始ってなったときから 
 スタジオ内で小火が出たり、スタッフが怪我をしたり
 ロケバスが交通事故に遭ったりと
 不運・不幸が連発したことがあった。
 ドラマの内容そのものは、四谷怪談でも実話の悲劇でも何でもないのに
 そういうことが相次いだために
 ロケ先でもスタジオ収録のときも
 朝から、どこぞの神主さんを呼んで毎日、主演や準主演の役者と
 その日に使う現場のお払いをしてもらってたな。
 そういうことは、ちょくちょくあることでもないんだろうけど
 巡り合わせの問題だな。おそらく。
 撮影中に“カット撮り”のカメラが回るケーブルに繋がれたモニターにも
 すべての収録が終るまでは、常にお札が置かれている。
 人によっては、そういうことをとても気にする監督や製作会社もあるので
 巷の茶の間でテレビを見てる普通の人には判らないことでも
 不幸や不運が憑いてまわる撮影現場ってのは 
 どうも余分なところへも気を回さなくちゃならないし 
 毎朝、準備も含めて30分~1時間近くのお払い待ち時間も
 スケージュールの都合に考えなきゃならない。天候などによって左右され 
 撮影が予定より遅れると、次の週の放送までの編集作業にも響いてくるから 
 現場によっては監督もスタッフもピリピリしてることもあったな。
 たとえばねぇ、そういう撮影現場とは別に
 実話を扱うわけでもないのに
 ●●署カンナイで山中に埋められていた死体を発見! 鑑識班出動!」
 なんてときにも、そういう死体役の人が全裸になって埋められたりする場合は
 前もって穴を掘った場所の付近の何箇所かへ
 前日から塩を盛っておいて、当日は朝から神主さんにキチンと払ってもらう。
 そういうことはよくある。これもテレビを観てるだけの人には判らないけど。
 んまぁ、気持ちの問題というか、一人一人の心構えだな。
 中には、そんなことはお構いなしの監督や製作もあるけど
 時代劇とかで苦労した経験のある裏方という人なら、そういうことは大事にしてる。
 して、何かの塚の跡とか、水子地蔵寺も含め戦前戦後に人間が勝手に造った神社とか 
 そういうところの神主さんてのは
 普通に昔からあった神社の神主さんとはちがう。
 どうチガウのかは、その社務所に務める神主さんに訊いてくれ。
 どこの誰に何かを払う力があろうとなかろうと 
 今日はそんなことは、もうどうだっていい。
 何しろ俺は、基本的な部分で右回しを左回しにしちまった野郎だ。
 
 なんだかねぇ、この世にもあの世にも見捨てられた感じ。
 べつに誰の所為でもなく、俺がわるいんだろうけどさ。
 あ~あ。
 
 
 
 
 このところ、更新も進んでませんでしたが 
 いちおう、何かは書いていました。
 なぜか公開するタイミングを はずしてしまったような…
 忙しい一週間だった。
 
 コメント、メールメッセージ、ボトルメールほかのみなさん、
 お返事おそくなりす、みません。
 そのうち時間をつくり、対応します。
 
 
 寒くなってきたな。
 
 みんな、元気? 
 
 風邪ひくなよ。
 …関東地方は大雨で大変だったな。
 
 どうでもいいことだけど
 男は、小便をするとき 
 キュッと歯をくいしばるといいらしい。 
 ただし、ウォーレン・シュミット のように
 便座に座ったままではダメだ。
 
 
 なににいいか? 
 とくに意味はないけど (いや、実はある長くなるので省略。)
 なぜだか今、想い出しだ。 

 
 
 
      
     
     日本ソフトサービス
     About Schmidt  
 
 
 
 
 
http://scrapbook.ameba.jp/kokohare-eiga_book/entry-10018000148.html