今、胸に咲く、闘いつづけるオヤジ連中 (仮題)と、年賀状。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
   今年初の哲也さんのLIVEは終ってしまった。
   
     …俺はまたいけなかったよ。
      次は必ず、子供を連れて、
      自分達でつくった地酒の一升瓶を吊り下げて、
      差し入れします。 

   
   んで、昨日、そのLIVEがあった日付(2005年1月14日)で、
   哲也さんのサイト の“おれのたわ言コーナーが更新 されてる。
 
  
 
    http://home.p02.itscom.net/fighting/T.ITAMI%20OFFICIAL.html
   
   ファンの方に貰った日本酒で酔っ払って
   トム・ウェイツのCDとか聴きながら書いてる、酒のこととか、    Mule Variations
   今回のLIVEの感想とか、いろいろと。                           release, 1999
   最後に、
   「やりたいようにやってさ、
   気がつきゃちゃんと治まるところに治まってるなんて中々出来るこっちゃないだろう?」
   って結んで、充実した人生を満喫している様子の哲也さん。
   カッコイイ! 
   俺の憬れだ。
   
     ちょっと待って、ストーブのタンクに石油 入れてくる。 
   
     約20分経過。
                        Pony  song by  Tom Waits    
     ああ、寒かった。
     お待たせ。 (誰を?)
     ついでにラーメンも喰ってきた。 (カップ麺じゃねぇーよ
     いま珈琲 、飲んでる。 
   
   ここ 二日ばかりは そんなに寒くはなかったけど、
   やっぱり冬の佐渡も寒い。
   毎年12月初頭に催される両津の”寒ブリ祭り”なんて、
   いつも凍てつく風が吹き荒れる漁港でやってる。
   時には吹雪の中、時には身体の芯を凍らせるほどの雨の中…
   みんなでドラム缶の火を囲みながら、
   大漁を祝う、街の集い。…12月の街
   んで、そういう寒い場所だからこそ、旨い酒が仕込める。
   この12月、年末年始から、正月を終えて、
   農家や商店の人たちは “どんどん焼き”で一年のケジメを払って、
   また新たな年に向けての豊富や期待を祝う…。
   そうやって生かされているんだ。
   そういう行事…習慣、“ならわし”のある生活の中で、
   限界な寒さに耐えながら仕込まれる“酒”という神聖なモノは、
   この地に生きる人間一人一人の過ごした日々、
   その一年間が凝縮された味わい深いものになる。
   田植えも稲刈りも、精米も楷入れ【かいいれ】も、麹や添え返しも、
   そういう繰り返しの一つ一つが次の一年を過ごす各家庭へ届けられる。
   そしてまた、仕込み蔵や室、酛場【もとば】、洗い場の中で、
   「添」、「踊」、「仲」、「留」…というモロミの発酵、酒の仕込みが継づく。
   冬の間は毎日、休みなく。
   自然界は冬眠の時期だ。
   でもみんな生きている。
   ある者は土の中で、またある者は腐食した樹木の切り株の中で、
   春が来るのを待って、じっと耐え忍んで、…生きている。
   酒も生きている。
   造る人も、飲む人も、眠っている人も生かされている。
   
   こんな神聖なことって、失われちゃいけないだろ? 
   
   そんな、絶対に手抜きのできない、
   自分自身に対して一瞬たりとも嘘は許されない、
   そういう仕事に携わっている限り、
   今の俺は冬の佐渡から離れられない。
   
   春になって、哲也さんのナマの歌声を聴けるその日まで、
   哲也さんの横でドラムを叩く assimilate さんの鼓動に耳を傾けるまで、
   寒き地で、この季節労働に有り難味を感じている俺。
   その果てにあるはずの、
   ハモニカとギターと太鼓のリズムと照明の輝きは、
   きっと掛け替えのないモノだろう…と思う。
   
   
   ところがギッチョン、そんなカッコつけた、
   “妙に悟った感じ”の、
   まもなく「守り」に入るであろう兆しの、物の云い方…。
   そういう丸みを帯びたようなことは云ってらんないはずの俺もいる。
   とんでもないことだ。
   俺の年齢…人間として生きる年月(寿命)は、俺という人間が決めることじゃぁない。
   
   んで、哲也さんのサイト とは別に、
   哲也さん以上に()とんでもないオヤジのページに、
   スゴイことが書かれてあった。 (…悪い意味で云ってるんじゃないですよ)   
   同じく、今回の哲也さんのLIVEを終えた感想はもちろんのこと、
   次の日の日付(2005年1月15日)で、
   『若者白書 』と題されたページがある。
     http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50323317.html

   
   こりゃ、とんでもねぇーぞ。
   世間のオヤジ連中も、今の不穏な世の中に ビビってる場合じゃぁない。
   哲也さんのひと言、
   「やりたいようにやってさ、
   気がつきゃちゃんと治まるところに治まってるなんて
   中々出来るこっちゃないだろう?」
   の意味が、ことこまかに解説されてるように、
   見えない者への怒りや葛藤に、カウンターパンチをお見舞いするその一発!
   じゃなくて、その一ページ。
   
   今の俺はこれを読んでみて、いつものように「励まされた」というより、
   ほんとうに、カウンターパンチを喰らった思い。
   やはり、assimilate さんは タダモノではないし、ケダモノでもない
   伊達に”伊丹哲也”という人間の横で太鼓を叩いてるわけじゃないぜ。
   そんな人たち(真のアーティスト )が、
   巷のメジャー路線から退いてる世の中なんて、おかしいだろ? な。   訂正 コメント欄 参照。 
                                                2006-01-15 15:51:11
   
   
   
     前略、ごめんなさい。
     一度も LIVE を観に行ったこともないブンザイで、こんなお粗末なことばかり…。
     本当は…できることなら毎回、ライブハウスにお邪魔して、
     一曲でもいいから時間の許す限り、お三方の生演奏を体験して、
     その上で、正しく ライブ・レポートを綴るべきところを
     今の俺には こんな形でしか、“今の哲也さん”の姿をレポートできません。
   
     でも、今はもう、「恥ずかしい」とか「失礼だ」と思ってはいません。
     むしろ、俺が勝手に立ち上げたファンサイトである限り、
     今の自分の素直な気持ちを書き綴ることが、非常に重要であると認識してます。
     たとえ、“伊丹哲也をカムバックさせる会”の、
     会員番号000000001番 として”失格”であったとしても。
     
     この9桁の会員番号がぜんぶ「9」という数字に変わらなくても、
     9億を超え、次なる“10億の輪”になる可能性は
     既に人間である限り、少なくとも哲也さんは達成してるんですよね。
     
     かつて、井上陽水 さんは、
     この街で205人が今日 生まれ、203人の死亡♪ ( 灰色の指先 』より
     と歌ってました。
     はじめは その意味がよく判らなかった俺も、
     今は幾らか理解できる人間に成長しました。お陰さまで。
     
     人間 誰もが、決して独りだけでは生きられないし、
     投げやりにならない限りは、常に独りではないということ。
     結婚してる人も、彼氏・彼女が まだいない人も、
     いつか、“連れ添う二人”になれる望みがあること。
      (…必ずしもパーフェクトとは限りませんが)
     
     で、9億人のファンが10億人になるには、
     9億9999万9999人のファンに、あと一人。
     それが哲也さん自身であればいい…と思ってます。
     
     新年、おくればせながら、ご挨拶まで。
                                 敬具。
   
   
   
   
   なんか今日は、算数教室みてぇになっちまったな。