こんな犬の話 | バディの日記 

バディの日記 

飼い主がシニアになって、会社・学校を辞めてはじめて自由人になった。
先延ばしにしてきたことを、これからやるって言ってるけど、どうなることやら。

こんばんは。バディの飼い主です。

今日も夙川では鯉のぼりが揺れていた。
ここ夙川は、村上春樹の「猫を捨てる」という本の舞台になったところ。村上春樹が子供時代を過ごした場所。

さて、またブログを書かなかった間にさまざまなことがあった。

そのうちの一つ。縁があって私が時々散歩していた犬のこと。仮にそのわんこの名前をAちゃんとしよう。


Aちゃんは、もともと野犬の成犬だった。野犬だった保護犬の譲渡は本当に難しい。しつけどころか、そもそも人との生活になかなか慣れてくれない。別件で野犬を引き取った家が、すぐに脱走させてしまったこともあった。彼はどうしても逃げたかったのだ。

そんな野犬の難しさを承知の上で、〇〇家はAちゃんを引き取り、以来その家の家族として生きてきた。


ご夫婦は愛情に溢れ、いつもAちゃんに話しかけていた。
「いい子だね、Aちゃんは」
「おしっこがでたねー。よかったね、Aちゃん」
「いまご飯をつくってるから、待っててね、Aちゃん」

犬にこんなに優しく話しかける人を今まで見たことがなかった。ご夫妻は頻繁に話しかけ、名前を呼んでいた。


Aちゃんはというと、とてもおとなしくて、多分彼女は吠えたことがないんじゃないかと思う。散歩のときはゆっくりゆっくり歩く。尻尾は下がり気味。


歯を磨いてあげたことがあるけど、全然怒らない。いやなんだろうけど、困ったなという顔で私を見た。優しいコだった。


そんなAちゃんの訃報が届いた。突然だった。私はAちゃんが〇〇家に来るまでの野犬として生きてきた苦しい人生と、その後の幸せな人生を思った。

何ごとも控えめな表現しかしないAちゃんに、前半のしんどさを見たようにも思うけど、控えめなその態度には逆に静かに安心して生きているのかとも思われた。


時々散歩に立ち止まって、顔をこちらに向けることがあった。その見上げた顔が、なんとも言えない無垢な表情で胸をつかれた。

あ、そういえば、ウチのバディもこんな顔で時々私のことを見ていたな。


お花とカードをおくった。


物静かで優しい目をしていたAちゃん。

無垢な子どものような顔をしていたAちゃん。

〇〇家で愛情を惜しみなく注がれてとても幸せだったAちゃん。

ありがとう、そしてさようなら。



(これはウチのバディの写真)