2009年5月24日(日)


目が覚めると時計は11時を指していた。
日本時間から戻していないので現地時刻では10時である。いずれにしても寝過ごした。

携帯電話を替えたばかりで、アラームをかける方法をよく確認していなかったのがよくなかった。
阿里山鐡路の切符は8時から発売開始だから、もう無いかもしれない。寝過ごしてしまったおかげで、旅の目標をつかみ損ねたかもしれない。


とりあえず宿を出て、駅へ向かう。一つしかない阿里山鐡路の窓口には10人程度の列が出来ていた。
どうなるかわからぬが私も列に並び、順番を待つ。日本人は見えない。皆、手に予約票であろうか、パソコンで打ち出した紙を持っている。並んでいる人たちはキップの引き換えのためだけなのかもしれない。当日券の余りはあるのだろうか?
心配になっていると、「コンバン、ヤド、アル?」と婆さんが声をかけてきた。


裏道・横道の王道


嘉義駅にダフ屋の婆がいるという話は聞いていた。30年前阿里山鐡路に乗った宮脇俊三は、係員さえいない無人の窓口を前にして、婆から阿里山鐡路の往復切符と阿里山のホテルのクーポンを買った。


私は宿の予約をしていない。阿里山鐡路に乗れるかどうかもわからないのに宿をとるわけにはいかない。
切符を予約しておらず、乗れるかどうかもわからないのだ。列車が満席ならば阿里山には行かない。切符は買えるのかと、婆さんに聞いてみた。
婆さんの齢は70歳くらいだろうか。日本語は片言で、意思の疎通は辛うじて可能。


窓口を指して、私に見慣れぬ赤い紙幣を握らせる。「消費券」と書いてあり、500元相当の価値があるらしい。阿里山鐡路は片道の乗車券が399元、それと阿里山森林遊楽区に入るための100元をここで払ってしまうので499元となり、500元あれば買える。
なるほど、この婆さんは自分に給付された「消費券」を現金に替えることも兼ねて、カモらしき観光客に声をかけているらしい。

阿里山の宿は宮脇さんが泊まった「呉鳳旅社」を探すつもりでいたが、勝手がわからないのでこの婆さんから買ってしまおうと思う。「美麗亞山荘」と言うらしい。パンフレットも見せてくれたが、何人にも見せてきたのであろう。紙は手擦れて湿っており、色が褪せていた。


裏道・横道の王道-台湾消費券の告知ポスター(@台北駅)

窓口で無事に切符を購入することが出来た。12時発と13時25分発の2本が今日は運転されるらしいが、私は遅いほうの予約をとった。寝坊のせいで嘉義を見られていないので、一回りしてから汽車に乗ろう。


阿里山鐡路の車庫は嘉義の次、北門駅にある。車庫の中にも入れるらしく、また駅舎も明治43年(1910)の建築という古いものらしいので、一目見てみたい。


線路に沿う林森西路を歩く。暑い。今日は曇りなのだけれど、肌に張り付くような湿度を感じる。リュックサックを背負った背中が蒸れる。


北門駅は係員はいるけれど、客が入る雰囲気ではなかった。門は閉まっているし、係員も運転関係の職員らしく駅務はしていない。しかし、眺めるだけでよい。阿里山の紅檜材で作られた駅舎はスタイルこそ古びているが、大切にされている建物らしく、汚れが見当たらない。大事にされていることがわかる。


裏道・横道の王道

ホームには嘉義方にディーゼル機関車、客車5両をつないだ列車が留まっている。これが、12時発の阿里山行きになるのであろう。


裏道・横道の王道

駅の脇に「阿里山森林鐡道」と題した詩が掲げられている。中国語だけでなく、御丁寧に日本語訳、英語訳も掲載されていた。


裏道・横道の王道


阿里山鐡路の車庫には北門駅側に入口があって、遊歩道のような通路をたどってゆくと、かつて使用されていたシェー型というアメリカ製の蒸気機関車、それに客車、小さな転車台もあった。

軌間が762ミリなので、全体的に小さい。間近から見上げても、見慣れた車両が持つ威圧感にも似た迫力は無く、遊園地にいるような気がする。警備員もいなくて、親子連れが散歩しているから、なおさらだ。


裏道・横道の王道

折しも、先ほど北門駅にいた列車が嘉義に向かって回送されてきた。スピードも遅いし、車両も小さい。どんな乗り心地がするのだろう。


裏道・横道の王道


来るときには気づかなかった、本当に線路に沿う小道を歩いて駅へ戻る。レールは家々の裏側に面して敷設されている。と言っても庭があるわけではないから、列車の窓と家の窓が近接することになるし、クーラーの室外機が張り出していたりする。軽便鉄道の雰囲気が漂っている。


裏道・横道の王道

裏道・横道の王道


駅前の食堂でまた鶏肉飯の昼食を済ませ、駅脇のセブンイレブンで缶ビールを2本買う。本当は今夜のために台湾ウィスキーを仕入れたかったのだが、見当たらなかった。

発車15分前、改札口を通る。改札は台鐡と共用だが、阿里山鐡路のキップが自動改札に対応していないので、改札掛に見せて入る。列車は既に入線していた。


12時発の列車と同じく、嘉義方にディーゼル機関車、客車を5両連ねている。

私は2号車で、始発駅側が1号車の編成になっていた。1号車と2号車は混んでいるが、先頭の5号車は人がいない。先頭車両の方が面白そうなのに、残念である。指定席は席が保障されているという点では安心だが、こういうとき始末に悪い。

裏道・横道の王道


車内は進行方向左側が2列、右側が1列である。私は8番で1列側であった。

若いカップルが1組、中年のカップルが1組、女の子の3人組が1組、2人組みが1組、私の後ろに家族連れが1組、大きなリュックを背負った白人男性が1人。この白人は、昨日復興号で台北から来るとき、通路を挟んで反対側でずっと一緒だった。私はあえて、かなりの本数を運転している特急自強号ではなく、一日4往復しかない準急復興号で来たのだが、彼も同じ行程だった。なぜそんな酔狂なことをしているのだろうと、気になっていた。


阿里山号は定刻13:25に嘉義を発車した。あまり衝撃の無い、静かな発車であった。

台北の260キロ南、北回帰線の通る町、嘉義に着いたのは18:42(2009年5月23日(土))であった。


裏道・横道の王道

列車は駅本屋側第一月台(プラットホーム)に到着し、南国の蒸し暑い夕暮れに降り立ったすべての乗客が改札口を出てゆく。しかし、私は改札とは逆方向に歩き、ホームの外れへ向かった。


第一月台の台北側に一部を削って短い列車が止まれるようにした、ナンバーの振られていない小さな月台があり、ここに阿里山森林鐡路が発着する。台湾にやってきたのは、この小さな汽車に乗るためであった。

阿里山は「台湾の誇るマウンテンリゾート」(新個人旅行「台湾」昭文社)で、このまとわりつくような暑さを避ける人たちが、ゆっくりと森林浴をしに行く場所である。



台湾に鉄道が敷かれたのは日本統治時代である。

そのため、軌間は日本の在来線と同じ1067㎜であるが、阿里山鐡路は玉山を擁する中央山地から産出されるべき木材の運搬を目して敷設されたので、線路の規格が低い762㎜の軌間である。

日本でも鉱山鉄道や森林鉄道は建設費の安く、小回りの利く軽便鉄道で建設されることが多かった。


日本では、林業や鉱業が外国からの輸入資材によって衰退して、それと共にあった鉄道の多くも廃止になってしまった。

現在では唯一、関西電力の資材運搬のために作られた黒部峡谷鉄道が、観光に活路を見出したことによって残っているだけである。


阿里山鐡路も森林資材の運搬という役割を既に終えていて、阿里山観光の旅客輸送がメインの役割になった。

しかし、バスによる阿里山観光が増加し、現在では定期列車が一日一本、所要時間が3時間半もかかるので、汽車の乗りたければ宿泊せざるを得ないという大変厄介なダイヤとなっている。


私は、阿里山森林鐡路に乗るために来た。なので、阿里山のハイキングをするつもりはないし、一刻も早く降りてきて未知なる台湾の汽車旅をしたいと思っている。

新幹線ができたが、まだまだ機関車が客車を引っ張るスタイルの列車が走っており、鉄道の古い遺産もいくつか残っているという。そのいずれかも見てみたい。
しかも、今回は翌々日25日に台北で人と会う約束をしているので、日程の制約が非常に大きい。一人旅なので、たとえ汽車が直前で行ってしまったとしても、一人で憤慨していればいいが、異国での待ち合わせとなれば勝手が違う。
ゆとりを見ていないと迷惑をかけるし、窮地で対処をしようにもそれが可能なほど、私は語学が堪能ではなかった。


困ったことはまだあって、台北駅でも時刻表を手に入れることができなかった。情報によれば、駅のセブンイレブンで買えるらしいのだが、見つけることが出来ず、ここまで来てしまった。

台湾の鉄道はほぼ定時運転なので、時刻表があれば予定を立てやすいのだが、どうしたものだろう。


台湾へ出発する前に、東京の台湾観光協会で阿里山鐡路の時刻を聞いた結果、残念ながら帰りはバスにせざるを得なかった。今回は明日(24日)13:25嘉義発の列車に乗り、阿里山で一泊、翌朝9:10のバスで山を降りることにする。バスは2時間半ほどの時間で嘉義へ帰ってくるらしいので、12時前後の在来線の列車には乗れる。嘉義から台北までは最速の自強号に乗れば3時間半でつけるので、一箇所くらい途中下車をしても夕刻には台北に着ける。


裏道・横道の王道

阿里山鐡路の窓口は8:00~17:00が営業時間のようで、既に閉まっていた。
台湾における週末の観光熱はものすごいらしく、全席指定席の阿里山鉄道の切符が取れるのかどうか心配だが仕方が無い。


1980年に宮脇俊三が『台湾鉄路千公里』の旅をしたときには、阿里山鐡路の専用窓口には、昨日今日に貼ったものとは思えない「今明日往阿里山往座全售完」という紙片があって、ダフ屋のババから宿が一緒になった阿里山鐡路の切符を買ったという話がある。

そのような張り紙は見当たらないし、明日は日曜日だから宿泊せざるを得ない観光地へ向かう客は多くないであろう。

しかし、現に私は客としてきているし、私のような人がいない理由は無い。


明日は8時の売り出しとともに、切符を買いに来よう。


裏道・横道の王道

駅の近くにはいくつものホテルがある。きっと、阿里山鐡路に乗りたい人たちが嘉義に泊まっているのであろう。

もはや猜疑心の塊である。このあたりに、人間としての器を感じられて、異郷の土地であることも相まって、悲しくなる。
ガイドブックにあった駅前の嘉新大飯店というエコノミーホテルに投宿し、長かった一日の荷物を降ろした。宿代は600元であった。


夕食は嘉義の名物という鶏肉飯を食べ、文化路夜市でスモモを買ったりした。格子状の街路をグネグネと歩き回っていたら古びた映画館があって、名画座かと思ったら、最近の日本の映画もかかっていた。


裏道・横道の王道


裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

台湾の夜は遅い。もう9時だが子供たちが遊んでいるし、商店はまだまだ営業している。寝るのはもったいないし、ぜひ一杯呑めるような店があったら入りたいが、もともと無いのか、探し方が悪いのか、裏道まで入ってみたのだけれど、日本にあるような一杯飲み屋は見つからなかった。


台湾ビールを買って、部屋で一人で飲みながら、テレビを見て寝た。

テレビを見ていたら日本の映画を放送していたので、結局最後まで見てしまった。

今朝は4時起きだったこともあり、早く寝なければならぬ。


明日、切符を買い損ねたら、なぜここにいるのかわからない。

12月11日木曜日、東海道新幹線のぞみ111号新大阪行きは東京を定刻8時40分に発車した。

平日朝の下りだから、ビジネスマンで混んでいると思っていたが、品川までは空いていた。思いの外、新横浜から混んできた。

…………

今度の行き先は、はいわゆる“京都”。京都府の山城の国、平安京である。

いつか行きたいと思いながら、何年過ぎただろう。
初めてなわけではない。大阪へ用があったとき、京都行きの深夜バスしか取れず早朝に着いたので、隙間に壬生寺へ行ったり、同志社大の琵琶湖キャンパスで合宿した際、帰りに八坂神社へ行ったりもした。

しかし、京都の町は大きくこれだけでは象を撫でるようなもので、いつか京都だけに泊まる旅をしたいと思っていた。

BAR巡りをかじり始めて、京都の小さな酒場への憧れが強くなり、ようやく今回実現の運びとなった。
“昼間は夜のためにある”と定義した旅である。

とは申しても私にとって京都は近代以降の遺産の宝庫で、とくに琵琶湖疎水を見たいと思っている。
就中、南禅寺水路閣、記念館に行きたい。
その辺りは同好の士に説いておいたが、いざ現場になればどうなるかわからぬ。
昼間も昼間で駆け回ることにはなるであろう。

京都へ向かう新幹線も、私たちのような東戎にとっては面白くて仕方がない。


裏道・横道の王道


早速ビールを呑みつつ、今回の予定と車窓を語り、酩酊して、眠ったと思ったら京都駅だった。
つい、名古屋にも関ヶ原にも琵琶湖も気づかず、追い立てられるように新幹線を降りた。
本来なら東寺や京都タワーが見えることに対して感動するべきであろうに残念をした。

へべれけな私たちはとりあえず、コーヒーを飲みたく午前中の京都駅を歩き回ったが、コンコースには然るべき店が見つからず、宿へ向かう道すがら見つかったら入ろうと意気投合をする。

宿は四条大宮にとっていた。京都駅からならば、バスに乗るのが分かりやすいが、島原を経由しつつ歩いてゆこう。

駅を出て、七条から堀川通へ出ず、平行する新町通を歩く。格子窓をはめた家々にさっそく京都を感じる。
気の早いことである。

仏壇屋が多い西本願寺の山門から境内を抜けると、島原に入る。


裏道・横道の王道

町並みをとりたくてカメラを構えていたら、キャリヤーを引っ張った自転車をこぐオバハンが手を振ってきた。
いい写真が撮れたと思って帰って見たらピンボケだった。

裏道・横道の王道

江戸時代の花街の面影を残す島原には大門と、建築2件ほど残っている。


裏道・横道の王道


一件は置屋であった“輪違屋”、もう一件は揚屋の“角屋”。

裏道・横道の王道

角屋の門を好奇心でくぐってみると、ボランティアのおじさんが、ようこそと歓迎してくれる。話を聞かせてくれるらしい。

裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

はたと困った。
まだ私たちは昼ご飯をとっていない。既に時刻は正午である。どうしようと考えていた処で、このまま嵐山に行こうかとも話し合っていた。
此処でゆっくりしては、後の日程に差し支える。ランチは終わっていて、喫茶だけになる危険性がある。
相棒の提案で、ここは見学をして、四条大宮付近で昼飯を食おうという話に落ち着いた。彼は食べ歩きが好きなので、さすがに詳しい。

今、この角屋は財団法人によって管理されて、“角屋もてなしの文化美術館”として開放されている。
入館料1,000円は安くないが、ボランティアによる解説が付いている。

揚屋と置屋の違いは、揚屋が「お客さんを揚げる店」、置屋は「芸者の置き場」ということで、揚屋にお客さんが来たら、置屋から芸者を呼ぶというシステムらしい。
また、“花街(かがい)”はいわゆる“遊郭”と違うらしく、前者が歌舞の稽古場を持って芸を身につけて宴をもてなす街なのに対して、後者は遊宴と歓楽の街と言えるそうだ。
いただいたリーフレットに書いてあった。
いわゆる歓楽街ではなく、もっとインテリジェンス溢れる街であることが訴えられている。


裏道・横道の王道

この花街の発祥は寛永18年(1641)で、この前には六条柳町にあったそうだが、急遽移転命令が出たために、島原の乱よろしく引っ越しをする様に由来して島原と名が付いたそうだ。
当時はまだまだこのあたりは水田地帯であったという。

新選組が屯所とした壬生は、此処から北へ1キロほどに位置する。
私は三谷幸喜が書いた大河ドラマの“新選組!”が好きで、劇中の壬生が田畑の中にあることが不思議であったが、話を聞いてなる程と思った。

芹澤鴨の最後の晩餐はこの角屋であった。私はあまり芹澤が好きではなかったが、それでも身が引き締まる。
意匠も凝っていて、はめ込まれているガラスが江戸時代のものと聞いて興奮したりするから、時間はあっと言う間にすぎる。気づいたら13時になっていた。


裏道・横道の王道

宿に入って荷物を置いて、出かけたときには14時近く、しかも目指す四条大宮のカレー店は臨時休業だった。

このままでは食いはぐれる。しかし私の計画では、嵐山で自転車を借りて、鳥居本まで行って竹林を走って、18時にトロッコ亀山を出る嵯峨野の汽車ポッポに乗る予定である。
自転車を返却するリミット、トロッコに乗るために乗る山陰本線の時間とこの後はやり過ごしてはならぬ時間のポイントが待っている。時間の配分を間違ったとしか言えない。
しかし既に最終トロッコを予約しているし、しかもこの列車だけ沿線の木々をライトアップしているという。
話のタネにでも乗りたいではないか!

角屋で話を聞くはずではなかったから、四条大宮駅で嵐山行きの電車を待っている時間には、机上の空論では既に自転車を漕いでいるはずだった。

………………

京福電気鉄道嵐山線は私が愛してやまない路線である。以前壬生へ行ったときも、実態は四条大宮から嵐山へ向かう京福電鉄を待つ時間に歩いてみたというほうが正しい。

ビルになっている一階のホームで待つ。駅を出た線路はかなりのカーブを切っている。一両編成の単行電車がゴロゴロと音を立てて入線してきた。

裏道・横道の王道

乗車率はかなりよくて、立つ人は居ないが座席はほとんど埋まっている。ハシャいだ観光客らしき人はあまりおらず、車内は落ち着いていた。

軌道敷きは複線で、堂々と京都市内を走る。



裏道・横道の王道


路面電車の雰囲気を持つ小さな電車は乗っているだけで嬉しい。
ワンマン運転なので車掌が居ない。私は席を立ち、端っこで去ってゆく線路を見ながら嵐山を目指した。

市営の路面電車を全廃した京都に於いて、京福電鉄は現役の交通手段として役割を持ち、そのことが何より遺産として意義深いと思う。

明治43年(1910)の開業だから、来年で100周年を迎える路面電車。


裏道・横道の王道