進学、就職、結婚…人生のイベントとして発想すると、凡庸なところではまぁその辺であろうか。
しかし、普段当然だと思っていたことがなくなれば、また新たな一歩を踏み出さなければならない。
引っ越しをしたとすれば、医者はどうする?クリーニングはどこに頼む?
新しく探さなければならない。
幸か不幸か、私は未だ独身実家暮らしで、新しい信頼を探す手間をかけなくても生きることが出来てきた。
だから、今、私は当惑せざるを得ない。対処のノウハウがないことに直面している。
いつも通っていた床屋が閉店することになった。
大学院に入る前から通っていたから、7年来になろうか。
自分に合う床屋に出会うことは、素敵な人生の伴侶と出会うほど大変な手間で、その別れはそれを亡くすに匹敵すると思うが、どうだろう。
私はクセっ毛なので、髪質を理解してもらえないと、違和感のある髪になってしまう。
最初は件の店もそうだった。
しかし、いつも同じ人が切ってくれ、こちらもお馴染みになれば、詳しいことを言わなくても、良しなに刈ってくれる。
そこに至るまで通うというのは手間だし、時間もかかる。
けれども、時間の結果もたらしてくれる役得は、数千円のヘアーサロンに噂を便りに出掛けていくより、1800円の床屋に価値に軍配を挙げよう。
BARへ通うのと同じことである。
床屋もBAR-BERであり、根は同じに違いない。
長年世話になった。
考えなくても、時期に応じて髪型を作ってくれるから、モノグサな私は大いに助けられた。
2ヶ月前に7月を以て閉店という話を聞いたときに、どうしようかとつくづく思った。
しかし、新しい散髪先を見つけられないまま、私は途方に暮れている。
見つけられないままなので、少しでも先延ばしにするよう、2ヶ月ペースのカットを6月に行き、今日も行ってきた。何とか夏は乗りきれるだろう。
先ほどBARに通うことと同じと書いたけれど、バーテンダーとのお話を楽しむのに、似た落ち着くべき処…また行こうと思える空間、そういうものがあるような気がするのだ。
嫌いな人もいるだろうけど、私は嫌いでない。だから、安月給のくせに一人でBARなんぞへ繰り出すのである。
店を出るときに、“今までありがとうございます”と言われて、“こちらこそ、お世話になりました。ありがとうございました”と言葉がでた。
いつもなら。“またヨロシクお願いします”なんだけど、今日は、最後のあいさつだった。
私の前にいたお客さんたちも、“ありがとうございました”とう言っていた。店とお客の関係なのに、それが不自然ではなかった。
それどころか、お菓子やらお酒やらプレゼントをしていたし、学生が集まってこの後写真を撮るという。
みんな名残惜しそうに去っていった。
私はあの大学を好きではない。母校愛とか愛社精神とか、そんなものはトイレに流してしまえ、と言うタイプである。
今日を以て大学とも繋がりが切れた。そう思って私は普段立ち寄ることのまず無い、指導教授の部屋に行ってみた。
私も人の子なのであろうか。
幸か不幸か在室で、勢いだったから手土産も持っておらず、世間話だけして早々に退散した。
大学に来た理由を話したら、「そういう付き合いをしていたのか」と言われた。
久しぶりに聞く大先生のお言葉は変わっていなかった。









