それは別に宗教だけのものじゃないと思う。

それは神にだけ奉げるものじゃないと思う。


みんな、何かを信じてるから。


軽率な人も、立派な人も、

自分を信じてる場合がある、自己崇拝だ。

それが彼らの元気の素だったりもする。


何よりも、父を、母を、崇拝している人もいる。

尊敬し、感謝し、自分も彼らのようになりたいと望む。


僕も、いつでも、何にでも信仰はしてる。

この人はきっとステキな人だろう、

人を信じる心。

僕は友達を、出会う人を、心から尊敬し、感謝し、

誇りに思うほど崇高な心で信じようと思う。

それは、彼らがそれに値するものを僕にくれたからだ。


僕も全てが信じられないなんて言っているけど、

心の底では、自分の人生は学ぶその喜びにあふれるものだと信じてる。


信じる?不確かなものをお前は信じるというのか?

そう、全ては不確かだ、残念だけど理屈が通用しないんだよ、

僕は無知だから。


でもね、信じる気持ちは心を温かくしてくれるよ、

これこそが極上の快楽だよ、これが人間らしい幸せなんだと思ったんだ。

その心の温かさが。

感謝したり、尊敬したり、それは信じてるって事なんじゃないの?


愛する気持ちはどこからくるの?

それは無条件なものだ、理由なんかないじゃない。

だからこそ崇高なんだ、

理屈じゃない不確かなものじゃないか。


全てを知る者、そんな人はいないよ。

まるで全知全能の神だ、僕は無知無能。

だから僕は全てを疑う、理屈で言えば、全ては疑うに値するものだからだ。

だから僕は何かを信じる。


そうやってみんな生きてるんだ、不確かなものだ。

神だけじゃない、人間だって不確かじゃないか。


じゃあ僕は何故ここにいるの?何故生まれてきたの?

こんなに不確かな事ってある?


僕には全部が幻想に見えてしまう。

だから、結局は僕も不確かな信じる心に逃げなくてはいけないんじゃないか。

あなたはどんな風に生きたいですか?


順調に生きたいです、毎日一歩ずつ、

そう一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がったりしてみます。

そうです、水前寺清子です。


これが僕の、今の精一杯の夢。

全然具体的な夢が見れないんです、参りました。


あなたは十年後、どうなっていたいですか?


未来の事なんてわからないし、そんな事言われても困る。

だって人生いつ何が起きるかわからないじゃん。

良い事も悪い事も、自分の意思なんて関係ないんだもん。


そんな遠い未来の事はきついから

明日の事から考えてみる。

明日は一歩進みたい。それが目標。


こんなに迷ってて、苛まれてても、

毎日違った景色が見えるから、進んでるんだと思える。

たぶん・・・。


でもね、いつも僕を苦しめるのは、頭の中から聞こえてくる、

「お前は怠惰なんじゃないか?甘えてるんじゃないか?」

という声、もうなんにもわからなくなる、全く解決しない。

全てが信用できなくなる。

でも、だからなおさら毎日一歩進みたいと思う。

僕は感じる、荘厳な自然を、

それはとても大きくて、不可知だ。

宇宙の果てはどうなってる?

ミクロ、マクロ、素粒子の世界まで、

この自然はとてもよくできていて、回ってる。

そこにはたくさんの法則がある。


僕は人間、生物、この宇宙の果てまで続く自然の一部、とても小さな存在。

僕は人間の作った神様なんて信じる気は無いよ。

でもわかる、この壮大な自然が僕には神様。

それぐらいすごいもの。

執着、未練

それは過去に思い残したことがあるからだ。

でも、それより価値がある基準は、そこから何を学んだかだ。

きっとそれはもう過ぎ去ったんだ。

僕はもうそこから学ぶものは学んだ。


1つの事柄や、変わりない毎日の中で学び得るものは、

そんなに大したものでは無いんだろう、チリが積もって大きくなるだけだ。

新しい事が始まるよ、もうすぐ春がくるんだ。

新しい学びが始まる、そんな気分。

そっか、学ぶ事は全部学んだみたいだ、やっと成仏できる。


毎日違う景色が見えてくる、

それだけでありがたい、地球が回ってくれる事に。

僕は飽きない、それはこの世界があるから、

この煩わしい世界で生きている事のメリットだ。


なんだか気付いたら「ありがとうございました。」を連呼してた。

学びをくれた過去に、感謝と別れを。

きっと何かができる筈だ、そんな気がしてきた。

どんなに委縮していたって、みんなに卑下されて劣等感の塊になっていたって、

どんなに小さな事だってきっと、僕には何かができる筈だ。

できる限りの事をやろう、少ないけれど力を尽くそう。


いつも僕は委縮している、そんな人はよくいる。

せっかく物事が上手くいっていても、

過去のトラウマや恐怖のおかげで委縮しているという人はよく見かける。


委縮ってなんだろう、劣等感ってなんだろう。

何でそんなものがあるんだろう。

そして、多くの人がそういう苦しんでいる人をバカにするのは何故なんだろう。


厳しさってなんだろう、恐怖や劣等感で委縮してしまっている人に、

頭ごなしに否定してかかる人ってなんなんだろう。

僕にはそれがまだよく理解できない。

そんな事をしたって傷を広げるだけじゃないのか?

大人はどういう意図でそういう事をするんだろう。

だってそんな事をしたら余計に委縮するじゃんか。


劣等感を刺激する情報、

ニート、ひきこもり、みんなしてバカにしてる。

なんでそんな事してるの?


非難、批判、えらそう、恐い。

そう言う僕もこうやって誰かを批判してる。

混乱してくる。


軽率、表現の自由。

でも最後は惑わされる方が悪い、無駄に腹を立てる方が悪い。

だって本当に信用するに値する情報なんてほとんど無いんだから。

ほっておけよ。だからやっぱり僕は感情論なんていらないよ。


人は傷つけあう、どうやったって平和なんて訪れない。

僕は人を傷つける、しょうがない。

だからその代わりに許さなければいけない、

僕を傷つける人を。



またまた流行に出遅れ気味ですがww

これについて書きます。


メール問題での国会での永田議員の質問、

感情的でしたね、「武部は金で魂を売っている。」

まだ容疑の段階でまるで極悪人に対してしゃべっているようです。

堀江さん逮捕の時の報道もそうでしたね。


テレビではこういった大人としての品性の問題については誰もふれていませんね。

僕にとってはこれは不思議に思うのです。

信憑性の薄い情報を委員会で取り上げるにしても先ず、

あんな大人とは思えないような口調で発言するなんて信じられないのです。


あんな品性の欠片もないような人が、何故当選しているんでしょうか?

とっても不思議な光景にも関わらず、大人達はそれが当たり前だと言う顔で、

国会議員という重要な立場である人の言葉づかい、立ち振る舞いに関して

非難の声が聞こえないのは気持ち悪いです。


あるキャスターは小泉総理の「ガセネタ」という言葉に敏感に反応し、

テレビ番組中でも、しきりにそこを非難していました。

「ガセネタ」という言葉にはそんなに反応しているにも関わらず、

永田議員の委員会の発言での中学生のような態度、失礼な言葉づかいには、

まったくふれていませんでした。

これは僕にはとっても不思議な事です。


永田議員はこれまでにも、アナーキーな振る舞いをした事で有名だそうですね、

議会中でだるそうな顔をして折り紙を折っている映像をネットで見ました。

松浪議員がヤジに腹を立てて水をかけた時も

下品で醜悪なヤジをとばしたのは永田議員だそうですね、

なぜあのような方が国会議員などやっておられるのでしょう。

そして、誰も彼のそういった品性の部分を指摘する人がいないのは何故でしょうか。


これが当たり前になってしまっている社会。

ちょっと出遅れましたが、僕も荒川選手について書きます。


僕には今回の結果がただの金メダルだとは思えません。

それぐらい特別な印象を受けました。


僕は普段、オリンピックもスポーツ観戦もあまり興味の無い輩でしたが、

フィギアの日は早朝で、見たいと思っている人も起きれなかったりする中で、

僕は何故か朝早く目覚め、なんとな~くテレビをつけたらやっていた訳です。

実に運のイイ奴です、生中継で見れました。


全体的に見てプレッシャー戦でしたね。

荒川選手ただ一人が落ち着いていた印象でした。

メダル候補といわれている選手みんながこわばってしまってミスしていました。


安藤美姫もおそらくプレッシャーなんでしょう、

明らかにいつもと違ってしまってました。

でもきっとこれは明日につながるんでしょうね。

荒川選手も苦難を乗り越えての金という事ですから、

次に安藤選手が結果を出してもおかしくありません。


村主選手は銅メダルですよ、素人目から見れば。

審査員をヤジりたくなるぐらい素晴らしい演技だったと思います。


とにかく皆さん良い演技でしたが、

荒川選手の演技や表情は素人目にみてもわかるぐらい、

ただ一人だけ輝きが違いました。

あのまるでイデアを見たかのような美しいスピン、スケーティング。

あれはサルが審査してても金メダルです。

ズバ抜けていたと思います。


金メダル確定の瞬間は「ホントによかったね」の気持ちでいっぱいになりました。

結果として審査員に評価されるとは限らない世の中ですから。


荒川選手は、メダルが取れるとは思っていなかったと、コメントしました。

それは無心で無欲だったという事だと思います。

素晴らしい演技でした、とても充実していた印象を受けました。

やはり良い結果を出す時、人は無心である事が多いと思います。

あれは理屈どうこうじゃなくて、

彼女のこれまでのスケート人生の時間が結果になったという事だと思います。


今回は素晴らしいものが見れて本当によかったです。

「この世は地獄だ。」という言葉。

いつだか美輪さんの本に書いてあった。

最近少しその意味がわかってきた。


この世は地獄だ。僕は苦しむために生まれてきた。

そう思えば強くなれるのかもしれない。


変な夢を見て、幸せになろうとするから、降り注ぐ苦しみを受け入れられない。

どんな苦痛も苦しみを受け入れる、この心がどんなに強いものか。



日記の言葉↓


僕はどんな小さな事も求めないよ。

飢え死しても、どんなに苦しくっても、ストレスで死んでもいい。


上手くいかなくていいんだ。

何一つ上手くいかない、それでいいんだ。

だって僕は無知なんだから、それが当たり前だ。

受け入れよう。


悲しくて辛くて苦しくて痛い。

それでいいんだ。


この世は地獄だ、僕は苦しむために生まれてきた。

大人達はみな、人生は苦しいものだと言う。

それはとてもとても、ムゴイほどに、苦しいものだ。

でもいつかきっとその長い苦しみの年月が報われる時がくるんだろう。


そしてまた、苦しみがあるからこそ、幸せで安らかな日もあるだろう。

それでいいんだ。全てを受け入れれば、

これでいいのか?

幸せな時は自分なんかがこんなに幸せでいいのか、と思い。

苦しい時もこんな苦しみの時間に価値はあるんだろうか、と思う。

でもいつだって自分にできる道は1つしかない。


随分前から考えている、運命と宿命の違いがわからないという事。

運命には選択の余地があるという事らしいが、

今までの自分の過ごしてきた時間を振り返ると、

そこに選択の余地があったとは到底思えない。

どんな小さな事にも選択の余地なんて感じられない。

僕にとっては全てが必然的で、逆らう事なんてできないし。

無駄に逆らおうとするのも愚かだと感じる。


結局たくさん悩んだけれど、悩んだ結果でた答えは解無しだ。

どう考えたって選択の余地はない、一瞬一瞬と過去に変わっていくこの時間、

運命だろうが宿命だろうが過去になった時点でそれは冷たく固まって動かない。

僕には二つの違いはわからない。


これでいいんだと思うようにした。それは今が幸せな証拠だろうか、

でもつい最近悲しい事があったが、これでいいんだと思う事ですっきりできた。

またいつか、苦しみの中で「これでいいのか?」と思う時がくるかもしれない、

でも今はこう思う。だから今ここの自分から未来に自分に送る言葉は、

「それでいいんだよ。」だ。


きっとこうやって葛藤して迷うことも、

いつかはプラスに変わってくれる事だろう、

だってそれは苦しい事だから、成長できる。

最近はこんな文章ばかり書いていて良いものかとww

思ってしまうのですが、

元々ブログを始めた頃に、ブログの題名からしてもわかるように、

メンタル系ブログで行こうとは思っていたものの、

ネガティブな物になるのがイヤで度々迷ってしまいます。

でもやっぱり落ち着いたテンションの低い文章が書きたい。

僕は落ち着いたものが好きなんです。

夏の日差しじゃなくて朝の淡い光、電気の光じゃなくてローソクの光が、


アレですね、テンションの低い奴は元気が無くて不健康でつまらない奴だ。

みたいな風潮が若い人達の間でありますねww

僕もたまにそんな風に見られてる時もありそうです。

でもただテンションが高いのが良いんだと勘違いしちゃっている輩が、

空回りして下品な冗談ばっかりになってるのはまたアレですね。

元気で明るいのと、軽くて下品なのは違うから!

っていう事ですよね。


昔はロックばっかり好きで勢いがあったけど、逆に軽率で下品なところがあった。

いつからかピアノやオーケストラとか美しい音楽ばかり好むようになってしまって、

上品なものを好んで、落ち着いているのは良いけど、逆に勢いがなくなった。

最近は久しぶりにHIDEなどをじっくり聞いているんですが、

やっぱりROCKは元気になれていいね。


落ち着いていて元気で明るくて上品で、これが僕の思う理想の人格ですね。

いやいやそんなのできません、難しすぎますww

でもそういう人はたくさんいますよね、

そういう人は本当に尊敬してしまいます。