2018.12.3 気分転換に二度目の外出 | 明日への轍

明日への轍

齢五十を過ぎて、ある日大腸がんが見つかる。
手術から回復したと思った一年後、肝臓と肺へがんが転移。
更に続くがんとの付き合いを記録します。

今日、月曜日も予定のない一日だった。 久しぶりに浅草へ行ってみようと思った。

 

浅草は大学時代まで帰省する時にいつも使っていた駅であった。

東武鉄道を利用して帰省していたことから、浅草駅は東京へ行くときの玄関となる駅だった。

ここから地下鉄銀座線に乗り換えてその時々の我が家へ乗り継ぐのである。

 

実家へ帰省するときは、駅で駅弁を買って快速電車で帰ることが多かった。

浅草の地下街で立ち食いそばをよく食べた。暗くておよそ綺麗とは言えないような狭い地下街は未だに残っている。

時々は浅草駅で降りて、荷物をコインロッカーへ預けて浅草寺周辺を散策した。

浅草寺はいつも賑わっていた。今のように東南アジア系の人は少なく、欧米の人の方が多かった気がする。

今から三十数年前に事である。

 

まだ、東京スカイツリーは疎か、朝日ビールの「うんこビル」もまだない時代であった。

そういえば、浅草駅には荷物を運んでくれる「赤帽さん」がまだ居た。東武は二階が改札、銀座線は地下ですから、需要はあったんだろう。

でも、10年前位には最後の方が居なくなられたとか。

 

直ぐ近くの墨田川には墨田川ライン(水上交通)の駅があり、浜離宮やお台場までいけるようだ。

これも以前にはなかった。松本零士張りの宇宙船のような船まであって客が写真を撮っていた。

懐かしさで一杯の浅草散策だった。 

昔から変わらないものも多かった。 三十数年経ったけれども、浅草は懐かしさで一杯の街だった。