2018.11.26 治験のために入院 | 明日への轍

明日への轍

齢五十を過ぎて、ある日大腸がんが見つかる。
手術から回復したと思った一年後、肝臓と肺へがんが転移。
更に続くがんとの付き合いを記録します。

7月にブログを書いてから四カ月が経ってしまった。  色々あって更新する気になれなかった。

 

一番大きな原因は、効果のある抗がん剤がこれ以上ないので、新たには抗がん剤を処方できないと言われたことである。

九月の事だった。

 

私:抗がん剤が出せないってどういうことですか。

医師:効果がないと判断された以上、これ以上出せないんですよ。

私:だって、確かにCTの画像上は進んでいるように見えますが、縮小までいかなくてもある程度の現状維持に効果があると言う見方もできるんじゃないですか。

医師:現状では効果がないとしか判断できません。効果がない以上、継続して投与することはできないんです。

私:出せないって、それじゃあどうすればいいんですか。このまま何もしなくても進まないならいいけど、そういうことはないんでしょう。

医師:少しづつでも進行するかもしれませんね。

私:癌が無くなるほどの効果を期待できなくても、少しでも現状維持ができればと期待しますよね。

  それでも処方できないっていうんですか。

医師:現状では効果のある抗がん剤がないので、これ以上出せません。

私:治療もしないで、どうするっていうんですか。

医師:自然に任せるということになりますね。

 

冷たい言葉である。この時は本当にそう思った。

自然に任せて、病気が進むのをただ見守る? そんなことはしたくなかった。

 

担当医師に、別の病院でのセカンドオピニオンを受けるための紹介状を依頼した。

病院は有明にあるがん専門の病院だった。

 

結論から言えば、同じ答えだった。

でも、せめて以前の経口薬を継続して処方してくれることを密かに期待していたが、やはり無理だった。

その医師からは年末にも新しい抗がん剤が承認される見込みであるので検査をしてもらって処方が可能かを調べて貰ったらと言われた。

 

一週間後、再度、元の主治医にセカンドオピニオンの結果を説明した。

病院と主治医との関わりを断つわけにはいかない。継続的な診察とCTを撮って状況を把握していかなければならないのだ。

 

11月の診察の時に治験をお願いした。治験に関しては何の知識もなかった。とにかく可能性だけだった。

主治医からは治験について、過度な期待を持たないようにと推測されるような説明があった。

海のものとも山のものとも分からないような、薬とは呼べないようなものを、ある意味人間で実験するような説明だった。

しかも、治験のためには一カ月程の入院も必要であると聞いた。

 

その説明を聞いたときに、残された時間を病院で過ごすことに意味があるのかを考えてしまった。

治療を諦めるならば、どうせ効かない薬のためにだとすれば、無駄な時間の使い方だと思った。

悩んだ。

 

すぐにでも連絡があるのかと思ったが、一週間しても二週間しても連絡がなかった。

そして11月の20日に主治医から連絡があった。

 

ニボルマブ(オプジーボ)の改良型を投与する第1相試験だった。

日本でも数人。世界で数10人らしい。

この名前を聞いただけで効きそうな期待感を持ってしまうのも、無理からぬ話だろう。

あまり期待して、駄目だった時の落胆も大きいかもしれないが、希望を持たなければやっていけないものだ。