ハワイの空にANAが飛んだ日 劇的なドラマはドアのノックから始まった 翌日のリミット | 「あの日 あの時 世界の街角で」バカブンド

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ブラジル移民から世界放浪 若い頃にフラッシュバック
消せないアルバムの話。

出張で来たハワイ「懐かしい」

まさか何度目のハワイでこんな事が起きるなんて。

 

仕事は飛行機に食事を提供する事、親会社は大手航空会社。

その航空会社が、念願のホノルルからの初フライトに、食事を乗せるまで調整する為の出張だ。

 

初フライトの何日前から現地入りし調整「いよいよ明日フライトですね」

一緒に来た航空会社の社員は緊張している。

「明日は社長も来るので 今日は寝れないです」

俺は「まあ 大丈夫ですよ」「普通にやりましょ」

 

ワシントンDCでこの業界の仕事携わったのがきっかけで、この会社に誘われて入社。

入社して何年かで、大手航空会社の念願の仕事を任された。

 

「今日の夜から準備があるので少し休みます」

「ゆっくり休んで下さい 今夜はよろしくお願いします」

「解りました」そう言って別れ、ホテルの部屋に戻りベットに入った。

 

どの位経ったのか「起きて下さい」強くドアを叩く音。

「どうしたのですか」

「大変です 準備していた業者が保健所のチェックでダメに」

「どうしましょ どうにか出来ますか?」

「何でもやります お願いします」泣きそうになる社員。

「飛行機は満席ですよね」

「エコノミーは洋食対応でどうにかなる でも 蕎麦が付く 出汁か」

こんな会話を何分かして「やるしか無いでしょ」

 

それからが大変、ホノルル市内のスーパーで日本食材の大量買い。

その食材を仕込みして、明日のフライトまでに調理する。

 

ワシントンDC時代の経験がここで発揮。

 

そして翌日、昨夜から徹夜で調理した料理を、飛行機に無事に積む事が出来た。

 

「本当にありがとう御座います」目いっぱいの涙の社員。

「俺は疲れたので休みます」流石に疲れた。

 

それから何週間か、何人かの現地ヘルプを使ってこなした。

その後は現地業者を決め、段取りをつけて帰国する事が出来た。

 

世界を周り、やってきた事がこんな形で結び付く。

「俺のハワイ色々物語」