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KAZUMI OHASHI

2008-2016

おおはしかずみ

亡くなった人たちの数を大まかに語るのは不謹慎で、心苦しいことですが、
東日本大震災で4000人近くの人が亡くなってしまった宮城県の石巻市へ行きました。

昨年の紅白歌合戦で長渕が歌った門脇小学校の校庭を歩きました。

おおはしかずみ

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おおはしかずみ


春から定期的に国語メディアリテラシー研究会に参加しています。

そのつながりで、埼玉県川口の映像ミュージアム、スキップシティに行きました。
マネージャーさんに案内して頂きました。

NHKアーカイブズと隣接していて、映像教育を実践的に受けられる施設です。
映像システムから、企画の仕方まで、ゲーム感覚で学べます。

こんな立派な施設、なかなかないです。ここから、映像教育広がっていくと思います。

メディアリテラシーって大きく分けて、読む能力・使う能力・作る能力とあります。
広範囲なので、自分が研究する場合には限定するとして、でも他の範囲に交わることで深めることが出来ます。

石川県金沢から権威、岡部先生(専門は教育工学)がいらして、20数年のメディアリテラシーの研究成果を教えて下さいました。

新しい教育制度を作って実践されてきた方で、理論の体系化イメージが沸きました。

その他、重鎮たちのお名前を伺ったので、修士論文書いたら、そのご著書を読んでみたいと思います。

あと他にも、最近いくつかミュージアムに行きました。





ビートたけしに学んだことは、

「恥ずかしいと思うことをあえてやる」




終戦記念日に、春日大社境内飛火野・高円山で行われる、戦没者慰霊と世界平和を祈る大文字送り火を目指して、奈良に行きました。
(結局は、東大寺の灯篭を見に行きました)

おおはしかずみ

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おおはしかずみ

交通メディアの発達によって、遠い世界に足を運べるようになって、
想像力以上に、どれだけそこへ訪れたかということがはかられています。

お金と時間はちょっとかかったけれども、
精神的には、決してたいしたもの懸けてはいません。
今回奈良に行った足は、非常に軽いものでした。散歩です。

おおはしかずみ

8月上旬はちらほら、努力を怠らない才能ある人たちに会って話して、楽しかった。
友達を引き連れて、宮城の被災地に行く計画も立てています。
でも正直、分からなくなっていました。

おおはしかずみ

誰かのために、何もしてあげられない。
恥ずかしい、逃げたい、申し訳ない。

自分の身の回りのことにさえ責任も持てていない私が、
平和を祈るという、おそらく表面的な理由によって、こういう行動を取る。

おおはしかずみ

おおはしかずみ

今恐れを知らない私は、頭で考えて感情を作り上げる。
古き時代へのロマンに浸ったつもり、戦禍の悲しみに心痛ませたつもりなのかも知れない。

「サカモトが反原発と言っているから正しい、私も賛成!デモに参加しよう」
だなんて、政治家に任せきりの政治と何ら変わりません。

見えないものに対する、恐れを知らないのです。
それではきっと息は続かず、綻びる。

本当の恐れを知っているなら、例えば、家族だけを愛して離れない、それだけでいい。

まぁ、こうやって文章におこすと、すごく大袈裟に聞こえて、
病んでいると思われるかも知れませんが、それほどでもありません。
意識の奥を掘り起こせばこんな感じです。

おおはしかずみ

おおはしかずみ

おおはしかずみ

おおはしかずみ

おおはしかずみ

それでも、なぜ奈良に行ったのかと言えば、
短絡的なプロセスだからこそ、体が動くのです。

だから、外に出る。

外に出る。

外に出たい。

大切なことが目の前にあるというのは知っている“つもり”だけど、
飛躍した時にこそよく見えたり聞こえたり、感じる。
自分の良いところだって知る。
モノの繋がりを覚えて感謝出来ます。

おおはしかずみ

春日大社の池に一匹取り残され鳴いてた子鹿、愛おしかったです。

その想いが上っ面の偽物であったとしても、自分を主体としたプロセスを経て積み重ねることで、生きていると実感が欲しいのです。

おおはしかずみ

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