訃報
渡辺和博氏が死んだということだ。
えっと、レイ・チャールズが死んだと思ったらJBが死んだ。
え、この人死んだの、と思うことがすごく多くなっているように感じ、
いよいよ自分も歳をとってきたと痛感するのであった。
とうもろこし
とうもろこしで、車なんかの燃料をつくるとテレビでやっていたんだけど、
人間の食料と機械の燃料が同じものって問題があるように思った。
思ったんだけど、どうしてだかわからない。
一種の勘のようなものである。
たぶん、食物というものは他のものとは別の、貴重な、ありがたいもの、
という人間としての原始的な感覚が作用しているのだろう。
たとえばわたくし達は余った食料をがんがん捨てておって、
それさえあれば、余所の国の人の命がいくつ救えるかしれない。
と聞いても、じゃあ実際どうやってそのような人達の元へ
捨ててしまう食料を届けることができるのか、
その方法さえわかれば、わたしにだって何かできるかもしれない。
と思う。
でもね、その食料を余所の国に送ることができるんだけど
その前に、車の燃料にできるんだけどな
ってことになったら、わたしが持っている資源をどうして余所に回せる、
って気持ちに、多くの人がなっちゃうんじゃないか。
っていうか、資本主義社会において、その気持ちが起ころうが起こるまいが、
世の中のシステムが資源を裕福な人達へ流すようにできている。
それって生命の維持にダイレクトに関わる食料よりも、
個人の快適な生活のほうが優先されちゃうってことなんだよね。
ってことで、食料を入手することが困難な人々にとって、
その資源はますます入手困難なものになってしまう。
っていう危機感じゃないんだろうか。
でもよくわかんないんだよね、わたくしには。
とうもろこしが燃料になることの是非が。
いじめ
それにしても、ひがしこくばるって名前は変わってるよね。
いろいろ苦労しただろうね。
嵐山光三郎っていう名前もいかにもペンネームって見えて
本名はもっと作ったような名前なんだよね、忘れちゃったけど。
苦労したに違いない。
そういう人って時々います。
わたくしが思うに、日本人の苗字って
見たことないようなのが結構多くて、
ニュース番組など見ていると、レポーターの名前が字幕でちょこっと出た途端、
ニュースそっちのけで唸ってしまうことがよくある。
うーむ読めん。とか。
普通だよね、どこにでもある名前だよね、と思っても
同じ姓の人にはなかなか会わないことがある。
つまり苗字って種類が多いってことだね。
いやそんなことを書きたかったんじゃなくって、今回の選挙。
いわゆるタレント議員、あ、議員じゃないか。
俳優とか小説家とか芸人とかが突如政治家として立候補する。
知名度が高いせいもあるだろうし、当選する。
という事態が発生した。
そしたらね、長野県知事の時と一緒で
受け入れる側の役人達がね、
もっのすごーい意地悪をする。
テレビで見ていて、うわー、小学生並み、と思う。
本物の「いじめ」じゃないか、あんなん。
名刺くちゃくちゃに折り畳んじゃったりさ、
今回は所詮「絵に描いた餅」だと吐き捨てるように言う。
わたくしは特にその県の新知事を推す者ではないが、
あの役人どもには思いっきり反感を持ったぞ。
それが「絵に描いた餅」だとすれば、
投票した人々が望むのは「絵に描いた餅」であって、
その「絵に描いた餅」を本物の餅に少しでも近づけようと
新知事を補佐するのが彼らの役目ではないのか。
だいたいなあ、民間企業ではなあ、
営業も開発も工場も、現場ではいっつも他部署や上から
「絵に描いた餅」を要求されるもんなんだぞ。
これだから役人は。
ふんぞり返って「そいつぁ絵に描いた餅だ」と鼻っから否定するなんざ、
しかもこの選挙に至る経緯、汚職を営々と養っていた自分を省みるということもせず、
それは自分とは無関係であるとばかりに新参者をいじめるなんざ、
一体どういうことだ、いい大人が。
まともな人間がこうも歪んで子供になってしまうものなのか、役所というところは。
本当に子供に見せたくない、大人どもである。
ブログを書く。
1年が経過したので、ブログを少しでも変えられんもんかと思い、
ちょっと表題あたりを変えてみた。
しかし人間が変わらぬのであっては、内容がそうそう変わる筈もない。
未だにブログの操作方法とか、体系的なことがよくわかっておらぬのだが、
プロフィールという欄があるもんだから、それを書いてみる。
というのも、わたくしは家庭でなかなかやっかいな事情を抱えておって
日々あれやこれやに悩まされておるもんだから、
そういう煩わしいことから瞬時でも開放されたくブログを始めた部分があって
家のことなんかを書いておらん。
それからいろいろ、わたくしの生活を匂わすことを避けていたように思う。
以前、読んでくださった方からメールをいただいた時に
わたくしが女であることをなかなか認識してもらえず、
ひょっとして性同一障害、と聞かれてしまったことがある。
どう読んでも、男性が書いているようにみえるということだ。
(これには、わたくしが自分のことを「サラリーマン」と呼んだことにも一因があるのだが、
わたくしがいた職場やその周辺ではそういう呼び方だったから
それ以外の言い方を見つけ出せなかったのである。ごめんね)
そういうのってさあ、それもまたよしとか、それもまた楽しとかあるかもしれんが、
読んでる人にとって相手が見えにくいってことなんだよね。
わたくし的には男でも女でもどっちでもどうでもよいことなんだが、
これからブログを書き続けるにあたって、もう少し自分を見せたい気持ちになって、
というより、相手が訝るほど自分を隠すのはみっともないような気がして、
とりあえず性別くらいは書いてみた。
女です。
それから、ひたすら自分のために書いていてとにかく毎日書こうと自分に課していたので、
それも取り払おうと思う。
まあ1年続けたからもういい。
自分の生活に対するまじないのようなものだったから。
とりあえずそうして、書くことは順次考えていこう。
読んでくださっている方がいらっしゃると仮定して、
今後もどうぞよろしくおつき合いのほどお願いいたします。
変わることはできるか。
このブログを始めて1年たつので、
書き方を変えていこうかと考える。
昨年の1月19日に始めたと覚えているのは、
そいつは松任谷由実の誕生日って、
そんなことを覚えてるほうがすごいと
我ながら感心するんだが、
松任谷由実、当時の荒井由実のファーストアルバム、
いや、セカンドかもしれん、そこに「誕生日」って詩があって、
彼女の描いた絵があって、
今思うとそれは全く別の歌手のレコードジャケットを
連想させるなあ。きっと、
わたくしが勝手に連想しているだけなのだろう。
どちらのレコードも一体何年前のものだ。
かれこれたっぷり30年は経っておって、
わたくしの細かい記憶が曖昧なのもいたしかたない。
ちょっと明日から、
変えてみようかとぼんやり考えている。
変われるものなら。
鯉を獲る
そうして鯉の捕獲大作戦が始まった。
道を通りかかるとやっておったので、
こりゃもう見ない訳にはいかないのである。
鯉は厭だよ、怖いよ、しかも臭いんだがそれでもわたくしは、
見ない訳にはいかなかった。
だってあれだけの量の鯉を一体どうやって。
どのように。
確認したくてたまらない。
このコンクリートで作られたどぶ川は
川底から2mくらいの深さであろうか。
しっかりフェンスもあって、ちゃんと梯子とか使わないと
川に入ることはできない。
その日、人が何人か降りていた。
膝より低い水量だ。
で、足元には例の黒い鯉がうようよいるのだよ。
向こうのほうから追い込んだらしい。
何か鯉は怒っていて、ぬるり、どたん、ばしゃっ、と
鈍い大きな音をたて暴れておったりする。
もうね、今日はトラックで2回運んだよ。
と、そこにいたおじさんは言った。
じゃ、これで3回目か。
で、川底にいる人達は大きな網で追い込んだ鯉どもを
一網打尽に、
と掬い上げたんだが、網の目が粗くて
鯉は悉く逃げてしまった。
ああこりゃ駄目だ。
おじさん達は10分ほどああでもないこうでもないとやっておって、
仕方ない、などと言って
1匹ずつ、タモっていうのか小さな掬う網で捕獲。
タモの数量は2。時々一度に2匹入ることもある。ラッキー。
それをよいしょっと川の上にいる人に手渡し、
受け取った人がトラックの荷台にある張った水へよいしょっと放つ。
一度で鯉は網から降りてくれないもんだから振り回したりもする。
これを15分ばかりやって、やっぱりこれじゃきりがないと言い出す。
おいおい、本当に本日3回目の捕り物なのか、これは。
そして誰かがどこかから緑の、何というかよく見かける、
日曜大工の店なんかで売られてるような、目のやや細かいネットを持って来て、
また追い込みが始まる。
それでやっとのこと鯉がぐしゃっと大量に掬い獲られ、
クレーンを使ってトラックの荷台へと運ばれたのだが、
その様子の気味悪いことといったら、とても書きたくない。
そのようにして、総勢15名ほどが大声でああでもないこうでもないと
怒鳴ったりぼやいたりしながら作業は進行していった。
後でふとアスファルトの舗道を見ると、5センチはあるんじゃないの
っていう鯉の鱗がぱらぱらと落ちていて卒倒しそうになった。
それで、ですね。
わたくしが痛感したのは、
これってわたくしが以前勤めていた会社であれば
許されない作業のしかただ、ということです。
確かにおじさん達は工事の人達であって、鯉を獲るなんてやったことないだろう。
しかも相手は怪物のように気味悪く、臭いし重いし暴れる。濡れてるし。
でもやると決まったからには、あんな要領じゃまずいだろう。
と、ちょっと思ってしまったんですね。
それはしかし、ただのわたくしの仕事に対する感じ方であって、
世の中はあのペースで乱れず流れていく仕事場もあるのだろう。
以前、車の修理工場で同じように感じたことがある。
小さな町の工場。のんびりゆっくり、喋りながら作業をやっていて
おっちゃん、これで採算とれんのかよ、と他人事ながら心配になった。
と同時に、わたくしもやれるものならそのペースで仕事がしたいと思った。
夕方7時の満員の地下鉄で、「この大勢の人々はみんな、仕事帰りに遊んでた会社員である」
ということを部下に言って諌められていた酔っ払いサラリーマンを見たことがあるが、
わたくしから見れば、7時に地下鉄に乗れるサラリーマンはみんな早く仕事が片づいて
めでたしめでたしと帰る羨ましいばかりの人々なのだが、
それと同じ道理で、
仕事場ってそれぞれがえらく違うものなのだろう。
世の中とはとか、社会ではとか、普通の会社ではとか、
主張してみても無駄なんだろうな。
以前、市役所勤めの友人が、まわりはみんなやっているが、
自分は仕事の手抜きだけはしないと誇らしげに言っていて、
それにひきかえわたくしは、
効率的に手抜きをしなかったら馬鹿者呼ばわりされる職場にいたので、
心底羨ましいと感じたことがある。
わたしだって許されるものならば手抜きしないでじっくりやってみたい仕事があるよ。
時間と金をかければ誰だってやれるんだ、いかに時間と金をかけずにやるかが
プロの仕事なんだと、わたくしは叩き込まれていた。
今回、鯉の作業を見ていて、
時間にがんじがらめのきゅうきゅうの仕事をしていた自分は、
何だかえらくつまらない者のような気がしてきたのである。
なんでそんな仕事をしてたんだろう。
しかも人間、その場にいるとそれが当然だと勘違いし、
下手するとずっと気づかずに過ごしてしまう。
恐ろしいことではあるよ。
今日は、通りかかったら工事のおじさんが、
あれねえ、500匹くらいだったってよ。でもまだいるんだよね。
と言っていた。
ひょっとして、最初に現場の下見に来てたおっちゃんの思いつきで、
この不合理極まりない鯉捕獲作業が展開されたのではないかと、
うっすら思うわたくしであった。
例えば、工事を始める前に鯉を下流か上流に追いやってから、
川に穴をあけるだのぶち壊すだのやれば、
今頃わざわざ鯉を空中に荷揚げして別の場所に放流するなんて手間は
かからなかったんじゃないだろうか。
作業の様子を見たせいか、どうも鯉に関しては行き当たりばったりのように
感じられてならなくなっちゃったんである。
まこと人の職場は解せぬものである。
何故、近所で工事をしているか
鯉のことである。
うちのアパートの近くに農業用水とは別に、川がある。
川などと書くのも憚られる小さい、というか
大きい溝、というか、しっかりとコンクリートで作られたどぶ川、だね。
とにかく汚い。
生活廃水がそのまま出ているんじゃないか。
まあとにかく汚い。
あんまり書きたくない川である。
でももっと書きたくないのは、そこに
うじゃうじゃ鯉が棲んでいることである。
何だかわたくしには、近くにあるどぶ川に鯉がうじゃうじゃいる、
ということ自体が何かとても恥ずかしいことであるような気すらするのである。
あまり触れたくない話題だ。
その鯉というのがね、でかいのだよ。
昨日の話によると、80cmが何匹もいたというから
まあどぶ川の栄養をたっぷりと喰らって肥える肥える、
そういうろくでもないでかい鯉がうじゃうじゃといる訳だ。
人々の垂れ流す汚いもの、それはまるで人の醜い心や行い、
こっそりと人に気づかれないように捨てられた汚い精神性なんじゃないかと
わたくしは錯覚してしまうのだが、
そういう汚いものを貪欲に貪って肥えた黒い体、濁った黄色い腹、
どこを見ているのかわからぬ大きな目、のたうつ時の強い力、
どぶ川そのものとはまた違った厭な匂い、
そんなんが百や二百じゃきかないって程棲んでいる。
意味があるのかないのか群れて、黒々とぬめって光っておる。
百や二百じゃきかない、という数字は
やはり昨日聞いた話である。
昨日わたくしが見ていたのは、その、
百や二百じゃきかない数の鯉を捕獲する作業であった。
何で捕獲せにゃならんかというと、実はわたくしにもそれははっきりとわからぬのだが、
とにかく最近近所で大工事をやっておって、
これが実にこのどぶ川の工事なのであるよ。
下水なのだが、このどぶ川が大雨の時などに溢れる。
厭でしょ。
溢れるのは少し離れた地点で、
実際わたくしも、越して来て5年ほどたつのだが2回目撃している。
溢れた水で道が冠水するのだな。
何せこのどぶ川が溢れちゃうんだから、汚いったらない。
気分の問題だろうけど。
それで、溢れる原因が実はうちのすぐ近く付近の川底が浅いせいであるらしく、
大々的にどぶ川を掘り下げる工事が始まったのである。
これは、工事が始まる直前に、
散歩をしていたら人に呼び止められて聞いた話である。
その人は、工事関係者だった。
工事の下見に来た、という感じであった。
「この道はよく通りますか」と、世間話ように声をかけられ、
「もうすぐ通行止めになりますよ。工事が始まるんで」
などと、ぺらぺらと喋るおっちゃんだった。
工事の責任者とか、監督とか、そういう管理職の雰囲気だった。
彼が、川の鯉を見ながら、「この鯉はどこかに非難させなきゃ駄目だな」と
誰に言うともなくつぶやくのをわたくしは聞いて、
駄目か? このままじゃ駄目か?
掘り下げた泥と一緒にどっかに廃棄してもらっても
コンクリで固めてもらってもいいぞ。
でもその前に、何したって死ななくって、鯉は
ちょっとどこかへ逃げて工事が終わったら再び戻って来るに違いない
と思った。
いいよおっちゃん、鯉の心配なんかしなくって。
と思った。
あれから一ヶ月。
昨日ついに鯉の捕獲大作戦が始まったのであった。
そのことを書く筈なのだが、今日は前置きで終わってしまって、
続きはまた明日。
鯉の新鮮な記憶
どうやら「ワインの瓶」は容疑者の「嘘」だったらしい。
その家ではワインなんか置いてなかったらしいし、
やっぱりワインの瓶で人を殺すのは難しいらしい。
でも、どうしてそんな嘘ついたんだろ。
もっと謎だ。
まあそんなことはともかく。
今日は鯉を見ていた。
そのことを書こうと思ったのだが如何せん、
わたくしは魚が嫌いだ。
金魚が特に嫌いだ。
世間には蛇や蛙が、蜘蛛や蝶々が怖いと仰る面々がいらっしゃるが、
わたくしは何が怖いって金魚が一番怖い。
その訳は特になくってだって怖いから怖い。
蛇が怖い人の説明を聞いたってわたくしにはとんとその怖さが伝わらぬのと同様に、
金魚の怖さを書いたところでどもならんだろう。
ってことで、もちろん、鯉だって相当に怖い。
本日は鯉に関わっていた人々について書こうと思ったのだが、
あまりに昼間の鯉そのものの記憶が生々しく、
もういい加減に寝たいなあと思うところなので、
話は明日に回します。
ワインボトルと嘘までついて、
一体本当の凶器は何だったんだろうと気にしながら寝る。
トラブル
それがさあ、おととい書きました海外ネットショッピングの件なのですが、
確認票として自動で送られてきたメールでは問題なかったのに、
その次に来た連絡のメールで、受取人(わたくし)の住所が違う。
急いで訂正のメールを送る。
大丈夫かなあ。
日本では
ネットショッピングでもネットオークションでも、
違う商品が届くことも、住所が間違えられることも
今まで一度たりともなかったのに、
どうしてアメリカに発注すると続けてふたつ、トラブルが起きる。
こんなもん、もっと簡単な筈なんだ、本来。
だんだんアメリカが嫌いになっていくぞ。
ちゃんと届けてくれよ頼むぜ。
ワインの瓶
30歳くらいの奥さんが、寝ていた旦那さんを殺した事件が
最近たいへんに話題になっている。
死体をバラバラにしてあちこちに捨てたとか、
この人怪しいと感じた友人が電話で話したのを録音していたとか、
まあ、話題性に富んではいる。
そいでどうもこの旦那が厭な奴だったらしい、
奥さん殴って骨折させるわ、自分の高収入を鼻にかけるわ、
合コン好きだわ、殺しちゃうのはもちろんいけないけど
ちょっと奥さんの気持ちもわかる、など勝手なことを
勝手に考えながら、でもわたくしの大きな疑問はひとつ。
どうして死体をバラバラにしたのかとか、バラバラ作業中何日間か
死体と同居していて平気だったのかとか、そういうのじゃない。
こんなことを書くのは不謹慎かもしれんのだがこの奥さん、
どうしてワインの瓶で夫を撲殺したのだろう。
ワインの瓶で、確実に人を殺せるって自信があったのだろうか。
わたくしだったら、無理だと思う。
ワインボトルがごときで人は殺せん、と思う。
10回殴ってもその間相手がこちらに襲いかからない保証があれば
まあ殺せるかもしれん、と思う。
それを、30歳ほどの女性がやる、しかもちゃんと殺せた、って
すごいなあ、と思うのであった。こんなことを書くのは
不謹慎かもしれんのだが。
相手が憎まれ口をたたくのでかっとなって、とか
相手が襲いかかって来たので咄嗟に、とかじゃない。
眠っていた相手に向かって、である。
包丁のほうが有効だと思うんだがな。
知らなかったよ、女性でもワインの瓶で人を殴り殺すことができるって。
ふうん。
不謹慎だが。