「闇に用いる力学」読了 | Carlos Danger Is Here

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ヘイナーウ!

 竹本健治の「闇に用いる力学」が完結して書籍として刊行されたという新聞記事を見て、25年以上竹本ファンをやっているのに、そーゆー動きがあったとは知らなかった俺は、ヒエーと驚いたのでした。1997年に刊行された第一部「赤気篇」、まだ俺の本棚にあるんだけど、これの続きは永遠に刊行されないだろうと、何故か思い込んでいたのだ。

 

 で、第一部、第二部「黄禍篇」、第三部「青嵐篇」、全部読みました。読了して思ったことを、簡単に書きたいと思います。

 

 まず、これは大部の小説ですから、取り組むにもそれなりの覚悟と準備がいるということですね。俺は、これ、十日間かけて読みましたが、これはちょっと時間がかかりすぎました。このペースだと、でだしの展開を忘れたりしちゃいます。理想としては、集中して三日間くらいで読み上げるのがいいと思います。

 

 俺は自分の記憶力を信じて、ただ読み進めたわけですが、キャラの名前とかこの人たちがなにをしていたとか伏線とかやっぱ全て頭にとどめておくのは無理ですから、簡単なものでもメモをとりながら読むと、小説世界にどっぷりと浸れておもしろく読めると思います。俺は電子版でこれを読んだのですが、これだと記憶のアヤフヤなところを読み返そうとして前に戻るのが難しいので、できれば紙の本を購入するべきだと思います。

 

 今の日本では、刊行された本のほとんどがすぐに忘れ去られてしまうわけですが、この小説はおそらく歴史に残るだろうと思います。でも、なんだかとっつきにくそうだし、私が読んでもおもしろいのかしら、なんて思う人が結構いるのではと思います。

 

 「闇に用いる力学」を、超おもしろいと思う読者が日本に何人存在するか、興味深い質問ですね。俺の感想としては、「赤気篇」は前に読んでいたし、今回強い印象を受けるということはありませんでした。でも、「黄禍篇」を読んでいて、ゾクゾクとしてきましたね。竹本作品の初期傑作「将棋殺人事件」の知的スリルを、十倍くらい広くして、十倍くらい深くしたものを読んでいる、という気がしてきたのです。

 

 残念なことにこの高揚感は、「青嵐篇」ではかなり薄れてしまいましたが。「黄禍篇」の読書体験は、大きく動いているブランコにしがみつきながらそのスリルを楽しんでいる、というようなものだと自分は感じました。でも、おしまいに近づくにつれて(そしてメタフィクション的な趣向が強くなっていくにつれて)、あー俺はこのブランコから振り落とされちゃうな、っていう予感が強まっちゃったのでした。で、最後まで読んで、やっぱり振り落とされちゃった、という諦念の感覚をおぼえました。この比喩、俺個人にしか伝わらないものかもしれないけど。

 

 要は、小説好きの人は、騙されたと思って「闇に用いる力学」、全体の半分の地点までは読むべきですね。そこまで読んでワクワクしなかったら、ギブアップするべきでしょう。

 

 最後に、俺的に妙に気になってしまった一点について(ネタばれではないと思います)。ナオミさんが最初に登場したときは髪の毛栗色だったのに、後のシーンではブロンドになっていました。ケアレスミスかと思ったのですが、ひょっとしてこれにはメタフィクション的な意味があるのではとも考えられ、悩みました。そしたら終わりのへんで、ナオミさんは髪をブロンドに染めているらしいということが判明。なんでこの部分だけ、ものすごい整合性があるの?

 

 なんにしても、読めないだろうと思っていた作品の完結版を読めて、その読書体験は全体的には楽しいもので、うれしい。竹本先生、どうもありがとうございました。