紫陽花ももう終わりで、長らく楽しませてもらったが、漸く花を切った。
さて、4月に進級して5月の運動会も終わった頃、孫から聞いた話である。
新担任から、自分のクラスには孫が欲しかったのよと言われたそうだ。
何故だろうか?と、不思議だった。
こんな事は言いたくはないが、孫は〝欲しい〟と言われるような児童ではなかったはずだ。
まず、成績はハッキリ言って振るわない。
かといって、リーダーシップ等も期待できず、性格はおとなしく(どんくさい)人の後からついていく、いわゆるボーっとした子どもなのである。
運動面もかけっこはビリでなければ御の字で、歌は好きだが音痴気味である事に本人だけが気付いていない。
そんな孫を、先生が欲した理由は〝習字〟であった。
孫は、就学前から親も習っていた書道塾に通っていた。
入学後の年明けの書初めでは、毎年金賞で学年代表となり、市ではずっと特選を取ってきた。
年に一度だけ、孫にスポットライトの当たる時でもある。
その書道塾では、毎年JAの書道展に参加しており、孫は親の時と同じく「条幅」で書いてきた。
半紙と違って、条幅は筆も硯も紙も下敷きも大きく、費用も馬鹿にならない。
小学校の学芸会や運動会には、大きな文字を書く。
それを書ける筆を持っている子供は、知っている限りでは孫だけであると思う。
学年合同のイベントで「うちのクラスは文字を引き受けるから、後はそちらのクラスでお願いね」と言えるのは、担任にとって有難い事に違いない。
よって、最初の「あなたには、うちのクラスになって欲しかったのよ」の言葉となる。
しかし、孫にとってどんな理由であろうと「あなたが欲しい」と求められることは、嬉しいことなのである。
期待されることで自信が付き、自己肯定感も上がり、先生への信頼感も増す。
内心頼りないと思っていた孫が、生き生きと楽しそうに学校に通う姿に「調子に乗って、高望みなど駄目だよ」と自戒しつつ、婆も嬉しい。
一芸に秀でておく(田舎レベルですが)のは、思わぬところで役に立つ。
まさに、「芸は身を助ける」である。