(本件に関する記事では文体を改めています)
違和感と懸念(序)←クリック
違和感と懸念(1)←クリック
違和感と懸念(2)←クリック
ということで、最後は「相談する立場」について言及して、ひとまずこの問題については完結したい。
「払うのは自分なのだから誰に相談しようと構うまい。」
確かにそのとおりである。
がしかし、お節介を承知で問うが、アテになるのかどうかもわからぬ事よりも、その金をお子さんのために直接使ってみる気持ちはあるのであろうか?
「使うため(=お子さんに会う方策を得るため)に相談しているのだ。」
という反論もありそうだが、相談で得た方策が奏功するかどうかは全くの未知数であり、無論、相談相手は結果を保証してはくれない。
ハッキリ言うが弁護士だって保証できない。
相談に投じるであろう4万円なり1万円は決して安い額ではない(少なくとも私の金銭感覚ではそうである)。
今すぐ、とは言わない。
その金を、将来、お子さんとの絆を取り戻すための原資に回すべきだと私は考える。
あるいは、こういう反論もあろう。
「この苦しい胸中を分かち合って欲しんだ。相手にお時間を取らせる以上、それ相応の御礼をせねばなるまい。」
ならば問う。
貴殿には、自分をさらけ出せる友人はいないのか?
内容が内容だけに恥ずかしくて言えないとすれば、そんな関係は友人でもナンでもない。
「いや、しかし、(友人は)当事者ではないではないか。」
と再反論するだろうが、当事者各人の置かれた背景や事情は千差万別であり、たとえ当事者であっても心底共感なんてできはしない。
かつて、ある当事者団体の集会に参加し、その後の打ち上げで不愉快な思いをしたのは、酒癖の悪い当事者に絡まれたからである。
「コイツ、女房子どもに逃げられて当然だよな。」
と思い、それ以来、私はST弁護士をパートナーにしつつ、基本的にはロンリーバトルをする道を選んだ。
必ずしも望むような結果は得られなかったが後悔はしていないし、未だ苦しい思いをすることもあるが、その都度、当事者ではない友人たちは私の愚痴に耳を傾け、時に叱咤し、時に遊んで勇気づけてくれている。
無論、飲み代等の実費以外は無料である。
たかがブログで知り合った人間に大枚をはたいて共感を求めるほど人間関係が貧しいのであれば、もっと安い金額を払って占い師に話を聞いた方が、尤もらしい「お告げ」を得られる分お得である。
自分の問題は自身でトコトン考え、決断し、行動するしかない。
有資格者は、報酬を得て貴殿の決断と行動をサポートする分、相応の責任は取るし、勝敗の帰趨見込みも含めたリスク説明をしてくれる(それが法的義務でもある)。
「払うのは自分なのだから誰に相談しようと構うまい。」
あとは、貴殿にお任せするしかない。