同感 | そうではあるけれど、上を向いて
 「とんぼ」大兄とともに「法律・裁判」ジャンルで不動の地位を築いている武闘派の旗頭こと「vs‐motoyome」氏。

 舞踏派であるワタシにとっては過激と思われる記事の数々は、歌劇なヘタレ記事しかない当ブログよりも断然面白く、かなり「 」なこともありますが、法律書生からみても「 」となる記事もあり、毎日必ずチェックしています。

 その旗頭、共同親権運動に対する懐疑論を展開していましたが、

 「共同親権なんて幻想である。」

 ことは当ブログの過去記事でも何度か書いています。

 「共同親権」

 の具体的な内容は、行きつくところ、

 「共同監護・共同養育」

 なのでしょうが、それがスムースにできる関係ならば、そもそも、不同意別居や離婚なんていう事態には発展しないワケですし、法律で義務化するにしても、例えば、

 「年間180日以上は別居親(共同親権者)の下で生活させなければならない」

 という規定の仕方が果たして適切なのでしょうか?

 別居(離婚)の原因や双方の生活環境(住居や収入等)、子の年齢や別居前の親子関係の濃淡といった「変数」が多岐にわたる以上、一律に基準を設けることは不可能です。

 円満な夫婦関係で「共同親権」(民法818条)が行使できる状態でさえ、子の財産管理権や訴訟代理権を共同行使すると却って子の利益に反し、あるいは取引の相手方に不測の損害を与える場合があるので単独行使が認められています(民法825条本文、民事訴訟法102条2項参照)。

 ましてや、身上監護権や面会交流権の十分な担保がない状態で抽象的な権利だけあってもまさに「絵に描いた餅」であることは、表現こそ違えども旗頭の喝破している通りです。

 なお、旗頭は戦前の家父長制度への回帰を提案されていますが、憲法13条・24条を改正しない限り無理ですし、そもそも、改正手続をもってしても改変できない根本理念(個人の尊厳)であるというのが確立された憲法理論です。

 むしろ、子を伴った不同意別居が不法行為であることを明確にし、ハーグ条約を持ち出すまでもなく、子を別居前の状態に復した上で具体的な事情の下で監護者を決し、その際は「母性優先原則」や「監護の継続性原則」を前提としない、というルールを確立する方が先決であると考えます。

 この問題については法科大学院での論文化を考えている今日この頃です