演じるとは何だ? | 工房長のぼやき

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チームスチームパンの工房長、安達俊信の日々是之。
思いついたことをカタカタ書いています。

演じるとはなんだ?



演じるとは何でしょう。

調べたら、

「振る舞う」と

ほぼ同義のようです。



「演じる」は、

劇などの役を務める意から、

「振る舞う」より意識的にみせるという意が強い。


な、なんだって?!

と驚きを隠せません。



というのも、

「演じる」は、

登場人物になりきる」

と説明されているだろう

と思ったからです。


登場人物になりきる」

=「自分とは違う人物になる」


自分と全く違う人間になるのは

はっきり言って無理です。


しかし、一般的にはこのように解釈されている

場面によく出会します。



それが

「振る舞う」=「演じる」となる。


非常に興味深いんです。



もともと「演じる」は

祭儀からきているとされます。


神からのお告げを伝えることから

「演じる」がはじまった。


今回の「演じる」の説明に乗っ取って

これを言い換えると、

「神からのお告げのように振る舞った」

ということになります。


お告げを聞いていても、聞かなくても

振る舞いが合致していれば

神のお告げができるということです。



結論として、

「演じ」るときの「振る舞い」と

役の「振る舞い」が合致していれば、

「舞台上で、その役として生きている」

と言えます。


舞台上を生きられてない時は、

振舞えていない時です。



適切な「振る舞い」が、

キャラクターを作り上げる

ということです。



これを、俳優だけでなく

一般の人におろして考えてみましょう。


誰でも、大なり小なり

「理想の自分」を持っていることでしょう。


では、その「理想の自分」と合致した

振る舞いを日常していますか?


物理的に無理な場合は、

諦めるのが当然ですが、

解決できる場合が往々にしてあります。


極端なことをいうと、


美人は作れるし、

お金も稼げます。


かっこいい人にもなれるし、

偉人にもなれる。


いじめられない環境では、

いじめられない振る舞いをしている。



日々の振る舞いで

今の自分が形成されています。



「理想の自分」になりたいなら、

それに適した振る舞いをすることが求められます。


「やっているつもりだよ」という場合は、

周りからはそう見えない

振る舞いになっているので、

振る舞い方を変える必要があります。



もちろん、本当に求めることを絞らないと

振る舞いきれないので気をつけてください。


無駄な理想は捨てて、

適した振る舞いを追求すること。


演技力向上にも役立ちます。