工房長のぼやき

工房長のぼやき

チームスチームパンの工房長、安達俊信の日々是之。
思いついたことをカタカタ書いています。

健康を蔑ろにしないこと。

 

身体を使う人にとっては

とても大切なこと。

 


俳優は、身体が資本です。

 

 売り物である身体の手入れは大切

 


求められるものとなるため、

金がかけても磨き続けなければ。

 

 体型維持、

 髪型、

 メイク

 日焼け、

 

といった美容は、当然のことです。

 

 

それ以外にも、

 

 怪我をしてはダメ

 風邪を引いてはダメ

 花粉症対策

 などなど

 

不意な事故や

季節の猛威をもかいくぐり、

いつでも芝居をやれるよう

整えることも必要です。

 

 

 

さて、先日、人間ドッグに行ったところ、

視力で引っかかりました。

 

矯正視力が思った以上落ちて再検査へ。

 

 

 目は、かなりまずい。



と焦りまくりました。

 

メガネを作り直す料金もですが、

 

人間が、

人視覚情報から得られるのは、

聴覚情報、言語情報より大きく、

半分以上の55%。

 

相手役とのやりとりのときに

相手の変化に気づくのに

視覚情報は大切です。

 

そして、演出しているときに

目がないと……。

 

また、脚本書くとき、 には、

見えにぬいストレスで

書くことに集中できなくなる可能性も。

 

 

ただ、眼科で改めて測った視力は

問題なしとのこと。

 

 ホッとするところ。

 

なんなら、

目の疲労度や

日常的にPCを使うことを考えると

今のメガネの度がベストとのこと。

 

 あれ、自分がメガネを買う時の判断は

 間違ってなかったのか。

 


受診された状況や、時間などを聞かれて、

 

 昼からだったので、午前中はPC作業していました

 

といったら

 

 影響はあったかもしれませんね、

 ただ、検査の機器の問題もあります。

 

とのこと。

 


 

おおぅ。

今年は免許更新もあるというのに。


それをきちんとクリアできるか心配だ。

 

 

ただ、きちんと知っていれば対策も取れるので、

まず知らずに悪くなっていかないようにだけしたいところ。

 

 

知人の方で、

異変に気づいていたけど放置したため

後手に回って、

取り返しがつかないことになった


ということもあり、

それだけにはならないように。

ある番組で、仲代達也さんが演技について、


 セリフは話している時に聞いて、

 セリフを聞いている時に話す


ということを話をされていた。



何を話されたかを頭で巡らせた後、


 そ、それは……自分を自在に操れるようになって、

 ようやく達せられる境地では?


 そんなこと言っちゃって大丈夫?


と思いました。


というのも、


 あ、そうなんだ。


と思ってやろうすると


 聞いているつもり

 話しているつもり


に陥る可能性が非常に高い話だから。



仲代さんの話を


 あ、そうですよね。


と自然に同意する人は、

すでに吸収していることなので、

これは熟達者へのメッセージが込められているのか?



俳優の奥義は、


 そこに存在すること


そこへ達するために、


 セリフは話している時に聞いて、

 セリフを聞いている時に話す


は必ず通る道。


先日のWSで

 他人に話そうとすること

 他人の話を聞こうとすること


に一生懸命になることに気づく
ワークをしていましたが、
なかなか一朝一夕では気付けません。

もし、気づくことができれば
次のステップへいけますが、
側からわかる事も、
当人にはわからないことは多いです。


どんなものか想像して
ボクサーのパンチを言葉の塊に見立てると
自分にとってわかりやすく、

 ボクサーのパンチをテレビで見ていると、
 どのように動いているかわかるけど、
 対戦相手の視点に立った瞬間、
 拳がどのようにくるかわからない。

 拳を繰り出した瞬間に
 カウンターに合うかもしれないし、
 相手の拳が来た瞬間に
 消えたように見えるなんてことも。

どちらもしっかり受け止めたり
避けたりしなければ。



自分の公演でも
舞台に熟達していない人の場合は、
演技指導で、聞く、話すを
立体的に作るために、

 どう相手に伝えるか
 どうリアクションするか

本人の意識と連動するように作ります。

この意識部分で、

 セリフは話している時に

 相手がどう聴いているか観察してもらい、

 相手のセリフを聞いている時に

 どう感じるか意識してもらいます



なぜ指摘されたかが分かった人は
別の公演でも応用できます。

指摘されて直しただけだと、
その公演だけ有効な手段となります。



 人に話すこと
 人の話を聴くこと、


人それぞれのやり方がありますが、
私には課題の一つ。
特に映像の芝居をやる時は。

まだまだ研究していきます

映像と演劇の芝居とどう違うのか?

 

ステラ・アドラーは著書の中で

 

映画は、

カメラが俳優の「素」を捉えようとするため、

自分の個人な経験、感情、日常の自分を持ち込む。

 

演劇は、

役が生きる時代、階級、状況を踏まえた上で、

役の世界に自分を適応させる。

 

といったことを言われている。

 

 

そして、どちらの演技にも共通するのは、


 役を自分のレベルに引き下げるのではなく、

 自分を役のサイズに引き上げること


が必要だと言ってます。

 

 

 

これと似たこと何かないのかな?

と思っていたのですが、

バナナマンの設楽さんが言っていた、

 

「コント師は、二度売れなくてはならない」

 

というのがしっくりきました。

 

 

「漫才師」と「コント師」の違いで、

 

漫才は、「素の自分たち」に近い状態で話す芸風。

 

コントは、設定があり、自分を役のサイズに高めなければならない。

そして、コントで売れれば、テレビなどでは素の部分が求められる。

 

 

映像は、漫才のようで、

演劇は、コントようだとすれば

すごく腑に落ちる。

 

演劇から映像の世界へ行くと

素の自分が必要となってきます。

 

 

「コント師は、二度売れなくてはならない」は

コントでの虚構の役を演じていても、

売れていくと、素の自分が必要になる。

 

ということです。

 

 

 

さて、では最近の芝居は?

 

十分な稽古時間を取ることが難しくなっている昨今、

短時間で仕上げるなければならない。

 

この場合、

わかっている素に近い自分でのやりとりが

有効だな

と考えます。

 

 

ただ、

 

 役者とは?

 俳優とは?

 

となったときに

 

 役者は、役を演じる者。

 俳優は、人非ざり優れた者。

  ※優……わざおぎ(神を慰めるために舞を踊る人)という意味もあるとか

 

 

素の自分は、この芸術に有効なのか?

 

という疑問が残ります。

 

 

もし、素の自分を求められていれば

再現性があり、失敗がなくていい。


ただ、

素の自分を求められ続けることはあるのか?

 

 

一生現役でいるには、

自分以外の人間を生きる技術を持つことが

必要ではないか。

 

 

俳優としてもがき続ける人は、

この辺りについて考え、試し、

人間味を増してるな


と勝手思っております。

自分軸を持つ

 

 自分軸から離れる

 

また自分軸に戻る。

 

 

これを繰り返す。

 

 

 この繰り返しは同じか?

 

いやいや違うだろう。

というのが私の見解です。

 

 

 

役所広司さんの「PERFECT DAYS」を見ながら、

ふとそんなことを思いました。

 

 

 

役所広司がやっぱり好き、

ということは置いておいて、

 

うちの北見師匠曰く、

 

 同じことを年輪のように繰り返すと

 幹は太くなる。

 

といいます。

 

 

これを聞いて、

台本の読み込みの際、

台本読んで最初に思ったことって

意外に正しいという事実。

 

ただ、それを

 

 本当か?

 

と思い、

 

そこから一度離れて

 

 考えたり

 行動を変えたり

 話し合ってみたり

 

そして、一周回って


 やっぱり最初に思ったことじゃん。

 

と同じことにたどり着くことは

しばしばあります。

 

 

でも、これは同じ場所に戻ってきただけか?

 

 思考は同じでも、

 全然違う物だ


と私は感じています。

 

 

なぜなら、成果としては見にくいですが、

演じる際に、一周まわるだけで

 

 自信

 説得力

 納得感

 

が全く違って、

地に足がつき、

同じ顔をしていても

別人のようになります。

 

 

何周も回ることで

どんどん体感が変わっていくことを知ると

 

 どれだけ回って太くなれるか

 

ということを考える用になります。

 

 

 

稽古で、

 

 頭から最後まで

 また、頭から最後まで

 

これを何回できるか。

 

作品の質も、これで変わります。

 

 

 

 

 同じことをただ繰り返しているだけ


と思い、何も感じない人がいます。

 

無痛のふりをして

変化する感覚を無視する。

 


俳優ならは

 

 それじゃダメじゃん

 

と思うので、

 

 繰り返しの中で変化を自覚できると

 その登場人物の人生が豊かになる

 

と思って頑張ってほしい。

 

同じなような日常でも、

同じでないのだから。

 

 


ただ、こんな場合は無痛でいた方が良い


 多数の現場を抱えていて、

 極端なストレスを抱えている


そんな時、無痛のフリして、

心を壊さないようにしてほしい。

 

 

 

「PERFECT DAYS」を見たときに、

観た人によって感じ方が違うな、

と思いました。

 

作品を見ることで、

日々、自分がどのように生きているかを

客観視できるから。

 

 

作品を見て感じたことが

日々、あなたが感じていること。

 


リトマス紙のように判定できます。

 

 

もし、

 

 つまらない、

 

と感じたなら、

日々、激動の中で変化し続けており、

ストレス軽減のために、日々の変化を感じないように

無痛になっているのかもしれません、

 

 

また、

 

 面白い

 

と感じるなら、作品の細かな機微に気づき余裕があり、

実生活を同じルーティンで過ごせているかもしれません。

 

 

 

 人生は同じようなことの繰り返しだから

 ぐるぐる年輪を重ねて

 自分の軸を太くして、

 豊かになっていくぞ!

 


そう思うと

放り出したい気持ちでも

一つ踏ん張れます。

 

 

 

演技のワークショップの見学をさせてもらいました。

 

ワークショップは

本番力、向上の手段の一つです。



演技のワークショップは、色々あり、

今回見学させていただいたのは、

演技のみに特化したWS。


このワークショップは、実験が一杯できるなぁ、

などと思いながら。

 

 

良いワークショップとは何だろう?

 

 人と人をつなげるワークショップもあり、

 本番のためのワークショップもあり、

 発声のワークショップもあり、

 何かに特化したワークショップあり

 

いろんなワークショップがあります。

 

 

 理想的なワークショップって何だろう?

 

 

と考えたとき、

参加することで、

 

 

 演技がうまくなって

 人とのつながりができて、

 大きな舞台で良い役に挑戦できるルートが確立される

 

 

そんなワークショップがあったらいいな。

 

……あったら教えてください。

 

 

WSを見学する私

 

今回は見学で、外から観察。

 

 え、観察?

 それでいいの?

 

と思われるかもしれませんが、

それはそれでためになります。

 

 人がどういったことに反応して、

 どんな影響を受けて、

 どんな風に出力するか。

 

逆に

 

 人が反応できず、

 影響も受けなかった場合、

 どんな風に出力されるか

 

など、

見て観察して、自分の置き換えてフィードバックして

 ふむふむ

納得することもあれば、

 あれ?

となることもあり、

とても参考になります。

 

 

 

ワークショップのワーク意図を参加者は理解すべきか?

 

ワークショップ参加者は、

 

 ワークの意図と理解すべきなのだろうか?

 

と思いました。

 

そもそも理解できない場合も多いけども。

 

 なぜなら、自分の自覚していない感覚を見つける

 ワークなのだから。

 

フェルデンクライスで

説明せずにやるワークで、

 

 おお、これは!

 

という発見をしたときは面白かった。

 

意味が分からずやって、

自分で意味を発見できた喜び。

 

ただ、見学だと、

ワークの意味を考えながら見ちゃう。

 

 お、このワーク、リアクションの訓練にめっちゃ良い

 

とか

 

 

演技上達には?

 

演技は、できる人はできちゃう。

感覚で捕まえてふっとやっちゃう。

 

それはそれで良い、

と考えます。

 

ただ、うまくできなくても良い。

 

だってうまくなるために

ワークショップに参加するんだから。

 

 

「うまくできない」

 

だから

 

「もっとうまくなるには?」

 

 

 

今より、更に上達するためには、

天才だろうと、凡人だろうと、一度、

 

 自分の意識化に落とし、

 自分のやっていることを分解し

 どうしてか考え、

 改善点を試すため、

 また無意識にもどし

 演じる

 

この繰り返しです。

 

 

PCの操作は、構造を知らなくてもできる。

 

もし、PC自体を高性能にしたいなら、

 

 構造を理解し、

 一つずつ分解して、

 どういった部品か理解し、

 その相性を考えて

 再度組み立てる

 

なんてことが必要なのと同じです。

 

 

ワークの意図を考える参加者

 

ワーク一つ一つの意図を

先に考える人は

大変です。

 

 ワークの意図通りにやれば正解

 

と勘違いするので。

 

ロジックで捉えれば演技ができると思っちゃう。

 

 

そんな人は感情など、感覚に無関心な人が多く、

 

 「頭で理解できればできる」

 

という誤解をし、

 

 「言えば分かる」

 

と思っている人に多いです。

 

 

人間なんて、一度行って理解してもらえるなんて思ってるなら、

こちらが痛い目に遭います。

 

何度も何度も、繰り返し繰り返し言い続けて

ようやくどうか?

です。

 

 

できる人で、

本当の意味でワークの意図を考える人は、

 

 とりあえずやる。

 やったワークが自分にどんな影響を与えたかを自己分析。

 その上でワークの意図を知り、

 更に自己分析し、

 それがどう感覚に繋がるか最終的に試す

 

ということで深掘りしていきます。

 

 

 

ワークショップは萎縮しないために楽しく

 

ここで楽しくは、

 

 自分が楽しむ、面白おかしく、わがままかってに

 

という意味ではなく、

 

 萎縮せずにやる

 

ということです。

 

 

本番に向けて、切羽詰まると

余裕がなくなり、ピリピリムード。

 

そんな場所で萎縮しやすく

萎縮すると出るものも出ない。

 

それに対応するために

どの状態がいいかを

ワークショップで体感をしておくこと。

 

 

もし実力以上を出したいのであれば、

 

 適度な緊張

 

 

 リラックス

 

を操れるようになること。

 

トライ&エラーが必ず必要になります。

 

 

もし、緊張の中で、楽しむことができれば、

適度な緊張となり、

心技体のバランスを整え

一番力が発揮できます。

 

萩本欽一さんも適度な緊張が

力を発揮することを言っていましたし。

 

ワークショップの中で、

そういった良き感覚を掴む

練習の一つとも考えてやれば

更に豊かに。

 

 

ワークショップは怖い

 

知らない感覚に出会うことは怖いことなのですが

ワークショップは大切なことを

ギュンと凝縮しているので、

全てを理解する必要があります。

 

大切なことばかりなので。

 

それを、

 

 なんとなく

 

で終わると

大切な部分が

 

 なんとなく

 

で終わってしまう。

 

 

ワークで

 

 どういった効果が自分自身にあったか

 感覚的なものを捉えて言語化する

 

そうることで逃さずに済む。

 

 

全てを一気理解できるなら

そのワークショップはもう必要ないので

別の場へ行くべきでしょう。

 

何度も同じような間違いを繰り返しながら、

吸収していく。

 

 

演技って、本当に一朝一夕ではない。

 

ワークショップを使って

演技力向上させる。

 

 

実践の緊張感は、

ワークショップでは、決して経験できないので

ワークショップで実験、

また本番

というのを繰り返してくのは悪くない

と考えます。

 

ぼやっとしたものを

形にする能力。


ぼやっとした状態から

具体的なイメージにできるか?



ぼやっとしたまま表現すれば

ぼやっとする。


明確なイメージがあれば

具体的な手段で表現ができる。



ぼやっとしたままか、

具体的か、

どちらがいいか

無意識のうちに判断を下している日々です。




明確なイメージが持つ。


ぼやっとした点と

具体的なイメージの境界線は

どこにあるんだろうか。


この境界自体がぼやっとしません?



例えば、一つ「アイディア」がある。


これは具体的か、否か?


アイディアだから具体的にも思えますが、

受け取る側の人によって大分変わってきます。



 ・1の「アイディア」から、10を想像する人。


 ・「アイディア」から 

  勝手に全く違う想像を膨らませる人。


 ・言われたままを受け取る人


 ・全く何も浮かばない人



具体的な者を受け取っても、

結局ぼやっとさせちゃうことも

多々あります。


日頃から何を無意識で感じているか、

経験によって

その反応が違ってきます。




瞬発的にふっと掴める人、掴めない人。



わたしは後者で「ふっと掴めない」ので、

立ち止まって、

思考する時間を取る必要がある。


掴みさえすれば、

再現性があるので、

人に伝えることもできる。


自分の中での

ぼやっとしたものから

具体化にするには

立ち止まって考えるしない

ということを自覚しております。



なので、焦って突き進むよりも、

あえて立ち止まって考える時間を作る

そのように心がける。


特に今年は、

そんな立ち止まりが多々あります。


そんな日々。


好きかどうか、それが問題だ。

 

 

 演劇が好きか、

 演じることが好きか

 何が好きか。

 

 

演じることは好きか?

 

俳優をやっている人は、

 演劇や

 演じること

が全てが好きか?

 

そんなことはないです。

 

映画が好きで、演劇が苦手な人はいるし、

演じることはただの手段で、

注目を集めることが好きな人もいます。

 

また、本人が

「演じるのが好き」

と口にしていても、

実際は違うことも多いです。

 

「自分が演じたものを、認めてもらうのが好き」

なんてこともあります。

 

全く、本人の自覚がないなんてことも。

 

 

私自身、何が好きかと言われると、

 

 物を作るのが好き

 

と答えています。


 

俳優は

お客さんと直接接する接点で

演劇作品を作る重要なパーツです。

 

だから好き。

 

でも、演劇は総合芸術で

いろいろな物が作れるので、

好き。

 

今では、脚本も書ていますし。

 

 

演じることが好きだと、脚本は書かない?

 

 

生粋の「演じることが好きな人」は

脚本を書くことはない……

 

なんてことはありません。

 

僕が

 

「この人、生粋の俳優だな」

 

と思う先輩でも

以前脚本を書いたことがある、

なんてことはざらにあります。

 

脚本を手がけられると

脚本構造を理科できるようになり、

演じることを深めることができます。

 

脚本構造を理解した上で演じるのと

演じないのとでは

かなり違います。

 

とはいえ、演技で

ある程度、思い通りに身体を動かせる基礎を固めた

後での話ですが。

 

どのような表現をするか。

 

表現するために、

台本が何を求めているか

深く知る構造理解。

 

 

好きかどうか、どうやって知るのか?

 


好きかどうかを見極める方法として、

そのことについて語らせていると分かります。


本当に好きな人のしゃべりは

聞いてて楽しいです。


語り方が下手でも、

熱量で伝えてくるので。



前に、大学のゼミで、

車のエンジンについて

ゼミ発表をしてくれた人がいました。


私が行っていたのはリベラルアーツの学科だったので、

なんでもあり。


僕含め、まわりは全く知識がない状態で

発表を聞く機会もありました。


V8エンジンのピストン運動で

吸気系の話だったとうっすら記憶していますが、

内容が専門的で難しかった。


ただ、そのときの話しぶりがすごく

20数年たった今でもあの日の興奮の記憶が残ってます。


 意味は分からない。


 でも面白い。


本当に好きな人の語り口は、


 「なんでこの人はこんなに好きなのだろうか?」


と興味を沸き立たせてくれ、


しゃべっている内容はともかく、

その人自身に興味が行く。


 

演じることが好きな俳優

 

さて、舞台上で

演じることが好きな俳優が

台詞を話していると

お客さんが惚れていきます。

 

まったく見ず知らずのお客さんが

 

 「今日でファンになりました」

 

といって帰っていく姿を何度となく見ております。

 

好きな熱量は

見えないエネルギーとなって

客席に飛んで行くんだなぁ

 

ただうまいだけでなく、

その人自体の魅力も

役の一部になって飛んで行く。

「主体的に何かをする」のって


 良いな


と思っています。

 

 

主体的にやっていると自己責任。

 

他人に踊らされず

他人に認めてもらう必要もなく


ん〜、楽!


 


風見鶏のように

他人の価値観や

気分に左右されないのは、

フラフラせずにいられてよき!


特に、典型的な昭和小学校の教えを守ってきた世代、

そこから脱却するのにこれほど有効なことはない

 

というのが理由です。

 

 

「頼まれたからやる」のと

「頼まれて、自分でやろうと思ってやる」のでは、

些細な違いですが、ずいぶん違います。

 

「頼まれたからやる」舞台は、

面白くない作品になったら、

誰かに責任転嫁します。


「いや、あの演出がさ」

「あの俳優が」

って。


 

「頼まれて、自分でやろうと思ってやる」舞台は、

面白くない作品になりそうなら、

自分で何とか面白くならないか、

試行錯誤してもがくことができます。

 

もう一段上の人なら、

他人も巻き込みながら一緒にもがく。


稽古場以外で稽古しようぜ!

と公演で稽古

なんて、青春のようなことも。


 

 皆がもがいた作品。

 

 もがくこともない作品。


 

ずいぶん違います。

 

 

自分が「この人いいなと思う人」がどんな人?

 

他人に認められる人ってどんな人か?

と考えると、

主体的な人で

他人のためになっている人が

認められています。


 

そうか?

と自分で当てはめてみて、

「確かに」

と納得します。

 

 

若かろうが、

未熟であろうが、

ベテランだろうが

伝説的な人だろうが

 

いいなと思う人は、

自分で考え動く主体的な人で、

憧れの人となれば、

 

 主体的であり、

 かつ、

 他人の意見とすりあわせながら

 よりよい作品を目指す人

 

です。

 

 

そのレベルの人が

他人に何かをすると、

 

 自分がやったことが

 相手のためになった

 これでよし

 となる。


それ以上でもそれ以下でもなく、

何を求めるわけでもなく

さらっと去る。

 

スマートだなぁ。

 

 

私なんかは、感謝を期待しちゃう。


感謝されなくても怒ることはないけど、

期待しちゃうあたり、

まだまだです。

 

 


これは、脚本を書いて、

 

 ・自分で面白い


 ・自分で面白く書けたから、面白いって言って欲しい


 ・他人が面白いと言う


どの面白いか、

個々の差に影響します。


 

他人まで巻き込んだ良き面白い作品を書く。


そのためには

主体的に書いて

他人を納得させられるモノにせねば。


それは、俳優としてやるときも

同じことが言えるな、と思うところです。

 

 

正解がない世界でも、正解はある。

 

「良い!」

 

これが正解。

 

 

その「良い」の中にも、

「いいんじゃない」 から 「めっちゃいい」 まで

幅がある。

 

正解には、度合いがある世界。

 

 

表現者であれば、まずは正解を出す。

 

ある程度の正解であれば、

ある程度やれば出せるようになる。

 

問題は、更にその先に行きたいかどうか。

 

 

 

 

うまいな、と思う俳優は、

自分が自分を認めている。

 

俳優に憧れる人で、

「自分ではない何者かになれる」

と思い込んで

「今の自分を認めていないから違う自分になる」

という人は、先細りに。

 

先細りなんかにはなりたくない。

 

そうならないために

自分を認めていなかった、今の自分を認められるよう、

自分を認めた人は、自分を更に理解するよう

稽古を重ねていくことで深めていく。

 

 

自分を認めていなかった人が、

自分を認めて終わりとして、

甘やかす人がいる。

 

俳優は、それを終えるまで絶えず勉強です。

 

だから、自分を甘やかす人は頭打ちです。

 

足りない自分を認めてやる

というのは、

自分の厳しい人にとって

とても難しい作業です。

 

でも、それを認めてやることで

次のステップが始まります。

 

足りない部分は、意識ができれば補強も、

自分の個性としても使えます。

 

 

頭で分かっていても難しい。

 

一気にやろうとせず、

一つ一つをちょっとずつ薦めることを大切にしていく。

 

千里の道も一歩から。

今日がその一歩目の人もいれば、

百歩目の人もいる。

 

さて、自分は何歩目だろうか

気づくと、

今年に入って長編を一本直しましたが、

それ以外に、シナリオセンターの課題で、

短編を10本書いています。

 

僕は、テレビドラマのシナリオ用に書いているので、

読めば理解してもらえるものとなっています。

 

自分のお気に入りの作品は、最近の2,3作品。

 

書くたびに、自分の中で一番いい作品が更新され、

書くたびに、前回の作品の欠点が見えてくるので、

困ったものです。

 

どこに発表するものでもない作品群。

ただ、今後、書くのに困ったときには

部品として使おうと思っています。

 

 

 

さて、そろそろ今年の公演について考える時期だな、と。

 

昨年から変化し続けている自分の脚本力の作品を

どういった人が演じると面白がってもらえるだろうか、

と思っています。

 

これまで出会わせてもらった俳優さんを中心に、

いろんな人に声はかけていくことになるとは思いますが。

 

 

脚本は、いろんな仕掛けを入れよう

とは思っているので、

それを楽しんでもらえれば。

 

でも、まずは作品があってこそ。

 

 

最近、繋がっていただける俳優さん達が、

面白そうな方がたくさんいる中、

どうやったら一同をいっぺんに出会えるだろうか、

なんて贅沢なことも考えつつ。