工房長のぼやき

工房長のぼやき

チームスチームパンの工房長、安達俊信の日々是之。
思いついたことをカタカタ書いています。

物事をやりたいなら

コツコツやってる方がいいらしい。


うさぎと亀ではありませんが、

コツコツやってた方がいい

というのが今の主流ようです。


「コツコツできたら苦労しないよ」


という声が聞こえてきますが、

コツコツやった方がいいのは

「習慣化」させてしまえ

ということです。



コツコツとは


・ちょっとしたことを

・毎日

・少しの時間でいいから


やる。


ということ。



ちょっとしたことが

本当にくだらないことだったり、

いつでもできることになると

後回しにしまいがちですよね。


物が溢れる自宅を見ると、

出したものを元のところにすぐに片付ければ

いつまでも邪魔にならなくて済むのに

と思うことが多々あります。


これは後回しにする「習慣」が

身についてしまって

「やらない習慣」が身についています。


ちょっとしたことや

気づいた瞬間に終わることなら、

無意識にやれちゃうのが良い。




「習慣化」が定着するには

場合によって異なり、

2週間から8ヶ月近くかかる場合あるとか。




え〜、先が読めんから面倒だ。


と頭によぎるなら

これも思考の習慣化で

考えるクセになっています。



人は低きに流れるもの。

ちょっとしたことを

今日やらなけれは

一番低いとこを流れつくことに。


そうならないために

ちょっとでいいからやってみる。



人間なんて現金なやつで

取っ掛かりだけ時間がかかって、

そこを越えると、あとは早いんだから。


ちょっとしたことをやるクセをつけることで、

取っ掛かりに時間をかけずに済むので、。

まずは一分でいいからやってみよう

恐ろしいほど気温がグンと上がり

部屋が熱くなってまいりました。


もう少し気温が上がると

うちの部屋は蒸し風呂状態になります。


4月の本番までに

どのような風呂に仕上がるだろうか

という不安を抱えながら日々を過ごしております。



凡才が10回やってようやくできることを

天才なら一回でやる。


そんなに便利なら、天才に生まれたかった。


と思うことはありますが、

そんなに都合よくできるわけがなく、

まして、天才が努力していないわけがなく。


凡才を自認しているので、

地道にコツコツと日々の発見を大切にしております。



発見をコツコツしていると

点と点だったものが線になり、

線と線から面になり、

面と面から立体的に作り上げられていきます。


台本を読んでいて、

点と点の頃は「なんじゃい、こりゃ」な期間です。


点と点がつながると、物語の流れがスムーズに。

テンポよくできるので気分良くできます。


線と線が繋がると各シーンの狙いが把握でき、

各キャラクターの関係性なども明確に。

悩むことも増えます。


面と面がつながると

今、この瞬間、自分がしなければならないことが

明確に。

足らなくても、多すぎてもダメで、

良き塩梅でやること。



頭のいい人であれば、パパパパっと

すぐにやっちゃいそうですが、

台本から立体的にするのが大変なのはここから。


理解したら「はい、終わり」であれば、

東大生にやってもらえば一番良い。


登場人物を中心生物に変化させるには

理解だけでは足りず、

その場の鼓動、呼吸、姿勢など

感覚で掴めているか。


頭で理解しながらやると遅く、

お客さんにバレるので、

刹那の間にやることを


直感とロジックをいい塩梅でやれれば

これが一番いい。


そう、はじめの一歩の鷹村のように。

アーサー・コナン・ドイルの処女作品は、

「ササッサ谷の怪」ですが、

実はこれより前に

「ゴアーズソープ屋敷の幽霊」を書いていた可能性があるとか。


つまり、本当の処女作は

こっちかもしれないという。


コナン・ドイルは、雑誌に投稿して

原稿を破棄しないように頼んだけど、

掲載されず、破棄されたと思い込んだため、

「ゴアーズソープ屋敷の幽霊」から

物語を書き直し

「幽霊選び 〜ゴアズソープ屋敷の幽霊」を作ったとか。


※ネットの情報なので

 ちゃんと調べているわけではありませんので

 あしからず。




コナン・ドイルが最初に書いた

「ゴアーズソープ屋敷の幽霊」が採用されなかったため、

前作の主人公とは真逆なキャラクターで描かれ、

その結果、かなり特殊な作品となったのが

「幽霊選び 〜ゴアズソープ屋敷の幽霊」。


そして、出てくる幽霊にもモデルがいたり。


コナン・ドイルが研究されてることで、

作家の意図や

影響されたものが何かを読み取れる面白さ。




世の作品は全て出尽くしている。


と言われ、


既存作品の無限の組み合わせにより、

さまざまな作品が成立する

とされます。


物語の種類は13種にまとめられるとか。

(人によって違いますが)



じゃ、作品の違いは

物語の組み合わせだけなのか。


いえいえ、その作品で取り扱う

「テーマ」でも全く違う作品になり、

「キャラクター」でもそうです。


物語は、

「構成」×「テーマ」×「キャラクター」で

複雑な物語になっていくんです。


小説ならこれだけなのですが、

朗読やリーディングライブ、演劇などにすると

俳優の「演技」がさらに掛け算されるので、

本当に無限の可能性があります。



お客さんと接する部分が俳優であり、

俳優は、普段お客さんと接しない

作者、演出とを繋ぐ役割があります。


今回、出演陣が日によって全く違います。

これにより、

どの回がどのような作品になるか

私もわかりません。


特にふぉーすてーじでは、

曲者がいて、作品自体を

全く別物に変化させる輩がおります。


それが天然なのか

人工的なのか。


この不確定要素も

丸っと楽しんでいただける要素になります。



さて、私は私で自分の役でいっぱいいっぱいで

他人のことをどうこう言ってる場合ではありません。






ーーーーーーーーーーーーーーーー

【作品】

ふぉーすてーじプロデュース リーディングライブ

「幽霊選び」

【Selecting a Ghost. The Ghost of Goresthorpe Grange(幽霊選び -ゴアズソープ屋敷の幽霊)】より

原作/アーサー・コナン・ドイル

脚色・演出/あさかりょう


【予約開始】

2024/3/22(土)


【日程】

【A】

4/23(水)

 14時〜

 19時〜

4/25日(金)

 19時〜

4/27(日)

 13時〜

 17時〜

4/29(火)

 13時〜


【公演会場】

リーディングカフェバーg LUV.(じーらぶ、)

中野駅南口より徒歩5分

中野区中野2-28-1中野JMビルB1

 

【料金】

¥3,000- (税込)

*ワンドリンクつき・全席自由席

ーーーーーーーーーーーーーーーー

秩父神社





西武秩父駅から徒歩15分……とありますが

途中の参道にあるお店などのお陰で

もっと近く感じます。


三峰神社に行った帰り、

他も行ってみようと探ると

駅からすぐだったので行ってみました。


そして、ここもかなり有名な神社だと知りました。


関東屈指の古社で、

この辺りの国づくり使わされたのが

岩戸に隠れたアマテラスを引き出した

オモイカネの10世代後のチチブヒコノミコト。


三峰神社へは道が厳しいですが、

秩父神社は行きやすく、

その手前の一息つく場としても

良き立地です。


今の社殿は

徳川家康が寄進し、

江戸初期の作りらしいですが、

いや、もう、これが立派なんです。









武蔵野開発の父と言われる平良文とも

関係があるようで、

秩父平氏が奉じる妙見信仰とかけ合わさって

秩父妙見宮として興隆を極め、

明治の神仏判然令によって

秩父神社の旧社名に戻ったとか。


妙見信仰は

古代バビロニアからはじまり

インド、中国を経て

仏教と共にやってきて、

都とではやったから関東に流れ着いたようです。


冬の秩父夜祭で、笠鉾や屋台を引き回す曳舟は、

日本三大曳舟祭りの一つなんだとか。


ちょっと気なる、、、


伊勢系の社もあり

賑わいなども含め

内容は充実しておりました。











秩父はまだまだ奥が深い

人のアドバイスをどう聞くか。


ということは

ちょいちょい考えます。


立場が逆で、

自分が意見を求められるとき、

自分がどうしているんだろう

ということも考えながら。



自分がアドバイスする時


真剣に考える答える時、

直感的に考える答える時、

ながらで考える答える時、


いろいろあるなぁ、と。


そして、結論を


自分のいち意見として、

決めつけの意見、

あいまいな意見、

どっちつかずの意見


などなど。



相手がどんな状態か。

どんなアドバイスもはいはいと聞かずに、

相手の状況を踏まえなければならないな



自分がアドバイス受ける場合


演出から言われるようなことは

素晴らしい作品を作るという目標をもとに

真剣に考え出されている

という前提のもとで聞くので、

何を意図しているかを

しっかり話を聞きますね。



準備なく、突然アドバイスを求めた場合は、

相手もその場で即興で考えるので、

いち意見としてふむふむと。



自分で判断する難しさ


ただ、アドバイスは

自分の都合に大きく左右されている

ということを意識しなければ。


自分から意見する場合、

無意識に自分の嫉妬が含まれていたり、

自分の範疇のみでの判断いなったり。


受ける時は

自分の意に反することは

拒絶する傾向にある

ということを自覚しなければ


誰のどんなアドバイスを聞くか


人間は、生物的に変化を嫌うので、

どんなに悪い状況でも変化しない選択肢を取りがちです。


発するアドバイスも、

発した人自身の現状を写したアドバイスになります。


受けたアドバイスでも、

自分の現状に沿った意見を採用しがちです。


盲目になる前提でアドバイスを受ける。

ということをすれば、

どんな人のアドバイスも

いち意見として受けることができるかなと。



革新は、人とのズレから


革新は、

「皆は見てるけど、気づいていないこと」

から生まれる


と思ってます。


なので、困った時が

一番、それに気づけるチャンスだ

と思います。


独りよがりになっていないか

ということを自分で監視しながら、

他人が見ている世界を想像しながら、

結論づけながら進めてみる。


困ったら、他人の目を借りて

世界を見直してみる。


そうすれば、オリジナリティは発揮されるであろう。


などと思いながら。





久々に

ふぉーすてーじプロデュース リーディングライブ

に出演いたします!


ふぉーすてーじへの出演は、

コロナ禍でマスクしながらやったぶりなので、

数年ぶりです。


この数年の間に

ふぉーすてーじに出演していた顔見知りの方々と

私自身、初めましての方々と作品を紡いでいきます。



作品は「幽霊選び」。


シャーロック・ホームズの作者

アーサー・コナン・ドイルが書いた

「幽霊は買ってでも欲しい」

というユーモア小説を元に

現代風にアレンジされた作品。


イギリスでは幽霊は怖い存在よりも

「好き」が強く、

自宅に幽霊が出るのを自慢するような文化なんです。


アーサー・コナン・ドイル自身も

推理小説だけではなく、

心霊学に傾倒していたり。



バーカウンターで複数人の俳優による

リーディングライブは

朗読とかしこまったものではなく、

プロレスのリングの如く

次々技が繰り出されてきます。


身体が久しぶりでなまってないか心配しつつ

やります!




3チームあり、

私は【幽】での出演。


下記日程をご参考にしていただければ!

ーーーーーーーーーーーーーーーー

【作品】

ふぉーすてーじプロデュース リーディングライブ

「幽霊選び」

【Selecting a Ghost. The Ghost of Goresthorpe Grange(幽霊選び -ゴアズソープ屋敷の幽霊)】より

原作/アーサー・コナン・ドイル

脚色・演出/あさかりょう


【日程】

【A】

4/23(水)

 15時〜

 19時〜

4/25日(金)

 19時〜

4/27(日)

 13時〜

 17時〜

4/29(火)

 13時〜


【公演会場】

リーディングカフェバーg LUV.(じーらぶ、)

中野駅南口より徒歩5分

中野区中野2-28-1中野JMビルB1

 

【料金】

¥3,000- (税込)

*ワンドリンクつき・全席自由席

ーーーーーーーーーーーーーーーー

恩師が亡くなって、3回忌。

ということで、

遠くから冥福を祈りつつ、

やることやってた方が喜ぶのではないか、

なんて思い、過ごした1日でした。


それにしても、

なぜか今週末は知り合いの公演が

ギュンと詰まり

足を運べず申し訳ない、

と思っております。


重なる時は重なりますが、

観劇する側と演じる側と

どういったバランスがいいのか

と考えております。



やることは明確。

グイグイとやっていくのみ。


うまくできるかどうかなどは考えず、

コツコツと進めているので

時間はかかる。


それに、

わからないことたくさんだから、

調べることもたくさん。


調べてもわからず立ち往生することも。



集中力をあげるまでに時間がかかるので、

助走が長いのが課題ですが、

極端な性格で、

集中しだすと延々とやっています。


延々やっていける環境を整えていき

良きバランスの上で継続を。

三峯神社をご存知でしょうか。


1900年の歴史を持つ神社で、

東征したヤマトタケルが帰りに三峰山な登り、

ここにイザナギ、イザナミを祀るようにしよう

としたのが始まりとのこと。




三鳥居が特徴的な三峯神社に行ってみたいなぁ、

と思ったのが今年の1月。


場所を確認すると、埼玉奥の秩父。



自宅からの距離も遠く、

西武秩父駅からバスに揺られて1時間20分と出て

「そんなにバスに乗ってもなぁ、

こりゃいけないなぁ」

と思いました。


それから、

「もしかしたら、

輪行して自転車で行けるのでは?」

と思い検索しましたが時間は同じくらいで、

山道を考えると、、、

その時間ではおそらく無理。


保留の状態が続き、

先週、静岡に行ったのを機会に

「意外に行けるのではないか?」

と思い、

挑戦することにしました。


自宅から片道4時間くらいかかるので、

日帰りで往復するだけで1日仕事です。


正直、お参りに行くだけなので、

これが作品に投影されるでもなければ、

演劇に役立つことでもありませんし、

交通費もそこそこかかります。


時間とお金を使ってやるべきことか?


葛藤がありましたが、

行かない理由が増えるばかりなので、

心を無にして体を動かし、

出かけることに。



人気のパワースポットでもあり、

朝から車が並ぶくらい混むとあり、

休日なので始発で向かいます。


西武秩父駅までは

電車でえっちらおっちら移動。


珍しいので特急も利用。

70年代くらいの近未来は

こんな車両だった

という感じのデザインの車両に乗りました。



飯能はこのくらいの距離かぁ。




西武秩父駅につき、しばらくバスを待つことに。



8時出発ですが、

めちゃくちゃ人が並んでました。


ほとんどの人が三峯神社へ。



バスに揺られながら

怪しいなと思ってましたが、

めっちゃ雪が残ってました。








そして、到着。


すでにたくさんのグループがおり、

朝から賑わっておりました。



ランニングシューズを履いており、

完全に足元間違えた。


雪も30cm以上積もっているので、

前を歩いている人の足跡を追っていきます。


ま、一人なので、

のんびりマイペースで行けるのですが。




夫婦杉は、根元が繋がっているのですが

雪で隠れてしまってて

肝心な部分は見えませんでした。




階段が雪で怖いですが、

実家が雪が降る地域なので、

歩き方は分かってます。


ツルツルこけている人を尻目に

スイスイ徒歩をすすめました。



手水は水が凍っていて使えませんでした。



キチンと祈って、

ぐるりと回ってみました。




縁結びの木では友人の成就を願って。

良き相手が見つかりますように。



遠宮にも訪れました。




ヤマトタケルを道案内したのがオオカミなので、

狛犬のところには

オオカミがいるのが特徴です。


そういえば、オオカミは、

音だけなら「大神」と書けるのか

と感心したり。

ハードルを下げておく


何をするのにも

ハードルを下げておくことが大切です。


ハードルがはじめに高いと

やる気を削ぎます。


「できないことに挑戦しても仕方ない」

と諦めてしまいます。



最低限のハードルを設定し、

やりながら

そのハードルを自分で押し上げていくこと。


これがマイペースで良い

と実感してます。



神社巡り



すべての寺社仏閣を回る!


なんて目標を立てたら、

まあやる気は出ませんし、

やらないです。


コンビニより数が多く

場所が離れていて、

動き回れる足がなければそもそも

回ること自体がきつい。


だから、一個だけ行こう。


と決めていくようにしています。



そうすると、

一個でいいなら〜

と気楽なもんです。


今回は神社巡りより

どんな作品を書くかなぁ

あ、なんか天狗が気になるから

天狗にまつわるのを探すかぁ。


となって高尾山へ。







そして、天狗から修験者の話になり、

中国地方にも天狗いたかなぁ。


そういえば、

桃太郎は吉備津彦命がモデルで、

ヤマトタケルに同行したんだよななぁ。

東征して関東へいったなぁ。


そうだ、ヤマトタケル関連の神社を探してみよう、

ついでに天狗と合わせて。

と関東限定で探す。


それで成田山へ。


樹齢1400年の大杉を見て

出雲大社の高さを実感。




ヤマトタケルが持ってた三種の神器、

草薙剣。


ということで、先週は静岡まで行ってきました。






調べ物をあまりしない?


調べるのも大切ですが、

実際に行って空気を吸って想像した方が、

調べ物をしたとき

より立体的になります。



そして、肌感がわかるので、


これで物語を書く!



となるかといえば、

そういうわけではなく、

何かの足しになれば

くらいの気分です。


実際は、

インスピレーションがバシバシと。



実際の場で

見て、

感じて、

想像することは

有効なんだな

と思うところです。



全ては表現


と考えるとなんかスッと落ちました。


表現は

人間社会で過ごすために

意思表示として必要です。


どんな状況下でも、

私というのを考える上で

社会を考えざるをえません。




ペルーで95日ぶりに漂流していた男性が

救助されました。


九死に一生を得て、よかった。


彼は、

毎日神に感謝し、

母のことを思っていた

とのこと。



人は、こんな時でさえ、

親、家族、そして社会と

切っても切り離せません。




ニュースで痛ましい事件がたくさん取り上げられてます。


どれも、

多くの人がやらない別の表現でされ、

それが事件となってます。


言葉にして意思を伝えても伝わらないのなら、

どうすればいいんだ?


叩く、

癇癪を起こす、

泣き出す、

人によっては自死すらも選ぶことも……


いずれにしてもなにかしらで

自分の意思を示します。


巻き込まれたら、

たまったものではないこともたくさんありますが。



言葉ではない表現をされると、

特有の表現だからわからない。


でも、そのままでは進歩はない。


共通言語も日進月歩で進化ているように

他の表現も進化すべきだ。


そして、同時に同じくらい大切なこととして、

表現されたものを観察し受け止める

ことが必要になる。



表現されたものが理解されない、

となると別の表現をします。


受け止められないから別の表現をし、

それが極端になると

事件に発展する。


最初は些細なことですが、

何かしら、前触れの表現されているようです。



文化がない国は滅ぶのは

表現が極端なものしかなくなり、

受け取るかまわないトレーニングもされてないためか

と思うようになりました。



ルールは

社会を安全で安心に過ごすためにあり、

反すれば罰するべきである。


とは思います。


ただ、

ルールを逆手にとったり、

グレーゾーンを攻めたり、

ルールが許せば許される

と思っている輩がいますが、

そもそもの大前提がなにか?


個人が過ごしやすく

ではなく、

社会を安全で安心に過ごすため。


履き違えるから

甘えたり、

依存したり、

といった表現が増えるばかり。



その人がどんな表現をしているか、

言外の表現をよくよく観察し、

それを誰もが共有できる

発展した表現になるように

煮詰めていきたいと思います。