自分の感覚ばかりに注視していると
周りが見えなくなります。
相手ばかりを気にしていたら、
自分の感覚がおろそかになります。
演じるときに
鴻上尚史さんは本の中で
第1セルクル
第2セルクル
第3セルクル
の話を出して、
どこに注視するかを言っています。
セルクルは、
スポットがどこに当たっているかのイメージで
第1は、自分への注目、
自分だけにスポットが当たっている状態。
第2は、相手への注目、
自分と相手にスポットが当たっている状態。
第3は、自分と相手以外の「その他」への注目、
全体にスポットが当たっている状態。
単体ではなく、
第1→第2→第3と感覚を広げていく
ということが大切になようです。
何か困ったり、わからなくなったときは、
第1に戻れ
という内容でした。
読んだ際には、
全て一緒に考えていたなぁ、
と反省し、きちんと分けて考えるようにしました。
様々な事象に対して
自分の頭を整理するのに、
客観視するのに
これはとても有効な考え方だな
と思っています。
自分だけでなく、
一緒くたに考えている人や
どれか一つだけに注目している人、
が少なくない数いることをしばしば感じます。
自信を持つことはいいこと……だが
第1セルクルの自分への注目は、
自分が自信を持つことに必要です。
なぜなら、人に何を言われようと、
自分の好き嫌いの正解は、
自分だけが知っていることで、
他人が否定するものではなく、
誰かに阻害されるものではない
からです。
否定されない自分だけが知っていることは
明確にすればするほど、
自信になります。
私の場合、
昔は、人から意見をもらうと、
あ、その感覚にならなければならないのか
と早とちりしていましたが、
自分の感覚だと、こうだけど、
そのようにはならない。
どういった要素が何が足りないのかな?
と考えられるようになり、
何を意識できているか、
何を意識できていないか
が明確になり、
漠然としたことではなくなったことで
自信を持って演じられるようになりました。
自信を持つとヤバい人
だけど、自信を持つと
ヤバくなる人もいます。
昔、後輩で自分に自信がなく、
第3セルクルの他者ばかり気にしていた子がいました。
自分へ注目できず、
自分の中での正解がないため、
他人に評価軸をいつも置く。
だから、やることに必ず許可を求めてくる。
自信を持ってほしいな
と思い、
「君のことを認めているから、
自分の思うことをやってみるといいよ
それは面白いから」
と言ったところ、
自分の思うことを徐々にやっていき、
大いに自信を持ってくれました。
良かった良かった
そこまでは……
時間が経つにつれ、次に起こったのは、
私は正しい
という主張。
私が思った感覚は、他人も面白いものだ
という誤解。
第一セルクルの感覚のみを大切にして、
他者からの意見を聞かず、
他者を否定・排除ばかりするようになっていきました。
個人的に
いや、これまで通り、
第3セルクルを持ちながら
第1をしないと意味がない……
と思って注意していましたが
受け入れず、
結局そのまま治ることもなかった。
どうするのが良かったのかな?
と思い返すことは未だにあり、
本人が気づくまで待つしかないのか?
と、答えに達していません。
自分の感覚の拡張
演出に足らないと言われた際に、
自分の引き出しを全部開いても
対応できないことはあります。
そのときは、
自分の感覚を拡張し
得られたもので表現をするしかない。
第2セルクルからはじめて
第3セルクルへと進み
最終的に第1セルクルに戻してきて、
感覚を広げられるか。
「感覚の拡張」ですが、
外部からの情報を
自分が受け取ることで
得られます。
つまり第2セルクル。
例えば、
食べたことないもの、
行ったことない場所、
知らない知識を得た時、
普段しない動きをしたとき、
それらを知ったときに感覚が拡張されます。
決して内側から沸き起こることではないです。
役を演じる際、
自分に近しければいいですが、
演じ手と性格が不一致
体験したことのないことを体験をしている
時代が違う
となると、
「感覚の拡張」は必要です。
感情のやりとりで様々な物語を紡ぐ小劇場であれば
特に必要な能力です。
※主張を中心とする芝居であれば、
自分の感覚自体の重要度は下がり
気にしなくて良いとは考えていますが。
バランスをとる
まずは自分の感覚を大切に。
次に相手役との関係作りを。
自分の感覚ばかりに集中してしまいがちな人は、
相手役に注目を。
他人ばかりに集中している人は、
自分に注目を。
バランスなので、
時と場合によって分量が違ってきます。
都度、チェックできるようになれば




