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工房長のぼやき

チームスチームパンの工房長、安達俊信の日々是之。
思いついたことをカタカタ書いています。

ない頭は、書き出して考える。


もがく人は

頭が悪かろうが

間違っていようが

自分で考えています。


自分で考える際に

堂々巡りにならないために書き出す。


ジャーナリングとか

色々な名称があるみたいですが。


自分の考えたことを

とりあえず

どんな走り書きでもいいから書き出すことで

頭の中をまとめます。



ホワイトボードに人前に書き出す癖は

ありがたいことに

研修講師をしていた時の賜物で、

関係者各位に感謝をしております。


いまだに役立っております。


最近だと、自分用の走り書きを

写メに撮られる場面もちょいちょいあり

皆、書き出せばいいのに

とたびたび思うことも……。



メモを取らない人が

堂々巡りする場面に出会うと

自分のノートに書き出して

視覚的にわかるようにして

いらぬ世話を焼くこともあります。



個人的にまとめる際には

紙で書き出して

パソコンで清書するのが

1番性にあっているようです。


脚本、舞台美術、制作なんでも

紙に書いてから清書をしています。


昔はノートに書き出して

設計図も紙だったりなど

紙ばかりをリュックに詰め込んでました……


手直しを何度もしたい場合は

パソコンが良いでしょう。




ちなみに、自分頭が悪いといって

思考が苦手そうな人のメモは

綺麗な箇条書きであることが多いです。


羅列はできるけど繋げることができない。


ということであれば、

箇条書きされたものを

関連づける線が引くだけで

まとまりやすくなるでしょう。


頭の中を綺麗な箇条書きにするために

メモはごちゃごちゃしていて構わない。


というのが持論ですが

どうでしょうか。


中高のノートを

綺麗にとっていて、

一向に成績が上がらなかった

経験から出した持論です。


どう伝えるか?


より良くなるならばと、

「こちらの方が良いのではないか」

という意見を出す場合と

「自分はこうした方がいいと思ったよ」

と感想を述べる場合があります。


どちらも意見として取られる場合があり

伝え方、そして伝わり方に

苦慮しております。



自分が意見・感想を受ける場合はどうか?


主宰で演出をし、

作品を作る場合

ありがたいことに

様々な意見を承ります。


そして、それを

取捨選択をします。


しかし、人から

「いろんな意見を受けすぎだ」

とよく言われます。



自分のスタンスは

聞いてみて

意見か感想かを判断し、

よくわからなかった意見は全部試し、

感想であれば、

その感想に達した原因を

特定をしようとします。


A案からB案へ変更した方が良いのではないか

と意見に対しては

自分で考え

よければ変えますが

よくなければ不採用にします。


そのため、

「こだわりの強い人だ」

「頭の硬い人だ」

と言われます。



「Cという案を加えてはどうか」

という提案がされた場合は

蛇足にならず

表現としてプラスになるならば

全て採用します。


これが

「意見を受けすぎだ」

と言われる原因です。



「こだわりの強く

人の意見を受けすぎる人」


というのが周りの人の僕への印象なようです。



人から言われたことに対して

自分で判断しないと

他人のせいや

責任転嫁してしまうので

自分で判断を必ずするようにしています。




受ける側であれば

上記なのですが、

問題は、自分が意見する側になったときです。



自分でもやってみないとわからないので

「このような方法が良いのではないか」

と案を出したつもりが

「このような方法が良い」

と判断される場合が多々あります。


うーん、そういうつもりで

言ったわけでないんだけど。

となるたびに

伝え方について考えてしまいます。


「自分はこう思うよ」

という伝え方が悪いのか

述べたことで

思考停止を引き起こしているのか。



演出にも繋がることなので

考えなければな

と思っているところです。

脚本の第3稿が完成しました。


今回は第2稿まで作ったものを

全部バラして

1から書き直しました。


1から書き直しているからといって

ゼロになっているわけではなく

言葉の通り

それまで蓄積していた1を生かしつつ

反省点を入れながら

新たに書くことをやりました。



通常であれば

修正点を手直しすれば

1からやらなくてもいいはずです。


しかし、根幹部分の修正から行う場合は

1からやった方が早い

というのが僕の結論です。



実家のリフォームを見てて思うのですが、

解体して建て直した方が

クラッシュアンドビルドした方が

絶対に早い。


実家はかれこれリフォームをはじめて

一年になりますが

まだ終わってません。


元々は部屋と廊下の段差をなくしたり

水回りを入れ替えたりだけの予定でしたが

色々あって骨組みまで分解したのち、

再度、床を張ったり、壁を張ったり、

新しく組み上げることをやっています。


当初は、家を潰して、

小さな家を建てる予定でした。


しかし50年弱になる家は若く、

当時の太い木と

作ってくれた地元の大工さんの

最後の家だから

ぜひ残してほしいというので

リフォームになった次第です。


様子を見ていると

完全に解体し

一から作った方が

確実に早かった、

というのは間違いがありません。



ただ、リフォームされた家が嫌いか?

と言われれば、嫌いではなく

楽しいです。


今までの空間と違う空間や

雰囲気を見せる家に

パラレルワールド的な

面白さを見てとってます。


実家に帰るのが楽しみ。



僕自身、脚本は書いたそばから

すぐに人に見せがちですが

今回は人に見せずに

修正にかなり時間をかけました。


今の状態に辿り着くまでに

いろんな経緯を経て

ようやく落ち着いています。



これを元に

早速、様々なプランを立ててみます。


そしたら、また別のアイディアが

出てくるかもしれません。


時間はかかっても

脚本のリフォームも好きです。


まだこれからも変化するので

公演が楽しみでしかありません。


誰と作るのか?


ゴスペルコンサートへ出かけてきました。


社会人が歌を習って

それを発表する場ですが、

ただの発表会ではなく

照明入れたり

バンドがいたり

かなりしっかりしているんです。


客席も、

お知り合い、友達、家族などで満席。


手拍子あり、

スタンディングあり、

飛び入りありと

2時間楽しく過ごさせていただきました。


アットホームな空間で

お客さんは

リラックスして楽しみにきていて

内輪だけで楽しむのではなく

そこにいる皆でどう楽しむかを

意識したステージでした。


教えているプロの歌手、ちひろさんが

指揮をしたり

リードボーカルしたり

場面場面で入ることで引き締まり

ステージの構成がうまいんだな、

と感心するばかりです。


12、3年されているようですが

試行錯誤を重ねのすえ

今の形になり、

まだまだ進化しているようです。


出演者への配慮もですが

客席とのコミュニケーションも

欠かさない。


いいステージとは

そういうものです。



俳優同士は横軸、

俳優とお客さんは縦軸

で言われますが

コミュニケーションラインが

縦横無尽な舞台が面白いと

改めて思いました。


作り手はお客さんを選べない。

お客さんは、作品を選んできている。


ならば、

どんどんお客さんと

コミュニケーションして行くのが面白い。



そんな舞台を組み上げるために

脚本を出力してしまおう

と思い、急ぎ進めてます。


良き俳優との出会いを楽しみに。


今日は、鷲見武さん主宰の

Ghost Note Theaterの稽古場を見学。


稽古を見せてもらえる

ありがたい機会となりました。


いついかなる時も勉強する姿勢を

忘れずに。



今回、鷲見武さんが作・演出する

「西日暮里の三姉妹」は

母を亡くしたばかりの三姉妹の

悲喜こもごもな作品です。


話として、

すっきりとても見やすいのと

実際のカフェを活用して、

俳優の魅力が出る芝居で

本番までにどのような変化するのか

とても楽しみです。


A班、B班で

私が今日見させてもらったのがB班です。


女性3人芝居だったので

ちょうど「3々9扉」の

3人芝居をやったことを思い出しました。


「キョウゾウダンカイ」のあの3人なら

どう演じるかなぁ

などと思いを馳せながら。






劇団唐ゼミ⭐︎の「少女仮面」と

めっちゃかぶってんだよな。


ばなな企画のワークショップがあったり

予定調整に追われています。


劇団唐ゼミ⭐︎は

復活の椎野裕美子。


色々な変遷の中で、

どのような唐ゼミ⭐︎が見られるか。


唐さんの代表作の一つでもある

「少女仮面」を

唐十郎直系の弟子である中野敦之が

どのように見せるのか楽しみに。





というか、今月の観劇本数が

やばいことになって焦ってます。


来月からしばらくは行けなくなるな

戦争を扱った作品は難しい。

 

演劇で、戦争を扱った作品は

僕にとって興味深く見られる作品は少ないです。

 

というのも、

演劇……特に小劇場では、映画やドラマと比べて

プロデューサーやスポンサーの影響が少ない分

作り手の主義主張が強く反映されます。

 

主義主張自体は悪くないですが、

演劇のドラマ性を置いていおいて

いろいろな主義主張をたくさん述べ

ぶつけるので、

結局、何を言いたいのかよく分からない

といった作品をよく観ます。

 

「戦争の事実を伝えたい」

「戦争は良くないことだからこれだけは伝えたい」

など色々あるでしょうが、

「作品の面白さはどこに?」

となります。

 

 しかし、戦争を扱った作品は

 

「「面白い」「面白くない」で考えてはならない。

作品性ではなく、その事実を受け止めよ」

 

という無言の圧力を感じるため

作品の〝ダメ〟をいうと

戦争反対の作品がダメと

受け取られかねないです。

 

戦争を肯定しているわけではないのですが…

 

 会社や、劇団で

 その人の意見を否定すると、

 その人自体を否定していると

 受け取られるのに似ています。

 

作品に興味をもってもらえないと

見る人に伝わらないのに…。

 

 

僕自身、多くの作品は、

伝え、伝わることが大切だと考えています。

 

戦争を取り扱っていようがいまいが

その作品を通して、

何を伝え、相手に伝わるか。

 

戦争を扱った演劇は、

僕が観たものは、

一方的に伝えるだけのものが

散見されます。

 

個人的に戦争の

・正しい事実

・正しい歴史的解釈

・戦争を繰り返さないために

を強く主張したいのであれば、

小説などの、文字媒体であったり、

ドキュメンタリーの方が、

より正確に伝えられ、

演劇でやる必要はないと考えています

 

また、戦争に振り回される人々をと描くのも

戦前と戦後の価値観の違いから

脚色を入れないと、

伝わる作品にするには、

難しいと考えています。

 

なぜなら

戦前、戦後での価値観の違いについて

理解するように説明をいれると

やたら長くなったり、

ドラマを描く時間がなくなるからです。

 

 

価値観について、

親戚のおじさんに

「敗戦のときどう思ったんですか」

と聞いたとき、

「それまでの正しかったもの全て否定されて、

なにもなくなった」

と言われたのが、高校生の時、衝撃的でした。

 

また続けて

「だから、自分たちで価値を作り上げなければと思った」

と言われていました。

 

戦後の価値観は、

戦前の価値観ではない別なものを生み出そうと、

当時生きていた人たちの努力をした結果で、

その連続した中で僕らの価値観ができあがっています。

 

そのため、戦前の価値観のままではなく、

現代の価値観に置き換えてドラマを描かなければ

伝わる作品が作りにくい。

 

 

方法として、

現代の価値観を軸に、

当時の価値観と比較しながら

話を進めるのがよいと思っています。

 

百田さんの「永遠の0」は

現代パートと過去パートがあり、

現代パートで共感しながら、

過去パートの事実を見られるので

見やすいです。

 

また、「ゴジラ-1.0」

現代価値観で脚色され

特攻に対して、

現代的感覚でのアプローチをできるので

見やすいです。

 

 

個人的に演劇で一番見やすかったのは、

「THE WINDS OF GOD」

 

亡くなった今井雅之さんが描いた作品です。

 

失敗したお笑い芸人が、事故をきっかけに

戦中へタイムスリップする話です。

 

僕が観たのは、劇団青芸の演劇で

演劇鑑賞会の高校生たちと観ました。

 

現代と過去の価値観の違いや

当時の人達の頑固さ、融通の効かなさ、葛藤などを

うまく描かれていました。

 

軽く笑いながら観られるパート、

死生観について考える重いパート、

演劇に興味のない高校生たちが

食い入るように舞台を見ていたのが

とても印象的でした。

 

決して、戦争を茶化しているのではなく

過去の事実として受け止めやすいように

興味を引くための工夫がたくさんされていました。

 

 

良き作品を見ると、

無言の圧力を跳ね返しながら描いていく必要を

ひしひしと感じます。

 

 

来年、戦後80年。

いろいろな作品が出てくると思いますが、

良策に出会えることを祈っております。

 

劇団青芸で「THE WINDS OF GOD」

また見たいなぁと思うのですが、

なかなか難しいかな。

 

どうなんだろう。

何も無い時間を作れるか。

何が一番重要か。

 

いつも何かに追われていませんか?

 

仕事で、

「緊急性」のあること

「重要度」のあることを

XY軸にして優先順位をつけ、

 

・緊急で重要なこと

 

からこなし、

 

・「重要度」高いもの

・「緊急性」高いもの

・重要でも、緊急でもないこと

 

を後回しにしていく。

 

という感じになるでしょうか。

 

 ※「重要度」と「緊急性」だと内容によって変わるようにも思いますが。

 

 

さて、演劇おいて、

そもそも重要なことは何だ?

 

 

最近、

「作品のクオリティと集客と

どちらが重要だろう」

と考えることがあります。

 

僕自身、最近は、「集客」が重要だと考えています。

 

 

というのも、

続けていきたいなら

集客をしなければ

次につながりません。

 

集客はお客さんとのコミュニケーションの結果ですし、

見てくれる人と、どのようにつながり対話するかが

重要だと考えています。

 

集客で、お客さんとコミュニケーションをしながら

ひと作品ごとにクオリティを上げていくことが、

次への期待にも繋がります。

 

 

そのクオリティは、

急激に上がることは難しく、

経験と知識と時間が必要になります。

 

そのため、集客で

お客さんとコミュニケーションを取っていくことが

重要です。

 

 

俳優は、集客さえすれば

使ってくれるところはたくさんあります。

 

また、うまい俳優であれば、

集客できなくても

使ってくれるところはたくさんあります。

 

集客できる俳優と

うまい俳優を組み合わせて

作品全体のクオリティを上げていくと

集客ができるうまい俳優が生まれ

作品のクオリティが更に上がります。

 

 

しかし、

「集客より重要なことがあるだろう」

という自分がいます。

 

それが

 

「一つの作品に

どこまで掛けられるか」

 

です。

 

もし、

「明日自分が芝居ができなくなるなら」

「今回が最後の舞台になるなら」

と考えたら

どのような芝居をするか。

 

 

単純に、作品への関わり方が変わります。

 

 

人によってはこれがプレッシャーで

動けなくなる人もいますが、

そのプレッシャーすら楽しんで作っていくから

表現者の意味がある

とも思っています。

 

 

自分が残り、

どれくらいの作品に関われるかはわかりませんが、

体重を乗せた作品に関わっていきたい

と常々思っております。

 

自分自身の作品のクオリティを上げるために

経験と知識を整理する何も無い時間を強制的に作り、

考えるようにしています。

 

そのうえで、出力する時間をどれほど確保できるか。

 

 

これが、一番、重要度が高く、緊急性が高いものになっています。

7月2日は私の誕生日でございます。

お祝いの言葉をいただきました皆様

ありがとうございます!


V6の三宅健さんと、

同い年の、同じ誕生日だったりします。


どの有名人と同じ誕生日か?

ということよりも、

一年のうちの真ん中の日が

7月2日なんだそうで、

こっちの方が大事です。


誕生日を迎えるたびに

今年一年の前半がどうであったか。

後半がどうなるか。


いろいろ考えます。



今年も、大なり小なり

実験的に試したり

挑戦したりしています。


まだ良いか悪いかの判断材料が

揃っていませんが

なんにせよ

いろんなことを試しつつ、

実行していき

本当にいいものを発見していくことを

怠らずにやっていこうと思っております。



今日、誕生日でなにをしていたか?


仕事をした後に

昨年、MVに出演させてもらった

ピウムジカのライブへ


7/1にリリースした

「ジオード」を軸に

ライブを展開されておりました。




やはり、ライブバンド。


ミュージックビデオとは

全く違う色を

ライブで見せてくれました。


曲を丁寧に弾くのも大切なのは

もちろんですが、

その場にいるお客さんに合わせて

変化させてこそライブ。


その場その瞬間にあった

適切な演奏があるはずです。


ピウムジカは、

パワーをくれる曲が多いです。

聞いて頑張ろう

となります。


個人的には、

ピウムジカは

人を引き込む曲が

とても興味深いです。


ボーカルのあるのさんの息遣いに引き込まれ

「ここ!」

というタイミングで

ひぐらしさんがドラムで覚醒させる。


虚実一体となった世界へ

引き込む曲は

人を魅了します。


ライブなので、

全体構成がどうなっているかも大切ですが

楽しい曲と

記憶に残る曲がある

ということだと思います。


違うバンドのお客さんが

曲を聴いて

感心しているのを見ると、


「知らない人にもきちっと

届いているんだな」


と嬉しくなります。






どんな場所にでも学びはあるなと思いつつ

いいものを見ると

自分に跳ね返ってくるので

歯を食いしばってやります!


私の誕生日で

一年の半分が経過しました。


皆さんも後半、ガンガンいきましょう!


7月に入り今年も半分!


7月に入って猛烈に焦っている脚本作り。

外の暑さとは違う、

じわりとした汗をかきます。


いつもの出来栄えの脚本は

すでにできています。


しかし、ここで止まっていては成長がないので、

一度捨て、

二度捨て、

……

そこから踏み込んで修正中です。


どんな名作も牛歩の歩み。


「たとえ駄作だったとしても

名作に近づく努力はして良いはずだ。」


そう思いながら修正をやっております。


ちょっとずつでもよくなるならば

10年後、20年後には、

名作ができている可能性はあります。


でも、もっと早く作りたい!


脚本も、俳優も

長くやっているから良いわけではなく

たゆまぬ努力がなければ成長はない。


努力とは時間であり

思考と実行の繰り返しです。



脚本は、書けない人から見ると

神がかって書かれているように見えます。


書く勉強をしだすと

見えてくるものが面白いので

ぜひ、皆さんやってみてください。


修正も自分で判断できるようになり、

人の感想から

どのポイントを修正するかもわかってきます。


自分でよくなるポイントがわからなければ

探したり、人

に聞いたりする必要があり

わからずずっと平行線の人は

下降していくだけです。



そして、最近わかってきたこととして


例えば曲を発注した際に、

「こんな感じです」

と言われて確認するときは

曲の骨組みであり、

問題なければ、そこから

色がどんどんついていき完成に向かいます。


この骨組み時点で良い曲がそうでないかの

勝敗が決まっている、

ということ。



同じように

脚本も骨組みを作った時点で

勝敗が決まっています。


そして、脚本のどんどんついていく色が

セリフです。


その前の骨組み、つまり構成の段階で

すでに勝負が決まっています。


この部分をバラして組み立て

バラして組み立て

そんなことを繰り返しております。



焦っていいものができるならば焦りますが

僕の場合は、空ぶかしになるだけなので、

トルクを太くゴリゴリやります。

ふぉーすてーじ リーディングライブ

「百鬼夜話」

を観に行く



リーディングなので、朗読ですが、

中身は「朗読」という名の別物です。



朗読劇といえば

きちんと本を持って

言葉によって物語るもの。


聴きながら、

自分の中の経験や知識と

言葉を紡ぐ俳優の声やニュアンスで

別次元の世界へ没入させてくれます。



しかしなから

ふぉーすてーじの趣向が全く違い

ライブならではの楽しみ方をする作品です。


いつもは、中野のバーでやるのですが、

今回は……何度目だ? 劇場です。


出演者も固まってきたのもあり

俳優間のやり取りや連携がかなり強化され、

いよいよ朗読劇ではない向こう側、

俳優達の遊びの芸を楽しむ世界へ

達しています。



漫才はオチよりも

それまでのやりとりがいかに面白いかが

大切だと言われております。


平凡な話でも

やる人によってその面白さが

全く違うものになります。



百鬼夜話は落語を元に作っています。


まさに落語も同様に

語り手が違えば

話の見え方が全く変わります。



今回の百鬼夜話は

何度か聞いたことある話なので

話が面白い

というのではなく、

その話の中で俳優がいかに遊んでいるかを

楽しむ作品でした。



これがとにかく面白い。



なんでもやっていいわけではなく、

きちんとルールがあります。


台本の世界の中の登場人物の延長で

その登場人物がしてておかしくないことで

作り込まれていること。


これが条件になります。


台本や登場人物から外れてしまうと

悪目立ちをして

芝居として成立しません。



さて、台本の域を超えて

どこまで演じられるか。



「芝居を成立させ

生きた役を演じることで

お客さんの記憶に叩き込む。」


生きた俳優でこそ、できる芸当です。



「僕、俳優です」といえば

明日から俳優になれる世界で

俳優のプロかプロじゃないか

明確にわかる境界線が

生きた役になっているか、

いないかにあります。


その点、今回は

ベテラン、新人も関係なく

プロの俳優の面子をかけた作品でした。



ますます楽しいことになる予感しかない百鬼夜話。


次回をまた楽しみにしております。