当たり前に、敬意を示そう | 工房長のぼやき

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チームスチームパンの工房長、安達俊信の日々是之。
思いついたことをカタカタ書いています。

実家のリフォームが滞ってるらしい。



リフォームをはじめて一年くらいになりますが、

まだ実家のリフォームが終わらない。


業者さんのせいでだが、

行き当たりばったりのスケジュールにしか

僕には見えない。


どんなスケジュールを組んでいるのか、

見てみたいものだ。


現在、8割進んでいる状況での足踏み。


ここまでくると、

業者を代えるわけにもいかないので

泣き寝入りするしかないようです。





当たり前のことをする。


これがどれほど難しいか、

分かっていない人が多いです。


誰もが経験することなのに、

「当たり前」ができていないことに

何度出会おうと

「当たり前」の呪縛から解き放たれません。



遅刻をしない。

挨拶をする。

言われたことはやる。

ペットボトルのラベルは剥がして捨てる。

歩きスマホはしない。

自転車は左側通行。

タバコは決められた場所で吸う。


当たり前ですが、

当たり前ではないです。


できている人がどれほどいることか。



日本にいると、

電車が定刻通りに来るのは当たり前です。


定刻通りが当たり前になってしまっただけに

なにかしらで、電車が遅れると腹が立つ。


海外ではそうではないため、

外国人の人は、定刻通りくる電車に感動する。


定刻通りにこないのが当たり前の中では、

いちいち電車が遅れたからと

腹を立てることはないです。



ある人にとっては当たり前でも

違う人にとっては当たり前ではないなんてことは

よくあります。



「当たり前」は、

自分にとっての当たり前で、

その当たり前ができていないと腹が立つ。


逆に、

他人にとっての当たり前が、

自分にとっての当たり前でない時、

敬意を持つか、

嫌うか、

無視するか。


テストの点が自分を基準にして

高い人、低い人にどう思うのか。



今、世界で「多様性の理解」が言われてます。


相手を全部を理解することは、

無理でしょう。


できることは、理解できそうなことを

どのように受け止められるか。


自分にとって当たり前ではないことで、

嫌なことは受け入れることはできません。


せめてできることは、

「そんなことがあるのか」と

認識するくらいです。


「パクチー食べろ」と言われても

食べられない人は食べられません。


しかし、パクチー好きな人は、

パクチーの豊富な料理法で、

ものすごく食を楽しめている人がいる

ということは、わかります。


なぜなら、自分の中の似た経験から、

例えばアボカド料理に当てはめて考えると

その認識ができるからです。



人は自分を、他人を通して理解する。



自分の理解できないことを

自分の経験から想像するには、

理解できていることから発するしかありません。


理解できていること、

当たり前のことは

どれだけありますか?



分かっているのは、自分も含め

皆、自分というあやふやな存在を起点に

当たり前を認識しており、

自分の都合の良い解釈を繰り返しています。


当たり前を

別の人の視点でジャッジし、

別の人がどのように自分に取り込むかまで

探求できれば、

新たなステージまで登ることができます。


これからの世界では、

変化が激しいため、

都度都度、柔軟に変化していくのが

当たり前になってきます。


それができる人を私は尊敬します。