56:誰も追及しない症状 | 甲状腺未分化がん闘病記

甲状腺未分化がん闘病記

甲状腺乳頭がんから未分化がんに転化り患した、超特急がんサバイバーのリアルながん情報を生存中に書き残します。

こんにちは。
いつもいいねくださりありがとうございます。
 
 
昨日はとても体調がよくて、ストレッチができました。
できました・・・ってどういうこと? というと、
できない時は背中に痛みがあったり、固くなっていて伸びなくて、体にヒリヒリ感が走ったり、喉に圧迫感があったり、胸骨の内側に痛みがあったり。。。
 
縦郭リンパ節に転移があるので、その痛みが胸や背中に出るのかと思います。
数年前から背骨のきわが痛んで、毎週整体でほぐしてもらってもツラくて、毎晩経費鎮痛のシップを貼って寝ていました。
全身の異常って、その時はなんなのか分からないけど、ちゃんと異常を知らせているんですね。
いまでもたまに背骨のきわが辛くなる時がありますが、自分でほぐす程度で済んでいます。
頸骨も後ろに飛び出たところが指摘されていたのに、術後に無くなりました。
左耳の下にゴリゴリした塊があったのに、左の頚部リンパ節郭清でゴリゴリも無くなりました。
昨年、一番最初に癌を疑ってくれたのは整体師さんでした。
5年くらい前には別の整体師さんが背骨や首をちからいっぱいに施術してもほぐれなかったのに、術後の今は整体に行っていません。
ここ数年間、悩まされてきた様々な全身症状が、術後、そして分子標的薬服用後に改善されているようです。
それでも一進一退。 もうダメかと思う日と、全くがんを感じない日があります。
 
人間ドックや検診は毎年、甲状腺の定期受診は6か月ごとに血液検査を実施していても、特だん異常はなしだったのです。
それでもこうなった。
 
甲状腺に結節があることを確認していて、エコーで多発性の細かいモノがあることも確認できていたのに、医師は血液検査の結果だけをみて甲状腺の機能の維持だけしかしていなかったから、PET検査の結果を見た瞬間、寝耳に水の状態で狼狽していました。
そして細胞診もしていないのに「大丈夫。5年生存率90%で手術も簡単だから」と、まるで自分を慰めるように言ったのです。
もうその頃には結構な自覚症状に苦しんでいたのに。。。
 
 
 
そんな私は余命半年と告知された甲状腺未分化がんの人。昨年末から服用中の分子標的薬が命綱。。。
 
 
 
さて、今朝ののどの赤みの様子を記録しました。 随分と薄くなりましたね~。
 

 

3月31日  2月24日   1月19日(いずれも回復中)

退院一週間あとに出てきた赤みで、一時期は中心が水泡のようになり、「ここから壊死して穴が開くのかな?」と怖くなりました。(一番ひどかったころの写真はありませんが、まるで気管切開の跡みたいになっていました)

なかなか回復しないので、癌の転移では? と医師も疑っていましたが、未分化の転移にしては表面に腫れが出てこないので首をかしげていました。

この赤みを皮膚科で診ていただいたら、「内出血かなぁ?」とも言われましたが、まだ退院後間もなかったので、「体が他に治すところを優先しているから、まだその順番がきていないだけ」といった旨のやさしい説明でした。

内出血だとして、親知らずを抜歯したあとの内出血が同じこの場所に出現する写真がネットで検索すると複数出てきます。

血液検査では出血に関する数値がまだ異常なので、腫瘍縮小に伴う出血がここに出ているのかも? とも考えますが、どうしてここに血液が溜まるのでしょう?

 

肉や細胞として検索してみると、おもしろい研究発表をみつけました。

 

東京大学大学院薬学系研究科 による「自己の不要な細胞との戦い -壊死した細胞が引き起こす全身での炎症い反応とエネルギー消費の異常-」 平成26年4月18日

 

私は文系なので科学的なことはよくわかりませんが、ショウジョウバエによるネクローシス(壊死)の実験結果ですって。

読んでみて、なんか、こういう感じ~('ω') です。

ヒトの体で起こっている現象のエビデンスを探っているんですね。

見えない敵がちょっと見えた実験報告だと思って面白く読みましたが、こういうのをやっている方々、凄いです!

 

 

 

文系の患者的には、そもそもここは甲状腺があった位置に近いから、摘出時にもろもろから剥がした際の影響かな? という感じ。

皮下脂肪は周辺と比べてほとんど無くて、触れると皮膚が薄いような痛みがあります。

唾を飲み込むと、癒着があるようなひきつれが出ますが、分子標的薬服用後の体内ではヌメ~メロメロメロ…ヌメ~メロメロメロ…と何かが剥がれる感覚を何度も味わいました。

なので、医師に「こそげ取ったの?」と訊いたの、お分かりいただけるでしょうか?ww

 

 

 

11月上旬の入院中  内出血なんてまだ無かった頃。
 
 
 

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残された時間に限りはあるけれど、私の体験が少しでも後につながり、役立つように。

そして、様々ながんサバイバーのみなさまの一日一日が少しでも幸せでありますように。

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令和6年3月31日  ★b-raugh-yousei★