ディスレクシック。 | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

多分、このブログを見てくださる方は、「ディスレクシア」という言葉は聞いた事があると思います。最近、私が良く見る海外の発達障碍系ブロガー、YouTuber、TikToker、Instagramerの記事で、一つ「お。これいいな」と思ったので、ご紹介。

 

 

以下抜粋:

ディスレクシアとは、知的な困難や全体的な発達の遅れはないものの、文字の読み書きに限定した困難がある状態のことを指し、多くの場合、診断上は学習障害(LD)/限局性学習症(SLD)に含まれます。日本では、ディスレクシアの他に、読み書き障害、難読症、識字障害とも呼ばれます。

 

ディスレクシアの特徴としては、「音読だけが苦手」「似た文字をよく間違える」などがあります。

幼少期から兆候があっても、読み書き以外に困りごとがみられないので、子ども本人も困りごとに気付かなかったり、説明しにくく、周囲から見ると「なんとなく読むのを嫌がる」程度にしか見えないことがあります。

 

これが、日本の説明。

 

ここからが海外の説明。

 

 

Dyslexia is a learning disorder that makes it hard for you to read, spell, and write. People who have it are often smart, but their brains have trouble connecting letters they see to the sounds those letters make.

About 5%-15% of Americans have some symptoms of dyslexia, like slow reading, trouble spelling, or mixing up words. 

 

以下、私の脳の翻訳こんにゃく。

 

ディスレクシアとは、読んだり、つづったり、書いたりするのが困難な障碍です。この障碍がある人達は、だいたい賢いけれど、彼らの脳は、目で見た時の文字の羅列(英単語)を、その文字の羅列が作り出す音(英単語の発音)につなげる作業に苦労するのです。大体、5-15%のアメリカ人にディスレクシアの症状があり、読むのが遅かったり、スペリングに苦労したり、言葉がほかの言葉とごっちゃになったりします。

 

 

ディスレクシアについて書いてある多数の日本語の文章の本の一ページだし、英語で書いてあるもののほんの一ページだけれど。いろんな文章を読んで、私には英語のものがすっと入ってきやすい。なぜなら、「理由」が書かれているから。日本語のものは、ほとんどが「こういうものです」とし、対処法をすぐに教えてくれるのに対して、海外のものは「こういう仕組みで起きるのです」と説明をしてくれる。

 

そして、海外のADHD寄りさんの記事を見て、「これ好きだな」という表現を見つけた。

 

I am dyslexic. 

 

Dyslexia は、ディスレクシア、で、症状を指す名詞。

Dyslexic は、形容詞。ディスレクシアのある・・・という形容詞。

 

I have Dyslexia だと、ディスレクシアの障碍を持ってます、になるけれど。

I am Dyslexic だと、ディスレクシア傾向にある・・・と聞こえる。

 

しかも、英語だと。

 

I am a little Dyslexic (私ちょっとディスレクシア傾向にあるんだよね)ともいえる。

 

なんて便利なんでしょう。イイ!使いたい!ADHD寄り・・・って英語もあればいいのになぁ。

 

 

ちょっと前の記事にも書いたのだけれど。私は読むのが本当に苦手で。クラスで「音読」すると、もう、どこを読んでいるかわからないし、長い単語だとどう読むのかわからないし、いまだにスペリングは適当極まりない状態である。前の部署で、専門の資格を取るのに、どえらい時間がかかってしまった。読めなかったのだ。いや、読めるけど。読んだ事を、理解につなげるのに、ものすっっっっっごい時間と苦労を要したのである。

 

でも、じゃあ、私は文章を書くのが苦手か・・・といったら、そうではない。多分、周囲に聞いたら、英語のレポートや公式レターを書くのが一番うまいのは、私だと言われると思う。

 

さて、どうやって、これを身に着けたか・・・。

 

 
それが、この記事で書いた、パターン認知機能である。
 
当時、特殊な部署に居て、その部署での最終成果物は「レポート」であった。会社の社外に出してもOKなぐらいの、きちんとした文章である。一ページ以内にまとめたり、あるいは、段落にまとめたり、数ページにわたる対策だったり、一行にまとめたり。とにかく「書き物」」が最終的な成果物で、どんなに業務ができても、その最終成果物がきちんと書けないと、意味をなさなかった。
 
で、何をしたかというと・・・。

ひたすら、部署内や、世の中で、過去に出されたレポートや書き物を、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、読んではタイプし、読んではタイプし、もう、「覚えた」と思えるぐらいまで、何度も、何度も、タイピングした。同僚たちは、同じタイプの文章の場合、コピペをするのだけれど。コピペだと、中身が何にも頭に入ってこないので、私は実際に自分でタイピングした。多分、ものすっごい量のレポートを、タイピングしたと思う。
 
そう。反復を繰り返した事で、パターン認知機能を使って、パターンを覚えたのである。
 
流石にね・・・国家資格とかもあるぐらいの、特殊な業務だったんでね。数か月とかでできるものではなくて。数年かかりましたけどね・・・。今思うと、自分なりに「たぶん、私は、こうしたら、マスターできる」と理解したんでしょうな。
 
その他にも、アビやおじい本部長にめっちゃ褒められるプレゼン資料作成のスキル。これも、同じ。もう、それは、それは。大量のパワポや、似たようなプレゼンを、何度も作り直したのです(笑)。パターンを理解するぐらいまでに。
 
普通の人は「プレゼンを作って」という仕事がないと、プレゼンなんて作らんと思うけれど。私は、人のプレゼンを見て「これ、いいなぁ。わかりやすいなあ」と思ったら、時間を作って、それを丸侭、一から真似して作り直す。そして、私がプレゼンした内容に入れ替えて作り直す・・・みたいな作業を繰り返しした。で、別にプレゼンにする必要のない事も、何もかもプレゼン資料風に作ってみたり。
 
そういう事をしているうちに、会社内の大体の問題点や企画などのプレゼン資料は、パターンを認識できてるので、「XXへに問題提示をしたい」と言われれば、「なるほど。わかった。あのパターンね」と、学んだパターンから似たものを引っ張り出して、作る事が出来るのである。
 
 
そう。一般的に、これは「努力」と言われるものである (笑)。
 
 
思えば、ディスレクシア傾向も、苦手なものも、自分が得意な事に置き換えて、何とか克服してきたように思う。
 
 
ただ、やっぱり、永遠に苦手なものもある。初見で読んで理解したり、読み上げたり、誰かが口頭でつらつらっと説明しているのを理解したり、数字や言葉を記憶しておいたり、そういうのは、本当に苦手。それをカバーするために、あちこちにメモを貼ってあったり、似たような文章を読み込んで読み込んで練習したり、数字は手に書いてあったり、そんな事をしてます。
 
 
先日のアビとの会話。
 
アビ: リズの部署、今年一年で何人に増えたか知ってる?今、何人か知ってる?
私: ・・・ハイ。
アビ: ・・・。
 
私の答えを待っていたようだけれど。私は答えなかった。「知らない」わけではない。「増えたのは知ってる。十数人程度。だって、部署の予算と社員数の管理をしているのは、私だから。その計算ファイルを用意してるの、私だから。だから、1分くれたら、そのファイルを開けて、何月に何人になったか、全部答えられる。でも、覚えてない」が答えなのだけれど。
 
答えなかった事で、アビは多分「知らないのに、知ったかぶりしてる」と思ってしまったと思う。「知らないわけじゃないけれど、あてずっぽう言うのも違うし、今、アビの会話の趣旨は、私が数字を覚えているかどうかではないから、話の腰を折らない方がいいかな」と思って、説明すらせず「はい」だけで終わらせてしまった。
 
でも、世の中、これは「マスキング」というらしいです。
 
しょぼーん。