アーティスト&小説家 | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

マッチングアプリ、あんまり積極的にではなく。むしろ消極的に続けている。

 

もう、ホンマに「この人と話してみたいな」と思わない限り、誰ともマッチングしない。そうするとホンマ限られてくる。同世代だったり。やっぱり、学歴が同じぐらいの感じで、同じ感じの企業で働いていた人だったり。あるいは、いろんな国で暮らした事ある人だったり。せめて、何か共通点がないと、会話もつながらん気がして。

 

そんな中で、まぁ私より歳は下やけれども。ちょっと前まで香港に住んでたイギリス人で、アーティストで、この国にはギャラリーを開きにやってきたんだけど、結局小説書いてる・・・って人とマッチングした。

 

で、本人の作品を紹介したウェブサイトのリンクを渡されて見に行ってみた。まぁ、確かに、絵は素敵。ってか、うん。それっぽい。オイルペイントの抽象画がほとんど。モダンな部屋に飾ったら、よさそげ。でも、スマホのアプリでウェブサイトをあけたもんだから、まぁ作品がちっさくて。見えない。

 

 

私:素敵。でも、スマホだと小さくて見えないから、また後で見るね。

アレン:うん、もちろん。

 

 

その後、なんだか他愛のない話をして、彼は小説も書く事がわかった。

 

 

アレン:日本語訳してある本もあるんだよ、これ。

私: へぇ。

 

私: あー。残念。Kindle(デジタル)で買ってみようかと思ったけど、私のアプリからはダメみたい。また後で時間ある時に別の方法試してみるね。

アレン: ちょっと待ってね。

 

そういって、なんと、ワードバージョンの本をそのまま私に送ってくれた。エ?ただでくれていいの・・・?

 

私:わぁ、ありがとう。

 

 

そう言って、ちょっと読んでみた。うーん・・・。うーーーーーーーーーーーーーーーーーん。児童書なのかな。確かに、18歳までを対象としているので、児童書なのだけれど。うーーん・・・。ええと、私の好みではない。

 

少年が時代やら場所を超えて旅する話なのだけれど。なんだかなぁ・・・。どういってイイのかしら。全編、あらすじを読んでいるみたいなのだ。

 

 

Kは、気が付いたらXXに居た。そして、~に苦労しながら、彼はXXを学んだ。XXだと思ったので、XXで、XXで、XXだと学び、XXをしようと思った。そうしてやってみると、XXした。

 

 

みたいな感じ。「気が付いたらXXに居た」と、書かずに「気が付いたら居た」は表現できねぇもんかね?例えば、「旅に出てずんずん歩いて、歩いて、歩いて、森を抜け、山を抜け、そしたらXXに居た」・・・とか。「XXを学んだ」も、どうやって学んだかは書けないもんかね。最初は全然わからなくて、苦労して、怒られたりして。そんで、途中で挫折して、「もういいや」ってなって、「ああ。そんなんじゃだめだ」と思い直して、そんで学んだ経過をかけないもんかね・・・。

 

あらすじを、ひたすらずーーーーーーーーーーーーーっと最後まで書いてる感じ。

 

 

そして、日本語がおかしい。

 

 

私: これって、翻訳家に頼んだの?

アレン: そうだよ!

私: 今どきの翻訳家さんは、AIを使ったりするのかな。

アレン: しないよ!僕は日本に住んでいた事もあったからね!だから、お願いしたんだ。

 

 

・・・誰か教えてあげなかったのか。日本語がおかしいって事に・・・。少年の冒険物語なのだ。英語をそのまんま訳しただけの、大学入試のような和訳なのだ。

 

 

アレン: あ。でも、編集者に渡すときにちょっと変えてる部分があるからね!もしかしたら、ちょっと違うのかもね。

 

 

・・・いや、もはやそのレベルではない。

 

 

例えば、こんな感じ。『アレンは周囲の環境と調和しており、新しい経験、発見、旅行の機会はすべて、彼のスタイルを常に改善するための情報を提供します。』

 

 

・・・うーん。

 

『アレンは周囲の環境と調和しながら、新しい経験や発見、旅行を通じて、常に自分のスタイルを磨き続ける芸術家です。』

 

チャットGPTですら、「アレンというアーティストの紹介文として」とお願いしたら、3回ぐらいでここまで行けた。

 

まぁ、多分、日本語ではないんだよなぁ。多分、本人の書いた本自体が、ホンマにあらすじだけみたいな内容なんよな、きっと。薄いねん・・・。

 

うっすい、うっすい内容の文章書く人。いや、うっすい内容を「濃い内容」だと受け取る人。私にとっては危険信号です。何かが「あー。私と会わない人や」と告げている。

 

 

例えば、ジョージー・・・彼女は、2年働いた上でしか受けられない、国家試験もある難関職業のとあるプロセスを、5ページぐらいにまとめた文書を読んで、「私はもう、あれについては理解した」と言っていた。私、10年かけてようやく理解して、人に教えられるぐらいになった仕事やねんけど・・・。

 

そして、リズ。私が、とあるビジネスについていろんな会議に参加しながら勉強したいと言ったら、「じゃあ、私が毎週10分、そのビジネスについて教えてあげるわ」って。毎週10分で、そのビジネス学べたら、何の苦労もいらんやろ・・・。

 

「書いてある事を理解した」という事と、「体感・経験して学んだ」という事の違いが判らないこの人達に、私は苦労したし、今も苦労している。

 

 

同じ気配がするなー・・・。