”カサンドラ症候群の乗り越え方とは?” | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

大事な事なので、井上先生の記事を勝手にリブログ。

以下、抜粋。

 

そして、配偶者やパートナー、上司、部下など、身近な人が発達障害の特性を持つために、心の通ったやりとりやコミュニケーションができず、またそれを誰にも理解してもらえない孤独感から、心身の健康を害してしまうことがあります。

 

 

私は、逆に言いたい。配偶者やパートナーの発達障碍特性のためにカサンドラ症候群になる・・・ってのは、最近、割と知られてきましたけれど。親、子、兄弟姉妹、上司、部下、仕事相手・・・などなど、とにかく、法律上、あるいは一般的にどんな関係性の相手とでも、相手の発達障碍特性によりカサンドラ症候群になりうる・・・という事を言いたい。そして、さらに付け足してしまえば、カサンドラ症候群になりやすいシチュエーション、なりやすい自分の得性もあるって事を言いたい。

 

特に、相手に合わせようとするタイプの協調性が高い人は、負の発達障碍特性がある相手に振り回されやすい。もともと協調性がありすぎる分、自分を見失いやすい。

 

だからこそ。

 

自分を知る。そして相手を知る事が大事。

 

敢えていいたい。相手を知るだけでは、あかんと思う。「ああ!なるほど!この人、発達障碍特性が強かったのか!だからなのか!私は全く悪くないのか!」と、相手の特性だけにフォーカスしてしまうと、結果、乗り越える事はできない(いや、永遠に乗り越える事などできないのかもしれんけど・・・)。

 

先生は一つ目に「まず、特性を知る亊」とされていて、二つ目に「相手と自分の間に「境界線」を引く」とされている。この二つ目の「境界線を引く」は、自分を知らないと、出来ないと思う。

 

自分の固定観念や、自分の特性、思考癖、脳の仕組みと傾向を理解した上で、毎日、実践を繰り返して「境界線を引く」練習をしないといけない。そもそも、カサンドラ症候群になっている、あるいはその傾向がある時点で、「私は、境界線を引くのが苦手なタイプかも」って事を意識した上で、多少強引にでも境界線を引く練習をしないといかん。

 

その度に「やりすぎたかも」「傷つけちゃったかも」「私が悪いのかも」「こんな事言う私はひどい人間かも」・・・みたいな罪悪感にさいなまれるんだけれども。それすらも「しょうがない。今回は確かに言い過ぎたかも?なら、もう少しうまい境界線の引き方を考えよう」と、自分が心地よい境界線の引き方を探す調整期間として、考えなきゃいけんから。

 

むずー。

 

 

ちなみに、私は・・・。

 

 

母や家族の特性を理解してから、母や家族の事を「あの人」とか「あの人達」と呼ぶようになりました。

 

たまに、うっかり友人たちに漏らしてしまい「え?自分のお母さんに対して、『あの人』って・・・」と、大ドン引きされましたが。「あの人」と、意識的に脳内で呼ぶ事によって、精神的な距離が少し置きやすくなった気がします。

 

 

家族だからって仲良いわけではないし、母子だからって切り離せない愛があるわけでもない。姉妹だからって、分かり合えるわけでもないし。上司が尊敬できるエライ人とは限らない。

 

あの人達は、こういう脳の仕組みで。自分のこだわりがあり、でも、自分のこだわりに気が付かず。物事が思う通りに行かないとカッとする、子供っぽい精神状態の人達。IQめっちゃ高いかもしらんが、EQはかなり低めの人々。

 

このぐらいの冷静さと、距離感で、客観的に外側から相手を見れるようになって、ようやく、ほんのすこーしだけ、心に平穏が出てきました。

 

 

でも、うっかりすると、向こうから距離を縮めてくるので気を付けていないといけないし。「家族なのに冷たすぎる」とか「上司なのに、尊敬が見られない」とか、正論っぽい、一般化されたフレーズを使われる度に「そうかな・・・」と自己嫌悪に陥るので。特殊な人達との付き合いをしてるのだから、一般化された正論は当てはまらん!と振り切る必要もある。

 

 

やっぱり、むっずー。