年月とともに変化した人、変化しない人。 | マイノリティのお話

マイノリティのお話

ずっと人前で自分を出せない、自分でいてはいけないのだと思ってました。カウンセリングを受けたら、育った環境に原因がある事がわかりました。

私以外全員ASDだった。

ASDについて勉強したら、今まで見えてなかった事が見え始めた、そんなブログです。

アメトピには上げないでください。ひっそり身バレを防ぎながら、やってます。

 

しのばさんの記事を勝手にリブログ。タイムリーだったので。

 

 

母も妹も、二人とも、すごく嫌っている親戚がいる。昔から、母は「あの人、頭おかしい」だの、妹も「あの家族、厚かましい」だの言って、その場では優しく接するけれど、裏でめちゃくそ言うてた親戚一家である。

 

確かに当時、私が子供の頃は、ちょっといけ好かなかったきがする。私と同い年の子と、それよりも年上の子の二人が居て、子供達は特に何もなかったけれど。その母親(仮に、たか子さん)は、確かに、あけすけにモノを言う人で、自分が不公平だと思う亊や、自分が欲しい事をはっきりと言う人であった。親戚の集まりの中で、おかんみたいにお行儀よくよそ行きの顔をしているわけではなく、その場の人達の全員の家族・妹分としてふるまっている人だった。

 

大人なのに、ちょっと子供っぽいその言動は、私から見ても「あらら・・・」と言ったものだったけれど。今思うと、それも仕方ないのかな、と思う。

 

そもそもが、おかんよりも、大分若くて、母親になった人で。私と同い年の子は、ASDプラス知的障害がある子であった。上の子は、知的障害はないけれど、のちに中学・高校当たりから不登校になったりして、大変だったと聞いた。つまり、年の離れた夫と若くして結婚し、生まれた子の一人がASD+知的障害があり、上の子は不登校・・・という状況。

 

うん十年前のあの頃の閉鎖的な田舎では、多分、差別もあっただろうし、色々大変だったのだと思う。よそから嫁として都会からやってきたおかんに、優しくするような心の余裕はなかったように思う。みんなの妹として、実家に帰った時には多少のわがままを通したかったのだろうし。ましてや、私や妹が本家の子として優遇されるのは、面白くなかったのかもしれない。

 

 

母や妹は、あの当時の出来事を、いつまでも、いつまでも、引きずり、フラッシュバックし、「あの人達、嫌い」と、延々と悪口を言い続けるのだけれど。あの家族が諸々立ち向かっていかなければいけなかった現実を考えると、実家のある親戚での多少のわがままや、あけすけな要求や、ちょっとした嫌味は、十分に理解できる。だから、私には正直、「話してみたい人」であった。

 

 

そして、最近話をする事があった。

 

 

おかんや、妹が言う、たか子さんのイメージとは全く違って。

 

 

本当に話しやすくて。ざっくばらんとしていて。そして、当時の事も「私としても複雑だったわよ。あなたたちみたいなエリートの家族が急に来て。そりゃ、すごいな、尊敬するなと思ったけれど。それと同時に、やっぱり、何もかもが優遇されてるあなたたちを見て、うらやましくもあったわ」と言った。「ああ、なるほど。そうですよね」と私は答えた。

 

たか子さんは、こんな感じで、オープンに色々話してくれ、その上で、うちの両親の高齢化についてもあれこれアドバイスをくれ、「結局はね、人間、死ぬんだから。幸せなんて、感じたモノ勝ちって亊よ。悩んでも、しょうがないのよね。とは言っても、悩むのも人間よ」と、何かを悟った感じの事を言ってくれた。

 

酸いも甘いも苦いもしょっぱいも知ってる人の意見で、その結果の言葉は、おかんや妹みたいに片面しか見えてない立場のそれよりも、よっぽど心にしみた。

 

 

今回も、たか子さんと電話でちょっと話した。「旦那がね、脳梗塞で。麻痺が残ってるのよ。で、下の娘は、元からああだし。今は、上の子は仕事もしないで家にいるの。すべてが私にのしかかっててね、もう、ちょっときついなって」とたか子さんは言った。

 

ああ。

 

うちのおかんやったら、絶対に、こんな風には人には言わない。人には「全然大丈夫よ。みなさん助けてくれるし。なんの問題もないわ」と言い、そして、実は身内にめちゃくちゃ八つ当たりするのだと思う。多分、妹ちゃんも同じである。

 

 

私は、二面性を持って、本当の自分を出さない事をヨシとする、おかんや妹ちゃんよりも。はっきりとものを言い、表裏のないたか子さんの方が、ずっと気楽に話せるし、心を開ける。

 

 

しのばさんの記事を読んで、あー。タイムリーと思ったお話なので、書いてみました。