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自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

具体的に書くと差し障るのでボカします。

 

またこれは私個人の主観を私個人の判断で書くので、

縁ある人や団体とは無関係なことを宣言しておきます。

 

・・・とガッチリ前置きした上で、タイトルの通り、

遺族がタダ同然で便利に利用されている実態があります。

 

私は最近日々に追われて何もできていませんが、

心身を削って活動している遺族はたくさんいます。

 

その目的は、お金でも、自己承認欲求でもなく、

自分の経験した悲劇を伝えたいこと。

そして同じ思いをする人をなくしたいこと。

それだけ。

これだけはすべての人に例外なく共通しています。

 

そんな遺族の方は、公式の場に出て発言もします。

本当は思い出したくもないつらい経験を振り返り、

気力を振り絞って、魂を削るような行動です。

交通費も、準備も含めた時間だってかかります。

 

しかし同じ場に出ている芸能人や大学教授は、

数十万円単位でその場合の報酬を得ているのに対し、

遺族に払われる報酬は数千円というのが実態です。

 

どっちが安い高いというレベルの話ではありません。

桁が2つ違うのです。

 

5000円と20万円では、5000円は20万円の1/40です。

(私は進次郎氏ではありません・・・)

 

遺族の発言価値は、芸能人や大学教授の1/40なのか。

絶対に違うはずです。

 

芸能人は芸能事務所に所属して、

日々レッスンもしているからその分の上乗せ?

大学教授は大学院まで何年も長く学生をやって、

人より学費もかかったからその分の上乗せ?

(確かに運よく専任採用されるまでポスドクは極貧です)

そんな必要は絶対にないと思います。

 

使命感で動いている遺族は、主宰側から見たら、

コストも発生しないので、内部決裁も容易に出るし、

便利で、手軽で、おいしい道具なのだと思います。
 

ブラック企業では「やりがい搾取」が問題視されますが、

遺族に発言させようとする機関(多くは公的機関)が、

平気で遺族を「使命感搾取」している現状がある。

 

遺族間ではよく話題にあがる話ではありますが、

遺族以外ではほとんど知られていない現実だと思います。

 

これはもっと広く知られるべき問題だと思います。

 

予算の問題だというなら、芸能人や大学教授の分を削り、

遺族の分と均等にならせばよい。

単純に配分の問題なので、予算の問題は発生しません。

 

それで芸能人や大学教授の辞退者が相次ぐのであれば、

それは単にそれだけの場だったということです。

そこを再出発点にゼロからあり方を考えなおせばよい。

 

誰の目にも触れる場所に書き言葉で残しておくことで、

近未来への火付けの種にしたいと思い、書きました。

 

最後に繰り返しますが、私個人の主観と判断なので、

縁ある人や団体とは無関係なブログ記事となります。

1月15日は母の十三回忌の命日でした。

ちょうど土曜日だったこともあり、

ささやかながら供養してきました。

 

事件からちょうど12年が経ったことになります。

 

不幸自慢という嫌な連鎖に連なる気はありませんが、

やはり最愛の奥様や子供を奪われた方よりは、

過去の出来事を冷静に振り返っている自分がいます。

そうした方を前にすると自分語りはできない自分がいます。

 

毎年、命日にメッセージカードを送ってくれる方がいます。

被害支援の先駆的な方で、とても尊敬できる人格者です。

そうした方の視野に入れてもらっているというだけでも、

やっぱり心がホンワリあたたかくなる思いを感じます。

 

12年も経つと、事件当時と今では生活も異なります。

 

この土日は十三回忌だけではなく、

生活が変わったがゆえのイベントにも追われました。

 

7年前に授かった娘も、気が付けば今は小学1年生で、

命日午後は、ずっと習っているダンスの発表会がありました。

さらに翌日曜日には、娘がファンでずっと待望していた

きゃりーぱみゅぱみゅのコンサートに行ってきました。

 

※場所確認のリハーサル中

 

 

特にダンス発表会の会場で周りを見渡せば、

幸せそうな家族がたくさんいましたが、その光景をみると、

こうしたささやかな家族の幸せを突然奪う交通犯罪の

その邪悪さ、忌々しさ、罪深さ等々を感じてしまいます。

そう感じる自分の中の、まだ小さいけれども残っている

怒りの炎はこれからも大事にしていきたいなと思います。

前回、裁判のブログ実況中継の有効性について書きました。

その意義についてちょっと思うところを書きます。

 

交通犯罪の民事裁判では保険会社が雇った弁護士主導で、

とにかくないことないことヒドイ暴言を並べてきます。

 

あいの会ブログ記事

 

 

ここでも書きましたが、ヒドイ暴言が裁判所に認められ、

保険会社の利益貢献に結び付いた判例があるのか疑問です。

たぶんそんな判例は、ないんじゃないでしょうか。

 

当然、裁判である以上、自説の主張は当然です。

企業である以上、保険会社も支出抑止したいのも当然です。

しかしそれと遺族と故人を侮辱することは別次元の話です。

 

しかもその侮辱が効果を及ぼした例は聞いたことがない・・・。

 

効果がないとわかっていて、なぜ暴言を繰り返すのか。

なぜこんな悪しき風習がまかり通り続けているのか。

 

そんな風習をなくすためにこそ、やり取りは実況中継して、

馬鹿な言葉は晒し物にしてあげる必要があると思います。

 

相手に対して「馬鹿!」と言ったら侮辱罪になってしまいます。

(実際にそれだけで立件なんてありませんが法理論上は・・・)

しかし、浴びせられた馬鹿な言葉をそのまま晒し物にして、

「みなさんどう思いますか?」

と投げかけるだけで、うまく波に乗ればあとはうまく炎上し、

あとはグーグル先生が半永久的に記録し続けてくれる。

 

だから実況中継する意義はあると思います。

 

どこかの本で読んだのですが、悪事に対抗する術として、

「殺菌したければ日光にさらせ」

という言葉があるそうです。

 

日光にさらさなければ、保険会社に許された悪習は、

誰からも責められず、今後未来永劫続いていくと思います。

 

その悪習を断ち切る日光の役割は必ず必要です。

気が付けば2年近くブログを書いていませんでした。

(2021年はなんと1回も書いていない・・・)

 

ずっとあいの会ブログの「中の人」で満足してしまっていて、

小沢樹里さんや松永拓也さんや中村正文さんたちが、

言いたいことを全部吐き出して、行動も進めてくれたので、

それ以外に自分は何も付け足すことがなかったのもあります。

 

その小沢さんや松永さんが年末に、

民事裁判についてのブログを相次いで出しました。

 

***

 

小沢樹里さんのブログ

 

 

 

 

 

 

***

 

松永拓也さんのブログ

 

 

 

 

 

***

 

民事裁判でヒドイ言葉を投げつけられて憤ったのは、

私もそうで(というか交通犯罪遺族はほぼそうだと思いますが)

だからこその感情にまかせて、2年近くぶりに書いてみます。

 

あいの会の中でもちょっとやり取りしていたのですが、

そうは言っても、私はそんなに傷つきはしませんでした。

 

当時「民事になるとひどいことを言われるから覚悟しておいて」

と周りからアドバイスをもらえる環境にはいなかったのですが、

刑事裁判から加害者にかなりのオバカ弁護士が付いていて、

「お前どうせ執行猶予取れると思って、手抜きで書いているだろ」

としか思えないヒドイ珍説奇説を展開していたので、

ウンコの山にまた一つウンコが垂れた程度の感覚でした。

(汚い表現ですいません・・・が、これが率直な感想です)

 

ただその上で、私の場合は、

・「裁判なんて所詮ポイントゲーム」と醒めた態度だったこと

・このブログで民事裁判の実況中継をしていたこと

が心の平安を保つのに役立ったなと振り返って思います。

 

ポイントゲームと割り切っていたことで、ヒドイ暴言に接しても、

「あ、こんな変なところを狙ってきたの?何考えてるんだろ」

「こんなのどんな裁判官でも相手にしないでしょ。頭悪いな」

と淡々と反応できていたことがあります。

 

またブログで実況中継していたことで、ヒドイ暴言が来たら、

「あ、おいしいネタをありがとう!そのまま晒し物にしてやろう」

とイジワルな態度でネタ待ちしていたこともあります。

(自慢ではないですが、私は元々性格が悪いです!)

 

民事裁判は結局保険会社の話で加害者は痛くも痒くもなく、

刑事裁判は形式謝罪パフォーマンスでポイント算出され、

ゲームルール通りの執行猶予判決になってしまいましたが、

結局、このブログ実況中継の記録おかげで、一度炎上し、

グーグル先生だけが加害者を懲らしめた結果となりました。

 

裁判と正義は正比例しない。

全部とは言わないが、大半はポイントゲーム。

 

賛否はあると思いますが、ある程度はそう割り切って、

「どうせポイントゲームなら、その実況中継をしてやろう」

という態度で接するくらいがちょうどいいのなかと思います。

私も被害者参加制度を使いました。

 

そして失敗しました。

 

被害者参加制度実現に至る道を考えると、

その制度自体を否定することは無論できません。

 

しかし個人的な感情を吐き出せてもらえれば、

私にとって被害者参加制度はただの儀式でした。

 

事件に遭い、これから公判に臨む他の遺族には、

私のような失敗は繰り返してほしくないと思い、

自分の失敗を書き出してみることにしました。

 

ざっとまとめて振り返ると、

 

(1)検事を無条件に信用してしまったこと

(2)弁護士をつけられることを知らなかったこと

(3)加害者への希望量刑を曖昧に伝えたこと

 

この3点の失敗を犯してしまいました。

 

それぞれについて振り返ってみます。

 

***

 

(1)検事を無条件に信用してしまったこと

 

警察も検事も事件や加害者のことは緻密に調べ、

心情陳述書なども細かくチェックしてもらえる・・・。

しかし無条件でそうしてもらえるなどは単なる幻想です。

 

そうせさせるようにこちらで調べることは調べ、

検事にも細かいディレクションをする必要があります。

私はそうする必要があるなどとは露ほども思わず、

今読み返せば脇の甘い心情陳述書になりましたし、

被告人質問も薄いQ&Aをしただけに終わりました。

 

加害者のことも検事は全然調べていませんでした。

 

記者会見を行い、ニュースになって少し有名になって、

加害者を知る人から、加害者の過去の情報提供があり、

「これを知っていたら、被告人質問で使えたのに・・・」

という情報を全て終わった後に知ったりもしました。

(加害者氏名と出身校名を掛け合わせて検索すれば、

 誰でも簡単に調べることのできる有益な情報でした)

 

***

 

(2)弁護士をつけることを知らなかったこと

 

当時は被害者参加弁護士という言葉も知りませんでした。

結局単独参加の結果、検事の言うがままに終わりました。

 

なので加害者を追い詰めることもできず、

裁判官に有効性を伴う訴えをすることもできず、

ただ検事の横に座って話すことができただけでした。

 

弁護士も当たり外れがあり、全然精通していない

「被害者精通弁護士」なる存在もはびこっています。

なので弁護士選びは慎重になる必要がありますが、

それでも加害者の実刑を希望するのであれば、

弁護士を雇うのは最低限必要だと思います。

 

***

 

(3)加害者への希望量刑を曖昧に伝えたこと

 

被害者・遺族がよく使う言葉。

 

「加害者を厳罰にしてほしい」

 

同時に検事や裁判官にとっては、

毎日耳にする、聞き飽きている言葉でもあります。

 

しかし私も心情陳述と求刑意見で使ってしまいました。

 

「執行猶予など決して認めません。実刑を望みます」

 

こう言うべきだったのです。

 

そして執行猶予というものがいかに無意味なものか。

現実にはほとんどが加害者に「食い逃げ」される、

日本の司法が愚弄されている制度欠陥であること。

そうしたことをきちんと伝えるべきでした。

 

私も執行猶予を拒絶する強い意思表示をすべきだった。

しかしそこが抜けてしまいました。

(読み返すと「実刑判決を求めます」とは書いているけど、

 結局執行猶予を拒絶していないし、流されてしまった)

 

確かに殺人なら服役期間の長短が勝負かもしれません。

 

しかし交通犯罪の場合は、実刑か執行猶予か、

黒か白か、1か0か、がつまるところ全てだと感じています。

であれば、加害者を実刑=黒=1にすべく、

その一点に向けて言葉を研ぎ澄ます必要があると思います。

 

それができなかった、いや、知らなかったことは、

私にとって生涯抱える悔いとなっています。

 

***

 

結局、被害者参加制度を使ったところで、

「私は頑張ったよ」という自己満足では意味がありません。

 

結果を伴わない頑張りなど1ミリの価値もない。

 

だから私みたいな失敗と後悔は辿ってほしくない。

これから被害者参加制度を使う人にはそう伝えたいです。

 

昨日に引き続き池袋高齢者暴走事故のこと。

 

 

間接的にちらほら伝え聞いていることで、

あいの会ブログで書いたら支障が出るかな・・・

ということをここで吐き出してしまいます。

 

ここで書くことは、あいの会とは何の関係もなく、

私個人の偏った見識だとお断りしておきます。

 

結論から言えば、執行猶予判決が出ることより、

実刑確定後に検察が執行停止するんじゃないか。

それが一番怖いし、警戒すべきだと考えています。

 

2人の命を奪い、9人に重軽傷を負わせた。

 

それだけで大変なことだけど、数字の話じゃない。

「2人の命が奪われた」なんて言い方も軽すぎる。

真菜さんと莉子ちゃんを奪われた松永さんの心は、

悲しみなんて言葉には収まりきらないものです。

 

担当裁判官も(よほどトンデモ裁判官でない限り)、

きっとそれは理解して実刑判決を出すと思います。

 

ただそうなると被告人側は必ず控訴するはずです。

 

執行猶予前提で動くことの多い交通犯罪公判では、

執行猶予がつけばそこで終わり、

(大半の検事は控訴希望の遺族の声に耳を傾けず、

 控訴期間は遺族から逃げ回って判決確定を狙う)

実刑になれば被告人側控訴で第2R開始・・・が、

我が日本の司法文化の麗しき様式美だからです。

 

しかし高裁でも、ヘンテコな裁判官に当たらない限り、

今回の事件はさすがに実刑判決になると思います。

(最近の高裁判決での裁判員民意無視の傾向から、

 一抹の不安がないわけではありませんが・・・)

 

問題は確定した実刑がきちんと履行されるかです。

 

その頃には被告人は90歳になっている可能性もある。

80代90代の受刑者は、各地の刑務所に大勢いるし、

90歳だから刑務所に入らずにすむ道理はありません。

 

しかし検察がヘンな「忖度」をして、

遺族感情とは無縁なところから、検察権限で勝手に、

刑務所収監を「執行停止」する可能性があります。

 

遺族からすれば、味方だと思っていた検察に、

寝首を掻かれるようなことが起こりえるのです。

 

それも警戒しておく必要があると考えます。

 

公判では被告人側に対峙し、裁判官の理解を得、

「まっとうな」判決が出るように集中すべきですが、

同時に横で一緒に闘ってくれているはずの検察から、

最後に寝首を掻かれるようなことがないように、

「そんなことは絶対に許しませんからね!」

「まさかそんな愚かなことはしないですよね・・・」

という牽制はしておく必要はあると考えています。

告訴状拒否問題でちょうど身近な例があったので、
次はその身近な話を書こうと思ったのですが、
今日大きな動きがあったので、そのことを書きます。


池袋高齢者暴走事故で加害者が起訴されました。
(本当は「事故」なんて使いたくないけれども、
 その言葉で通ってしまっているし仕方ない・・・)


ずっと自分のブログを書けないでいた昨年1年間、
あいの会ではいろいろ変化がありました。

(言い訳になるけれども、あいの会ブログ執筆を通して、

 自分の感情も盛り込めて満足していた点もあります)


昨年4月のこの事件は大きな注目を集めましたが、
ご遺族の松永さんが入会し、一緒に活動することで、
(松永さんのフルネームは非公開としています)
あいの会でもこの事件に関わる活動が多く占めました。

 

今日の起訴の報道は、本当に突然でした。

 

松永さんも含め、昨夜の段階では、

「近いうちだと思うけど、いつ起訴されるんだろうね」

と何人かでやり取りしていたばかりだったから。

東京地検のポーカーフェイスぶりはすごいと思います。

 

起訴を受けて、松永さんと、松永さんの代理人で、

あいの会の顧問もしてもらっている高橋正人弁護士は、

今日の17時から司法記者クラブで記者会見をしました。

 

詳細はニュースで見てから書こうと思っていますが、

とにかくやっとこれから戦闘開始だなという感想です。

 

ある程度この国の警察・検察の事情を知る身としては、

逮捕するとかしないとか、上級国民だとか、

なぜ在宅なんだとか、そうした議論には興味がありません。

 

逮捕のタイミングが偶然なかっただけとわかっているから。

 

率直に言えば、マスコミもわかって、マッチポンプ的に煽り、

意図して話題性を作り上げていた面もあったと思う。
「元院長」と書いたほうが「上級国民だから!」と火をつけて、

この話題を燃えに燃え上がらせることができるわけですし。

 

松永さんは(当然と言えば当然ではありますが)、

被害者参加制度を使って、法廷でも発言する予定とのこと。

ただ私の被害者参加の時がそうだったように、

検事の横に座らせてもらうだけ、発言させてもらうだけの、

遺族感情のガス抜き儀式に終わらせてほしくはありません。

 

必ず実刑を勝ち取ってほしいと思います。

 

命の安全よりフランス料理のランチを優先するような輩が

2人の命を奪い、9人もの重軽傷者を出しておいて、

執行猶予なんて無意味な形式刑で終わらせるようなことは、

そんな悪しき判例は絶対に作ってほしくないと思います。

 

年齢も関係ありません。

 

全国の刑務所を見渡せば、窃盗なんてチンケな犯罪で、

刑務所に収監されている高齢受刑者はいくらでもいます。

窃盗なら容赦なく収監され、命を奪えば優遇などありえません。

 

松永さんの事件は、この国が命の尊さを再確認できるか、

それとも不当に奪われた命は軽く扱ってよいと宣言するのか、

その試金石になる公判になると思います。

 

他人の命を奪った者には、相応の報いがある。

そんな当たり前を実感できる判決が出ることを望んでいます。

 

遺族は決して行儀よくなってはいけないと前回書きました。

 

書いていて、交通犯罪ではほぼ議論にならない話ですが、

関連して告訴状受け取り拒否問題が思い浮かびました。

 

不幸にして何らかの犯罪被害にあった場合、

警察に被害届を出すだけだと単なる申告にとどまります。

だから「加害者を厳罰に処してほしい」と主張したい場合、

告訴状を提出したほうがいいのは言うまでもありません。

 

しかし警察では、被害者が告訴状提出をしようとしても、

とにかく受け取りを拒否しようとする傾向があるそうです。

 

これは全国の警察署で横行している悪しき風習だそうです。

 

政治的な発言が目立つ方なので、

公正中立を保ちたい本ブログで取り上げるか迷いましたが、
タレントの春名風花さんが最近これに遭遇したそうです。

 

春名風花さん遭遇の告訴状受け取り拒否の記事

https://www.bengo4.com/c_23/n_10723/

 

ネット上で誹謗中傷されたことで、履歴から該当者を特定し、

神奈川県警に名誉棄損で告訴状を提出しようとしたところ、

「うちではそういうのやってないから」と言われたとのこと・・・

 

「うちではそういうのやってないから」

・・・うーん、ではどこでやっているんだろう(汗)

 

いくら嘘のまかり通るポスト真実の時代になったといっても、

かなりふるっている部類の言い訳なのではないでしょうか。

 

調べると、弁護士の方も日常的に遭遇しているみたいですね。


ある法律事務所さんのブログがわかりやすく書いてありました。

(どんな弁護士がいて、どんな分野が得意か不詳ですが・・・)

 

警察は告訴を受け付けたくない?!

https://www.ichifuna-law.com/8967/

 

上のブログには書かれていませんが、聞いた話では、

「では預かっておきます」と、受理したフリをして実は受理せず、

そのまま意図して放置という作戦に出る刑事さんもいるとか・・・

 

多くの弁護士も勝手知ったものらしく、最初からわかった上で、

毎回わーわー言い合った末に受理という決着になるようです。

なんだかアラブ式商談を彷彿とさせますね。

 

告訴状は受理されると「受番」が発番されるそうです。

逆にそれが伝えられない対応は、すべて偽物ということです。

 

引用した記事でも触れられていましたが、

国家公安委員会規則「犯罪捜査規範」第63条では、

「司法警察員たる警察官は、告訴、告発または自首をする者が

 あつたときは、管轄区域内の事件であるかどうかを問わず、

 この節に定めるところにより、これを受理しなければならない。」

とはっきり書かれています。

 

であれば、全国の警察官はきちんと守ってほしいなと思います。


警察が恐ろしいまでに多忙なのはものすごくよく知っていますし、

少しでも仕事を減らして、家族と過ごしたい気持ちもわかります。

 

ただつらい経験を経て、真剣な気持ちで告訴状を書いた被害者を

馬鹿にするような対応だけはしないでほしいと切に思います。

 

・・・とここまで書いて、ふと気になりました。

家族を殺された交通犯罪遺族の場合はどうなんだろう。

 

私は当時、告訴も勧められず、告訴状も書いていません。

いままで話に聞いた限りでも、他の遺族もそんなだと思います。

 

命が奪われた交通犯罪において、告訴状を提出することで、

何かが変わるのか・・・気になったので確かめようと思います。

 

タイトルの通りですが、いろいろなケースを見聞きしてきて、

痛感することは、家族を殺されたら警察や検察に対して

お行儀のいい遺族になってはいけないということです。

 

おとなしい、お行儀のいい遺族になってしまって、

小声でぼそぼそ心情を伝えるだけだと、警察や検察にとり、

一番楽なパターンに落とし込まれてしまうからです。

 

交通犯罪はただでさえ執行猶予前提で進みがちです。

そんな中で加害者の実刑を勝ち取った遺族を見ていると、

一切遠慮せず、、警察にも検察にも強く自己主張し、

「執行猶予なんて絶対に許さないぞ!」

という強い気持ちをストレートにぶつけられた人だけです。

 

こればっかりは例外の人を知りません。

 

物静かな遺族が報われた話も聞いたことがありません。

 

クレーマーという言葉がひと昔市民権を得てからむしろ、

「こんなことを言ったらクレーマー扱いされるかも・・・」

と及び腰になってしまう人のほうが多いように感じます。

 

しかし犯罪被害にあったり、家族を殺されたりして、

一体何を遠慮する必要があるのかと思います。

 

遺族になって、警察や検察と対面するにあたり、

大切なことは、良い人だと思われることではありません。

あくまで遺族としての主張を受け入れさせ、

それを具体的に調書や求刑に反映させることです。

 

もちろん悪印象ばかり与えてしまい、刑事や検事に、

「こんなやつのために力になんかなってやるか」

とヘソを曲げられないための計算は必要だと思います。

 

そのための緩急や駆け引きも不可欠です。

叫んだり罵声を浴びせるなんて論外です。

感情的ではない、論理的な話し方も当然求められます。

 

しかし結局は、刑事や検事に「この人は面倒くさいな」

と思わせるくらいがちょうどいいのだと感じます。

 

なぜこんなことを書くかというと、私自身、

結局はお行儀のよい遺族で終わってしまったからです。

 

悔いても悔やみきれない、私自身の一生の後悔です。

 

検面聴取作成にあたった副検事には、

「残された父は料理教室に通ってがんばっている」

とか意味不明で無意味な調書を作成されたし、

(当時はそんなものだとしか感じられなかった)

公判検事には、私に事前に何も意見を聞かないまま、

禁錮3年という執行猶予前提の求刑をされてしまったし、

(そして検事と判事の阿吽で執行猶予になってしまった)

加害者をかばうような発言までしてくるような始末でした。

 

あるいは当時の私もクレーマーと思われることを恐れず、

もっとストレートに自分の主張を押し出していたら、

求刑も異なり、判決にも影響を及ぼせたかもしれない。

 

今ではそう思ってます。

 

そんな一生の後悔を、これから公判を迎える遺族には、

絶対にしてほしくないと思って、自分の後悔を書きました。

 

先日、父の縁者に寒中見舞いを出しました。

父の近況報告と、万一の連絡先通知のためです。

 

父の近況を報告し、万一の時の連絡先も、

あらためて正式に通知しておかないと、

後日いろいろと禍根を残してしまうと考えたからです。

 

非公式には一部縁者には既に伝えていましたが、

それでは万一の連絡網かこぼれ落ちる憂いもあり、

寒中見舞いの機会にまとめて送ることで、

果たせなかった課題を一つクリアしてホッとしました。

 

それでも寒中見舞い期間ギリギリでの投函になり、

間に合わなかったらどうしようという不安はありますが。

 

母の事件以来、父が独居になってから10年、

娘が生まれてから5年(正確には今年8月で6年目)、

特に娘が生まれてからは、土日も自分の時間がなく、

後回し後回しになっているツケをたくさん抱えています。

 

全部ひとりでやらなければいけない焦りと投げやりと、

どんどん時間ばかりが過ぎていく無力感のなかでも、

とにかく一つひとつやっていかなければいけないなと。

そんなことを感じなながらの課題克服となりました。

 

※↓は法人ホーム廊下に貼りだされていた父の書初め