あえて報道がひと段落ついてから書きます。
先週、日弁連の人権擁護大会が福井県であり、
全国の弁護士のうち、ほんのわずかしか集まらず、
委任状での意見も認めないという珍奇な方法で、
死刑廃止宣言を掲げたことが議論になりました。

あいの会がお世話になっている高橋正人弁護士も、
これに反対する意見を出して、各紙で報道されています。
瀬戸内寂聴が死刑擁護論を「殺したがる馬鹿共」と呼び、
全国犯罪被害者の会が反発する場面もありました。
私も含めて、多くの犯罪被害者遺族は死刑擁護論です。
というか、「死刑には廃止です」などと言う遺族なんて、
今まで会ったことも、聞いたこともない。一度もない。
理由は単純明快だと思います。
死をもって償うべき、許されざる罪は存在すると思うから。
家族を殺されたら、加害者の死を望むのは当然だから。
遺族は理不尽に無惨に、家族を奪われたにとどまらず、
加害者に寛大な司法にはらわたを煮えくり返され、
能天気な加害者にもはらわたを煮えくり返されています。
個人的には、絞首刑ですら生ぬるいと感じています。
サウジアラビアのように、公開斬首刑でやってほしい。
そしてYouTubeで誰でも自由に見られるようにしてほしい。
(Saudi beheadとかで検索すれば、誰でも見られます)
希望する遺族がいれば、刀を振り下ろす役もさせてほしい。
自分だって加害者の首を落とせるなら、ぜひさせてほしい。
あるいは散弾銃で頭を吹き飛ばす中国式でもいい。
とにかく加害者には、尊厳のない無様な死を迎えてほしい。
ここまで具体的にイメージする遺族は少ないとしても、
加害者に死んでほしいという遺族の感情は自然なものです。
司法に関わる人は、遺族の心情に思いを馳せてほしい。
屁理屈をつけて、死刑判決を回避しようとする裁判官、
今回、死刑廃止を掲げた弁護士たち、
そしてそれに便乗した瀬戸内寂聴のような目立ちたがり、
彼らに共通するのは、遺族の気持ちに思いを馳せる努力、
他人の痛みへの想像力の、致命的な欠落だと思います。
少なくとも日本は、いろいろ問題も抱えた国だとは思うけど、
秘密警察に家族を連れ去られて、そのまま帰ってこない、
(どこかでひっそり殺されている)そんな国ではないし、
無実の人が死刑になる可能性は限りなくゼロの国だと思う。
戦前の大逆事件のようなこともまず起きないでしょう。
そんななかで冤罪という扇動的なレトリックを活用して、
死刑廃止を訴えることのどこに正義があるのか問いたい。
ただ勘違いした正義感に酔っているだけの輩だと思う。
人権擁護大会という名称がそもそも間違っている。
加害者擁護大会と素直に言えばいいものをと思います。
想像力の欠落は、本当にあちこちに散らばっているな・・・
ということをあらためて今回の騒動をみて実感しました。