自転車に家族を殺されるということ -12ページ目

自転車に家族を殺されるということ

交通犯罪犠牲者の命が紙クズ扱いされる司法を変えていきます。フェイスブック・Twitterも発信中。
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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

12月30日は、あいの会で忘年会を行いました。

 

いつものゴミゴミした池袋が舞台ではありますが、

ゆったり落ち着ける時間を過ごすことができました。

 

※写真は二次会

 

あいの会ブログでも報告したので、

一応ながらリンクを貼っておきます。

 

http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/50341744.html

 

今回は、80歳の高齢運転者が、昨年12月23日に、

ブレーキとアクセルを踏み間違えて暴走したことで、
女子高生の稲垣聖菜さんの命を奪った交通事件の、
そのお母様の稲垣智恵美さんが参加されました。

 

seina.jp
http://seina.jp/

 

ひしゃげたiPadに衝撃を受けた人も多いと思います。

 

聖菜さんの友人たちが活動されていたこと、

その聖菜さんの溌溂とした美しさ、

その青春が突然断ち切られた残酷さ、お母様の活動、

などから注目が集まっていた交通事件でしたが、

先日執行猶予ではない実刑判決を勝ち取ったことで、

私も良い判例ができたことを感慨深くみていました。

 

事件から1年で、振り返れば涙ぐむことありましたが、

「遺族は孤独になってはいけない」と常々感じていますし、

この場が少しでも励ましになれたらいいと思いました。

私は趣味の先約があり、行けなかったのですが、

(怪談闇歩きツアーなるものに参加していた・・・汗)

あいの会ブログで書きましたように、

犯罪被害者支援弁護士フォーラムのシンポがあり、

「一部実刑、一部執行猶予」が議論されたようです。

 

調べると「刑の一部執行猶予制度」というらしいですね。

話を聞いて、今回初めて知りました。

 

もちろん遺族感情を満たすものでは到底ないけれども、

執行猶予がインフレ紙幣のように大量増産されている

いまのあまりにバカバカしい現状を考えると、

これはぜひ交通事犯でも運用してほしいと思いました。

 

※全く個人的な意見ですが、被害者不在の薬物犯罪が、

 ここまで話題になったり、国によっては死刑もあるのは、

 法学ではなく、歴史学と政治学の話だと思っています。

 守る対象が被害者ではなく国家の威信だと感じるので。

 

あいの会でも少し熱くなって書いてしまいましたが、

「被告人を禁錮●●年執行猶予●●年に処する」

なんて●●が何年であろうと数字遊びに過ぎません。

 

禁錮100年執行猶予100年より実刑1日が重いのです。

0よりも1のほうが、実態があるだけましだという話です。

 

いまのような意味のない形式罰の横行が撲滅され、

少しでも意味のある法運用がされてほしいと思います。

BPOのことは前回ブログで最後のつもりでしたが、

致命的な書き忘れがあったので、書かせてもらいます。

 

公益性・・・ただこの一点を考えての書き込みです。

 

言いたいことはただ一つ。

 

「テレビ制作会社ライスの村上という女性から、

取材依頼を受けたら、決して受けてはいけない」

 

これだけです。

 

未来のマスコミ被害者になるかもしれない人に、

これだけは伝えておきたいと思いました。

 

ベラベラベラベラ一方的にしゃべってきますが、

話も聞く必要はありません。

「お断りします。失礼します(ガチャ)」でOK。

対応方法は勧誘電話と全く同じで構いません。

 

どうもホームページもないようですし、

ライスや村上のフルネームで検索しても何も出ないので、

ブログに書き残して、ここをネット検索の指標にすることで、

自分以外の被害者拡散を防ぎたいと思いました。

 

業務妨害だ名誉毀損だと騒がれても面倒なので、

会社情報の詳細や、村上のフルネームも書きません。

ただ最小限の情報で、警告だけ残しておくつもりです。

 

また名誉毀損にならないよう、

村上がどのような人格的特徴かの評価もしません。

 

ただ抗議した時も「あれは当たり屋の話ではありません!」

と絶叫し、突然「シナリオを渡そうとした」という

(無意味な)作り話をしたことだけ振り返っておきます。

 

このブログを出すことはフジテレビとライスにメールしました。

もし問題なのであれば、どこがどのように問題か指摘せよ。

それがもっともな指摘であれば修正はすると。

もしそうなった場合はやり取りはここで公開するつもりです。

 

ちなみにBPOのサイトにあるフジテレビの報告書を読むと、

ライスは「シナリオを渡すべきだった」と言ったとあります。

 

 

いまだにフジテレビがライスとの契約を切っていないことに、

まず驚きましたが、つまりライスがフジテレビを騙したのでなく、

ライスとフジテレビは共犯関係にあった証左なのでしょう。

 

まだシナリオを・・・の作り話を性懲りもなく繰り返すライス。

そんなことではなく、番組内容を偽ったことが問題なのに、

それを堂々と報告書に載せるフジテレビのずれた感覚・・・

(自分が報告書作成担当者だったら、会社を守るためにも、

 無理やりにでも「以後二度とないように説明を徹底する」

 とはっきり誓わせて、それを報告書に盛り込みます)

 

この共犯者たちはまた同じことを繰り返すと確信しています。

いや、おそらく、既に繰り返しているのでしょう。

 

ライスが関わっているものではないかもしれませんが、

最近の事例をみても、ジャングルジムで火災があった時も、

黒焦げ遺体を、それとわかるモザイクをかけて放映したり、

(さすがに他局ではご遺体は画面から外して放送していた)

ASKAの覚醒剤の件でも、タクシー運転手を長時間連れ回し、

ヤクザまがいの方法で防犯映像を入手していたり、

相変わらずの幼稚な非常識集団ぶりを発揮し続けています。

 

関わらないという選択肢以外にはないテレビ局だと思います。

 

最後にもう一度繰り返します。

 

「ライスの村上からの取材依頼は決して受けてはいけない」

 

マスコミ被害者を出したくない公益性から書きました。

今年は時間のないまま月日ばかり過ぎてしまい、

書きたいことも書けないままが多くなっていますが、

これだけは年内に報告すべきことが残っていました。

 

フジテレビがバカな番組を作ったことで、

迷惑をこうむった件で訴えていたBPOのことです。

 

テレビ業界内では大きな出来事だったらしく、

私がBPOに訴えた結果も効果大だったらしいのですが、

ごく普通の一般市民である私から見れば、

「この程度のもの?」という結末に終わっていました。

 

既に8月、BPOからは最終報告が出されていました。

 

放送人権委員会 委員会決定 2016年度 第60号

http://www.bpo.gr.jp/?p=8627&meta_key=2016

 

ここのウェブページに、2016年8月16日付で、

「委員会決定に対するフジテレビの対応と取り組み」

とのタイトルで、

「フジテレビから対応と取り組みをまとめた報告書が

8月9日付で提出され、委員会はこれを了承した。」

との文章と下のPDFのリンクが貼られていました。

 

http://www.bpo.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/brc/determination/2016/60/taiou/60_taiou_cx.pdf

 

つまり全体共有だけ行い、きっと懐柔目的なのでしょうが、

その場にBPO委員を招待して、報告書提出でおしまい。

 

BPOもそれで「了承した」で、幕引きとなっていました。

 

「あれあれあれ???」というのが正直な感想。

あまりに空疎な形式主義に唖然としたのは事実です。

 

この間のフジテレビの支離滅裂さは8月報告の通りですが、

http://ameblo.jp/azumin827/entry-12192309305.html

こうした噴飯ものの主張を繰り返しきていたのは、

時間稼ぎをして、その間にBPO幕引きを狙っていたため。

そう解釈するのが自然であったのかもしれません。

 

テレビ業界人でもなく、業界に明るいわけでもないので、

こうした時間稼ぎがどこまで功を奏していたかは不明です。

 

一方的に文書だけ読み上げて、一切会話をしない、

という場であれば謝罪文提出の機会を設けてやろう、

という非常識なケンカを、フジテレビは売ってきていたわけで、

その経緯については、BPO側には都度伝えてはいましたが、

これがどこまでBPO内で協議されたかは見えないままです。

 

ただのガス抜き機関ではないようですし、ヒアリングの場でも、

ヘンテコな質問をしてきたおかしな委員は約1名いましたが、

他の委員はきちんと放送倫理を守ろうとしていたとの印象です。

 

ただ、これがテレビ業界内団体の限界なのかもしれません。

 

しかし伝え聞くところによると、他のテレビ局の人達の間では、

今回BPO提起によって、この番組とその問題が広く知られ、

「こんなバカな番組は作らない」との教訓になっているそうです。

フジテレビ以外では、価値のある学びの機会となったようです。

 

一般人の視点でみれば、効果的とも思われない報告ですが、

テレビ業界内全体でみれば、大きな効果があったようです。

 

実際に、件の「カスぺ!あなたの知るかもしれない世界」は、

今回問題を起こした昨年2月以降、放送されていませんし、

そうした意味でも好ましい結果をもたらしたと言えそうです。

 

瞬間風速ばかりのテレビに批判的なことをよく書いていますが、

今回のBPO問題に限って言えば、

フジテレビに常識が欠落し、質が底抜けに低いのが問題なので、

(対面したフジテレビの面々を振り返れば、納得の限りですが)

他のテレビ局はここまでひどくはないと考えています。

 

この世の中には本当に救いがたい者は存在しますし、

フジテレビは「観ない」「関わらない」が正解と繰り返すだけです。

 

「カスぺ!」に終止符を打たせ、フジテレビ以外のテレビ局には、

学びの機会を提供したことで、わずかばかりながら、

テレビ業界の放送倫理改善に貢献できたと思っています。

 

ここ数ヶ月、高齢ドライバーが引き起こす

交通事故報道が目立っている。

 

高齢者の事故が目立っている。

また死亡事故が起きた。今度はひき逃げだ。

今度は民家に突っ込んだ。

免許更新には認知症チェックを入れるべきだ。

高齢者も自主的に免許を返納すべきだ。

 

などなどなど・・・。

 

しかし、ここ数年で(東日本大震災後は特に)、

広くバレバレになっていることは、

日本の報道機関は真実をそのまま報じるわけではない、

ということだと思う。

 

被害者や遺族になると、身近にそれを痛感する。

たくさん取材を受けても、きちんと報道してくれるのは、

本当に少数に過ぎないと知ることになる。

自分の描きたいストーリーの中で動かす駒としてしか、

遺族を見ようとしないところも残念ながら存在する。

 

体制のバイアスがあり、スポンサーのバイアスがあり、

視聴率を求めて瞬間風速を追い求める構造があって、

それにすぐに乗せられる民々の弱さもあると思う。

 

一人ひとりの記者の方と接している限りでは、

使命感を抱く素晴らしい人たちがたくさんいることは、

とてもよく知っているのだけれども、

組織として見れば、お寒い事情は隠しようもない。

 

そのようなことをわかった上で、

最近の高齢者事故報道に接してつくづく思うのは、

「本当に高齢者の事故が最近急増したの?」

ということ。

 

私は違うと思う。

 

急増したのは事故ではなく報道だけだと思う。

 

高齢者事故は「今の旬」だから、

視聴率を稼げるうちに稼ぎたいだけではないか。

 

先日参加したハートバンドでも、

高齢タクシードライバーの話が出ていた。

 

タクシードライバーは大手の会社を定年になると、

今度は中小のタクシー会社に再就職し、

そこも定年になると零細のところに再就職し、

そこも辞めると最後は個人タクシーをやって、

実質定年のない世界であることが問題視されていた。

 

これは日本が貧しい国になったこともあると思う。

 

しかし最近になってそうした高齢タクシードライバーが、

急にたくさんの事故を起こし始めたとは考えにくい。

少なくとも数年以上はそうした状況が続いていたと思う。

 

こうした活動に関わっていると、

たくさんの悲惨な交通遺族の話を知ることになる。

 

しかし報道されて話題になるのはごく一部に過ぎない。

 

どんなに悲惨な死に方であっても、

どんなに悪質な運転による交通犯罪であっても、

死者1名であればベタ記事にもならないのが現実だ。

(遺族が必死に声を上げ続けた時だけ例外が発生する)

 

旬のものをむさぼり食らうように、

流すマスメディアも、視聴者・読者も瞬間的に加熱し、

1ヶ月も経たずに、きっとパッタリ何も報道されなくなり、

ほとんどの人の意識からもきれいに洗い流されている。

そして、また不倫だか麻薬だかの次の旬が出たら、

今度はそっちを一生懸命むさぼり食っている。

 

そして数年前も、今も、数ヶ月後も変わらず起こり続ける

悲惨な交通事故の問題は何も解決されないまま。

 

そんな無限ループを思うと、やはりため息が出ます。

 

次に高齢者事故が旬になるのは3年後か、5年後か・・・。

 

遺族一人ひとりができることはわずかかもしれないけれど、

人生に刻み込まれてしまった悲劇を一生抱えていく中で、

「命を大切にしてほしい」

「自分のような悲しい思いはしてほしくない」

という、単純な思いを愚直に訴え続ける人たちの存在は、

少しでも良くないことを良くしていく要石になっていると思う。

 

あいの会に参加したり、他の被害者や遺族と会ったり、

先日のハートバンドで集まっていた人たちをみて感じるのは、

そんな世相の瞬間風速の右往左往など関係なしに、

少しずつできることを続けている人たちの尊さだと思う。

 

感動ポルノではない感動が、そこにはあると思っている。

 

ちなみに高齢者事故が問題ではないとは思っていません。

あくまで旬の時だけ取りあげて、あとは忘れてしまい、

結局何も問題が解決しないことが悲しいと考えました。

あいの会ブログでも書きましたが、

先週末、犯罪被害者週間全国大会2016

(ハートバンド2016)に行ってきました。

 

 

あいの会ブログ

http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/50090187.html

 

現在2歳児を抱える身としては、

がっつりフルで参加というわけにはいかず、

いつもは最低限、講演⇒車座トーク⇒懇親会、

まではいたのですが、今回は懇親会も出ず、

車座トークまでで帰ることになりました。

 

後ろ髪を引かれるとはこういうことだなと・・・

おそらく来年もこんな感じになりそうです。

 

ですので他の人とも、合間のわずかな時間で、

簡単に挨拶するだけになってしまいましたが、

それでもやはり1年に1回だけであっても、

毎年会える人に会える安心感でホッとします。

 

車座トークで出た財産犯よりも生命犯が軽い

日本の司法の矛盾についての議論には、

「そうそう、そうだよな・・・」と感じました。

 

これは火付け・強盗を秩序を乱す重罪とした

江戸時代からの流れもあるみたいですね。

そんなものに今も大切にする価値があるのか。

 

お金は返せば済むけど、奪われた命は戻らない。

それを日本の多くの裁判官はわかっていない。

 

また大阪教育大付属池田小学校で、

15年前に起きた児童殺傷事件のご遺族の話は、

細かいたくさんの部分で「自分だったら」と考えました。

 

殺された娘様を「そこに置いてください」と言われた話。

もし怪我だったら「置いてください」なんて言わない。

「そこに寝かせてください」と言われていたはず。

 

そして司法解剖をされた後、

「頭は解剖しませんでした。それが最大の配慮です」

と解剖した医師から言われたという話。

 

司法解剖は通常は頭を解剖するもので、

(そうでないと、公判になってから加害者の弁護士が、

 「その時に脳卒中を起こして死んだ可能性がある」

 などとトンチンカンな主張を始めて紛糾するので)

頭を開かれた後の遺体がどれだけむごたらしいか

知っているので、確かに「配慮」だったのだとわかります。

 

しかし言い方というものがあります。

 

頭を解剖するのが通常なんて普通は知らないわけで、

不必要な情報はただ伝えなければいいだけの話です。

 

これは解剖医の個人的な未熟に限定される話ではなく、

きっとこんな無理解や想像力の欠落が、

まだまだ世の中に蔓延している証なのだと感じました。

 

娘様は心臓を刃で貫かれて、即死だったはずなのに、

そこから学校の廊下を68歩、歩いていたそうです。

 

お話をしてくれたご遺族は、何度も何度も、

娘様を想いながら、その廊下を歩いたとのこと。

 

そこから命の尊さ、生きることことの意味を考え続けて、

苦しんだ最後の娘様の姿だけでない、

笑顔の娘様もイメージできるようになったとの話でした。

 

「優しい」という字は、人偏に「憂う」と書く。

悲しむ力、苦しむ力・・・そんな話をしてくれたその方は、

今は精神対話士・児童指導員になられているとのこと。

 

事件で人生を永遠に変えられてしまった方ですが、

きっときめ細かいケアをされているのだろうなと感じました。

 

また来年もハートバンドには行くつもりです。

先週末の土曜日(10月22日)、

あいの会で講師をお招きして、

グリーフケアのワークを行いました。

 

 

詳細はあいの会ブログに書きましたが、

やはり体を動かしたりイメージしながら、

物事を考えることは大事だなと実感しました。

 

あいの会ブログ

http://blog.livedoor.jp/i_nokai0708/archives/49845136.html

 

 

どうしても寝ながら考えると鬱々しがちです。

現実もどんどんマイナスになってしまうことも。

 

よく考えることと悩むことは違うといいますが、

無駄に悩まず、正面から考えるツールとして、

いいものを教えてもらえたと思いました。

 

その後の懇親会では、瀬戸内寂聴への失望や、

最近遺族の相談が多くなっていることなど、

いろいろな話題が出ましたが、

2歳児のいる我が家としては、育児の先輩が多く、

そういう面でもためになる話が多々出ました。

 

日弁連の人権・・・否、「加害者」擁護大会に

ビデオメッセージを寄せて、死刑擁護論を

「殺したがるバカども」

と発言して物議をかもした瀬戸内寂聴氏。

 

前回、私のブログで触れましたし、

実際に知っている多くの被害者遺族は、

「信じられない・・・」

と瀬戸内氏の発言に唖然とさせられました。

 

そんな瀬戸内氏も、自らの発言が、

「舌禍事件」になったことは知っていたようで、

10月14日の朝日新聞でコラムを書いていました。

 

朝日新聞 2016.10.14朝刊

 

結論から言えば、残念ながら、

多くの被害者遺族の疑念を払拭するどころか、

自らの欠落を鮮明にしただけだと思いました。

 

まず発言対象は死刑制度を維持する国家や、

現政権だとしながら、

「「バカども」は当然、被害者のことではないと

 聞けるはずである」

と釈明している点がとても苦しいと感じました。

 

いえ・・・「当然」どころか、

どこをどう読解しても、加害者の極刑を求める

被害者遺族に対してと読めてしまいますが・・・。

 

また国民の圧倒的多数が死刑制度支持だから、

これまでの国家や現政権も維持しているわけで、

これは何党の政権になっても変わらないと思います。

 

加えて、「バカは私」というタイトルを出しながらも、

「恨みを繰り返さぬために」という見出しも表示し、

法句経という仏典に釈迦の言葉として伝わる

「恨みをもって恨みに報いれば、

 永遠に恨み尽きることなし」

を引用してコラムを締めくくっている点。

 

普通に読めば、被害者遺族に対して、

「加害者への恨みを捨てなさい」

と勝手な意見を押し付けようとしている

ようにしか読めないと思います。

 

結局、被害者遺族が加害者の死を望む感情に、

理解を示す言葉は一言もありませんでした。

 

そうした被害者感情には否定の立場なのでしょう。

 

とても残念に思っています。

 

「耄碌(もうろく)のせいだなどと私は逃げない」

とも書いていますが、やはり耄碌もあるでしょう。

 

「自分は絶対に正しいと思い込んでいることが、

 一番正しくないことだ」

は戦前の政治学者の吉野作造の言葉だったか。

 

死刑廃止論を声高に叫ぶ人たちを見ていると、

「自分は絶対正しい」病に罹っていると感じます。

あえて報道がひと段落ついてから書きます。

 

先週、日弁連の人権擁護大会が福井県であり、

全国の弁護士のうち、ほんのわずかしか集まらず、

委任状での意見も認めないという珍奇な方法で、

死刑廃止宣言を掲げたことが議論になりました。

 

 

あいの会がお世話になっている高橋正人弁護士も、

これに反対する意見を出して、各紙で報道されています。

 

瀬戸内寂聴が死刑擁護論を「殺したがる馬鹿共」と呼び、

全国犯罪被害者の会が反発する場面もありました。

 

私も含めて、多くの犯罪被害者遺族は死刑擁護論です。

 

というか、「死刑には廃止です」などと言う遺族なんて、

今まで会ったことも、聞いたこともない。一度もない。

 

理由は単純明快だと思います。

死をもって償うべき、許されざる罪は存在すると思うから。

家族を殺されたら、加害者の死を望むのは当然だから。

 

遺族は理不尽に無惨に、家族を奪われたにとどまらず、

加害者に寛大な司法にはらわたを煮えくり返され、

能天気な加害者にもはらわたを煮えくり返されています。

 

個人的には、絞首刑ですら生ぬるいと感じています。

サウジアラビアのように、公開斬首刑でやってほしい。

そしてYouTubeで誰でも自由に見られるようにしてほしい。

(Saudi beheadとかで検索すれば、誰でも見られます)

希望する遺族がいれば、刀を振り下ろす役もさせてほしい。

自分だって加害者の首を落とせるなら、ぜひさせてほしい。

あるいは散弾銃で頭を吹き飛ばす中国式でもいい。

 

とにかく加害者には、尊厳のない無様な死を迎えてほしい。

 

ここまで具体的にイメージする遺族は少ないとしても、

加害者に死んでほしいという遺族の感情は自然なものです。

司法に関わる人は、遺族の心情に思いを馳せてほしい。

 

屁理屈をつけて、死刑判決を回避しようとする裁判官、

今回、死刑廃止を掲げた弁護士たち、

そしてそれに便乗した瀬戸内寂聴のような目立ちたがり、

彼らに共通するのは、遺族の気持ちに思いを馳せる努力、

他人の痛みへの想像力の、致命的な欠落だと思います。

 

少なくとも日本は、いろいろ問題も抱えた国だとは思うけど、

秘密警察に家族を連れ去られて、そのまま帰ってこない、

(どこかでひっそり殺されている)そんな国ではないし、

無実の人が死刑になる可能性は限りなくゼロの国だと思う。

戦前の大逆事件のようなこともまず起きないでしょう。

 

そんななかで冤罪という扇動的なレトリックを活用して、

死刑廃止を訴えることのどこに正義があるのか問いたい。

 

ただ勘違いした正義感に酔っているだけの輩だと思う。

 

人権擁護大会という名称がそもそも間違っている。

加害者擁護大会と素直に言えばいいものをと思います。

 

想像力の欠落は、本当にあちこちに散らばっているな・・・

ということをあらためて今回の騒動をみて実感しました。

1週間遅れで書いていますが、

先週土曜の9月17日は、あいの会定例会でした。


しかし今回ばかりは仕事で参加できず・・・。


ただ、定例会の場所と同じ池袋にいたので、

1時間足らずだけでしたが、ちょっと顔を出し、

あとは懇親会からの参加となってしまいました。


定例会では、顔を出した時に記者さんが来ていて、

その方のテーマが自動運転のことでしたので、

その議論のところで、ちょっとだけ参加しました。




そのあとも国土交通省への要望内容の検証など、

次から次にずっと話が尽きなかったそうですが、

次回はやはりフルで参加したいと思いました。


その後、私は懇親会から参加・・・。


遺族ならではの「ここでしか話せないこと」を、

話すことのできる時間とつながりがあることは、

やはり恵まれたことなのだなと実感しました。


実際には、そうでない人のほうがはるかに多く、

そしてそういう人たちの少なくない人が、

病んで落ちていく現実を考えると特にそう感じます。


今回は断片的でしたが、出られただけでよかった。