そもそも人の命を奪った者に執行猶予がつき、
実質ゼロになる前提がおかしいのは当然です。
その上で、それでも一万歩以上譲って、
今の判例上どうしても執行猶予が不可避の場合、
判決文の書き方にも問題があると思っています。
交通犯罪で加害者に執行猶予を付ける場合、
判決文に載る理由はどれも似たり寄ったりです。
「保険に入っていて償う予定である」
「遺族に対する謝意がみられる」
ほぼ例外なく、このコンボの組み合わせ。
そしてそんな説明に納得する遺族など
少なくとも私は聞いたことがありません。
自動車を運転する以上、
保険に入っているのは当たり前のことです。
では保険に入っていさえすれば、
(つまり一部の無法な無保険者以外は全員)
どんな運転もOKとするのかという話です。
もう一つの謝意がどうのこうのというのも、
本当に謝意があるかどうかとは無関係で、
以前、下記のブログ記事で茶化した通り、
それらしき言動の有無のカウントによる
機械的ポイントゲームでしかありません。
♧以前のブログ記事
私の場合も加害者の明らかな茶番を取り上げて、
安直に「謝罪している」と無理やり理由付けし、
機械的に執行猶予をつけたから怒っているのです。
もしこれが、
「人の命を奪って刑務所に入らずに済むなど、
普通に考えればありえないことです」
「加害者の謝罪の言葉など裁判対策でしかなく、
全て空疎なパフォーマンスだとわかっています」
「しかし被告にも執行猶予を付けざるをえません」
「なぜならば今の日本の裁判所では、
過去の判例を踏襲しないといけないからです」
「そして過去の判例は執行猶予前提なのです」
「正義にもとるのは当然ですがわかってほしい」
判決言い渡し時に、ここまで語りかけられたら、
私も裁判官への憎しみを抱き続けられていたか、
正直自信はありません。
遺族活動の方向も、このブログの雰囲気も、
きっと違うものになっていたと思います。
「判例を踏襲して執行猶予をつけないと、
私の出世にも響いてしまうんですよ」
なんて率直すぎる本音までは言わなくてもいい。
しかし上に書いたことを切々と言われたら、
きっと私の心に響く何かはあったと思います。
しかし私の刑事裁判の裁判官はそうしなかった。
そして多くの遺族がそうさせられているように、
私も日本の司法を信頼せず、時に嘲笑すらする、
そんな被害者遺族の一人になっています。