狂った日本の中で生きるチカラ

狂った日本の中で生きるチカラ

日本の社会に翻弄されて得た沢山の記憶と体験をこれから体験するかもしれない人のために在るべき姿。

会社の乗っ取り、自己破産や身近な人達からの搾取や詐欺に遭遇し、何度も諦めようとした人生。

でも家族と数少ない本当の友達の存在で今でも生きてる。
そして、そんな体験を元に改めてこの大変化を伴う「今」を綴りたいと思った。

基本アメンバー限定ですので、
多分ほとんどの方が読めないブログです。

それでも書ける時は綴ろうかと。

ご縁で興味の出た方はとりあえずアメンバー申請をしてみてください。
リアル系のなりすましはブロックなり断ったりはあります。
何も記事を書かれていないアカウントの方はお断りするかも。

色々と書くのでそんな感じです。。。

追記:
最近アフィリ系やネットビジネスに関わるブログをアメーバで開設され、完全な宣伝目的でのみコメントを入れてくる方が増えました。
こうした「いかにも」読みました…と書かれているのにも関らず、内容に一切触れていないコメントに関しましてはコメントを受け付けないように致しました。そのための承認制です。
アフィリ系の方でも、記事の内容に沿ったコメントや個人をしっかりと感じる場合には受け付けますがそれ以外は公開いたしません。

追記2014/06/23:
何かのシステムでブログ記事も読まずに何となくのコメントでリンクに誘う悪質なコメントを拝見します。それっぽく文面を作り、自分のアフィリリンクに招くとても不愉快なものです。
現在はたとえ異常な用語を使わない方のものでもそういった宣伝目的の嫌がらせコメントは承認せずに削除させて頂いております。
一切のクレームも受け付けませんが、今後見にも来ないのでしょうね、そうしたブロガーは…。
メッセージボードなどもシッカリと目を通されてからコメント下さいね。本当に増えました…。この手のアフィリ系ブロガー。
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Instagramの投稿をするにあたり、今日からいきなりキーボードが不調になったので、急遽子供達も使っているSimejiを導入。

にゃんと!(´゚ω゚`ノ)ノ

スグレモノではないか…。
仕事でSNSの投稿を死ぬほどやっているのもあって、キーボードはもっとこだわるべきだったと改めて痛感。。

今後はSimejiかなぁと思ってみた。




笑顔が大切って意外に誰もが知ってるけど実行出来ていない人はとても多い。

余裕や金銭に満たされている時は確かに殆どの者が笑顔はできる。
ところが昨今のコロナ禍のようになるとそれらの笑顔や自信は消え去り、誰か他者との比較や蔑みによる自己肯定を前提とした「顔」が増えて正直辟易とするようになり結果的に周囲の笑顔も消していくのである。

こんな世の中。
地方では地元で既に人生の大半を終えて年金ベースで暮らす爺婆が利権や栄誉の中心にいる場合が多い。なので本来ならその彼等が一重に笑顔で余裕を失っている若者や中堅層を支持しても良いはずなのだけど、そうした時に「こそ」追い落としたり、追いやったり、貶したり、遠ざけたりする人がとにかく多いのだ。

その爺婆は普段は地域創生やら地方を盛り上げようと声高々に謳いまくっているわけだが、よくよく見てみると残念なほどにその息子や娘は大体首都圏に住まわせ家を買わせ地元に戻る気の無い。
そのくせ周囲には盛り上げろだと努力しろだのと若手にやたらと押し付け思うようにいかないと直ぐに噂を振り撒き散らし邪険にして地域で孤立化させていく。

それがこのコロナ禍で更に磨きがかかり手をつけられなくなっているけれど、誰もその当事者には意見しないのもまた地方あるあるでもある。
意見したが最後、完全に地域から排除され地域内で生きていけなくなるという筋書きになるからだ。

完全に旧態依然の思考回路から脱却出来ない地方の良くある姿であり、こんな体制が更に続くようであればもう手も付けられないだろう。
糞みたいな爺婆の価値観で自治体が滅びるのが先か、その爺婆が老衰などで天寿を全うするのが先か。
悲しいのは、爺婆の死を密かに願う若手の姿がとにかく多い事。彼等爺婆が牛耳る間は何も出来ないと知ってしまっているからだろう。

まぁ面倒臭い世の中だが、コロナ禍で良い点も出てきた。
生き残れないとレッテルを貼られた会社や事業も、資金的な流動性アップや周辺の同業他社の不振から来る特定へのレッテル貼りが控えられてきているのだ。

やや過激な事を言うが、コロナウイルスが年配層に蔓延して、地方の膠着状態が改善されるのもまた大きな流れでは望むべくだが、至って憎まれる爺婆ほど長生きというのもまた理屈である。。







なかなか疲れが抜けない。
おまけに咳も取れない。喉がこの2ヶ月程度ずっと抜けずに困っているが毎年のこの花粉の時期に何故か喉に出ていたのでソレだと納得しながらもう6月になってしまった。

コロナ、コロナって今でも世界中で騒いでて、一番おかしいなぁと思うのは金持ちばかりが株価で儲けてて、実体経済とかけ離れた儲け方をしてる連中が大量にいることだろうか。

ここまで来ると、中国共産党と金持ち連中は壮大なインサイダーみたいな事をしてるようにも思えてくる。
一般人の無力さを感じ続けているとそれが心の疲れに連結してるのか、重さが抜けない…といった感じだ。

新型コロナって話なので、今抗体検査なんかで出てる人って実は普通の風邪であるコロナウイルスの抗体なんじゃないかとも思うし、米国なんかのウイルスと日本で今言われてるウイルスが違う気もするんだ。

まぁ、何が言いたいかと言うと、、、
所謂「陰謀論」と各位が言ってるヤツを何だか真剣に感じてるということ。
つまりはヤッパリ計画されていた事のように思うわけで、何故って稼いでいる連中が意図してないとそうならない株価やら各国政府やらと思ってるわけ。

私一人がどう言おうとその影響などありっこ無いので心配なく書くけど、昔からカネでカネを生む仕組みが人間の在るべき姿をダメにしたと思っていて、代価であるべきだったと思う。
複利やら銀行制度で少なからず人間社会はカネに振り回されるようになったわけで、良く言われている金融リセットが早くされないかとワクワクして待ってるのに、このコロナ禍による金融と実体経済との解離はソレの引き延ばしに感じるんだよね。

mixiで色々な意味で有名な富士山ニニギ氏の内容も実に破天荒だけど、社会のリセットという点においては読み物として愉しく拝読しているのだけど、流石に最近はもう預言者ではなくなってしまっているので、昔からの内容からはだいぶブレてきたんだなぁと思ってる。
彼の言うようなアメリカの動きや国際社会の動き、そして日本の大改革が本当に起これば良いのにと思いながらも既に何年も経過してて、まぁそれだけ預言者の要件に満たすような出来事も無く安穏と過ごしてしまっている社会なのだろう。

コロナ禍前から厳しい状況だった会社の経営は実はだいぶ復活の兆しが見えてきた。
融資の借換やら新規マネーやら、条件変更、給付金、助成金、云々と、元々昨年暮れから会社の作り直しをしていた当社からしたらクモの糸が垂らされてきたかのような対処が揃えられたのだ。
2月頃までは当社だけが苦しい状態で、銀行も行政も取引先も惨めそうな目線を送って上目線で何事も言ってきていたのが、3月〜4月となるにつれて段々とトーンが下がってくるという人間性の酷い顛末を見た気がする。

殆どの地方事業者は、成功という名の安定環境を自負する者を指し、新規参入に障壁を設けたり地域の人間関係を弄り倒して追放したりと異常なまでの「常識」を普通としていたのが、コロナ禍になった事でそれらの壊滅的な売上減に未だかつて対応した事のない損害も市場に撹乱され突如として不良事業者となっている。
頼りの仲良し自治体主権者も、票に繋がればと思って大事にしてた連中が片っ端から崩れていく中でその連中だけコッソリ根回し出来る規模ではなくなった事もあってなりふり構わなくなっていた。

ある意味で新規に取り組み柔軟性をもって取り組める我々のような地方で蔑まれていた新規事業者の時代が来たのかもしれない。

このコロナは年寄りに危険とも言われていて、地方の利権者集団の殆どが年配者で自分達の息子や娘は大概首都圏で別生計を持って生活してる。
言っちゃあ悪いがもう表に出てこない方が良いよと言いたい。
若者や新参者に地域も任せなきゃいけないというサインとなってるように思うのだった。

早く新しい仕組みと商品でガンガン稼ぎたいし、喜んでも貰いたい。
でも今はチョット疲れが溜まってダウン気味。癒しと休息が欲しい。










余りに早い生活様式の変化。
それは大人だけでなく、十代や二十代の子供達、若者にも当然強く出ている。
もうコロナ禍から何ヶ月も経過し、正直家族皆が疲れてしまい今日はダウン気味なのだ。

泣き出す息子に毎日倒れるように眠る娘。
妻は気を張って公私共に毎日頑張ってくれていたが、流石に疲れ果ててしまった。。。

こんな日々をどう乗り越えていけば良いのだろう。
先を見通す力はそんな簡単には得られない。せめて日々を恙無く暮らせる目処でも立てば良いがそれすら分からない。

国は期待出来ず、県は地方の収益構造を理解しない施策を展開しようとしている。
つまりは棄民政策が選択されていると率直に思う。







今朝無事に持続化給付金が入金された。
全く売上が途絶えたので、法人満額の支給だ。まぁ正直有り難かったし、コレが無ければ確実に倒産しただろう。
なんせ売上が皆無というのはそういう事だ。そしてその原因はコロナ禍によるものと思うが、残念ながら人災としての側面も否めない。

田舎は観光で成り立っている地域が多い。
県や自治体も誘致にとにかく力を入れていて、過疎化が進む地方での唯一の外貨獲得方法であり、地元民は残念なほどに高付加価値の地元食材や産業製品を購入する機会は無いと言える。
そんな中でのインバウンド消滅と首都圏も含めた県外との往来の自粛という名の禁止だったわけだ。

感染は怖い。
私などは既往症の殆どを抱えていて、おそらく重症化にとても近い体質が故に怖い。だがそれ以上に怖いのは経済的な生活の困窮であり、私だけでなく家族や従業員の生活も同様である。

固定費用は常に請求され続け、身を縮めたからと言って経費がなくなるわけでは無い。無くすには会社自体を消滅させるしか無いわけだ。
持続化給付金などのようなものは、1日でも、1時間でも1分でも早く給付されその支払に充てていかなければ残念なほどに意味が薄れていく。その支払いのために誰かからまた借金をし、負債は積み上がっていくし、同じ2,000,000円でも価値がドンドンと下がっていく。

そして自粛解除と宣うが、実際にその環境が戻るわけではなく、もう昨年のような環境は訪れない事を私達は認識しなければならない。
残酷なほどに突然その機会は起きてしまい、私達経営者はその濁流のルートをすぐさまに読み切れないと終わってしまうのだ。

日本という国がどれほどに力があったとしても、現政権の対応や発言、そして長年繰り返されてきた政府や都道府県、自治体での縦割り行政体質を許容してきた一般国民のツケを一気に払わされていると言える。

淘汰されるのか。
大きな濁流の流れの変化に溺れながらも泳ぎ切るのか。

持続化給付金において多少の息継ぎが出来た事への感謝と共に私達は今やこれからの政治家への影響力を高めていくだけでなく、同じ方向性をもって利権者の自由にさせない社会の実現に向かう事が大切であろうと思う。