夜のひるね。 -6ページ目

地方移住者集まれのMTG

 

「地に足つけていこう」

 

私の仕事は印刷広告業なので、このご時世なかなか厳しいもんがありまして

 

とはいえ、与えられた場所こそ次のステージへの近道だと

 

経営者でもない平社員のワタクシは根拠なき自信の元、日々楽しく過ごしています

 

 

うちの会社はホワイトで有給全取得、18時も過ぎると仕事があっても締め出されちゃうし

 

給料は低いけど副業黙認だし、おかげ様で念願の田舎暮らしを満喫しております

 

願わくば、細々であっても潰れないでおくれよ!

 

そんな中、オナゴ独り身、家まで購入してコツコツリノベーションする自分を

 

面白く思ったらしい自治体さんから「地方移住促進」の民間委員として声がかかりました

 

確かに面白事例だよな

 

 

委員のメンバーは同世代の稼業持ちの経営者ばかり

 

零細企業の平社員は少し肩見せまいよ

 

ただ今日の会議で感じたのは、出るアイディアや視点が「本当の移住者像」から離れてるなーってこと

 

この世はほとんど「雇われ人」なんだ

 

みんながみんな、移住者の理想像みたいに個人で起業して地元に馴染むわけでなく

 

その受け皿が今の地方自治体にあるんだろうか 

 

そしてこれから雇用を創出する体力があるんだろうか

 

人生賭けて来てくれる人に本当に報いることができるのかな、と

 

ぼんやりと独り考えこんでしまった(根が真面目なのだ) 

 

移住するって人生の大転機で、その転機がみんなポジティブなものだとは限らないよ

 

リストラ・家族の病気・子供に課題があって環境を変えたい そんな理由だってありえるし

 

逆にそういう人を受け止めて、共に生きるくらいの覚悟を決めてくれる自治体さんなら

 

私は行ってみたいって思ってしまうね

 

それにちょっと近いこと言ってしまった今日

 

 

私個人、移住後の9年は正直、大自然の中で暮らせる喜びが

 

ここで働く厳しさ(モチベーションギャップ・給与問題・少しの男女格差)を

 

少し上回っているから、やってこれたかもしれません

 

あと地域の伝統芸能に飛び込んで生活の一部としてしまったこと

 

そのコミュニティをベースに国内外の仲間と繋がり世界が広がったこと

 

一人行動が苦にならない性格や、良い友達がいたこと、ほんの少し貯金をしていたこと

 

だから私はラッキーな方の移住者かもしれないね

 

でも日本の真ん中の湖がきれいなこの場所は

 

選ばなきゃ仕事もあるし、お祭りや文化歴史、観光、温泉、花火

 

田舎特有のしきたりも少なく、数ある地方の中では比較的恵まれていると思います

 

仕事は別にして、ここに来てみたいと思う人がいたら

 

本気でワタシ、親身になりたいよ

 

だってここを選んでくれたんだものね

 

愛しちゃうよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またね

 

「ヨガの日々」

 

大阪に越した2011年

 

ヨガを続けたくてネット検索して見つけた京阪線沿いのヨガスタジオは

 

2人の元気な先生が、日々のレッスンとともに

 

時々著名な先生をお迎えしての特別クラスを開催しており、

 

関西勢いあるヨガ講師の卵たちが集う、とても活気がある場所でした

 

ヨガのヨの字を学ぶようなレベルの私も、勢いで参加させてもらっていたけど

 

大阪ライフがあんなに密度が高かったのは、このスタジオのおかげだとおもっております

 

その2人の先生の内、おひとりが今年旅立たれたと

 

そして特別講師としていらしていた方も若くして、相次いでこの世を去られたのだとか

 

 

あれからヨガから生活の軸は太鼓へと移動したのだけど

 

私の細々と辿る「道」は変わっていなくて

 

この世にまだいる私は、ここでしかわからないことが

 

まだまだあるのだと思うので

 

続きを生きていこうと思います

 

そしてこの世界でお二人に会えて良かった

 

大阪で暮らせて良かった

 

ありがとう  またね

 

 

 

 

 

 

 

 

45

 

「サントリー新浪様」

 

随分と発言が波紋を生んでいるようで、それはそうだよなーと思っております

 

「45歳で放出されるくらいの覚悟を持って、日々切磋琢磨してほしい」という

 

これまで長いこと日本において採用されてきた年功序列では

 

これからの世界経済には太刀打ちできないであろう現実に

 

志ある憂いを爆発させた上での、大いなる「喝」なのでしょうか

 

そうであるならば、徹底した成果主義制度を敷いて、年齢・性別に関係なく

 

1年ごとの雇用契約制を導入するもありだし

 

それを希望するハイリスクハイリターンなクラスと

 

65歳定年まで入社時と給与の変わらないクラスを

 

選択させた上で入社させても良いのだけど

 

どうやら、そういうことではないみたいだ

 

 

私なぞは幸か不幸か養う子や相方もおらず、いかんともしがたいときは

 

体力の限り働いて最悪果てるだけですが(その前に福祉の綱もありますし)

 

同じ世代で、奨学金の返済や、子供や親などの扶養者、ローンがある上で

 

雇用される以外の道を持たない方の気持ちを考えると(そういう方がほとんどだ)

 

これは苦しい

 

 

しかしながら本当にこんなことを日本の中で推し進めてしまうのならば

 

そろそろ、日本人らしい真面目さ誠実さを、捨てる時期にきているのかもしれないな

 

働き口がなく収入がないのなら、納税なんてできないし

 

なんなら他人の食い物ぶんどってやる、くらいの勢いで

 

ある意味「へー、そうなんだ!OKOK!」くらいの図太さも

 

今みたいな時代には必要だと思うのです

 

王様は奴隷がいてこその王様ですし

 

国は納税者を減らすようなこと、今一番嫌いそうだから

 

新浪さんの言うままの筋書きはちょっと難しいのかもなー

 

 

しかし賢い経営者はみんなそんなことお見通しな上で

 

雇用する厳しさと、解雇する難しさに悶々しているんだろうことも理解できます

 

新浪さんも何か深淵なる目的があっての発言なのかもしれません(やたら切れ者そうだし)

 

企業が存続してこその雇用であり、事実ろくに働かない高給取りも存在するので

 

なかなかこの時代、会社をまわすのは並みではないね

 

 

最近ぼんやり考えるのは、日本も再び変化の時期が来たのかもしれないね

 

直近だと明治維新か第二次大戦か

 

希望はどんな時代も、人間はしぶとく生きているということで

 

ただ新しい時代は、生まれてくる新しい世代の多くが

 

生まれたことを肯定できるような世界になるといいな、と思います

 

全世界が少子高齢化という課題を、今後共有していくにあたって

 

その先駆けとしての日本がどんな選択をして、この問題を平定していくか

 

果てしない課題ですが、素敵な答えが出るように、私も頑張ります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パラダイス酵母とな

「すべての道は林檎に通じるかも」

 

会社の先輩にパラダイス酵母なるものをいただく

 

原液(酵母)を果汁100%ジュースに少量加え

 

一日ほど常温保存するだけで炭酸ジュースができるという優れもの

 

なかでも酵素の強い系(パインとかマンゴーとか)が効くらしく

 

リンゴジュースの次にパインで試してみたら、確かに巷の炭酸果汁どころでない

 

強炭酸果汁が仕上がって満足

 

 

でもここ最近忙しく、冷蔵庫に入れたまま1週間ほどほったらかしてしまい

 

「酵母が成長して、既に酢もしくはバルサミコ酢になってるかも」

 

と、恐る恐る飲んでみたら、程よいアルコール具合の旨いシードルになってた

 

でも不思議なことは、元はパインジュースであって林檎じゃないこと

 

甘味と香りが飛んでるせいかもしれないけれど 

 

100%といえどもいい加減なものだな

 

もしくはいい加減なのは、わらわの味覚かもしれませんが

 

 

お裾分けが基本の酵母や菌ってここ数十年、ダラダラと流行っておりますが

 

カスピ海ヨーグルト然り、その後はペットもしくは家族のように大切にするほうなので

 

今回の酵母も末永く暮らしてみようと思う

 

なにせ、この酵母はちょっくら ほっといても平気そうなところが気に入ったよ

 

何か効果がある感じは今のところございませんが

 

美味しい炭酸やどぶろくができるのは歓迎だからさ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おとうちゃんの語録

 

「強く生きろよ」

 

パパンはA型でオタク気質な次女とは気が合ったと記憶している

 

41歳厄年の3月の或る日、寒い長野には桜も咲かない午後に

 

4人の子供と36歳の13年連れ添った妻を残して、逝ってしまったのだ

 

工業高校の教師をしていた訳は、大学の奨学金がチャラになるからだとか

 

ほんの少しだけ愛に飢えていたから、驚くくらい家族を大切にしただとか

 

逝ってしまえば、みんな「いい人」だね

 

ただ論理的な考え方で子育てをしてくれた(ちなみに母は真逆だ)のは有難かった

 

 

あれからの日々は怒涛の毎日で

 

母がぶっ倒れて入院してしまい

 

正直中学へ入学したばかりの自分はそのころの記憶がない

 

頼る大人がいなくなり、友達と少しうまくいかず

 

感情は色を無くしてくすんで、周囲が遠い世界のように感じてしまい

 

思えば仕方のないことですが、ほんの少し気鬱気味であったよ

 

 

でも今でも思うのは、人の死を悼む気持ちというものは

 

自分に余裕があってこそだと思うのだなー それが親であっても

 

父の死の瞬間思い浮かんだ感情は、悲しみとか愛情とかの激情ではなく

 

「明日からどうやってごはんを食べよう」という不安と

 

「人並に幸せになるには、人の何倍頑張ればいいんだろう」というプレッシャー

 

でも父は、死ぬとわかった後の或る日「強く生きろよ」と言って泣いていた

 

それを聞いて、私も父の前で初めて臆面もなく 泣いたから

 

あの日もうお別れはキチンとしていたと思っている

 

 

あれから死を泣いて悼むことは余りなく、その時その時を生きてきたのだけど

 

かなり遺言通りにはできたんじゃないかなと、思ったりもする

 

結果は出来が良い人生ではないけど

 

それでも父の人生よりは少し長く生きたのだ

 

だからここからはボーナスステージで、最後の語録は捨て置き

 

これからは、力を抜いていこうかなと思います

 

少し力み気味なこれまでの人生、失敗もたくさんあったからな!

 

恨みもうそう 父上様、です

 

今週末は久方ぶりに花でも手向けに参ろうか