夜のひるね。 -5ページ目

守屋山日記

 

「山で過ごす」

 

今朝は地区の草刈りで早起き

 

なんだかノッテきたので諏訪大社の御神体といわれる守屋山へ登ってきました

 

巨大ソーラーパネルのある駐車場からポクポク登り始め。

 

これまで登った山は東京時代に毎年の富士山登山、関東近郊の山にいくつかと

 

関西で山林のボランティアしていたころにいくつか、そして八丈島の山が最後かも

 

長野に戻ったら存分に毎週山に登ってやろうと思っていたのですが

 

こちらの山は「本気」過ぎて、山間部の事故ニュースもシーズン中は多く

 

気の小さい私はすっかり縮み上がり

 

そのくせ登山サークル募集サイトを覗いたりもしていたのです

 

 

だけど今日は行こうと思ってさ

 

全然ハイキング並みの初心者コースなんだけど、すごくすごく楽しかった

 

こんな毎日嫌ってくらい山に囲まれて生活しているのに不思議なものです

 

そして山で会う人々はさわやかで、道を譲り合い、短く言葉を交わし合い

 

10月に入った標高1600mを超えた場所に生息する木々はほんのり紅葉してて

 

草刈りファッションと簡易リュックに(靴と雨具はキチンと)

 

草刈りご褒美のペットボトルとコンビニの菓子パン詰めて

 

登り始めて30分、汗かいて息切れ凄いや

 

ここ2年は息切れなんてする生活じゃなかったしな

 

台風で湿った赤土は滑るから、地上に飛び出した木の根を踏んで一足一足

 

途中休憩場所の水場でぼんやりしたり、野に咲く花や旬のキノコ(毒)を愛でたり

 

頂上は360度の大展望

 

 

山に登ってなんだか無性にパワーが湧いてくるよ

 

今日、こんな素晴らしい景色を見れたのは

 

二本の脚を一歩づつ前に出して頑張ったからこそっていう実感かな

 

そういうの現代の日常(こんな大自然の中であっても)の中においては

 

日々に忙殺されて、すっかり忘れてしまっているからな

 

そして世界は今日もとても美しく、日々ある色々も彩りだよなーと思ったのです

 

年内に伊那方面の千畳敷カールに行ってみよう

 

そして来年はきっと八ヶ岳だ

 

 

 

安曇族とか出雲族とか

 

「ルーツ探し」

 

帰ってきてもうすぐ10周年

 

地元密着の仕事をしていると自分のルーツに接することも少なくないよ

 

私の苗字は、文字の天地をひっくり返すと地元の神社名になるのですが

 

歴史に詳しい方曰く、翡翠を求めて海を渡って遥々、こんな山奥にやってきた一族の末裔だとか

 

本当かな

 

 

珍妙な話ですが、先日熱を出して寝込んだ際

 

姿の見えない誰がが「宗像3」ってささやくという夢をみまして

 

「なんだろうなー」と寝ぼけ眼で検索したら

 

九州の志賀島を起源とし、後に「宗像」「住吉」「安曇」の3派に分かれ

 

全国に散った海洋民族がいたそうな

 

そうそう宗像神社には3人の女神様もいるのだ

 

アースダイバーで著名な中沢新一さん曰く、古代において「3」という数字は

 

磯良の神話を例にとっても、非常に神秘的な数であるそうです。

 

余りにも深すぎて、このことは全く調べ切れていないけど、

 

世の中が平常運転になったら夢の続きを見に、もう一度志賀島にいってみようか

 

 

私のご先祖(?)の神様は伝承上

 

諏訪大社の建御名方命の子供という位置づけなのですが

 

面白いことに建御名方命も奈良に興ったヤマト一族に追われ

 

出雲より諏訪の地に逃げ延びてきたという伝承があり、つまりは侵入者なのだ

 

その後、諏訪に土着的にあった信仰と交じり合い(その言葉の通り混血し合い)

 

今も完全には混じりきらず、離れもせず、祭事や文化として生きている

 

湖と美しい山嶺のコントラスに惹かれた両一族が

 

別ルートで諏訪の地に侵入してきたということか

 

史実を作るのは時の有力者といいますが、

 

婚姻関係や血縁の伝承も事実をベースになっていることも多いにあって

 

苗字ひっくり返しの伝承を「一族の神威に背く行いによるもの」と、しつつ

 

未だ諏訪の一番の神様の息子であるとしているのは、非常に面白いな

 

一時的和平を結んだ安曇一族と出雲一族が、時代を下って争ったのかもしれないし

 

一体何があったのだろう

 

当時を反省し過ぎたせいなのか

 

現代の我々一族の中では神社系統の子孫であることは、ほぼ話題に上らないのです

 

これが神の威に逆らった結果か?と思うと面白いのですが

 

すべては四方山話かもしれません

 

全くまとまらず、とりとめもなく記しますが、このようにルーツを求めて旅することは

 

大きなご先祖様参りみたいな気持ちでやっております

 

幾多の先人達は無い頭で云々やっている小娘を、面白くおもっているのだろうなーと感じつつ。

 

 

 

 

 

 

 

J君

笑っていた」

 

小学校は団塊世代の集まる30人クラス×3組

 

地方の山間の学校だったせいか、親の大概が勤め人もしくは自営業くらい

 

たいした貧富もなく和気あいあいと6年間を過ごしておりました

 

その中でJ君という小さな体格の今でいう、少し発達に遅れのある男の子がいたんだ

 

自分から発言することはほぼ皆無、いつも青いジャージを着ていて

 

勉強も苦手、いつかいないかわからない存在という

 

だからといって虐められるわけでもなく、みんな「J!」と呼んでクラスの一員として認識していたんだ

 

 

だけど或る日の参観日

 

親同伴でカレーを作って食べるって授業があったんだけど

 

同じグループになったJ、他の子の母親はみんな出席する中、彼の親は現れることはなかった

 

鍋の中で出来上がったカレーを各自持参した米で食べるという段階になって

 

誰かの母親が「J君お米は?」と聞いたけど、小さな彼は何も言わず下を向いていた

 

その時、教師をしていたTの母親が無言で、そして何かを堪えたような怒った顔で

 

自分のタッパーから手早くJの皿に米をよそい、温かいカレーをかけてあげた

 

 

子供の私にだってわかる

 

6年もクラス替えせずに過ごした、みんなの親だって感じていたはずなんだ

 

彼はきっとネグレストだった

 

そして彼が本当に難儀だったのは、例え困ったことがあっても、

 

自分では乗り越えられないことがあっても

 

彼の力では他人はおろか親すら頼ったり、相談したりすることも出来なかったということ

 

そういう子がいたし、そして今でもこの世にたくさん いる

 

 

少し後で聞いたのは、Jの両親が定職にうまくつけず家が少し荒れていたこと

 

在学中に離婚をされて母親に引き取られていたということ

 

それをクラスのガキ大将のK君だけが知っており、誰にも喋らず卒業までJを見守っていたこと

 

でも私は彼が小学校を楽しく感じていたことを知っているんだ

 

 

別の或る日の参観日

 

各グループで研究課題の成果を発表するということになり、再びJと同じ組になった

 

そのグループは私も含めポンコツメンバーで、これは普通にやったら惨敗だよなーと

 

普段モジモジな私が珍しく奮起し、「昔の人の生活を再現する寸劇をやろう!」と提案してみた

 

他のグループが模造紙に発表内容をまとめる中、歴史に詳しい学年違いの教師を捕まえ

 

「民具を貸してほしい」と直談判し、ポンコツ同士でストーリーを作り、役を決めて練習し

 

迎えた当日

 

突然のポンコツ劇場にきっとクラスのみんなも、親たちも驚いたと思う

 

でも劇はなかなか順調に進んだ

 

ストーリーも大詰め、Jのセリフで幕を下ろすという場面で、Jは大きくセリフを間違えた

 

進行役の私は「あかん」と目の前が暗くなったその瞬間

 

教室中が大爆笑に包まれていた

 

先生も親たちも笑い転げて、まるで授業じゃなくなってしまったのだけど

 

だけど、なんと、一度も笑い顔を見せたことのないJが手をバタバタさせて大笑いしていたのだ

 

そのあと、どうやって劇の幕を引いたのかは覚えていない

 

きっと一生懸命練り上げた劇の内容なんて、誰も覚えてない

 

でもいつも無表情で感情がないような彼があんなに嬉しそうに笑ったこと

 

教室の中心にあって、みんなを幸せにしたこと

 

 

中学に進学してJのその後は誰からも聞くことはなかった

 

ちゃんと大人になったんだろうか

 

願わくば彼があれからの人生を、あの時のように笑って過ごしていたらいいなと思う

 

ありがとう

 

 

 

メトロポリスの夜

 

「レイチャールズで目を覚ました」

 

10数年前、夜中に目を覚ますと

 

隣りでパートナーが泣きじゃくっていた

 

「ミネアポリス」という手塚治虫さん原作のアニメーション映画

 

ケンイチと機械少女ティマのお話らしいのですが、私は途中で寝てしまったんだ

 

クライマックスにレイチャールズのあの曲が流れて

 

優雅な曲調とは裏腹に街が崩れていく映像が暗い部屋を照らしていた

 

彼は少しだけ脆く、社会の中で少しだけ生きにくそうな人でした

 

その分繊細な感覚で、人よりこの世を深く味わっていたのだろう

 

だから私はそのまま眠った振りをした

 

 

メトロポリス 

 

10年以上経った今も、その物語を私は知らない

 

彼がその映画の何に気持ちを突き動かされたのかを

 

確かめる仲では、今はもうなくなってしまったのですが

 

今夜はそれが気に妙に気になる

 

3年つきあい、7年家族をした仲なのに

 

あれから10年経ってしまったけれど

 

機会があれば観てみようと思う

 

きっと今の私なら、あのシーンで泣くはずだと思うんだ

 

元気でやっておるか

 

東京のこのコロナの中、無事にあのままの感性で生き抜いていてくれたら

 

幸いだ

 

 

 

 

 

 

或る日会社が倒産したら

 

「実体験レポート」

 

或る日会社に出勤したら「倒産」していた

 

なんて体験は人生において、出来たら避けて通りたいものだろうけど

 

ここ最近の色々を見ていると、国の補助が切れた段階で、どうなるものか

 

正直、我々の人生、一寸先のことはわかりませんぞ

 

 

かく言うワタクシも、その「倒産」を経験した一人なのでありまして

 

それも初めて働いた会社 自分25歳

 

あれは桜も咲き過ぎた春の或る日だったかな

 

なんの前触れもなく、一人づつ会議室に呼ばれ存続不可能の旨伝えられたのですが

 

正直「良かった」って思った

 

デザイン制作会社というものは元来真っ黒けなのですが、

 

その会社は特に深闇であり会社が潰れなければ

 

多分自分のハートが先に崩壊していたであろうから

 

結果的には助かったのだ

 

就職氷河期の広告業界、やっとこさ引っかかった勤め先ではあったけど

 

 

個人的に思うのは、経営者が余程の無理をした場合を除き

 

社員が深夜・土日まで働きまくっても、経営に行き詰まるということは

 

多分に、そのビジネスモデル自体がこの世に必要とされていないであろうと感じるのです

 

テレビが家庭に普及して紙芝居屋さんが町から消えてしまったように

 

だから、社員の皆さん

 

選んだ業種がソレであったのは、ご自身のちょっとしたミステイクではありますが

 

そんな時こそ労働者の権利を目一杯使ってくださいよ

 

潰れたって、明日から失業保険もらえるし

 

国の建て替え制度で未払い給与や退職金も戻せる手立てだってある

 

ハローワークで職業訓練も受けられるし、つまらんプライドを捨てれば

 

まだまだ日本は「生きていける国」だから

 

嘆きにパワーを持ってかれないように、空を見上げて今日を生きてください

 

(だからこそ、経営者は今が大変ともいう)

 

 

ダメだと思っている今の糞会社でも、なんらか学ぶ部分はあるし

 

そういう部分が次の仕事で大きく生きることもあるしな

 

職務経歴書やポートフォリオを用意しておくとか

 

内容をいろんな業種向けに作っておくとか

 

コンディションの良いときに証明写真をとるとか

 

つなぎのバイト先を近所で目星をつけておくとか

 

少しづつでも貯金をしておくとか

 

今こそ逞しく冷静に

 

昨日の「移住は労働の受け皿があってこそ」の続きのような独り言

 

そして今をみんな、あの手この手で生き抜こうっていうエールでもあります