夜のひるね。 -3ページ目

宮崎駿監督に継ぐ

「新海誠監督」

 

初めて風の谷のナウシカの映画CMを見た小学生は

 

そのドラマティックで一発で名作とわかる映像と音楽に

 

驚いて心をがっちりと奪われた

 

それから数十年、楽しいことも悲しいことも

 

全部ジブリの作品の各場面・各キャラの想いに重ねられるくらい

 

我人生のど真ん中にあるもの

 

血中の10~20%の比率は確実にスタジオジブリであり

 

宮崎駿監督その人なのです。

 

 

でも監督は私よりちょっと(やはりかなり)ご高齢で

 

その底知れる生命力と才能を持ってしても、多分私より早めに

 

この世を卒業してしまうって事実が、私を恐怖のどん底に突き落とす

 

正直、監督がお隠れになったら確実に私は正気を失い

 

社会人としても落伍して、もしかして後追いしてしまうかもしれないなぁ

 

それくらい怖いし、考えたくない

 

胸が張り裂けるとはこのことだ

 

 

多分確実に親兄弟・従来のパートナーにも感じたことのないこの感情

 

頭でわかっている でも確実に 監督>家族・パートナー だ

 

だからよく「家族が死んで抜け殻になった」という感情を監督に置き換えると

 

深く深く理解できる(家族は悲しいけど、しょうがないと思う)

 

でも彼無き後も、人として私は生きなければならない

 

でもこの世界のどこを探しても彼はいないし

 

彼の新作を希望に生きることも、もう二度と出来ない

 

それは強烈な恐怖の塊

 

全く自信がない

 

 

でも「君の名は。」を見て 次作の「天気の子」を見て

 

私は人が人を生む 命のリレーの尊さに改めて目が覚めた思いです

 

新海誠監督 降臨

 

正直生まれてもいない自分の子供に本気の本気で会いたいって感情

 

理解しがたいとこがあったのですが、才能が才能を引き継ぎ(実際は無関係)

 

次世代の才能が開花し また新たな時代を創るという奇跡を目の当たりにし

 

子供を産むという意味を疑似的に理解したのでした

 

「これで私は宮崎氏が旅立っても きっと生きていける」

 

姉は「押しが変わったということだね」とセンスのかけらもない発言をしますが

 

新海監督が思春期の恋愛を、かなりの大人になって描いてはおりますが

 

本質的にこの才能とともに、この時代を生きていきたいという思いを

 

きっと世代を超えた人間が強く共有しているのだと思うのです

 

 

新海監督のテーマは「引力」

 

災いや困難、運命があっても、それを超える力みたいなものの証明を

 

全ての作品を通じて表現しているのだなーと思います

 

それがたまたま、みんなにわかりやすい恋愛だったりに置き換えているのだけど

 

(共通言語・もしくはツールとして)

 

そしてそれはあるのだ確実に

 

人間がわかっている神羅万象の内100あったら、5%ですよ

 

それ以外の95%にタッチしようとあの手 この手

 

この時代を偉大なお二人とともにできたこと

 

これから来る大きな困難も なにやら大丈夫って思ってしまうね

 

そうそう、新海監督の映画のキーなるセリフは「大丈夫」だったね

今のこと

「未来の自分に伝えよう」

 

一人暮らしを始めて、さぁこれからだってとこで

 

3年間コロナに巻き込まれて、これまで長野で積み重ねてきた

 

太鼓や人との交流がプツンと切れてしまって

 

遠方への旅も出来ず 正直私の人生は大きく変わったな

 

そして恥ずかしながら、今は純粋に一人

 

秋の夜長(長野はもう冬か)の寒さの故か

 

ふっと見渡すと開いてたはずの扉が全て閉じ 

 

時間だけが過ぎていた

 

朝起きた時の直観的な絶望感が強くて 毎日 休日も続いて

 

 

ここだけの話、二度目の離婚からのショックから

 

少しだけ復活し 心機一転 転職活動をしていた

 

付き合っている人もなんとなくいた

 

「ここから仕切り直して、もう一度流れにのってやろう」って思ってたとこだった

 

すべてがコロナのせいではないけど

 

動き始めていた流れがビターッ!と止まってしまったね

 

人生は半分終わってた(動ける時間に換算するとあと30年はないかな)

 

 

今日は過去もブログを読み返してた

 

いつも自分と誰かを励まして

 

しんどい時もどこかに光を観ようとしていたな

 

今は先のない目まぐるしさに対応して日が暮れる

 

正直何の楽しみも希望もないんだ

 

はて

 

これは多分きっと実のところ 冬季鬱ってやつだな

 

 

アタシの悪いところは気のエネルギーが無駄に強いので

 

楽しく元気モリモリな時は猛烈ポジティブ 向かうとこ敵無しだけど

 

このように寒さやちょっと人生の陰に入ったときなんか

 

どうしようもないドンゾコ駄目人間となる

 

まぁわかっていればいいってわけさ

 

しかし3年は長いな

 

 

これまで割と日々思ったことを言い、やりたいことをやり

 

やりたくないことは一切手を付けず生きてこれたのだから

 

たまには我慢するという 人の痛みを思いやる練習体験も良かろう!

 

ほんと、一人暮らしで恋人もなく、コロナ時代は応えましたな

 

妙に縮こまってしまって、老後の対策ばかり取って

 

人生を楽しんでなかった

 

なので明日は好きなもんを食って マッサージにでも行って

 

水泳でも始めよう

 

きっと水着はキツイはず それが面白くて着てやろうって思ってる

かっぱ寿司に告ぐ

「原点回帰」

 

かっぱ社長が捕まったはなし

 

ちょっと前になるんだけど、アタシと同世代で

 

厳しい飲食業界で頑張ってただろうから

 

ちょっと同情的に思ってしまったな

 

 

かっぱ寿司のロゴが変わって随分経つけど、あれ本当に良いか?

 

かっぱ寿司は庶民の味方として40年ほど前に寿司業界に進出し

 

「1皿100円」で新風を吹き込んだね

 

もちろんそれにより寿司職人達がたくさん廃業してしまったのだろうけど

 

回る寿司は子供心にとてもとても楽しくて

 

寿司に有らずなハンバーグ寿司やマヨコーン寿司も

 

あれはあれで美味しかった

 

 

みんなが同じ土俵で本気にならなくてもいいって思うな最近

 

だって本当のお寿司に当然のことながら、キチンとコストがかかるもので

 

私たちはずっとお給料が上がらない民族だけど

 

それを言い訳に甘え続けたら どこかの誰かが泣くのだろ

 

今回のこと根本としては回りまわって そういうことなんだ

 

 

かっぱは河童に戻ればいいよ

 

面白い寿司っぽい何かを回す「河童のマークのかっぱ寿司」でいいじゃないか

 

マグロとかイクラとかもう止めて ハンバーグや天ぷら エビプライ サラダ軍艦

 

私はそういうものとして喜んで食いに行く

 

そして業界の中で上手に100円寿司を貫き続ければ 

 

きっと原点オリジナルで新な未来が開けるんじゃないかって思うんだ

 

 

何故こんなにかっぱに想いを寄せてしまうかというと

 

(捕まった社長が少しタイプなこともあるのですが)

 

公務員をしていた子だくさんの父が、かっぱ寿司に行くときは嬉しそうだった

 

「ハンバーグ寿司」に大爆笑してたけど 

 

水に流れる寿司を桶ごと取って店員さんに怒られていたけど

 

程なく癌でなくなってしまったけど

 

本気寿司なんて大家族で食べに行ったことなかったけど

 

かっぱ寿司だけは庶民と我家族の味方であったよ

 

多分そう感じてる人って多いんじゃないかな

 

ありがとうね

勇気を導く宗像の神様

「夢のつづきの旅」

 

以前のブログに「宗像3」というメッセージ出てくる夢を見たと書きましたが

 

先日九州出身の友と現地集合し、行ってきました宗像大社

 

まずは博多は再会を祝し中洲で九州うまいもんの夜

 

翌日電車とバスを乗り継ぎ、内陸にある「辺津宮」へ

 

丁度七五三の時期と重なり、地元の参拝客で賑わっていたせいもあり

 

「ほんとココが夢に出るほど来る価値あるとこなのかな」と己の直観に疑惑を持ちつつ参拝

 

でも当日が明治天皇の誕生日だったらしく、雅楽に合わせた浦安の舞が神楽殿で演じられており

 

とても伝統や仕来りを大切にしている土地柄なのだな、と思った

 

 

境内にはここの総社を参るだけで、他2つの宮も同時参拝したことになるという

 

世界遺産になった沖ノ島にはいけぬ我々には有難い簡易宮もあるとのことで

 

回ってみることに

 

その中でも「高宮祭祀」と呼ばれる場所は、石段を上がるほどにムンムンと

 

「高密度の何か」満ちていて(ちなみに友もムンムンだ!と大興奮)

 

なんだか古代の民が、何故ここに聖地性を感じたのか

 

そして高台のこの地から 見渡す海の先にある沖ノ島や大島に

 

「あそこに神がいる」

 

「この場所だからこそ、その力にコンタクトできる」

 

と直観的に そしてそれは当然として受け入れられていたのではないかと

 

高密度の何かに乗っ取られたような、ちょっとアレな状態な私は強く確信した

 

(こういう表現はとても危ういが、そう思わせる何かがここには本当にあったのでした)

 

面白いことに帰りに石段を下る度に、その高密度ムンムンは消失していき

 

ある一定の場所で「消えた!」と友と笑った

 

 

そこからバスを乗り継ぎ「大島」へのフェリーは現世と常世を分かつ乗り物のよう

 

ここ数年の騒動で山国に幽閉されていた自分だから、そんな感じ一塩

 

電動自転車を借り、地元の漁師料理を謳う定食屋では見たことも聞いたこともない刺身を食し

 

波止場からもほど近い「中津宮」へ

 

高濃度ムンムンに抱かれて霊感アップ!と勘違いを起こした

 

私の勝手気儘なるイメージではありますが、ここは辺津宮で感じた

 

「壮大で勇敢な 爽やかなアイツ的」な印象ではなく、もっと仕来りとか伝統みたいな

 

所謂「お宮」みたいなニュアンスのある場所でありました

 

でも境内の左側を沢に沿って降りていく場所は、また違った力みなぎる場所で

 

島において淡水って重要だから、もしかしたら古来の人にとって

 

ここはそういう意味で大切な場所だったのではないかなーと勝手気儘に考察

 

 

そこから11月に長野県民には俄かに信じられぬ柑橘畑の急坂を乗り越え

 

命綱の電動自転車も長年の海風に耐えかねて ブレーキかけると変な音立てるけど

 

都会から来た友も子供みたいに自転車を乗り回し、この島はエネルギッシュだな ほんとに

 

波止場とは真向いにある沖ノ島を望む 沖津宮遙拝所

 

旧字で書かれた石碑

 

内陸の辺津宮、高宮祭祀で感じたあの清々しく希望に溢れたイメージはここだったんだ

 

だからここから望む沖ノ島の沖津宮こそ、その場所なんだ

 

古代の人は「この海の先には希望がある。だけれどその旅は命を落とすかもしれない途方もない旅」

 

と感じていたんだろう

 

だけどそんな不安を上回るほどの、希望と可能性が海の先にはあった

 

織田信長も豊臣秀吉も海外に活路を見出そうと夢に果てていったし

 

探求すること そしてそれに付随する不安に打ち勝つこと

 

そこに「信仰」が生まれていったのだと思う

 

万事を尽くしたあとできることは祈りだけである

 

 

私も友も同じ釜の飯を食った職場の仲間

 

あれから十数年

 

時代に飲まれつつそれでいて希望を失っていないけど、日々感じる不安はある

 

だからここの神様にガツンと会いに来て、「生きることの本質って不安だけど希望の塊だよな」って

 

当たり前のことを思い出した旅でした

 

今も神様のトンネルを通じてあの時の風が私にビュービュー吹いています

 

一言でいえば「やるぞぉ!!」って感じ

 

痛快だよ とても爽やかで覚悟ができてる  だから良かった

 

 

後日談ではありますが、山奥で閉鎖的社会と対峙していると

 

爽やかな記憶も曖昧になってしまう戒めエピソードとして以下

 

新海誠監督の新作「すずめの戸締り」を観にってきたのですが

 

まるで旅の続きのようで、神様はとんでもないとこから飛び道具を出してきやがるな!って

 

だから神様かーと、関心した次第です。

 

目に見えることや 蓄積の経験値 以外の部分の影響ってよくわからない分大きい

 

そこが一番人生で美味しいとこだから、起こることに任せていこうと思った

 

また行くからね

PLAN75

 

「自分で行く姥捨て山」

 

映画のレビューだけ読んだけど結構胸に来そうな内容だった

 

所謂氷河期世代の私ですが、幸いなのは親が年金の恩恵を受けられた世代なこと

 

でもこの先はもうミラクルゾーンだろうな

 

最期のボリュームゾーンの我々は年収も低く、貯蓄もろくにない

 

そのくせ昭和な価値観やライフスタイルを未だ踏襲するハザマの世代なのだ

 

持ち家とかローンとか、結婚や子供は必要だとか(生物としては当然必要なのだが)

 

私たちが65歳を過ぎて雇用供給が途絶えたとき

 

働きたくても(それは肉体的精神的につらくとも)社会が求めなくなったとき

 

自立も支援もないけれど、命は続くよどこまでも

 

本当に日本はどうなってしまうんだい

 

今がひどく忙しくてそれを麻薬替わりに、未来から一時的に目を逸らして

 

一日が終わる その繰り返し

 

我々も政府も

 

**

 

とはいえ人間が安心して繁栄できるなんで人類史の中でも、ほんのここ最近だんだって

 

ずっと飢えと天災や争いに苦しんで、今日を生きるのにやっとという長い長い歴史があって

 

姥捨て伝説や間引き・口減らしの歴史があり

 

人権だとか平和だとかキチンと話せる今が、もしかして一瞬の奇跡なのかもしれないね

 

そう考えるとさ、ほんの一瞬でもその幸運期に出会えてラッキーかもよ

 

そしてまた変化するだけなんだ

 

 

生死というものは人の与り知らぬものだと思っています

 

だけどあんまり苦しかったり絶望しそうな未来は、今を生きる気力を削いでしまうから

 

お守り替わりに映画みたいな制度もあってもいいかもね

 

「いざとなればアレを使うさ、だから今精一杯トライしよう」みたいな

 

そんなうまくはいかないか

 

人間は愚かで弱くて怖がりで、そしてとてもずるいからな 

 

でも優しくて美しい光を持っていたりもする

 

神様がいるならお祈りするよ 

 

頑張っている同世代が必要以上に苦しみませんように

 

貧しくても心が最後まで平安であるように

 

よろしく頼むよ

 

でないと祟って出ちゃうぞ