トヨタさん
空前絶後の人手不足って本当かな
2000年入社の私は実感ないのだけど
お若い方々が働きやすくなるなら 良かった
*
大学時代全く仕事が決まらなくて
東京で一人暮らし出来る給与を出してくれるなら
聞いたこともないデザイン会社も片っ端から受けた
「ひとまず働いてみない?ボランティアだけど」
そんな学生の足元見るような事務所の社長さん
とりあえず1日出社してMacの前でMacを食べた
そんなロクデナシ会社で鮮やかに一人
マッキントッシュを操ってたのがトヨタさんだった
時代に乗れない手作業デザイナーの中
胡散臭な社長からも重宝されてた彼女
そんなトヨタさんから仕事帰りに貰ったメールには
「出来たらこんな会社逃げた方がいい
あなたならもっといいとこ行けるから」
自分のいる会社がどん底だって言う気持ち
まだ若くて大学の先輩だったトヨタさん
無知で脳天気な私を
損得なしに助けてくれたんだな
私はお礼を伝えて、まだまし?かもしれない
そこそこブラックな制作会社に入社して
そこが倒産するまで粘って修行した
*
元気にしていますか
私はあれから沢山の色々なことがありましたが
しぶとくやっています
トヨタさんのいた会社は本当にろくでもなくて
多分時代の波に飲まれて多分今は無いのでしょうが
あなた自身の持つ頼もしく美しい価値は
在籍する会社の価値とは違うところにあるのだから
良いデザイナーになってください
あの時のトヨタさんよりずっと大人の私
いつかの彼女に一杯伝えたいな
おひとりさま暮らし
2018年晩秋
購入した中古物件の紆余曲折のリフォームを経て
おひとりさま暮らしが始まりました。
40越えた所謂 独身オナゴが戸建て一人暮らし
これは「なかなか」ど迫力の状況ではないですか
私はね、弟と母上との3人暮らし好きだった
けれど先々ちょっと考えたよね
健康でまだ仕事ができてるうちに
チョッピリ頑張って住居確保
兄弟実家との程よい距離で自立する
パートナー次第で流転に焦ることもなく
駅近 公共機関近所で老後に備えようと言うわけだ
まぁ、整理していうとそうなんですが
どちらかというと流れにのった感じで
一年前に急に思い立って、色んな人に助けられ
今に至ります。
でもピュアな一人での暮らしは初めてなんだ
だからやっぱり寂しいな
情けないけど実家と行ったり来たりして
ちょっとづつの一人暮らし
損切り
「投資した分」
何かのアレルギーを発症した模様で 軽い頭痛と鼻風邪
酸素が少し少ないせいか低空飛行で春が来たよ
ちょっと損した感じかな
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損と言えば 株式投資の「損切り」という考えは面白いな
投資を沢山したけれど、これ以上はっても回収の目算が立たない時
損を承知で撤退することを言う
格好の良い言葉ではストップロスとも言います
お金は数字記号ですので+−0から現時点どこにいるのかが明確だ
だから「もう無理!」みたいなタイミングもわかりやすいけど
数字ではだせないものだと損切りって難しそうだな
例えば「愛情」とか「努力」とか ?
これだけ尽くしたんだから 頑張ったのだから
きっと「人生は報われる」はずだよ!
なんて頑張っている誰かの背中を押してあげたい気持ちは山々ですが
そうでもないことも山々なのが 人生ですな
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勿論 当初の目的を達成できずとも 終わった掌には何か残るもの
あるとは思うのよ
それは本人の意図しない宝物になったりもするのが人生の不思議だけど
だけど どこかで やはり これ以上先には進んではいかんよ
と自分だったり 誰かだったり 損を承知で切らねばならぬ時
あるものだね
私 常々といいますか 子ども時分から
「頑張れば報われる」は随分 無責任な妄言だなぁって思ってたな
それでいて それは根深く私のど真ん中に居座る 謎の教義なのだから
私の育った昭和ってドカベン文化だもの
どこの親だって 先生だって こういうしかなかったのかも
しかし時代は あっけなく21世紀になってしまったのだ
最近 行くべきではない方向にどれだけエネルギーをつぎ込んでも
行くべき道でないものには どうしたって行けないのだと実感す
そして それでいいのだとも思う
運命みたいなものが 大きく 優しく 人生にはあるのかもしれないし
*
損切りなんていうと すごく損得勘定ビンビンですが
高い授業料払って勉強させてもらったわ と
いつでも笑って 0ベースに戻れるような柔軟性かもしれないな
頑張ったからといって 投資した分 期待したものは返ってはこないのだ
でもやらずに結果を妄想するよりは 素敵だな
これからの日本は「努力すれば報われる」なんて妄言から離れて
何度だってチャレンジしても良いし
それが上等に仕上がらなくても 笑って楽しめるような
そんな懐の深い そんな国になるといいな
そうしていかないとな
キブツ
デッサン
「一番役立つ 予備校技」
人生で一番 学ぶことに頑張ったのはいつだったかな
社会人になってから は 学ぶというより
仕事に飲まれながらも 完全に飲まれないように
おうちにその日に帰り着く事 土日を死守する事を
一番の目標として 濁流を泳いでいたように思うし
そう考えると 大学受験の予備校時代が一番懸命だったかしら
期限1年 田舎では本気で学ぶ場所がなくて
座学と実技の毎日で おしゃれも遊びもなしで
小汚さ 金のなさ いとおかし
しかし 周囲は同じような猛者がウヨウヨしていて
実家住まいはちょっとは小綺麗だったけど 皆等しく
春には美大生になるのだぞ という気概に溢れていたように思います
私は東京芸大専科でひたすら彫刻デッサンと
平面構成 粘度に明け暮れていたよ 来る日も 来る日も
*
そして今仕事でラフを描いたり デザインをしているとき
その時の手技が効いてくるんだな
「ここはこんな光があたるから」とか「本体を描くほど空間がいきる」とか
大学は行かせてもらって なんだけど スッカラカンでした
本気の学生は 怒ったよ 「専門校にいけばよかった」って
私はひどく凡人だから 虚構とは なぁなぁな関係を 4年続けた
*
人間は本気で求めれば どんな場所でも学び 成長する
予備校の仲間はみんな必死で 鼻息が荒くて
それでも上手い奴にはキチンと敬意をもって
「教えて!」とか すごく直球で 貪欲で 泥臭くても
大学のインテリチックなポカンとした時間より
私はすごく好きだな
*
デザイナーという仕事について 良かったのは
自己成長に目がない 鼻息荒らし猛者が
平気でそこいらにいることです
今の仕事にはいないけどな
私は来年40歳になるんだよ
それでも 鼻息荒く1人生きてみようかな
そんふうにやってく中で 何か見えるものもあるかもさ
どんな場所でも求めれば 応えてくれる存在もいるさ
そうやって己の魂を鼓舞して 来年もいこうよ