老人王国
「これから」
雪が降ったり 寒さが増したり 冬が来るよ
初給与を貰った十数年前 いの一番に感じたのは
この国で幸せに老後を過ごすのは至難の業 ということだったよ
そして「老人王国」でも作ろうかな と思った
給与は上がらないぞ とはいえ固定費はあがる一方ぞ
これまでの価値観で成り立った社会構造が維持できなくなって
独身のまま老後を迎える人々が 増えるぞよ
子供はいよいよ少なく
我が身を投げ出さずに 己の命の最後まで生きるには
同世代の同境遇の者共と 努力と互助で乗り切るしかないな と
だから1人一芸 といわずに 2芸3芸
経験と知恵で助け合い 延命はせずに
自給自足で多くを望まず 幸福を外からではなく内から生めるよう
それが20代の私の考えた「老人王国」
15年経って そんな的外れじゃないね
*
それから「女性向け風俗」も考えたよ
性欲は健康の証
女性にも当然あるものです
男性と違い 女性は高額な料金を支払わずとも
危険を顧みなければ その欲求を叶えることが出来ないでもない
でも安全であるに越した事はないわけだ
そこにお金が介在したとしても
そんな話を会社の男性上司にお茶飲みながらしたら
げんなりされてしまったよ
勿論 仕事としての話なのだけれど
20代の娘さんが大声で話すことじゃない と今なら思う
*
それと当時は忙しかったし ネット環境も脆弱であったので
平日ニュースを取り入れる事が難しかったのだ
だから1週間のダイジェスト版の新聞(紙でなくて良い)が欲しかった
これは色々進化して解決した
*
こうやって10年くらいのスパンで 当時考えてたことを振り返るのは楽しい
今は何を考えているのか
世界の平和 みんなが考えるような平和は 多分来なくて
戦争や差別を 永遠 繰り返しながら
振り子が振れるように 同じくらいのエネルギーで
何かを世界的に共有する欲求が高まって行くのではないかしら
私はそれが音楽や料理だ いいなと思う
世界の楽器 世界の料理 そんなオリンピック的な祭があったらいいな
それと会社に属するというような 働き方が変わるかな
1足のわらじから 2足3足 どんどん行こうじゃないか
20代の頃インドネシアに行った時のガイドさんが
神父 教師 ガイドなど色んな草鞋を履きながら 家族を支えていた
若い私は「これじゃ!」と感じました
そんな中で 男女の役割もそれぞれ流動的になるよ
既成概念の役割なんて 言っていられない世界にもう片足つっこんでるし
出来るやつが 出来る事を 存分にやって生き抜く そんな感じ
本当の互助という考え方が 家族の基本になるのかも
本当は当たり前な考えだけど
今はまだ個々のパワーを認め合えない
古式豊かな家族像を求められたりすること あるね
自分が自分でいられる場所であるなら
家庭はとても安心できて 幸せな場所となるよ
そんな結婚なら またしてもいいね
そうそう「結婚」という名前も 変えてしまえ! だよ
*
10年後の答え合わせを楽しみに
おやすみなさい
阿部正弘殿
「埼玉にて出会う」
阿部正弘という男をご存知か
今週末埼玉に行って来たのですが
忍城内の博物館にて相変わらずフラフラ ニヤニヤ
ふと 振り返ると 烏帽子を被った武将の絵
その瞬間「あべまさひろ!」と名前浮かび
えも言われぬ懐かしさに抱きすくめられました
どこかの本で出て来た人物のようにも思うけれど
しかるに この懐かしさと親和感はなんだろう
その絵の人物は「阿部正弘」という幕末の徳川方の老中
自分の意見をはっきり述べず他者の良い意見を巧みに取り上げ
若くして その地位まで上り詰めたのだとか
享年39歳
わたくしめも39歳 時が時なら同級ですな
なんで突然その名前が自分の内からほとばしり出たのか
そして海外一人旅中に 親戚の叔父さんに出くわしたかのような
驚きと 懐かしさと 親和感
同い年の女が埼玉まで高速飛ばしてやってきたのが そんなに嬉しかったのか
そういえば この半年「埼玉は行田 そう忍城には行かねば」と
ろくな用事もないのに 妙に感じていたものね
でも全然嫌な感じはしなかったな
色々調べると 阿部なる男 ペリー来航の対応をしたり
大奥に随分もてたそうです
ペリーといえば 子孫を名乗るアメリカン女子が諏訪在住なご縁で
最近友達になったし、阿部もなにやらウキウキしているのか
だったら楽しい
うどん食べたり 焼きそば フライをがっつき
温泉に浸かり 大衆演劇に涙した わははな旅でした
あのころ
「逝ってしまった友」
大きな広告代理店のお若い女性が亡くなりました
一生懸命育ててくれた1人のお母さんを残して
街が一番華やぐクリスマスの夜に
その時の気持ちはどんなだったかな
私は同じ業界の底辺と言われる片隅から見ていたよ
頑張っていた昔の自分と一緒に
*
色んな人が彼女の生きた最後瞬間をトレースするように
企業のあり方を解き明かす作業が ここ最近続いています
死んでしまうくらないなら なぜ辞めなかったのだ とか
追いつめられた人間は逃げ道すら見えない とか
あの業界自体がそういう犠牲の上に脈々と成り立っているのだ とか
いろいろ いろいろ
私は今 山ときれいな風に吹かれて
もうそんな生活に 戻れないけど 戻らないけれど
それでも 今でも その気持ちが痛いほどわかるところもあります
「そこ」から降りるということは
一度ものを作るということを仕事にした人間にとって
とても大きすぎることで
投げ出したら 自分の命を長らえさせることくらいわかっていただろう
お母さんは悲しまなくて済むんだろう
でもじゃあ どうして
きっと 彼女は仕事がとても好きだったんだ
*
いくら好きなことでも 志した事でも
度が過ぎると バランスを崩す
そうして隣にいた友が どんどん離職したり
自分のあり方に日々疑問を抱えて終電に乗ったり
でも好きなことだからな
ゴッホは耳を切り落として 絵を書き続け
自分の命をたったっけ
それを後世の人間は「絵描きらしい」と表現したりするけど
彼女は「たかがサラリーマン」「たかが広告」なんだろうか
仕事を始めたばかりの私もご多分に漏れず
休日もなく 徹夜続きで そして周囲の人間はすべてそんな生活で
友人にポンと肩を触られるだけで 泣き出すという不安定な毎日でした
でも「辞める」という選択はなかったな
どうしてだろう
たかがこの程度の仕事で やめるなんて出来ない
親が頑張って学校を出してくれたのに
こんなことでやめるわけにはいかない
こんなデザインしかできないのに やめるわけにいかない
作品を作りだめて転職するまでは やめるわけにいかない
小さな頃から絵を描くことしか考えなかったのに
今さら他の仕事なんて 人生が終わってしまう
今のこんな最悪の状態で 好きなことをやめるなんて
死んだ方がましだ
本気でそう思っていた
彼女もそうだったかな
*
幸い私は丈夫で
なぜか健康診断においては年々健康Aが増えて行き
後に旦那さんになる人が側にいて
愚痴る友達が近くにおり
そして3年目 私より先に会社が潰れてくれた
だから少し知恵をつけて 無理し過ぎない環境へ転職して 流れ流れて
今でも片隅で図々しく 生きている
そしてそれで良かったと思う
辞めなくて 踏ん張って良かった
それも命があっただけの結果論なのかな
*
私は彼女 とても辛くてしんどかったと思うけど
本当はもっとちょこまか 障害物をよけながら上手に生きて欲しかったけど
それでも逝ってしまうのだから
好きな事が理由で良かったかな
そんな考え おかしいかな
きっと顰蹙だ
でも好きなことを一生懸命 命をかけて 最後気が狂って
逝ってしまった彼女を それでも尊いと思うのだよ
そのギリギリで1mmでも良いものを生み出そうと
生きていた人のこと 私は知っているよ
なんだろう
彼女が企業というものに殺されたという考えは
少し違うような気がするのです
このようなあり方は けして社会人の手本にはならないのだけれど
もう繰り返すような仕組みを続けていくことには反対なのですが
それとは別の次元で彼女は非常に個人的な戦いを
自分に対して 純粋に挑んでいた部分があるように思えるのです
そしてそう思いたい自分がいるんだな
先生
「美大受験」
「かくかくしかじか」
漫画家が描く 美大受験とその恩師との物語
舞台は宮崎の田舎
絵が好きで 将来漫画家になることを夢見る女の子
海の近くの古家で 絵描きの恩師に出会い
スパルタ受験特訓の後、某地方美術大学へ入学
その後、紆余曲折を経て、漫画家になるというストーリー
田舎から美術系大学を志した人間は
懐かしくて 途中息苦しくて あの頃の猛烈な焦燥感を思い出すよ
*
私にも恩師がおりまして
その人は 高校の美術の先生でした
この漫画のように 自分でも作品を作りつつ 教壇に立ち
正直 どっちが本業かなー と子供心に思ったものですが
ブラブラ遊んでばかりで 地方の進学校だったその中で
悪い意味で浮いてしまっていた自分の面倒を 随分みてくれました
「美大に行きたい」と家庭事情で親に話せなかった私の代わりに
母親を呼んで喧嘩覚悟で 説得してくれたり
早朝 深夜まで特訓につきあってくれたり
私をとうの昔に見限った 他の先生に渡りをつけてくれたり
浪人して 東京の予備校に旅立つ私に
わずかなつてを辿って 予備校の先生に菓子折りを渡して
私のことをお願いしてくれたり
高校最後の特訓の夜に
お菓子とジュースでささやかな送別会を開いてくれました
*
こう書くとあったかくて 面倒見の良い人格者みたいですが
普段からプンとお酒の匂いがして 他の生徒には「浮浪者」とあだ名され
他の先生とつるんでいるとこなんて見た事なかったな
本当にアウトロー
先生は多摩美の油絵の出身で 本当は作家になりたかったらしい
周囲の友達はみんなアーティストになるために頑張っているなか
先生は生まれた長野に戻り 教師になった
家庭の事情により
*
一浪して第一志望に受かり 先生に報告しに戻った時に言われたことは
「もう二度とここに来るなよ」
それから年賀状のやりとりくらいで
私は漫画の主人公のように あんなに好きだった絵を
大学に入って描く事がどんどん減っていき
先生にどんどん会えない自分になってしまった
*
そして私は2年前 先生に会いに行ったよ
その年 めでたく退官される御年になること
今でも送り出した美術系志望の学生とつながっていること
漫画の中で恩師は 亡くなってしまうけど
私の先生は生きてるのだから
また会いに行かないとな
そうじのひと
「気の合う」
篠笛をランチの空き時間にコッソリと吹いていた
毎週1度掃除にくるシルバー人材のおばちゃんが
それを見つけて話しかけて来た
それまで挨拶くらいはしていたけど
その人が東京から事情で諏訪に移り住んだ事
長く住んでいるのだけど なかなか気の合う人がいないこと
そんな時、篠笛の音を聴いて
すごく嬉しくなって思わず話しかけたんだって
*
それから一年近くたって
そのおばちゃんが 仕事を去ると聞きました
後任の方に一緒にご挨拶したとき
「この方は篠笛を吹く素敵な人。ご一緒できてよかったの」
そんな風に紹介されて
あれからそんな風に自分を思ってくれてたんだって
嬉しかった
そう言う私も、この人はちょっと特別だった
私のオフィスは無骨でゴリラだから
1人デスクに観葉植物を育てていて
気づいてくれたのはその人だけだったな
「感性の合う人に会えて 私とっても嬉しいの」
そんな事を顔を合わせたら言ってくれました
日々の生活は幸せなのだけど そういう部分は少し孤独だったのかな
遊び友達がたくさんいるだとか
家族仲が良いだとか
それはそれで満ち足りたことなのだけど
一番奥の部分で 名前も知らなくても タッチできるって
生きている中で 感じられる瞬間があるということはすごく良い
*
最近のテーマは そういう部分の学びです
残念ながらツーカーと話さなくても通じるという環境にはありません
そんな中にいた大切な存在とさよなら
でもまたどこかで