去る2月15日

母が他界した。

享年89歳(満87歳と362日)

 

類まれなる強運の持ち主で

思うに、人生の95%を

自分の思うがままに、

言い換えれば、わがまま放題の人生を

送ることができた人である。

自分の欲や目的のためには

手段を選ばないと言っても過言でもない人だった。

なので、
自分の兄弟たちから縁を切られたり、
また、私の兄とも絶縁状態。
自分の言うことを聞いてくれる人しか周りに置かない。
文句を言う人とは一切付き合わない。
というくらい、

豪快で激しい生き様だった。

そして、散り際も見事だった。
 

私と母は確執した関係だったので、

両親が離婚し、母と二人暮らしになった10歳から数えると

50年間の闘いが終わったといったところだろうか。

何故、私の母親は、こんな人なんだろう。
普通のお母さんがよかった。
子どものことを思うことはできないの?
どうして、私の邪魔ばかりするの?
あなたは好きなことしているのだから、私に干渉しないで。
追いかけてこないで。
などなど、
若いころは、母に対して憎悪しかなかった。
今でいうと
ネグレクト的な感じですかね。
家族や子供に興味がない。
興味があるのは、プライドとお金。

いつのころからか、
なんで私の母親はこんな人なんだろうという思いが、
私は、この人をちゃんと送らなければいけない役割を担って
生まれてきたんだろうか。
と思うようになり、
ここのところ18年位は、ずっと同居していた。
これが、結構きつかった・・・

 

多くの思いが交錯する中、

一番驚いているのが、

亡くなる2週間ほど前に

これまでずっと、

私の人生の最大の邪魔者だと思っていたのに、

突然、たがが外れたかのごとく

気持ちの中にあった大きな硬い塊が

スーッとなくなったことである。

 

それまでは、母と闘っていると思っていたのだが、

母と闘っていると思っている自分と闘っていただけだと

気づいたのである。

すごく気持ちが楽になって、

ほとんど口を利かなかった母に

声をかけられるようになっていた。

 

母は、「痛いこと嫌」と、

病気がありながら、自宅にいた。

何度も医師から入院を勧められたが、

ギリギリまで自宅にいた。

食いしん坊だった彼女は
好きなものを好きなだけ食べ、
やりたいことをして、
そして、自分から

「入院する」と言い出し、

病院へ入ってから1日半でこの世を去った。
亡くなる3日前まで
ステーキを食べていた。

 

何と見事な…

ある意味、カッコよすぎませんか?!

と言いたくなってしまう。

 

私は、これから、

多分新しい人生を歩んでいくことができるだろう。

ずっと、彼女がいなくなったら

やっと自分の人生が始まると思っていたから。

 

こうやって文章にすることも

なかなかできないでいたが、

やっと、やっと、

新たに踏み出す力が湧いてきた。

 

私の周囲には、

母親が亡くなった後、

バーンアウトしてしまうのではないかと

心配してくれた人もいたが、

そんなこともない。

 

それより、コロナのおかげで

仕事が激減し、時間ができたので、

後の片づけに時間を取りやすい。

後片付けをしていると、
母の豪快さを改めて思い知らされる。
本当にすごい人だったと思う。

 

と、なんだかんだと
早、1ケ月が経ってしまった。

そろそろ日常に戻らないといけない。

人が亡くなることは仕方がないこと。
自分が死んだときに、
残された子供たちが困らないように、
本気で終活しないといけないと実感。
 

母の冥福を祈ります。

 

絹江

 

1月21日(火)19:00~
節分前に済ませてしまわなければと

「還暦パーティー」を開催しました。

平日にもかかわらず

30名ほどの方が出席してくださいました。

 

本当にありがとうございました。

 

改めて、感謝の気持ちを思いっきり込めて

御礼申し上げます。

 

 

2時間という時間が

短すぎると感じるくらい、

皆さん盛り上がって楽しんでいただきました。

 

 

貴重なお時間を私のために費やしてくださったお返しは

もっともっと、良い仕事をしていくことなんだと

改めて心に刻むことができました。

 

とても素敵な楽しい時間をプレゼントしていただきました。

 

 

私の生い立ちなどを簡単に皆さんにお話しながら

心の中に沸き上がったのは

波乱万丈とか遠回りの人生とか

まさにそんな表現がぴったりの人生ですが、

 

「私って、遠回りばかりで、しなくても良い経験の嵐だったけど、

 それって、すっごく“得”してませんか。

 人の3倍遠回りをしたのなら、

 人の3倍の人たちと巡り合い、

 たくさんの経験は、私の成長の糧となり

 大抵のことには驚かない冷静な対応ができる人になれた

 とても大切な経験値だよね。

 私って、ある意味すごく幸せ者だよね💖」

 

と思えるようになった自分に気が付きました。

 

60歳のおばさんが言うには

稚拙なことかもしれませんが、

60歳で気づけたことは

とても大きな意味があると信じています。

 

更に自分に磨きをかけつつ

写真を撮ると年齢が現れるので、

写真に耐えられるよう、外面も磨きつつ

次へステップアップです!

 

完全にわたくし事の記事でした(笑)

 

 

 

一般社団法人リアライズ

白戸 絹江

 

 

 

 

 

 

明けましておめでとうございます

 

新年を迎えて思うこと

 

今年の目標は

「自分に正直に!そして、本質を見つめる」

 

 

私は物心ついたころから、

とてつもなく手強い「インナーチャイルド」と闘ってきました。

今もその闘いは続いていますが…

やっと、その闘いに勝てる兆しが見えてきています。

 

 

それは、生まれ育った環境にあり、

特に、強烈に影響をしていたのは

私を取り巻く多くの人々でした。

もちろん、家族もです。

 

 

長い間、

・絹江さんは、こんな人物像でなければならない

・周囲の期待に応えなければならない

・しっかり者でいなくてはいけない

・何でもできなければいけない

・こんなことは言ってはいけない

などなど

結構、無理してきた部分がありました。

 

昨年末から、突然メルマガをはじめ、

3回ほどアップしたのですが、

失敗続きで、結構やらかしています。

 

お叱りの言葉をもらったり、

応援エールをもらったり、

色々なことが起きています。

 

きっと、以前の私なら、

文字にして、あとから何かを言われることが怖くて

口約ばかりで実行に移さなかったでしょう。

 

今は、違います。

 

3年ほど前から

「日本一のおっちょこちょい」と

自分のことを表現しています。

 

そうなんです。

おっちょこちょいであわてん坊で

ビビりでだらしないんです。

 

そんな風に世間は見てくれないので、

それに応える虚像の自分と共存していました。

 

どんなに頑張っても

そんな自分がいなくなるわけはないので、

そのおっちょこちょいであわてん坊で

ビビりでだらしない自分を

上手く表現しながら生きていく決心がつきました。

 

だからこそ、

とても清々しい気持ちで新年を迎えることができたように思えます。

 

今年は、そんな自分と向き合いながら、

これまでのありえないほどの逆境の経験から学んだことや

奈落の底からの脱却方法などを

私ブランドのコンテンツにして

仕事に活かしていきます!

 

なので、ここからが本当の人生のスタートです。

 

還暦を迎え、ゼロ歳からのやり直し。

次の成人式を迎えるまで、

もう少し、絹江ねーさん頑張ろうと思います。

 

 

一般社団法人リアライズ

白戸絹江