この一年で、あたし大人になったなあ。
もちろんすごく子供っぽいところもあるんだけど…
でも、いろんなことを、一方通行で渡ることは少なくなったと思うんだ。
たくさんの人がいて、みんなそれぞれ異なっている。
そしてそれぞれが、もぎたての果物のようであること。
甘みも、えぐみも、酸味も、香りも
どれひとつとっても、みんな果物であることに還っていく。
百人いたら百とおり、なんて、分かっていたつもりだったんだけどなぁ。
でも、この一年間で、わたしすごく、それを実感できた気がします。
すごく落ち込んだし、悲しかったし。
裏切りを感じたりして、今まで大切にしていたものって、なんだったのー、なんて気持ちになってばかりいたよ。
新しい出会いにも、気がつけば怯えが先にたっていたりしてね。
でもねえ、なんか、すべてが愛しいと感じられるようになってきました。
ほんの少しだけだけど。
昨日ね、昔のだんなさんを知ってる女の子が、職場に来たんだ。
彼は、福祉の世界ではちょっとした有名人だったから、名前を知っている人が多かった。
彼女が、彼のことを話すとき、ああ、当時の彼の、横に立って笑っていたよ、楽しかった、幸せだった、とても大好きだった、とても、とても、と、思いがあふれたよ。
彼女はとうぜん、私が、彼の伴侶だったことを知らない。
でも、それを知らない人と、彼のことを話すことが、これほどに心の傷を癒すものになるとは思わなかったんだ。
彼女の話す、それは他愛もない思い出の中。
けれどそこには確かに、私が好きだった、彼の姿があって、その隣には、私の知っている、私の姿があった。
なにかね、成仏したような気持ちになったんだ。
汚されない思い出を、遠くのほうから見せてもらった気持ちになったんだよ。
わたしは当事者だからさ
わたしのレンズを通したら、なんだって汚れちゃう。
けど彼女の思い出の中のそれは、とても美しかった。
それはまるで、わたしが当時に感じていた世界そのものだった。
救われたんだ、とても。
よかったんだ、って。
すべてが悪いわけではないんだって。
いいことも、もちろん、悪いこともあって、おおーきな流れがあって、その中の、痛みのひとつなんだって、思えたんだ。
これからもきっと、わたし、思い出してはつらくなるんだろう。
あの頃のわたしを責めて、引きずり出してくるんだろう。
でもね、みんな、大きな流れのひとつなんだなぁ、って。
時間、というものを思えたのですよ。
わたしが家庭を持ちたいと考え始めたのも、それが時期だったのかもしれないね。
時間という、大きなうねりがあって、そのなかの、ほんのちょびっとの存在として生まれてきた。
むかしはね、何かを成し遂げたいとか、自分て何者なんだろうとか、
見たことのないすべての世界を見たいとか、いろんなこと考えてたんだ。
けど、なんていうのかなぁ…。
ちっぽけだなぁ、って、思うようになっちゃった。
自分て、ちっぽけだなあって。
こーんなちっぽけなら、ちっぽけなりのことを、それそれは一生懸命にできたなら
あたし満足だなあ、って。
だって、結婚だって私にとっては難しかったんだもの。
できなかったんだもん。
じゃあ、できないんだろなあ、から始まってもいいやって思えたの。
昔はね、なんでも頑張ってこなそうとしたよ。
でもいまは、とても肩の力を抜いている気がします。
おばちゃんになったんだと思う。笑
あれだけ上昇志向の、野望満タンだった私が、こんな風になるなんてね。
結婚で躓いたからかもしれないけれど、長い時間の流れを、ふたりが死ぬときまで分け合えたなら
それだけでビッグイベント達成だよ。
子供が産まれたらそれだけで大拍手。
無事育ったら、拍手喝さい。
そんな普通のこと。
生まれて、子供から、大人になって、笑いや涙や、やり場のない思いや感じ入る心を渡って…
それから、恋をして、成就したり破れたりして、心は深みを増したり、濁ったり、ある日突然澄みわたったり。
もしそれが叶わなかったら…
そしたら、また、心に深みが増して、濁ったり、澄んだりを、ただただ、繰り返すんじゃないかなあ…。
今ね、恋をするのが怖いけれど、好きだなぁ、と感じる人がいるよ。
この人に着いていきたいなあ
この人と時間を共有してみたいなあ
そんな風に思う人が、いるよ。
いつもね、一歩を踏み出すのが怖いよ。
とっても怖いんだ。
決断するのが怖いなんて、感じたことなかったけど、自分を信じることができないって
こういうことなんだって
初めて知った。
自分を信用できない。
これは、人生をだめにする、第一級の特効薬。笑
帆船に海を渡らせるなら、海図を読むのは、いつも自分でありたい。
沈んでも、渡りきっても
どっちの結果になっても、私らしさを失わずにいたい。
いま、とてもとても、そういう気持ちでいっぱいです。
離婚を経て、セカンドステップに入ったような気がしています。
あの地獄のような苦しみを、もう二度と味わいたくはないけれど。
それでも、そんな時があったなあ、って、いつかは穏やかに思いおこせる時がもしくるならば、
それは、痛みを包括した、豊かな愛なのではないかと思うのです。
怖がらない為に
自分の羅針盤をしっかり見つめなきゃ。
どんな人生を踏んでも、これは私の人生。
昔の私の姿を、知らずに投影してくれた彼女との出会いは、わたしにほんのりとした勇気をプレゼントしてくれました。
ま、
いま新宿で足止めくらってマンガ喫茶ですけどね!笑
でも好きってこういうことなんだと思う。
会いたい、どうしても会いたい!って思ったら、とっさに体が動くんだよ。
恋ってそういうこと。
衝動的なんだ。
そして、その衝動に身を任せられることが、少しだけうれしいんだ。
だって私、自分で自分のこと、ちゃんと決断できてるじゃない。
怖くても負けないで、頑張れてるじゃない。
テレビの雪災害ニュースに、私が出たら爆笑しちゃってください。
「はあ、仙台に行く予定だったんですけど…」
ってちょーきったねー顔で話してるから。
よっぽど流浪の民に見えたんだと思うよ。
だってTBSとテレ朝の両方の取材受けたもん。
ど田舎ねーちゃん丸出しだもんな~
職場の人が見たらなんか言いそうだけどまぁいいや~
って感じです。
すごく
すごーく
いま、フランクな気持ちでいっぱい。
私の前に広がる人生は、歳をとっていくことだけ…。
そしてそれが、私には、甘く、それはそれは甘く、感じられるのであります。。
おわり
2011年2月15日 5:50 新宿のマンガ喫茶より
わたしの部屋に、職場の上司は突然やって来た。
友達からもらった、小さな朱色のテーブルをはさんで、クッキーを差し出したとき
上司は言った
「薬を飲みなさい、うつ病だよ」
誰のことを話してるんだろう、とまぬけ顔で「はあ」と返事を返した私を、彼女はじっとみた。
白髪の多い、ねず色、と表現したほうがよさそうな髪を後ろでひとつに束ねたその人は、私に何かを伝えたいらしい。
それは…
それはさ、目を見れば分かるけれども…。
せっかく出したんだから、お茶を飲んでくれたらいいな、と考えながら
わたしは自分のカップをすすり、できるだけテーブルが音をたてないようにしながら、それを置いた。
「はあ、うつ病、ですか」
しんと静まったワンケーの部屋は居心地が悪く、わたしはろくに考えもなく言葉を出した。
会話をしている、という体がありさえすれば、何でもよかったのだ。
「わたし、大丈夫です。ぜんぜん平気です」
目の前の女性はぱっと顔を上げ、そして一瞬、逡巡した。
私はそれを見ていた。
母というには少し年の若い彼女の目の奥で、何か、思いのようなものが閃いていた。
途端、まるで叱るような口調で彼女は言った。
「いま、だよ。いま自分を労わらなきゃ、アンタ一体いつ労わるの」
労わるって、どういうことだろう。
両の手から伝わるカップの熱を、まるで他人の温度のように感じていた。
わたしには、労わるという言葉の意味が、まるで理解できなかったのだ。
うつ。
それは、一番恐れていた病気。
人からの評価を、血を絞り出すような思いで手に入れたかった、あの頃の私の
季節であり、時代、そして、代名詞だった。
2010年の9月25日、わたしは、私と大切な出会いをした人と離婚をした。
離婚は、どんな形のものであっても、心の弾力をなくす。
わたしは自分をアクティブにすることで、心のバランスを維持しようとしたタイプだ。
ようは、時間稼ぎだ。
心が病みきってしまうまでの、時間を稼ぐ。
死んでしまう前に、何か希望の光がみつかるはずだ。
それだけを信じた。
それだけを心の支えに、わたしは喘ぎ苦しみ、ただひたすらに体を酷使した。
心は疲弊しきって、もう使い物にならなかった。
体に、心の分も働いてもらうよりなかった。
秋が来て
冬になり、
春が来て、夏が来ても、体はがんばり続けた。
死んだ心を引きずったまま、ただがむしゃらに、走ることだけ体に命じた。
体が止まったら、もう動かせるものがない。
だから止まるわけにはいかなかった。
涙は流れたが、必要な場所で笑うことはできた。
そして孤独は、まるで優しい好敵手でもあるかのようになっていった。
あー
書いてるだけでしんどい。
でも整理がつく。
わたしがいまも抜け出せない、この鬱という名の悪魔は
その後も私を苦しませる。
わたしが大切だと思っていた友人たちは
私の苦しみなんて、ほんとうはわかっていなかったのだ。
そして、わかって欲しいと願うこと自体
なにかがすこし、すこしだけ、違うのだということを知っていくことになる
けれどわたしは変わってないよ
悲しい思いをしたけれど
わたしの心に、小さな頃からずっと住みついている灯火の名は希望。
わたしはこれを、捨てたことがない。
それだけが唯一の自慢なのかもしれないね。
わたしは希望を捨てない。
これからもずっと。
眠りのふちにいる時が、ひとはたいへん素直で
よろしいかと思いました。
今日はね、少しだけ幸せな気分でお仕事してます。
未来を分かち合う、という名前の鈴が鳴っています。
ちりちりと、耳の奥で、そばで、近く遠く。
懐かしいそれは、わたしをタンポポの草原に連れて行ってくれます。
ちりちり、と鳴って
どうかわたしを手招いてちょうだいね。
どうかずっと。
いつまでも。
手を繋ぐものをまちがえてはいけないな、と思いました。
わたしたちは、どんなものとも手を繋ぐ自由があるものだから、ついつい。
ついつい、取らなくていい手をとっていることがあるよね。
なんかね、思うんだけど。
繋ぐ手を間違っちゃいけないよね。
間違うのはいいんだけど…
間違った瞬間に、それを肌で感じるようでありたい。
感じて、すぐに切り落とせる強さを持ち合わせていたい。
花をよく見て、そして、心地いいと感じる花だけ摘もう。
その花は人を幸せにするよ。
いつかの文人が放った真実を思いだす。
”それがあなたにとって良いことであれば、続いてゆくでしょうし、悪い事なら廃れていくのです”
誰の言葉だったか忘れてしまったけれど
多感な頃に耳にしてからずっと、胸に残っている言葉の一つです。
わたしも、この言葉のようでありたい。
出口の見えない気持ちを抱えたままですが、仕事に行きます。
仕事なんて出来ないのですが、やるしかありません。
だってお給料もらってるもん。
とりあえず、こなしてきます。
もう切なくて仕方ない。
はやく、はやくこんな感情の正体が分かって、はやく、楽になりますように。
死んでしまいそうだ。
得手勝手に、ひとのことを好きなように言っている
もしくは解釈しているひとたちには、この苦しみは分からない。
一生分からない。
でも、いいんだ
わからなくていいんだ
それが普通なんだ
誰だって、自分がいちばん可愛いんだ
知ってるよ。。
仕事に行ってきます。
同じ苦しむなら、堂々と甘んじたい。
そして負けるなら、さっさと負けてしまいたい。
勝てることがあるなら、それには、感謝しよう。
逃げながら戦います。
あくまでも、逃げながら。
逃げちゃ駄目なんて、誰が美徳としたの?
わたしは、逃げることが悪いことだとは思わない。
それは立派な手立てだ。
おわり



