このところずーっと、ふさぎこんでましたけど。。


もしかして原因はおんなのこ現象?


ちょっと思い出してみたら、もしかしてそうかもと思い当たる節がたくさん。


29日は突然に泣き出した。

理由は急に寂しくなったから。

ひとりぼっちのイメージに耐えられなくなった。

置いてかれちゃう、って思ったら決壊した。


30日はひたすら疲弊していた。

夜勤だったけど、お仕事なんてしてないのと同然なくらいだった。

ただただ寝た。


31日は過去にならない過去と戦えなくなった。

やられっぱなしの一日。

猜疑心と不安と、自責の念と、あと、闇雲に膨れ上がる涙の日。

ほんのすこしの勇気でなんとかやり過ごすけど、9割がた負けてるので復活できるはずもなく。


1日は体の不調がピークに。

倒れこんでひたすら寝た。

お友達と楽しく深夜のお買い物~、なんて洒落こんでたはずが

途中から吐き気・頭痛・体の痛みのオンパレード。

死ぬ。

と思って明日の仕事内容を、職場に相談する始末。


2日は婦人科へ駆け込んだ。

つねに順調だったのに、事故を境にひたすら狂ってる。

月に2回とかかんべんしてぇ

と思ったらずっと来ないとかね。


そしたら、診察中におんなのこ到来の兆しあり。


どっと疲れが出て、とにかく帰宅。


3日。電話でけんか。

もちろん、けんかって内容じゃないんだけど

わたし自身、どうして心細くなってるのかわからないから

よけいに泥沼に。

左腕が使えなかったのは、肩の腱鞘炎だった事がわかってほっとする。

でも気が高ぶって眠れない。

泣いた日はわたし、眠れない。

とにかくおだいじに、ってやつだ。


なんかちょっと時系列まちがってるけど

とにかくこんな感じ。


4日、部屋で号泣。

もうどうしようもない。

肩と腕の腱鞘炎のせいで、左腕が使えない。

webカメラ使ってんのに、ひたすら無言のまま泣く。

きもい。

いつの間にか落ちてた。

さすがに前日の2時間睡眠が効いた。


5日。

メールで安堵する。

この頃からようやく気持ちがおちついてくる。

安定したおんなのこスタート。

血量なくてヨボヨボだったけど、奔流のようにカミングオンしてくれて

まさにハバナイスデー


そんで今日、6日。

しっかり寝て、お布団ほして、ラジオから流れてくる曲が

心地いいものに聞こえた。


心が安定してるのを感じる。


ね、もしかして、怒涛の情緒不安定は、おんなのこ月間のせいだったのかなーって

思うよね。



それにじっと耐えて、おつきあいしてくれた

あなた、あなた、そしてあなた。



ただひたすらに、感謝と愛をささげます。

ありがとう。





おわり




ちょっと気になってぺたりこ。

なんとなく流して聴きたい気分になる声とメロディ


ラフ/たむらぱん


今の私のテーマソング。
この曲には救われてるもん。

もしも世界の最終列車に
間違って乗ってたら、どうしようかな
怖いわ

わたしはいま、怯えと勇気を腕一杯に抱えて、一生懸命前を向いている。

膝をついたらすぐ立ち上がる。
どうしても立ち上がれない時は、少しだけ泣く時間を自分に許す。
泣いたら、また立ち上がる。

怯えと勇気はふくれあがって、今度は背中にのしかかる。

でも、時々おもいだしたように、草のにおいがしてることに気づくんだ。

そよ風がほほをなでて、その風がぬるんで、冬が終わるのかもしれないと、ふと気がつくんだ。

まだまだ、骨の芯から軋むような寒さだけが眼前にあるけれど。
豪雪のなか、ごうごうと唸る風だけが耳にあるけれど。

それでも、しんしんと冷える体のどこかが、青くてやわらかい、初夏の風を感じようとしている。

冬は終わるんだ。
かならず、おわるんだ。


凍った体を横たえたら、世界は見る間に塗り替えられて、目の前一杯に虹がかかるんだ。




この曲はわたしに元気をくれます。
寒さに体の縮こまったわたしに、気づいたら冬が終わってることだって
ありがちなことだって。

そうだ、ありがちなんだ。

なにも特別なんかじゃないよ。

つま先立ちでいこう。

跳ねるように、鼻歌で、スカートのすそつまんで

耳の中に吹雪く嵐の音を聞いたままで。

それでも虹はかかるんだ。






おわり

たいそうなタイトルになりましたが、終わりだけだと胸のうちが寂しかったから始まりをつけただけです。
つけたし。

誰も私のことをわかってくれません。
寂しさは募るばかりです。
怯え、苛まれ、立ち上がり、また挫けてなお、私が希望を失わずにいられたのは、
いえ、明日がやってくることそのものに打ちのめされた時も確かにありました。

でも私は信じました。

人生は、歩いていく道のりを、魔法の杖で叩いてゆくようなもの。
たたいた先から転がり生まれてくる星々を、ポケットに収めて、また歩き出すのです。
喜びの顔をした星も、悲しみの顔をした星もありますが、みなすべて愛しいと思える日がやってくるはずだと、今はまだ見えないその来るべき日を信じるのです。

べつに宗教とかじゃないけれど、私は私のやり方で、人生を大切にしてきました。
誰もわかってくれなくても、それでも、大切にしたい誰かが、私と同じ時代に生きていてくれること、それはなんて素晴らしいことなんだろうと、私は思います。

人は、多くのものを抱えられません。
それでも、できるだけたくさん持ち歩こうとする人もいます。
もちろん、持ち歩くことを選ばない人も。

みなそれぞれ、自分の星を拾いながら、長い道のりを歩いています。

時々、お互いの星を見せ合うこともするでしょう。
見せた誰かが素敵だと言ってくれたら嬉しいかもしれないけれど、その星を愛しむのは自分ひとりです。
もっと言うと、愛しむことのできる存在は、自分だけです。

誰かと星を見せ合う時、私は思います。

見せ合う相手に出会えたことに感謝しよう。

私の星は、私にしか分からないけれど、私の星を見せることのできた人との出会いに感謝することはできます。

いつだって、人はひとりぼっちだけど。
あまりの心細さに、また歩き出すのを止めてしまいそうになるけれど。

でも、人生は路傍の草を叩いて、星を拾ってゆく作業。

どんな星が生まれてくるのか、知りたかったら歩くしかない。

それを眺めるのか、拾うのか、決めてゆくのも自分なのでしょう。



誰かを大切にするって、分からないけれど、私は、その人との出会いそのものに感謝することだと思います。

胸の痛むことも、笑顔も、ひどいわだかまりも、言葉にできにくい何かも。
それらすべてを超えて、出会えて良かったと思うこと。
願わくば、たったひとりで星を拾う、この孤独な作業を、白く霞む霧の向こうの小道に、同じように星を拾うあなたの姿を認めながら、どうか。



誰しも、自分を認めて、分かってくれる人を求めるのだと思います。
私もそうです。
でも、もともと独りだから…

だから、少しでも分かり合えた誰かには感謝と愛情を。
たとえそれ以外の何も分かりあえなかったとしても、そこに感謝も、愛があったことも、私にとっては不動の事実です。


ながく生き始めてきたせいか、色んなことが色んなふうに染みます。心に。

涙のあとは残っても、せめて顔だけはあげて、鼻歌にスキップくらいはできるといいな。

この先で出会うかもしれない、たくさんの星々を心待ちにしながら。






おわり
『わたしたちが好きだったこと。』-20110128155056.jpg

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