飢えた子たちの多さにうんざりしますが、いえ、正しくは飢えることに辛抱できなくなった子達の多さにうんざりしますが、今までだってそうだったはず。

けど今のわたしには何も出来ないからね。

悪いけど期待しないで。だってわたしも飢えてるから。



なんつーの?


ダメだと思うならよせばいいんだよ。


わかってるけどできない、っていうソレに対しては諦めりゃいんじゃね?


だって出来ないんだから。


出来ないに罪もクソもないよ。それ以上でも以下でもないよ。


でもね、誰かから貰った優しさより先に、自分の与えた優しさ数えてるうちはアホほど苦しむと思うね。


同じ苦しむなら、誰かから貰った優しさを数える時の苦しみを選んだほうが健全だね。


それは、自分が与えた優しさを数える時よりも、ずっと苦しい。


でも必ず花が咲く。実をつける。



自分の与えた優しさを数える苦しみってのは、根っこ伸ばすくらいのもんだ。


それは芽吹かない。


だって太陽に気がつかないんだもん。


太陽そこにありますよ、ってんのに、気づこうともしないんだもん。



ま、根が伸びるってだけでも恩の字だけどね。

なんでも切なくなったら、大きな括りで物を見たらいいのさ、と学びました。








あーすっきりした。

病気してからこらえ性がなくてだめだわ。

でも反省なんかしねーざます。

自分の心は自分で守るざます。

わたしにも牙はあるざます。






おわりざます。









なんだか知らないけれど、私の周りは飢えた子が多すぎるね。


甘やかして欲しいのかえ?


あのね、自分だけがしんどいなんて思ったら大間違いなんだよ、このタコ。


しんどい中で、誰でも自分の事だけで精一杯な中で、


それでも、ほんの少しでも、


一割か二割だけでも、自分の事を気にかけてもらえるなんて、


私はそれだけでも本気で恩の字だと思う。


ぶっちゃけ感謝がたりねーよ。


感謝の意味を知らねーよ。


世の中の世知辛さを知らねーよ。


自分だけで精一杯の時、ひとは正常じゃいられなくなる。


それがわかってるから、だれも、だれも、責めないんだよ。


でもそのぶん、自分で自分を責めてるもんなんだよ。


お他人さん責めたら自分を慰められるんだろ?


お安い感情だな、ばかばかしい。


自分の事をわかってもらえなくて悔しいなら、人ってのは、一生誰もわかってくれないということを、まず先に知ったらいい。

身を持って、本気で、知ったらいい。

誰もわかってくれないことを知っていれば、ほんの一、二割だけでも理解してくれる人間がどれだけ尊いかがわかるんだよ。

その一割、二割の人間たちでさえ、8、9割は誤解してるか、通じ合えてないってことを覚悟したほうがいい。

そしてその上で、相手を好きになるもんなんだよ。

大切にするもんなんだよ。

それを大切にしてるっていわないで、なんて表現すりゃいいんだよ。
自分を分かってもらえていないこと、それ前提で好きになるんだ。

それを、日本語の、どんな言葉で表現すりゃいいのか、教えてくれよ、反対によ。


馬鹿だとかお利口だとか、そういうことじゃないんだ。


人間て、そもそもそういう生き物なんだ。


だからこそ愛しいし、味があるし、そこが魅力なんだ。


わかってんだ。



でもそういってる私も人間だからね。


グッテイストな感情をぶちまけることがないなんて思うなよ。


ぜひぶちまけさせてくれ。

hey you KUSOKURAE★

荒野に立ってるのは全員だ。

全員。

全員なんだよ。
背負った傷の形が違うだけなんだよ。



ハイじえんど。

あーつかれた。



裏方が得意です。


表に立ってするのも、できなくはないけれど、

自分で得意分野だなあと感じるのは、いつも裏方です。


電車やホテルの調査、手配なんかはお手の物ですよ



ハッピーだけど、プチプライスでお財布にも優しくて

なおかつ、みんなが満喫しまくりのプラン立てるの、すごーく得意だもん。


笑顔がごはんです。



ま、表に立ってがんばりすぎると泣いちゃうみたいだから

裏方だけで過ごしたいな、最近は。笑





終わり





たむらぱんの歌う、ラフがとても好きです。


今の私のテーマソングです。


なにかをかつかつに進めてても、それがいいのかは分からない

ああだから、仕方ない

たまのふらふらふ らふ らふ らふ


らふ そんな気持ちになったら気楽になった

らふ やりたいことができた

らふ いいことずくめだ たまの ふらふらふらふ


肩の力を抜くとか、ナチュラルにとか、自分らしくとか

ききなれた癒し文句はあるけれど、それができるかどうかはまた、別のお話。


でも、彼女のせせらぎのような声で、


『寝ころがってみたらピースが落ちていた』


って歌われたら、力を抜いてもいいやと口もとが緩みます。


寝ころがってみてはじめて、


星が見えてきたり、やりたいことが出来たり、

探しても、どうしても見つからなかったはずの

パズルの最後のピースが見つかったりする。





いいことずくめだよね。



たまの、ふらふ、らふ、らふ、らふ。







終わり




いつの頃からか、めざまし時計を使わなくなりました。


必ず目が覚めるんです。



若かったあの日の自分に


眠ったまま時間が過ぎてしまうのじゃないかと

本気で恐怖したあのひの自分に



教えてあげたいです。


お前にもそんな日がくるんだよ、って。





終わり

いってまいる。


ひとつひとつ、心が軽くなって来てます。

傷は癒えないけれど、ガーゼの当て方を覚えたらいいのだと気づきました。


癒えないからこそ、それは本当につらいことだけど、人生はすばらしいのだと思います。




今日は新年会。

わたしのことを大切にしてくれる友人であり、わたしが大切にしたいと思う友人たちに会ってきます。

愛の形はさまざまで、それにさえ傷つくことがあるけれど

それが愛という名のもとにあるなら、わたしはかまわないと思うのです。


愛していれば何をしても許されると思うな。


これは間違っています。


愛は、許されないようなことをしないからです。

愛は、どうしても許されないようなことを、はなから含みません。


それでも、何かを思う、その形にはさまざまな形があるんだと思います。


わたしが大切である以上、それ以上の意味を持ちません。

わたしが大切にしたいもの、それが、愛してるものです。



友人は、その中のひとつ。

彼らはわたしの宝物。



きょうは、彼らの笑顔に包まれてきます。






おわり

私は気がつかない、ある日、それに気がついて愕然とする。

どうして気づかなかったのか、激しい後悔に襲われる。


小さくなっている。

あんなに大きかったはずなのに。


母の終焉がそうであったように、その人も。


足の指の先を触れ合わせた記憶の、その甘さは、おのずと私を打ちのめす。


心が動く。

揺さぶられる。


それでも、私は進む。

前だろうと、後ろだろうと、わき道だろうと。

私は進むのだ。