いよいよ大晦日ー笑い泣き

カウントダウンー笑い泣き

年内に終わるでしょうか回顧録!
(計らずして五七五!笑)





もう、あとはめちゃくちゃはしょっていきますアセアセ

進学したのは、九州大学の大学院、人間環境学研究科心理臨床カウンセリング専攻科(長すぎる名前だったのでよく覚えていない…間違っている気がします汗汗)。

大学院に入ってからは、社会人4年していた間にすっかり論文の書き方やら、発表のときのレジュメの作り方やらの大学の作法を忘れてしまっていたので、苦労しましたーショボーン
だいたい、学術書とかも読むの、苦手でーあせる

でも、大学院の2年間は座学だけでなく、カウンセリングの実践としての実習のほうが多かったので、そちらは新鮮でしたニコニコ

付属の教育相談室で、先輩とペアになって、親子の面接をそれぞれ担当したりしました。
子どもとのカウンセリングは、プレイセラピーをすることも多くて、体力必要だったな、、あせる
精神科にしばらく実習で通ったり
児童相談所(一時保護所)にも一定期間通ったりしました。
在学中に、地域の保健科で、定期的に、母子の健康検査で発達の相談を受けたり、発達に課題のある子どもの親子グループの療育に携わらせていただいたりしました。

カウンセリングについては、

独り立ちするまでは、先輩の陪席に始まり、自分のカウンセリングをビデオや逐語録でモニターしたり、カンファレンスでケース検討にかけたり、スーパーバイザー(監督の意)の先生についてスーパーバイズを受けたり…と、鍛えられましたあせる
カウンセリングのプロになるための訓練です真顔

この間、
もちろん
落ち込むことも多かったーえーん

でも、研究室仲間や同学年・先輩とも仲良くさせていただいて、助けてもらいながら、なんとか修士号取得しました(これまた、修士論文は締切日ギリギリ駆け込み提出したような)。


そうビックリマーク
大学院2年目は、うまれて初めての、一人暮らしをしましたビックリマーク

夜の学習会や研究会、スーパーバイズを受けるのも夜だったりしたから、通うのは難しくて。
たった1年だけど。

女子寮爆笑
二人一部屋、8畳だったかな。
月4千円びっくり
1人分の自炊、屋上に洗濯物干し、掃除当番、電話当番。
お風呂は、そばの駅の高架から覗かれるとの噂ガーン
香椎の花火大会は、屋上に上がればよく見えたおねがい

この一人暮らしは、私にはけっこう大きかったです。
なにしろ、箱入り娘でしたから。

笑いましたか真顔
段ボールぐらいな箱ですよニヤニヤ

でも、親にはだいじにされすぎて不自由感はありましたからね、初めての自由を味わいましたウインク


あー
また終わらないあせるあせる


とにかく、
大学院修了して、

それからはまた就職難で…ショボーン

心理職って、
就職厳しいんですよ!

私なんて学歴をさらに積んだのに、前より就職難。(もっと言うと、給料も減!)
需要と供給のバランスがとれてないんです。
その上、臨床心理士資格のための指定大学院はどんどん増えたのに、卒後の就職先は相変わらず少ないプンプン

あ、これはまた別記事で!


院卒後すぐに就職できなかったことで、私の精神バランスが崩れました。
それに他のいろんなことが重なって。
振り返っても、かなり変な状態でしたショック

あ、これもいつか別記事で!

ともかく、
卒後数ヶ月後には無事、精神科に就職し、
その年に、
働きながら
臨床心理士資格試験を受験し、
(地方受験なく、東京に2回ですよ飛行機!)
資格取得しましたキラキラ
大学院の前に4年働いていたので、その分、同学年の皆より一年早く受験できました(当時の制度)。

でも、

大学院に進学したのは、
資格を取りたいからではなかったんです。
あくまでも、純粋に勉強したいと思っただけ。
資格は、ついでに?とっただけ。
そこは周りの友だちとは違っていたと思います。

けれど、
結果的には、
私には既に、カウンセリング、心理の道しかなくて。
他には、やれること、やりたいこともなくて。
やっぱり、人の"心"に関わっていたい、と思っていたのだと思います。


というわけでビックリマーク

臨床心理士への道のりは
(資格取得までとすれば)
ざっとこんなもんあせるあせる


大学院は、4年働いて貯めた自分のお給料を学費に充てた(奨学金も使った)ので、親任せの大学時代とは、勉強への身の入りかたが違いましたよ!
何かのご参考にウインク


ここまで
おつきあいくださいましたみなさま、
ありがとうございました✨。

よいお年を~キラキラキラキラ