私のブログはテーマ性がなく思いついた事をあれこれ書いてます。
「死んだら無」だと信じる人には理解されない内容かもしれませんが、今日のブログは、霊魂の話
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以前、上記のようなブログを書いた。
けれど、その先の事で書いていなかったことがある。
それは、
上記ブログに書いたような嬉しいことがありながらも、その後何日間か経過した頃、母の存在が自分の近くから居なくなった…と感じてしまった瞬間があった。
その時は悲しくて悲しくて、
「仏壇にも母はいない。この家の中から母は居なくなってしまった」と、仏壇が見える座敷廊下の板の間の雑巾がけをしながら、ボタボタと床に落ちた涙を雑巾で拭いた。
あの時の落ちた涙を私は何度となく思い出してきた。
あの時が、もう一段階上の別世界に母の魂は旅だった時期だったのだろうと思う。
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私と夫の実家は共に同じ浄土真宗だが、浄土真宗では、阿弥陀如来様を信じるだけで仏になり、極楽浄土へ往生できるといわれている。
葬式仏教としての位置づけで仏教と付き合っている人も多いのだろうと思う。最近はお寺にご縁を頂いているが、それでも、私もどちらかと言えばそれに近い。
信心の深さに関わらず、家族が亡くなると四十九日法要を行う人は多い。
仏教では亡くなってから四十九日目に仏様のいる極楽浄土に向かうとされていて、四十九日までは、亡くなった人の霊は行き先が決まらずに、この世とあの世の間をさまよっているとされているからだ。
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では、どういうわけで、四十九日という数字が出てきたのだろう?
そこまで霊感が強くはなかったはずの20歳だった私でさえも、母亡き後に体験したのだから、
昔から、霊感が私なんかよりも格段に強い人達はいて、その霊能者達による数多くの実体験によって導き出されてきたのが、亡き人達の魂がこの世からいなくなると感じとった平均的な日数であり、それがだいたい四十九日くらいまでが目安だった。
その日数が仏教的考えと結びついて四十九日法要が確立されてきたのだろうか?…
などと私は勝手に想像したりする。
あの時の母もそういった意味で、四十九日までのある段階で霊界に行ってしまったのだろうな…と思うようになった。
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けれども、霊の姿を実際に見てしまった経験を何度かしてしまうと、少なくともこの世に滞在してしまっている霊は少ないかもしれないが存在するのかもしれないし、もしかしたら魂は霊界とこの世を行ったり来たりできるものなのだろうか??という疑問もわいてくる。
先日のお盆旅行の夜、夫と次男カップルと4人で海岸散歩に行く途中の道端で、2日間とも同じ場所で同じ霊に遭遇して、久々にそんなことを考えた。
そして、「お盆に海に入ってはいけない」という昔からの伝承を母から教えてもらった事を思い出していた。