20歳のときの母親との死別。
私が23歳の時にあった父親の再婚。
再婚相手との関係における苦悩が続いた何十年もの月日
この経験談を今回ブログで綴っている。
53歳で妻と死別した父親にとって、その後も長く続く人生は、再婚によってある程度の幸せな時間をもたらしてくれたのだろう…と私は思っている。あくまでも親目線では…
一方で、子どもの側は、親の再婚によって何がもたらされたのか?
正直言って、私の場合は、幸福よりもストレスのほうが大きかった。
亡き母方の親戚も我々家族から離れていって、私は寂しかった。亡き母の話題を自宅ですることすらタブーみたいになっていった。
何度、(お母さんが生きていたら…)と思ったかしれない。
それほど、亡き母とは真逆で、子どもっぽく嫉妬深く、夫の愛情を独り占めしたくて子どもに対抗心をむき出しにしてくる奥さんのことが私はとても苦手だった。
父親が再婚していなければ、父親と旅行することもあったのだろうけれど、再婚したことによって父は奥さんの親戚と旅行はしても、我々子ども家族と旅行することはなかった。
奥さんは我々子どもたち家族との旅行を拒絶してきていたので、父の晩年、最後の旅行になるだろうと父親だけを旅行に誘っていた。
父もとても楽しみにしてくれていたこの最後となったであろう旅行さえ、この人によって阻止され叶えることはできなかった。
色々あった数10年だったが、父亡き今、この人に恨めしさを持ち続けることは私にとって不幸なことであるからやめた。
勝手に傷ついたと言われてしまうとそれまでだが、やはり、体が弱いことを盾にされて自己完結してほしいようなことでも何かと手伝いを要求され、「この人はトラブルが好きなのか?」と思えるような本来ならどうでもいいことで私は相談役にさせられてきていた。
手伝わないとこれでもかと食い下がってくる人で、「なんで父親はこんな人と結婚してしまったのだろう…」と父親でさえ恨めしく思えていた。
そこで父親に苦情を言わない私も私なのだが…
今考えても、若い頃から今もだが喧嘩を好まない私は、トラブルが面倒くさくて、奥さんからの要求に応えてきてしまっていたお人よしだった。
タイムスリップできるなら、あの頃の自分に「もっとはっきりとNOを言いなさい!電話でいちいち兄と姉のことで私に相談してこないように父親から奥さんに言って欲しいと父親にも苦情を言いなさい!」と進言してあげたいww
新婚当初の私は、親戚づきあいはしても、兄嫁とプライベートで接点を持つことはなかったが、奥さんから兄嫁と奥さんとの間で起きていたトラブルのことを電話で散々聞かされ、意見を求められて兄嫁の味方めいたことを発言しようものなら、撤回するまで電話を切らせてもらえず、「あゆみさんもこう言っていた」と兄嫁に吹き込み、私までとばっちりをくらって兄嫁から絶縁されていた(>_<)
後に誤解は解けて、兄嫁から謝罪をつづった長い手紙をもらったこともあった。
恨めしさを持つ気持ちは止めようと思って止められるものではないが、視点を変えて物事を見直してみる『リフレーミング』を試しては、何も思わない無に近い感覚とも言えるフラットな心境へもっていくことがやっとできるようになった。本当にやっとである。
今は、私が1人で勝手に感じ取っているだけだが、余命が長くないであろう奥さんを、何十年と透析を耐え抜いて、病気に対しては弱音をあまり吐くこともなく本当に強い人だったという面での尊敬の気持ちと、闘病お疲れ様という気持ちで送り出したいと思っている…
ということを下記に貼った①②のブログで書いた。