【ブチンと糸が切れた瞬間】

 

その後10年以上の月日が経過し、父が認知症になってしまいました(>_<)この頃には、奥さんのご両親とも他界され、2人姉妹の奥さんは両親からの相続も終えていました。

 

奥さんも体のいうことがきかなくなってきて弱気になり、自分たちの財産の一切合切の管理を私に任せてきました。

 

 

管理を任せた後も、私は奥さんに会社経営ばりに逐次会計報告をしてましたが、不安からとはいえお金の話ばかりしてくる奥さんには辟易でした(>_<) 

 

父が認知症になりつつあった時期、体が弱い奥さんでしたので、父だけが入る老人ホームを探してほしいと言われて探しても、立地や環境にもこだわる奥さんはダメだししかしなくて、結局、やっぱり老人ホームはや~めた。となっていきました。


奥さんは父親のことが本当に好きで執着もすごくて、父の我々子に対する愛情にも嫉妬するような子どもじみた人で、結局、父だけを老人ホームに入れる踏ん切りがつかなかったのだと思います。


 

私からは、薄氷の上に立っているような生活の二人には老人ホームを検討しておかないと大変なことになると考えていてハラハラしてました。


結局、私に2人の生活をサポートさせることでギリギリまで2人で暮らす事を選択していたのです。食事はワタミの宅配。買い物や父の床屋や病院へ連れて行くのは私。1日おきに実家に行き、ゴミ出しも出来ないという奥さんに代わって、実家のゴミも全て持ち帰る日々でした。ヘルパーさんにも入ってもらってました。


奥さんが透析の日に合わせて父のデイサービスを入れ、帰宅する頃の様子は遠隔の見守りカメラで兄と姉と私の3人で誰かが気づけるように見守りました。


遠隔でカメラの向きも変えられるので、画面が動くと他のきょうだいの誰かも今見ていてくれるな…と分かりました。



そんなある日、奥さんが自分の検査入院のときに父も一緒の病院に社会的入院をさせてしまいました。


奥さんは入院中ずっと自分だけ1日1万円の個室に入り、父のことはずっと大部屋に入れてました(>_<)


社会的入院の為、治療がない父にはフロアの人数スタッフが少なかったのです。病院で父はベッドから落ちて坐骨骨折、細菌感染して腎盂腎炎にもなり、認知症も一気に加速させてそれまで歩けていたのに寝たきりの人になりました。

 

父の認知症が進むことを恐れて、奥さんが検査入院している間は、私が父の家に泊まって世話すると言っても絶対に言うことを聞いてくれなくて、自分と一緒に入院させてしまった奥さんを私は恨めしく思いましたえーん 


何がなんでも自分の意思を曲げない奥さんには誰も太刀打ちできないエネルギーの強さがあるのです。

 

 

こうなってしまった以上、このままでは自宅で生活できないからと、私に夫婦で入る有料老人ホームを探させ、マンション内の片付け、マンションの売却、ホームの二部屋を整えて引越しておくまでのことを一任してきたのでした。

 

これら大仕事を終えて私は病院へ2人を迎えに行き、老人ホームへ直接送っていったのです。

 

私は自分のバイトも休んで、それらにエネルギーを傾注し、奇跡的に奥さんが納得する立地と新築したばかりの有料老人ホームを見つけて、それらのことを短期間でやり遂げました。

 

この時の私の苦労は相当なもので、24時間、これらのことを考えて動き続けました。

 

私にとっても相当なストレスとプレッシャーの中でやり遂げたことだっただけに、全てをやり終えた後に、奥さんから私のやり方でスピード感があり過ぎてついていけなかったと文句を言われて、せっついてきた人からそんな言葉を浴びせられて、私の中のピンと張っていた糸が、何かが音を立ててブチンと切れ、奥さんのサポートは父が亡くなったら、兄と姉に任せようと思えてくるきっかけとなりました。


それで、亡くなった父の老人ホームの部屋を片付け、奥さんにとってより良い条件の老人ホームを見つけて予約をしておき、そちらの老人ホームへの引越しまでやり切った後に、兄と姉に奥さんのことを一任する形に移行していきました。

 

 

 

【お金のことばかり相談されても…】

 

姉が親たちに会いにくるたびに、交通費は払ったほうがいいのか?でも勝手に来るのだから払わなくていいよね…などとそんなこと含め何かある度に相談されて、私へのお礼金に対してもいちいちどうしようか?と相談され「私もいらないからいい」と言うしかなく、払わなくてもストレス、払ってもストレスという奥さんの心理状態に付き合っていたら、こちらがどうかなりそうでした。

 

老人ホームに入居した後は、奥さんから頼まれたものを私が購入するにも親名義のカードで決済することを奥さんは異様に嫌がり、現金決済による立替を求めてきて、立て替えたら奥さんのとこにいちいち取りに来て欲しいという滅茶苦茶な事を要求してきてましたチュー

 

決済方法まで細かく指示してくるので私にしてみれば「やってられっか!プンプン」という場面も本当に多く、ギクシャクの原因は結局支払いの方法問題が多かったように思います(>_<)

 

奥さんは私の姉にそういうことでも私の悪口を電話で話し、私の言い分も聞いたことがなく何も知らない姉は、もう少し奥さんのやり方に寄り添ってあげたら?とか、会計報告をもっと頻繁に!などと、奥さんからの悪口を鵜呑みにして忠告してくることも私の大きなストレスの要因のひとつでした(>_<)

 

私は奥さんのことで兄や姉に愚痴ることはなかったのです。

奥さんのことで愚痴をLINEに書くことにエネルギーを費やすなんていう力すら残っていないですし、親の介護にいちぬけたしている兄と姉に話す気もしませんでしたもやもや

 

兄と姉は積年の私の苦労を本当の意味では知らないのです。

 

夫も仕事の関係もあって奥さんから頼まれごとをされては酷いことをされた経験も何度かしてきていますし、私の苦労を知っているのは長年に渡って近くで見てきて私の愚痴を聞いてくれていた夫だけなのでしょうね。
 

 

 

【奥さんを悪く言わないきょうだい】

 

私はこうやってブログで奥さんのことを悪く書いてしまっていますが、兄と姉は、他人の悪口を言うことを好まない人たちです。

 

悪口は自分に跳ね返ってくると思っていますから、父亡きあと兄と姉に老人ホームにいる奥さんの事務的な世話をバトンタッチしてもらった今も「3人のきょうだいLINE」上でも、奥さんのことについての悪口が語られることはありません。

 

 

亡くなった実母が他人の世話はするけど他人の悪口は言わない人で、常に夫を立てる人だったので、実母に恥ずかしくない生き方をしていきたいと3人の子どもたちは思っているのです。

 

そういう意味では私がきょうだいの中で一番愚痴っぽい人間かもしれませんが、

 

こういうこともあって、親御さんを早くに亡くしてしまった人や、親の再婚話に悩む人の話を聞くと、人には言えない悲しいものも抱えているだろうな…と慮ってしまい感情移入してしまいがちになってしまいますあせる

 

 


【奥さんによる最期の準備】

 

父からの相続では、3人にどの不動産を割り当てるかも父は認知症になる前から決めていました。3カ所の中では家賃収入が一番多い不動産を私が相続しています。机上査定では3カ所の中で一番安い物件なんですけどね(;^_^A

 

私が結婚するまで住んでいた実家の建物なので相当な古家です。壊す時もお金がかかりますし、相続してからも古家なので修繕費も嵩んできてますが、同じ市内に住む私が一番管理しやすいからという理由で父が私に相続するように言っていたのです。

 

事実、昨年も隣地との境界のことで現地で立ち会うなどそれなりに古家の相続には色々あります。

 

 

姉は自分が相続する駐車場は妹のよりも家賃が少ないと嘆いていたので、私は「いいよ。相続する不動産を交換してあげるよ。」と快く言ったのですが、やはりメンテナンスや壊すときの諸々を考えると駐車場のほうが簡単でいいと思ったらしく、やっぱり交換しなくていいと話してました。

 

 

遺言書が好きな奥さんは、家賃を考慮して3人の子どもの中でも私に対しての相続財産を減らすような遺言書を司法書士を通じて書いているらしいです滝汗

 

奥さんのことで逐次きょうだいLINEに報告をくれる姉ですが、こんなことまで知らせてこなくていいのに(苦笑) 

 

 

 【今はなんだか積年の垢が取れた感じ】

 

父親の再婚相手の奥さんと兄嫁が大喧嘩して絶縁してしまっていたので兄も父夫妻から離れていた時期が長かったですし、姉は他府県在住で奥さんとも一定の距離が保てていました。

 

なので、きょうだいの中でも両親のサポートをしてきたのは私であり、兄や姉ではありません。奥さんも何かにつけて私に相談ばかりしてくる人でした。

 

きょうだいの中では一番、親の再婚で色々な思いを抱えて生きてきたはずの私です。

 

それでも、ブログでは数えきれないほどあった辛かった経験についてほんの少ししか書いてきていないつもり(笑) 

 

 

奥さんに対するドロドロした感情もなんとか昇華させようともがいてきた人生でしたが、なんだか今年に入ってくらいから初めて、結構フラットな気持ちにまで持っていくことがやっと出来た気がしています。長くかかりましたショボーン

 

 

私自らの意志で奥さんから離れさせてもらった後も1年間くらいは、いい子ちゃん気質の私は罪悪感みたいなものを抱いていましたが、

 

今は奥さんに対しての今まで受けてきた憎悪やイラつく感情といったものが全然湧いてこなくて、ブログに書いて脳内整理してきたことも結構役に立ってきてるのではないか…とさえ思っています。

 

 

また、自分の感覚として、この数ヶ月の間ずっと、奥さんの余命のタイムリミットの時が近づいているのを感じ取っています。不謹慎なので具体的にいつ頃と書くことは控えますが、ここだけの話し、そういうことに感覚が鋭い私なのです。


 

奥さんとの別れのときは、憎悪で満たされた感情を抱いていたくないのです。できることなら、自分の幸せのためにも、若い時から透析と戦ってきた奥さんに「大変な人生でしたね。お疲れ様でした。」という気持ちで、最期は労いと、ご自分の病気に対しては本当に前向きで強い人だったという尊敬の気持ちでお見送りしたいと思っています。