恩師との出会い:
前回の続き、
ボストンの夏期講習では、、今では当たり前ですが、レオタードでいくつかの写真審査とビデオ審査があり、それをバレエ学校に送り合格だと参加を許可されます。
ボストンに行くまで、先生のプライベートレッスンは毎週あり、自宅の小さな部屋を板張りにし、鏡とバーをつけてもらい、そこでバーレッスンをして頂いていました。
先生は常に棒を持って、、、
もちろん叩くのではなく、(笑)
一つ、一つのポジション、身体の使い方を教えて下さいました。
本当に貴重な経験でした。。
ボストンの夏期講習の後、正式にスクールに入ることが許され、次の年にはセカンドカンパニー、そして次の年にはカンパニーメンバーとして入団しました。
ボストンではたくさんの経験をしました。クラシックバレエの作品のみならず、アメリカ・モダン、コンテンポラリー作品に触れられた事は私にはとても刺激的で、改めて踊ることの楽しさを実感できた経験です。
ボストンバレエに6年間在籍した後は、ピッツバーグバレエを経て、NYへ渡りました。
アメリカには16年間いましたが、その間に私が本当に踊りたいものがどんどん変化していきました。
それは、、
クラシックバレエのように何かのキャラクターになりそれを表現することではなく、モダンやコンテンポラリーのように、自分自身でありながら身体で音を表現したり、身体ってこんな風に動く、というような事が自分は楽しいのだ、と。
それは子供の時に教えて頂いた先生の影響が強いな、と感じています。
次回は、日本に帰って来て本格的にバレエ講師として始動し始めて、今に至るまでをお話しします。
次回へ続く、
恩師との出会い:
私が恩師と出会ったのは小学生の時です。出会った当時の事は正直あまりよく覚えていませんが、ただ子供ながらに、
怖い、、、今までの先生と何かが違う。。
そんな印象でした。
当時の私は今思うと本当にレッスン中もやる気があるんだか、ないんだか、ダラダラとして、何を聞かれてもはっきり答えられないような子供でした。
バレエも本当に好きだったのか疑わしいのですが、何故か辞めずに続けていたのは続けて行く強さ、という素質は備わっていたのかもしれません。
そんな私でしたが、先生にお会いしてから徐々にバレエに真剣に取り組むようになり、
いつからか、プライベートレッスンを受けるようになりました。
高校生になると、両親と話し合い、海外に出て勉強することを薦められ、夏休みにモナコのバレエ学校の夏期講習に2年続けて行きました。
そして、、
高校生最後の夏休みはどこか違う所に、、
私の性格も考えてあまり都会ではない所、
ボストンバレエのバレエ学校がいいのでは? という事で、
高校生最後の夏休みはボストンバレエのバレエ学校の夏期講習に行く事になったのです。
ある意味、
ここから私のバレエへの道は開かれた、と言っていいと思います。
続きは次回に。